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この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

狂気のアリスと子守のメリー

作者: 田中卵

 本の表紙を眺めていても、中身はわかるはずもないので。

 あたしは文面をなぞった。


 ──少女は、物語の続きを望んだ。

 

  ♠


 タイヤの下で、紙が(きし)む音がした。


「ついたよ、仔猫(キティ)

「そ、お勤めご苦労様」


 御者(ぎょしゃ)に淡泊な返事を投げつつ、あたしは車窓の景色を見つめる。


 四角に切り取った空。

 デタラメな色彩だ。空は赤くて、地面は真っ黒。

 跳ねる白兎が「急げ、急げ!」とみっともない足音を響かせて、あたしの視界を横切っていった。


 おとぎ話の世界は、滑稽なまでにおぞましい。


「あなた方のご主人サマは、随分と趣味が悪いのね?」

「お客人。あまり無礼を言うと、恐ろしい女王に首をちょん切られてしまうよ。常に笑顔で、みんなを傷つけないように心がけて」

「……ええ、素敵。努力する価値があるね」


 ため息をこぼすみたいに、応えた。

 窓ガラスの鏡面に反射する笑わない少女。

 無愛想で、きっと誰からも愛されない。


「そうだろう、そうだろう」と御者は言葉面だけを受け取り、ご機嫌に頷いた。


 単純な思考だ。(あざけ)りに近い感情を(いだ)きながら、馬車を下りた。


 長髪を後ろ頭に()い、外套(コート)羽織(はお)る。……仕事道具、よし、持ってる。


「ワンダーランドにようこそ! キミは、キミは何人目のアリス!?」


 と、足元から声が聞こえてきた。


 見下ろすと、愛らしい笑みを浮かべた駒鳥(こまどり)がいた。


 あたしの紅い靴の先に止まろうと、細枝のような足をバタつかせている。

 彼の問いを微笑で受け止めた。


「そうね、あたしは来たばかりだから存じ上げないの。よろしければ教えてくださる?」

「もちろん! アリスはひとり! ただひとりだけ!」

「よかった。ひとりだけなの。杞憂(きゆう)ね、もう。紛らわしい尋ね方はやめてくださる?」

「うん、ごめんね! ねえ、へそ曲がりなキミ! キミはだれなの!?」

「あら大変、名乗ってませんでしたね。あたしはメリー、よろしく駒鳥さん」

「メリー! メリー! 素敵な名前だね! キミはお客人? お茶会にご招待されたの!?」

()()()()()


 突き放すように言い放つ。

 本来の口調に戻っていくのを感じる。


 はしたなくて。

 獣のように本能的な。


 ──偽りで描かれた寓話(ぐうわ)は終わり。

 ──幕を開くのは、ひどく血生臭い舞台劇。


 これは宣誓だ。あたしは、地面に(つば)を吐き捨てた。


「あたしはクソッタレな物語を裁断しにきたの」

 

 困惑した駒鳥が、空中を羽ばたく。

 無様に羽を飛び散らせながら、甲高い悲鳴をあげていた。

 あまりのショックで脳が昏倒し、コウモリの飛ぶ夜に墜落していった。


「大変だ、大変だ! クックロビンが死んでしまった!」

「誤解なさらないで。殺すつもりはあったけど、いまのに悪気はなくってよ」


 周囲の鳥獣たちが、同時に幾つも叫喚(きょうかん)を響かせる。


 しょうがないなあ、もう。


 混乱のるつぼの中を、あたしは歩いていく。


「どうしよう、どうしよう!」

「そんな! 誰が殺したんだ!?」

「追い出せ! 裁判だ! 死刑だ!」


 糾弾(きゅうだん)の声に足を止め、わざとらしく困った顔をつくった。


「死刑は困る。温情を与えてくれよ」

「おや、おや? 反省してるよ!」

「仲直りしよう!」

「でもいけない! 判断するのは女王だから!」

「ああ、女王は死刑だって言うよ! きっと!」


「そう……なら、司法取引は不成立だね。あたしは女王を弑逆(しいぎゃく)する」


 もはや、対話は不要だ。


 ……いいえ。


 初めから、あたしと彼らの間に、共通する言語は存在しない。

 

 あたしは根本から歪んでいて。

 彼らの頭は狂ってるのだから。


「ああそんな! でた、きた! バンダースナッチだ! 逃げろ!」

「あ、アァアアアァアア! いたい! いたいよ! どうして! どうして死ぬ必要があるの!?」


 ──と。

 背後に、巨影が降り落ちてきた。

 ()ける息が後ろ髪を叩く。()せ返る獣臭。(うな)る鳴き声には、強烈な殺意が(はら)んでいる。

 振り返ると、魔犬がいた。


 バンダースナッチ。


 血の色を(まと)い、顎を(いぶ)り狂わせる怪物。見れば、槍の穂先(ほさき)を思わす歯には、寸前まで生きていたであろう肉塊が絡まっているではないか。


「こんにちは、バンダースナッチ。あなたって節操がないんだね」

『■■■■■──!』


 ()(たぎ)る憎悪を吐き出し、魔犬が首を伸ばす。


 ──伝承は唄う。

 ──努々(ゆめゆめ)、バンダースナッチには近寄るなかれ!


 さらば灼熱の(あぎと)が、あなたを喰い尽くすのだから。

 バンダースナッチに認識された時点で、死は確定するのだ。


「────」


 視線の先。数瞬前まであたしが立っていた空間が(えぐ)られている。

 (はし)る顎に噛み応えを得られず、魔犬に困惑がにじみ出た──あたしは、躍り上がった中空で一連の行動を目撃していた。


 生きている。その不可解に、バンダースナッチが唸った。


『■■■■■■──!!?』

「いきなりご挨拶だね、悪い子だ!」


 影が膨らむ。魔犬は俊敏だ。

 すぐさまあたしを仰ぎ見て、牙の切っ先を向けた。その首が変形する。


 伸びる。伸びる。伸びる。


 魔犬は理屈を凌駕し、否応なしに死をもたらす。


 だけど。

 伝承など(くつがえ)す。あたしが、あたしなれば!

 獰猛(どうもう)に頬が吊り上がるのを自覚した。


「調教が必要だ。あなたも、この世界も! あたしが(ただ)す!」


 膨れ上がった殺意が拮抗(きっこう)し、空間が軋む。

 互いに受け入れる事実──


 これは、どちらかが死に絶えるまで終わらない死闘の舞台である。


 ♥



 ひとりの少女が、不思議な世界に迷い込みました。

 

 しゃべる動物たち。

 鳥獣たちのロードレース。

 身体の大きさを変えてしまう不思議な薬。

 いつも、いつまでも開かれるお茶会。

 世話焼きな侯爵夫人に。身勝手な女王。

 

 セカイを見つめて、少女はこの夢をずっと見ていたいと思いました。

 だから少女は、夢に目覚めることにしたのです。


 まだまだ、物語は終わりません/狂い続ける。

 

 ♥


 解体されたバンダースナッチが、断末魔を響かせた。

 憎悪を連唱し、砕けた牙で、なおもあたしを噛み殺そうとしている。

 呆れた気概だ。死んだまま、あたしを殺すつもり?


「伏せ。喋らないあなたは利口でかわいいね」

『■■■■……』


「バンダースナッチが死んだ! 彼女が殺した!」

「罪状は〝バンダースナッチを殺した罪〟かな!」

「なら刑罰はなんだろう?」

「首切りだ!」「ちょん切ろう!」「死刑だ!」

「判決を!」「判決を!」「判決を!」


 騒々しいなあ、もう。

 溶岩の熱を持つ血が、周囲をぐちゅぐちゅと侵食しながら、魔犬の中から溢れている。

 何匹かは巻き込まれたみたいで、悲鳴も上げずに燃え尽きていった。

 血のマグマの中で血肉をぶちまけて、更なる地獄が生まれる。


「大変だ、女王に伝えないと死刑にはできないよ!」

「そんな! はやく首を切ってもらわないと!」


 悲鳴がいくつも響いていた。

 狂乱は伝染していく。元々彼らは正気じゃないのだから、大した違いはないのだけれど。


 あたしは脱力しながら、馬車に戻る。


 御者がおっかなびっくり、と言った様子であたしに振り返ってくる。


「バンダースナッチを殺した!? あなたは何者だ!?」

「誰からも愛される象徴──あなたたちが少女(アリス)と呼ぶ存在と、相違ないよ」


 嘆息と共に応えて、先ほどの会話をはたと思い出す。


「そうそう、訂正させて。あたしは仔猫(キティ)じゃなくて、淑女(レディ)だ」


 皮肉が口元を掠めた。

 あたしが淑女? 短剣を振り回して、醜く踊るあたしが?

 冗談にしたってお粗末だ。


「お客人、あなたは処刑される! 女王はあなたを見逃さないだろう!」

「そ、大変。手間をかけさせては申し訳ないし、こちらから出向きましょうか」


 御者の首に短剣を添える。

 刀身は(ろく)に血拭いしてないから、根本が腐食していた。


「女王のもとまで連れていって。安心して。帰り道までは殺さないよ」

「け、けど! きっと私まで女王に首を切られてしまう!」

「それこそ安心して。あなたは手を貸すわけじゃないから、あたしは足を借りるだけ。足だったら切られる心配はないんだよ」

「ほ、ほんとうに?」

「うん、本当も本当。だけど、その前にあたしがあなたの首を切ることだって、容易いんだよ」


 優しく諭すと、御者は声もなく頷いた。

 焦燥がごとく馬を操り、御者が馬車をはしらせた。


 ……うん、瀟洒(しょうしゃ)な歩きだ。


 固いシートに背中を預け、外套に短剣を納める。

 後ろで結んでいた紐を乱雑に解く。

 (くびき)から外れた髪の尾が、車窓から吹き抜ける風になびいた。


「いい風だ。うん、うっかり微睡んでしまいそうな」


 ()()()()()()……なんて、つじつまの合わないことを考える。


 ♦


 夢から目覚めた少女は、もう一度あの不思議な世界に行きたいと願いました。

 そして、再び目覚めます。


 そこは、鏡越しの世界。


 名無しの森。

 ハンプティダンプティ。

 赤の軍と白の軍。

 女王の会食。


 赤の女王が変じた仔猫を捕まえると、少女は目覚めました。


 少女は自問するのです。

 これは、自分の夢か?

 それとも、赤の女王の夢か? 


 ♦


 たどり着いたのは、トランプの城。

 ひび割れた白亜の城壁は血色に彩られている。

 

 庭に乱立するのは、串刺しにされた多種多様な生首。

 馬であったり、カメであったり、帽子屋であったり。

 頭部の博覧会みたいだ。


 女王は、豪華絢爛の趣向を勘違いしているらしい。


「やっぱり趣味が悪い」

「なあ、なあ、私はもう行っていいかな!」

「うん。お勤めご苦労様、またあとで会おうね」


 馬車を下りながら、御者の肩を叩く。


 地に足をつけた瞬間、トランプの軍団が殺到してきた。

 あたしの腕に、足に巻き付いてくる。


「捕らえた!」「捕らえたぞ!」


 (わずら)わしい。

 光に(たか)る羽虫さながらの様相に舌を打ち、懐から短剣を閃かせる。

 バラバラに切り裂かれたトランプが、悲鳴を上げて舞い落ちた。


「残念。あたしは道化師(ジョーカー)、あなたたちでは不足だ」


 (うそぶ)き、歩き出す。

 重い扉を開くと、()せ返る血臭が押し寄せてきた。


 謁見の間。


 天井は遠いくせに、妙な重苦しさを感じる。

 年代物の絨毯(じゅうたん)には、(おびただ)しい血がシミになってこびりついていた。

 目に見える赤すべては、血で塗られている。


「まあ、まあ、まあ! 可愛いお顔!」


 奥から、粘ついた甲高い声が降り注いだ。

 現れたのは、ふくよかな女性。

 堂々とした顔の上には、小さい冠が載っている。


「ハートの女王……」 


 と、その名を呼んだ。


 視線が外せない。彼女の手には、武骨な大剣が握られている。

 幅の広い刀身には、生々しい鮮血が付着していた。


 童話上での彼女は『首をちょん切ってしまいなさい!』と、怒りと共に言いこそすれ、実行には移さなかった。


「驚いた。あなたって、口だけじゃなかったかな? 首を切れと命じるばかりで、決して手は汚さないものかと」

「…………」


 返答代わりに、彼女はその手に掴んでいたものを投げてきた。

 ゴロン、と鈍い音を立てて、足元に何かが転がってくる。


 ……生首。


 さっき、あたしが見送った御者だ。

 あなたの癇癪(かんしゃく)には抵触(ていしょく)していないはずだけど。


「そう、とっくに見境はなくなってたんだ。女王サマ」


 じろり、と脂肪で(くぼ)んだ眼窩(がんか)から睥睨(へいげい)する光。舐めるような視線で、あたしを見つめている。


 如何に首を切るか、算段をつける瞳だ。

 目を閉じ、挑発的な笑みを作った。


「でも道理ね。女王サマは、とっくに()()()()()卒業済だろうし!」

「貴女は可愛い顔をしてるもの。とびっきり(むご)たらしく殺すわ!」

「やってみなよ、尻軽おばさん!」


 示し合わせたかのように、同時に地を蹴った。

 中間でぶつかるのは、短剣と大剣。

 剛力で振るわれた大剣を、受け止めるのではなく、軌道をズラすように合わせた。


「大人しくしてなさい、丁寧に首を切ったげるから!」

「汚い声で(わめ)かないで」


 首切りの剣は大量の血を飛ばしながら肉薄する。

 彼女の呼吸に同調し、完璧なタイミングで軌道を逸らす。


「ああ、もう! 小賢しい!」


 女王にしてみれば、あたしの剣技は魔法そのものだろう。

 確実に相手を殺せる一撃が、(すべか)らく外れているのだから。


 断頭の刃は床を抉り、壁を破壊し、徹底的な暴虐を遂行する。

 でも、あたしには触れられない。


「どうした、あたしはまだ生きているぞ!」


 女王の剣が苛立ち、荒くなった。

 暴力の嵐を紙一重で(かわ)し続け、一点の隙を見出した。


 大きく振りかぶった両腕。がら空きだ。


「首、置いていきなさい!」


 振り下ろす大剣をバックステップで避けて、着地の瞬間に絨毯を踏みしめ突進。

 一陣の颶風(ぐふう)と化したあたしは、肥大化した腹に短刀を突き立てた。

 

 首を切るはずの大剣は、床を砕き沈黙する。


 花が咲く。

 腹に沈んだ切っ先から、確かな手応えが伝わった。


「え…………?」


 (とぼ)けた声を漏らす口から、ゴボゴボと水泡を膨らませて血が溢れ出た。

 手荒に剣を引き抜き、身を離しながら横薙ぎに振るい、女王の首に一筋の傷を抉る。


 傷を塞ごうと分厚い手を宛がうが、噴き出る鮮血は止まらない。


 瞳が(にご)り、色を失う。

 怯えるように上げた顔を見据え、あたしは静かに告げる。


「バイバイ、女王」

「どうじで……?」

「あたし、いつまでも夢を見ていたくないの」

「あ、りす…………?」

「……人違いだよ」


 何かを求め、(すが)る声。

 無念に持ち上がった手が、血だまりに落ちた。


 一面が血の海だ。

 女王の深紅と、庭で串刺しにされた生首たちの黒く濁った赤。


「これで、ようやく終わる……あたしは、夢から目覚める」


 淡く、呟いた。

 そのときだった。


『お客様ね! まぁ! お人形さんみたいに可愛い!』


 場にそぐわぬ、酷薄なまでに無邪気な声が、木霊を打った。

 レコードを通したような、ざらついた感触の声音。


「嘘だ」


 敵わない、と瞬時に悟った。


 ()()()()()()()()()


 底知れぬ絶望が足先から抜けてくる。

 取りこぼした短剣が、床を跳ねて硬い金属音を響かせた。


『私はアリス。人形のあなた、名前を教えてくださる?』

「あ、あああぁ…………」


 闇に落ち、縋るように崩れ落ちた。


 べちゃり、と粘着質な血液が、手の平を汚す。


 赤黒い水面に映るあたしの目は、限界まで見開かれている。

 蒼白となった頬で唇を戦慄(わなな)かせていた。


「このセカイは『ハートの女王が支配する夢』じゃなくって『アリスが観測する夢』……物語のすべてがデタラメなのは、あなたが体験した出来事を、混沌に溶けこませたセカイだから!」

『正解! 誰も、夢なんて見ていないの! 私たちのセカイ、みんなのワンダーランドですもの』


 変化は劇的だった。


 目前の地獄が、集約していく。

 血が、肉が、骨が、首が。


 ()()()()()()()()()()


 命の水を啜り、淫靡(いんび)にアリスは蘇った。


「はじめまして」


 母胎を引き裂き、赤子が現れるような。

 生まれた命は、限りなく醜悪だった。


 腰にまで届く長い金髪。

 禍々(まがまが)しい紅蓮(ぐれん)双眸(そうぼう)

 蠱惑的(こわくてき)(うごめ)く唇は(つぼみ)みたいに。


 (あで)やかにドレスを(ひるがえ)し、少女は現出した。


「アリス」と、茫然とその名を呼んだ。


 少女はドレスの裾をつまみ、上品なお辞儀をする。


「ええ、アリスよ。あなたの夢を教えて?」

「…………夢を、終わらせること」


 絞り出すように答え、立ち上がろうと力をこめた。


「立っちゃダメ」


 体が軋んだ。

 不可視の圧力が体を押し潰している。


 な、これは……!?


「うふふ、四つん這いで動物みたいね」

「……! なにを、した?」

「まだしゃべれるの? あなたってば、とびきり頑丈ね」


 床に押しつけれて、アリスの姿が靴しか覗えない。


「教えて? どうして夢を終わらせたいの?」


 少女の言葉は、否応なしに心の根幹を抉る。


「素敵な世界よ? 動物たちと心を通わせて、退屈な授業はなくって」

「……決まってる」


 いつまでも、夢を見てばかりじゃいられないから。


 人魚姫が、やがて泡となって分解されるように。

 双子の兄妹が魔女に喰われるように。


 そんな、自然な結末を迎えたいのだ。


「夢なんて見たくない。ましてそれが、他人の欲望に塗れた夢なら尚更願い下げだ」


 不意に、頭が持ち上がる。

 髪を無造作に掴まれ、ウサギでも捕まえたみたいに掲げられた。

 こんな細い手首のどこに、こんな力が……!


「う、ぐ……!」


 (うめ)き、アリスの顔を睨み付ける。

 裂けた薄桃色の唇を吊り上げ、彼女はあたしの顔をなめ回すように眺める。


「綺麗な顔ね。でも怖い顔で台無し。笑ってくださいな、私の人形さん」

「誰が……!」

「もう、汚い言葉はダメですよ。お口、チャックしましょうね」


 途端、口に激痛が走った。


 眼球が飛び出んばかりに目を剥き、脳がスパーク。

 口を冒涜(ぼうとく)した感覚に気が狂いそうになった。

 あたしの頬に手を添え、アリスは恍惚(こうこつ)と鼻歌を奏でる。


「──!」

見て(show)ゆっくり(slow)縫って(sew)……出来た!」


 少女は謳う。


 悶絶(もんぜつ)の声すら漏らせず、あたしは(うずくま)った。

 掴まれてた髪が何本か千切れ、床にパラパラと落ちた。


 震える手で口を探る。

 指先から伝わってくる事実に怯えた。


 ()()()()()()()()。ジグザグに、糸で!


「あ……う……!」


 悲鳴や涙がなくとも、慟哭(どうこく)は成立する。


 理解できない。


 この少女は、あまりにも空っぽだ。

 残酷な無邪気さも、

 純真な悪意も、

 すべてが、嘘で塗り固められた狂気。


「まぁ、どうか悲しまないで! ここはワンダーランド! みんなが素敵に生きて、きちんと死ぬ夢の世界なのよ!」


 アリスの叱咤(しった)に呼応し、糸があたしの唇を(うごめ)かせた。

 無理矢理に笑顔を作られて、想像を絶する痛みが、灼熱となって口を襲っていた。


「マリオネットみたい! 踊って、あたしのビスク・ドール!」

「……!」


 (すが)り付くように伸ばした手が、鋼鉄の輝きに触れた。

 短剣を引き寄せ、己の口に突きつけた。


 そのまま、横に一閃。


 ぶちぶち、ぐちゅぐちゅ。


 口内に血液が溢れ、胸の奥からせり上がってきた胃酸と混ざり合う。

 切れた糸がぷらぷらと吐息で揺れる。


「が、べ……」


 糸の切れた人形は、己の足で立ち上がった。


「大変、ひどい傷よ! 人形師(Puppeteer)の次はお医者さん(Dr.)ね! まかせて!」

「うる、さい。よくも口を()ったな、ファーストキスだってまだなのに!」

「おませさん。傷を作ったのはあなたよ?」

「裁断する、ぜったいに!」

「野蛮、野蛮なバルバロイだわ!」


 きゃー! と少女は白々しい悲鳴を上げる。


 痛みで感情がショートしてしまった。

 恐怖が麻痺して、憤怒が体を焦がす。


 短剣を構え、人外の少女と対峙(たいじ)する。


「あなたを裁断すれば、物語ゆめは終わる……!」

「ふふ、どうするつもりなの?」

「どうしてほしいか、鳴いてみてよ」


 血を吐き、あたしは短剣を振るう。

 アリスの動きはデタラメなのに、あたしの剣は一度だって掠らない。


 舌を打ち、猛攻を強めた。

 軌道は完璧なのに、規格外の法則が少女を生かし続けている。


「ねえ、ねえ! 楽しい、楽しいわ!」


 あたしにとっては死闘でも、アリスにとってはただの舞踏。

 相手は遊んでいるだけ。

 だから、あたしは反撃を受けずに済んでいる。

 でも。


「むー! あなたってば、乱暴!」


 と、少女の(はえ)でも払う仕草。

 反射的にのけぞり、軌道上から逃れた。

 

 ぞん、と。

 信じがたいことに、それだけであたしは昏倒しかねない痛みを胸に受けた。


「が、は……!」


 まずい、次の一撃がくる!

 両足を揃え空中に躍り上がり、ムーンサルトの要領で背後を取る。

 短剣を突きつけるが、アリスは(たお)やかな仕草で躱してみせる。背中に目でもついてるの!?


「すごいすごい! 道化師ピエロにもなれるのっ?」

「ほんと、呑気で生意気! 覚えて死んできな、支配者を嗤うのは、いつだって道化師ジヨーカーなの!」

「む~! なによなによ! 私も、本気だしちゃう!」


 言って。

 何もない空間から、彼女は一振りの剣を引き抜いた。


 黒の剣。


 ほかのすべてを拒絶する漆黒。

 世界を軋ませ、怪物を斬り伏せる必滅の影。

 すなわち、


 ──ヴォーバルの剣。


 ジャバウォックの詩にて語られる、勇士が手にしたとされる伝承。

 そればかりは、あたしにも覆せない。


「そう、やっぱりあなたが持っていたの」

「ええ、名無しのあなた(Jane Doe)! 一緒に踊りましょう!」


 最悪な夢だ。

 最後に見るのが、こんなにも憎らしい顔なんて。

 

 ♣


 少女は、人形の首をちょん切ってしまいました。

 物言わぬ人形は、やっぱり綺麗な顔をしています。

 顔を持って、うっとりと眺めます。


 濡羽色の艶やかな髪。

 鼻筋の通った冷たい容貌。

 光を失った瞳の色は緑。

 

 なんて、なんて素敵なお顔でしょう!

 

 たまらなく愛おしくて、

 お気に入りの洋服が汚れるのも気にせず、胸に抱きしめました。


 それはまるで、宝箱に大事なものをしまい込むような仕草。


 熱が胸を伝ってドキドキさせます。

 そして、とうとう少女は人形に口づけをしてしまいます。

 

 ああ、なんて! 私ったら、なんてはしたないの!


 芳醇な香りに酔いしれる自分を、少女はどうすることもできません。

 お庭の博覧会(コレクシヨン)に加えるのが、なんだか名残惜しい。


 やがて少女は、首と胴体をつなぎ合わせることにしました。

 

 魔法みたいに、少女は唱えます。


「私、あなたと同じ夢を見ていたい」


 ♣


 そしてあたしは、夢に目覚めた。

 一目で、夢と悟った。

 だって、あまりにも綺麗な少女があたしを見つめている。


 こんなの、絶対に現実じゃない。


 後頭部に柔らかい感触があって、少女の顔が近い。

 俗に、膝枕……っていう姿勢なのかな。


「起きた? あたしの可愛い人形」

「どなた……?」

()()()()()()、あたしはアリス」

「アリス」と、朦朧(もうろう)とした意識で名前を呼ぶ。


 ぱあ、と笑顔を弾かせて、頭を抱えるように抱きしめられた。

 くらりと目眩がするような、芳醇な匂いが感覚を包み込んだ。


「あなたの名前をおしえて?」

「あたしの、名前?」


 唐突に、暗黒に閉じ込められた錯覚。

 自分が何者なのか、認識できなかった。


「あたしは、誰なの?」

「まあ! 忘れてしまったの? ん~私も知らないの!」


 頼みの綱が、あまりにも頼りなくって愕然(がくぜん)とした。

 露骨に暗い顔をしたあたしに、アリスは(はげ)ましの言葉を注ぐ。


「でも! あなたは生まれ変わったの。だから、私が名前をあげる!」

「本当?」

「ええ。そうね……魔法使いみたいな外套コートだし、メリーはどうかしら?」


 その名は、胸の奥に快音を響かせるほど腑に落ちた。


「素敵な名前」

「そうでしょう? あなたは私と一緒にいるの。私ってば、まだまだお姉さんになれないの。だから、あなたに安心して眠らせてほしい」

「あたしが、あなたを守るの?」

「ええそうよ。だからメリーなの。子守の魔法使い(メリー・ポピンズ)


 赤い絨毯に、雪のように真っ白な台詞が降り注いだ。

 なんて、眩い役目。

 この少女を守れる/裁断できる。とは。


「……?」

「あら、どうしたの? 首が痛む?」

「いえ、なんだか雑念が」


 変だ。どうして、あたしは彼女を殺したがっているのだろう。


 ぎちり、と振ろうとした首が妙な音を立てた。


 違和感。意識が、まだ沈んでいるのか?

 現実の地平に浮上するよう、何かが胸の奥から訴えかけている。


「いけない、起きちゃだめよ」

「……どうして?」

「あなたってば、すごく疲れてるの」


 ああ、それは、眠らないとダメだ。

 このまま、少女に頭を撫でられながら。


 霞んでいく視界。

 その、中に。


 短剣の、輝きを目撃した。


 手には、冷たい狂気が握られていた。


 すなわち、物語を裁断する刃。

『歪んだ続編』を剪定(せんてい)し、正しい物語に(かえ)す剣。


「ねえ、メリー……いつまでもそばにいて」


 ゆっくりと目を閉じる。

 もう、夢を見るのはこりごり。


「おやすみ、アリス」

「ええ、おやすみメリー」

「いい夢を」

「うん……え?」


 手応え、あり。

 少女の首が、ちょん切られた。

軽く書きました。初百合です。

拙いところばかり目立ちますが、よろしければ感想や評価、またブックマークいただければ励みになります

声が届きましたら、連載してみたいです。


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