婚約破棄から始まる物語
「あかりさん、すみません。やっぱり俺たちの婚約話はなかった事にしてください。」
3回目のデートの帰り道、俺は耐えきれなくなってついに言ってしまった。
夕日が沈む中、腰までのばした黒髪をしゃらんと揺らし、あかりさんは歩いていた足を止めた。
「そんな…、だって私たち、出会ってまだ1カ月よ。まだ恋人らしいこと何もしていないじゃない。」
最もな反応だ。しかし、もうあかりさんに嘘をつくのも、俺自身をだましてこのまま付き合うことも限界だ。
リアルな女性と空間を共にするなんて、もう耐えられない!
どのくらい時間がたっただろうか。うつむいて言葉を探す俺にあきれたのか、「ふう」と息を吐く音が聞こえた。
「わかったわ。裕斗さん。私たち、別れましょう。」
その瞬間、頭が真っ白になり、瞬時に何かが体中を駆け巡った。それはそのまま一気に羽ばたいていき、残ったのは一カ月ぶりの安堵だった。
「ありがとう。」
自然とこぼれた言葉に気が付いて、はっと口を噤んだが、その言葉を予想していたかのように、あかりさんは「うん。」と微笑んで、「じゃあね。」と軽く手をふり夕暮れの中、喧噪の町に溶け込んでいった。
あれから2年
「裕斗、そろそろ真面目に結婚相手を選びなさい。
全く、勝手に婚約破棄して、私たちにどんなに恥をかかせてくれたか。」
…そんなの知らない。そもそも両親が勝手に決めてきた婚約だ。
「容姿端麗でご実家も、うちと釣り合う良家。あんなにいい条件のお嬢さん、探すの大変なのよ。」
俺は母の言葉をいつものごとく聞き流して、画面の向こう側へ意識をむける。
絶対に画面からでてきてはくれない、黒髪が特徴の彼女を思い起こさせるアバター。話す言葉も雰囲気もあの日さよならを告げてくれた彼女そっくりだ。
そして俺は、金髪でいかにもな、モテ男を操る。この世界なら俺は何も気負うことなく過ごすことができる。可愛い彼女に気後れすることなく、俺は彼女と対等でいられる。
「よし、今日こそ、彼女を落としてみせる!」
♢♢♢ あかりサイド ♢♢♢
「ここが、裕斗さんが生きている世界ね」
視界に映るのは新緑がまぶしい森、耳をくすぐる虫たちの鳴き声。
裕斗と3回目のデートの時、お花摘みから戻ってきたあかりを待っていた裕斗は、大きな体に不釣り合いな、小さなスマホの画面を見て、弛緩した、楽し気な表情をしていた。
…初めは「こんな大きな熊みたいな人との婚約なんてイヤ」ってなげいてたっけ?
私の前では見せてくれない温顔に、私の心はキュウとなった。
…絶対私もあの顔を引き出してやるんだから!
その時にちらりと見えた画面に映し出された、タイトルとキャラクターを脳裏に焼き付けた二時間後、あろうことか私は彼に振られてしまったのだ。
あれから二年
私は、ゲーム内で次々と知り合いを増やしていき、情報収集を重ね、ついにその人を特定した。
「やあ」
と気軽に語り掛けてくるのは、全く好みじゃない金髪の男性。
裕斗さんとは似ても似つかない軽薄そうな容貌。
「よーし、待ってなさい! 絶対に落としてやるんだから。」
二人の物語は、ここから始まる。