一章 十二話 鉄の棺桶
水蒸車は、帝都市街から離れた、人気のない工業地帯へと入っていった。
巨大な煙突が林立し、夜にもかかわらず、どこからか蒸気の噴出音や、金属を叩くハンマーの音が響いている。
「ここは……帝国陸軍の兵器工廠ですか?」
俺の問いに、ニシミヤ大尉は短く頷いた。
「表向きはね。だが、地下には共同戦略科が管理する特別研究施設がある。一般の兵士には存在すら知らされていない場所だ」
車は、古びたレンガ造りの倉庫の前で止まった。
運転席のミランダ海兵長が何やら合図を送ると、巨大な鉄扉が重々しい音を立てて開き始める。
「ここだ」
ニシミヤ大尉の後に続き、俺は重厚な鉄扉を潜った。
瞬間、強烈なオイルの匂いと、鼓膜を震わせる金属音が俺を出迎えた。
カン! カン! ギィィィィ……!
広大な地下格納庫。
そこでは数多くの整備員たちが、巨大な何かの周りで忙しなく動き回っていた。
そして、その中心から、雷のような怒号が響いてきた。
「バカ野郎ッ!! そのリベットじゃねえと言っただろうが!」
「ひぃっ! す、すみません博士!」
「『すみません』で機体が飛ぶなら世話ねえんだよ! ミリ単位のズレが命取りになるんだ、やり直せこのウスノロ!」
怒鳴り声を上げているのは、驚くほど背の低い男だった。
子供……ではない。
肩幅は広く、丸太のような腕。作業着からはみ出した胸毛と、顔の半分を覆う灰色の髭。
そして頭には、油で汚れた溶接用ゴーグル。
「……亜人? ドワーフ族ですか?」
俺が小声で尋ねると、大尉は楽しそうに頷いた。
「ああ。口は悪いが、腕は帝国一だ」
大尉はコツコツと軍靴を鳴らしながら、その怒れる小人へと近づいていく。
「相変わらず元気だな、グスタフ特務大尉」
「あぁん? 誰だ、俺の神聖な陸軍工廠に入ってくる阿呆は……」
ドワーフの男――グスタフ特務大尉は、スパナを握りしめたまま振り向いた。
そして、ニシミヤ大尉の姿――返り血こそ拭き取られているが、威圧的な憲兵隊の制服に身を包んだ彼女を見ると、鼻を鳴らして呆れたように肩をすくめた。
「ゲッ……また来やがったのか、海屋の女狐め。その格好、またどこぞで薄暗い『掃除』でもしてきた帰りか?」
「人聞きが悪いな。国の害虫駆除は陸軍憲兵の管轄だろう? 私は少し手伝っただけさ」
ニシミヤ大尉は、グスタフ大尉の嫌味を涼しい顔で受け流す。
どうやら、彼女が特務任務で憲兵に変装するのは日常茶飯事らしく、グスタフも特に気にした様子はない。
「フン……海軍のくせに陸での殺しがお上手なこった」
グスタフ大尉は床に唾を吐き捨てるような仕草をする。
「おい、塩を撒け! 工場が磯臭くなっちまう。てめえら海軍は船の上で優雅にティータイムでもしてりゃいいんだよ。何しに陸へ上がってきやがった」
「今日は陸軍へのプレゼントを持ってきたんだ」
そう言って、大尉は俺の方を向いた。
グスタフ大尉の鋭い眼光が、俺を射抜く。
俺もまた、憲兵隊の制服を着ている。だが、歴戦の古兵である彼には、俺が本職の憲兵ではないことなどお見通しのようだ。
「……そこのヒョロいのがか? 憲兵の服に着られちゃいるが……中身は素人だな」
「ああ。今日付けで共同戦略科に配属された、元気球部隊の生き残りだよ」
「……気球部隊だと?」
グスタフ大尉の目が、わずかに見開かれた。
値踏みするような、職人特有の目だ。俺は思わず直立不動になり、敬礼をする。
「帝国陸軍、および共同戦略科所属! ローシ=ミハイル伍長です!」
「……フン」
グスタフ大尉はスパナを回しながら、俺の足元から頭のてっぺんまでをジロジロと眺めた。
そして、憐れむように肩をすくめた。
「気球乗り(陸軍)が、よりによって海屋の女狐に飼われるとはな。難儀なこったな、兄弟」
「は、はあ……」
「ま、いい。大尉が連れてきたってことは、少なくとも『騎士道』なんていうクソみたいな寝言を言う奴じゃなさそうだ」
グスタフ大尉は油にまみれた手を俺に差し出した。
握手か? 俺は戸惑いながらも、その手を握り返す。
ゴツゴツとしていて、硬く、そして温かい手だった。
「グスタフだ。階級で呼ぶなよ、『博士』か『親父』でいい。……これからよろしくな、モルモット君」
「は、はあ……モルモット?」
「当たり前だ。まだ試験飛行も済んでねえんだぞ? 落ちたら仲良くあの世行きだ」
カカカッ! と豪快に笑うグスタフ博士。
俺は呆気にとられながらも、不思議と悪い気はしなかった。
この男からは、あのニーマ少佐のような「陰湿な悪意」を感じない。あるのは、鉄と油に対する純粋な情熱だけだ。
「さあ、無駄話は終わりだ。とっとと『ご対面』と行こうぜ」
博士は俺の手を離すと、防水布の方へと歩き出した。
格納庫の中央に、巨大な影が鎮座している。
「ミランダ、布を」
大尉の指示で、ミランダ海兵長が作業員たちに合図を送る。
数人がかりでロープが引かれ、バサリ、と重い音がして、防水布が床に滑り落ちた。
露わになったその姿を見て、俺は息を呑んだ。
……いや、違う。
俺は、この形状を知っている。
「あっ……!」
脳裏に、あの日の地獄が蘇る。
燃え落ちる気球。絶叫しながら落下していく戦友たち。
そして、俺たちを嘲笑うように旋回し、炎を吐く巨大な竜。
死を覚悟したその瞬間だ。
雲を切り裂いて、銀色の「何か」が、竜へ向かって突っ込んでいったのは。
――ダダダダダダッ!!
乾いた破裂音と共に、竜の巨体がのけぞり、血飛沫が舞った。
魔法障壁も、鋼鉄のような鱗も関係ない。
その銀色の翼は、圧倒的な速度で竜を翻弄し、その眉間を正確に撃ち抜いたのだ。
神ごとき強さを誇った竜が、断末魔を上げて墜落していく様。
それは、俺が初めて目にした「神殺し」の光景だった。
幻覚ではなかった。
あの日、俺たちの仇を討ったのは、この機体だったんだ。
「お前だったのか……」
俺は吸い寄せられるように歩み寄り、冷たい鉄の装甲に触れた。
指先から伝わる硬質な感触。
間違いない。あの日、空の王者を屠った鉄の翼だ。
「ほう。気づいたか」
ニシミヤ大尉が、満足げに微笑んだ。
「あの日、この機体は実戦データ収集のために極秘出撃していた。結果は君が見た通りだ。たった三機で、王国の竜騎士を撃墜してみせた」
「これが……帝国の切り札……」
「その通りだ。帝国陸海軍共同開発、試製一式対竜戦闘機。対ドラゴン戦を想定して設計された、最初の航空機だ」
「けっ! 『試製一式』なんて無粋な管理番号で呼ぶんじゃねえよ」
横から、グスタフ特務大尉が不機嫌そうに口を挟んだ。
彼は愛おしそうに機首についた奇妙な三枚の羽根を撫でながら、ニヤリと笑う。
「この子の名前は『プロメテウス』だ。神様の気まぐれ(魔法)なんぞに頼らず、俺たち自身の力で火(科学)を灯す……そういう願いを込めた名前だ」
「プロメテウス……」
神から炎を盗み、人に与えた反逆者。
魔法という神の理不尽に対抗する、俺たち人間のための「炎」。
俺の胸の奥で、何かが熱く燃え上がるのを感じた。
こいつなら殺れる。
俺の仲間を殺した連中を、今度こそ一匹残らず叩き落とせる。
「乗ってみるか? 小僧」
グスタフ博士の挑発的な誘いに、俺は無言で頷いた。
博士が機体の側面に立てかけられた梯子を指差す。
俺は革手袋をはめ直し、冷たい金属の感触を確かめながら、一段一段登っていった。
「失礼します」
機体の上部に空いた、小さな穴へと体を滑り込ませる。
狭い。
成人男性一人で息が詰まるほど窮屈な空間だ。
シートからは、オイルと古い革、そして男たちの汗の匂いがした。
「どうだ? 乗り心地は」
梯子の上から、グスタフ博士がニヤニヤしながら覗き込んでくる。
「……狭いですね。まるで棺桶だ」
「カカッ! 違いない! だがこいつは時速500キロで空を駆ける棺桶だ。王国のドラゴン共も追いつけねえよ」
「……」
俺は目の前に並ぶ、無数のスイッチやメーター、そして用途の分からないレバー類を見渡した。
「こいつは繊細だ。少しでも扱いを間違えれば、空中でバラバラになってお前を殺す。……だがな、お前がこいつを信じてやれば、こいつは絶対に裏切らねえ。魔法使いの気まぐれとは違う、絶対的な物理法則が味方してくれる」
「物理法則……」
「ああ。俺たちドワーフが血反吐を吐いて組み上げた計算式だ。信じろ。そして飛ばせ」
グスタフ博士は梯子を降りると、ニシミヤ大尉に向かって親指を立てた。
「大尉、エンジンの火入れをする。おい小僧、どこも触るなよ! ただ座ってろ!」
「り、了解!」
博士の合図で、整備員たちが機首の羽根に取り付く。
キュルルルル……と、何かを巻き上げるような甲高い音が格納庫に響く。
「コンタクト!」
整備員が叫び、巨大な羽根を勢いよく回した。
――ドォォン!!
爆発音と共に、機体が激しく身震いした。
俺の背骨に、エンジンの振動が直接叩きつけられる。
――バラバラバラバラ……!
途切れることのない、規則的な爆発音。
目の前の巨大な羽根が高速で回転し、見えない円盤へと変わる。
排気管から青い炎と黒煙が吐き出され、オイルの焼ける強烈な匂いが鼻をついた。
すごい。
これが、動力……!
ドラゴンの咆哮とは違う。これは、俺たちが作り出した「鉄の脈動」だ。
「聞こえるかミハイル!」
エンジンの轟音に負けないよう、地上からニシミヤ大尉が叫んでいる。
彼女の髪が、機体が生み出す猛烈な風圧で激しく乱れていたが、その瞳は楽しそうに輝いていた。
「それが帝国の心臓だ! その轟音こそが、騎士たちへの喪鐘となる!」
俺はシートの縁を強く握りしめた。
体全体を揺さぶる激しい振動。
まるで、獰猛な獣の背中に乗っているようだ。
怖い。
だが、それ以上に――血が滾る。
(行ける……!)
この鉄の翼があれば。
あの空へ。仲間たちが散った、あの戦場へもう一度。
今度は「獲物」としてではなく、「狩人」として。
俺は風防越しに、グスタフ博士とニシミヤ大尉へ敬礼を送った。
「騎士殺し」の最初の産声が、この地下格納庫で上がった瞬間だった。




