10 流行り病
翌日。
城下の市場を二人の男が歩いていた。
様々な店が顔を出し、通りの賑わいは常と変らない。
二人連れの片方である、日除けの被り布を着けた若い男が、もう一人のがっしりした男に何事か耳打ちした。
黙ってそれを聞いていた男は、小さく返事してうなずくと、ひとつの店に向かった。
男が大きく開いた入口から顔を覗かせると、実直そうな店番が愛想笑いを浮かべて出迎えた。
「いらっしゃいませ」
店の中の、一番目につきやすいところに、見本を並べた棚があった。
色も細かさも違う何かの粉末が、細かく仕切りの付いた木箱に少しずつ盛られている。
その一つ一つに、粉末の元になった薬草の名前を書いた札が貼られていた。
「何をお探しですか」
「熱さましはあるか?」
男がきくと、店番は「はいはい」と答えて、乾燥した薬草の粉末が詰まった袋を手繰り寄せた。
店内には似たような袋がいくつも置いてあった。それらの袋の表には、薬草の名前と主な効能が書いてある。
その中で、熱さましの袋は他の袋よりも大きく、余計に積んであるようだった。
「繁盛しておられるようですな」
「お陰様で。うちの薬は効きますよ。特にこの解熱薬は」
「これは良く売れているのか?」
「はい。最近、お求めになるかたが多くなりました。熱を出す病が流行っておりますから、旦那様」
店番はお喋りをしながらも、きっちり匙ですくって秤の上に薬を乗せていく。
いかほどご入用で、とたずね、男が指を一本立てると、かしこまりました、と答えて作業を続けた。
その慣れた手つきを見つめながら、男が聞く。
「値は上がっておらぬのか?」
「それはまあ、多少上げさせて貰っております。……私どもも値上げしたくはございませんが、だんだん品薄になってまいりまして。どうにも仕方ありませんのですよ。これでもうちは良い方です。幸い余分に仕入れることができておりましたから。この値段でお出しできる薬屋は、他にありますまい」
少しだけ困った顔を見せたが、店番は手早く薬を包んで愛想笑いと一緒に差し出した。
「他にご入用の物は?」
しばらくして、品物を入れた包みを手に、男は薬屋を後にした。
戻ると、先程別れた若い男が同じように包みを持って待っていた。
「どうだ?」
日除けの被り布の下、声をかけた黒髪の若い男はひどく厳しい表情だった。
がっしりした男は軽く頭を下げ、報告した。
「仰せの通りでした」
「やはりな。こちらもだ。大通りへ行く」
「は」
若い男は小さくうなずき、先に立って迷いなくさっさと進んでいく。
後に従いながら、男は大柄な鍛えた体で人混みの中をすいすいと通り抜ける。
街中の道の両脇に建つ簡素な露店は、時折聞こえる威勢の良い呼び込みと、市に群がる客で活気がある。
だが、たまに声をひそめて話す者や、沈んだ様子の者が口にする愚痴から、耳を澄ませば気になる言葉が拾えた。
――魚売りのおやじがねえ、昨日熱を出して倒れたんだって……
――もう手足が痺れてきかないんだってよ。そろそろ……
――従兄弟が熱を出しちまって、あっけなく。床に就いて三日で……
――それが、亡くなった母ちゃんの代わりに働きに出てた子も、同じような熱を……
二人は早足で大通りに入り、角に小さく医者の看板を出している家の前に立った。
ところが、中からは物音がしない。ひっそりと静かで、どうやら留守らしい。
大柄な男がそっと戸を開けると、開けてすぐのところに『往診中』と書いてある立て札が置いてあった。
「先生はおられませんか」
男が良く通る声で奥へ呼びかけると、ぱたぱたと小さな足音がして、疲れた顔の女が出てきた。
「ごめんなさい、今患者さんのところへ出ています。お急ぎですか」
武人らしいがっしりした男は、女の疲労の色が濃い顔をうかがった。
「いえ、急ぎではありません。患者ではないので。ただ、少しおたずねしたいことが」
「お急ぎでないなら、申し訳ありませんが後でいらして下さい」
「ご多忙なようですね」
強面を可能な限り和らげて、何気ないふうに声をかけると、女は溜息をついてぺこりと謝った。
「ええ、すみません。この時期は嫌な病が流行るものですから……。本当に先生も私も休む間もない程です」
男が患者でなく健康体であるとわかったせいか、彼女は少し弱音を吐いた。
「そうでしたか。お察しいたします。その流行り病のことで少し……」
また、そのしばらく後。
若い男が眉根を寄せて腕組みをしたまま、市場のはずれにある広場の噴水を睨むように立っていた。
すぐ側には、大柄で鍛えた体躯の武人らしい男が静かに控えていた。
「実際に見てみると、思ったより厳しい状況のようだな」
「は」
ぽつりと若い男が言えば、控え立つ男がうなずいた。
「導師長には急ぐよう言い置いてきたが、それとは別に何か手を打たねばならんようだ」
小声で話される言葉に、大柄な男はうなずいた。
「先程の医者のところへ、買った解熱薬を礼がわりに置いてきましたが、大層喜んでおりました。薬の値は上がりっぱなしのようです」
「そうか。……応急処置しようにも薬が足らんのでは」
若い男は被り布の上からがしがしと頭をかいた。
「後で戻ったら、典医のところに行って余分な薬があれば神殿に下げ渡すよう言っておけ」
「は。しかし、焼け石に水かも知れません」
「そうだな。それだけでは気休めにしかならん。……だが、知った以上何もせぬわけにはいかぬ」
大柄な男も顔をしかめていたが、彼の決意のこもった声を聞いて顔を上げた。
「殿下」
「我の地だ。我の民だ」
地味な平民の服をまとった若い男は、小さく、けれどもしっかりと言ってのけた。
「救わねばならん」
王宮の自室に、第一王子の姿は無かった。
彼は、帰城すると真っ直ぐ王の執務室に入り「父上にお会いしたい」と伝言を従者に持たせた。
その頃、父王は謁見の間で臣下と話していた最中だったらしい。
王は「そこで待つように。だが急ぐのならこちらへ来てもかまわない」と返事を寄こした。
それを聞いて、すぐに第一王子は立ち上がった。
「マルト、謁見の間だ」
彼に向かって、急ぐのなら来てもかまわない、などど返答すれば当然行くに決まっているだろうに、王はそう言った。来いと言っているようなものだ。
王の執務室の端に控えていたマルトは、足早に部屋を出る彼の後に続いた。
歩きながら、デートレフはマルトに指示を与えた。
「陛下はまだノルト領のほうへ派兵を命じておられまい。すぐ兵をやるよう願っておく。我の名でノルト侯爵宛にその旨一筆書いておけ。それと流行り病の薬を貰いに行くとな。抜け目ない奴のことだ、交易で大量に仕入れているだろう。もし無ければ取り寄せさせろ」
デートレフは頭から被ったままだった布をむしり取り、ぽいとマルトへ投げた。
被り布を受け取ると、マルトはたずねた。
「は。オステン領はいかがいたしますか」
「五日、いや四日だ」
王子の額につけた略冠が現れて光る。早足で歩きながら、彼は指を折り曲げて手を突き出した。
「四日で川沿いの住民をよそへ移動させる。兵を集めておけ。おそらく仮の宿泊場所が必要になる。その準備もさせろ」
「かしこまりました」
「それから、今すぐグンターに命じて、二、三人程連れて念のため謁見の間の外に控えさせろ」
「は。では、ただちに」
うなずく主人に一礼して、マルトは兵舎へ急いだ。
デートレフが謁見の間に着くと、取次の侍女が案内して中まで付き添った。
常であれば、謁見待ちの者が通される控えの部屋を通り越して、まっすぐ玉座の前に向かう。
玉座にはゆったりと父王が座し、少し離れた脇の小さな机に、記録係の文官が二人控えていた。
王の前で膝をついているのは、いかにも高価そうで悪趣味な、金糸銀糸の刺繍を施した服を纏う恰幅のいい貴族の男だった。
男は、指に沢山指輪をはめた手を胸の前で揉みしだき、血色の良いまるまるした顔を赤くさせているところだった。
「お話し中、失礼いたします陛下。急ぎ参りました」
取次の侍女が彼の来訪を告げるより先に、ずかずかと王の前へ進み出て、デートレフは軽く会釈した。
「……しばし待て。今、余はオステン公と話しておるところだ」
謁見の際の手順を飛ばして、いきなり姿を見せた彼を咎めはしないが、王はやんわりと制した。
膝をつく人物を確認し、相手はオステン公であったか、とデートレフは得心した。おそらく進退について打診され、慌てて登城してきたのだろう。
「はい」
素直にデートレフはうなずき、その場から少しだけ斜め後ろに下がって立った。
2021.02.16 誤字修正しました
2021.03.06 振り仮名等の微修正しました