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星界の門《ヘブンズゲート》  作者: Nanashi
三百年後に冷凍睡眠から目覚めた少女が体験する電脳社会
6/19

第5話 仮想空間

 翌朝、ユキコは昨日手術を受けたセイト国立医療センターにいた。


 ブレインサーキットの取付け手術を行うと共に、ネットワークの利用方法を学ぶためだ。新しい世界に踏み込むことに不安はあるが、この世界で生きていくための必須条件でもある。


 ハルは今日もユキコに付き添っていた。午前中はハルがユキコにネットの利用方法を教えた。


 ネットへの通信形態は基本的に四種類ある。ダイブ、アクセス、コンタクト、そして仮想人格サーヴァントの使役だ。


 ダイブは仮想空間サイバースペースに意識を送り込み、現実の五感を仮想空間サイバースペースのそれと置き換えることによって現実同様に視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚までも体感することができる。

 実際には五感だけでなく、三半規管による平衡感覚や加速度感覚、空腹感等三十二の感覚を置き換えている。

 この機能を使うことでコンサートや旅行に出かけたり、ゲームで魔法使いや巨大ロボットのパイロットになったりすることができる。

 コンタクトと併用することで、仮想空間サイバースペースで知人と会ったりグループでの旅行やミーティングに利用したりもできる。

 ただし、この機能を利用しているときに本人は現実の肉体が使えない。通常、仮想人格サーヴァントに肉体を遠隔操作させることで安全を確保している。


 アクセスは他の行動を取りながらでも利用できる機能で、三百年前のインターネットに繋がったパソコンと同様の機能である。

 検索や音楽再生、動画再生、決済、セキュリティー管理といったことができる。

 検索結果の表示にはアクセス独自領域を使う場合と拡張現実《AR》に表示する場合があり、オプションで選択できる。

 拡張現実《AR》は、現実の視覚情報に仮想モニターを追加したり、購入したい家具を部屋に設置するとどういう配置になるかを現実空間の視覚や聴覚に情報を付加する機能である。

 モニターやキーボードといった入出力装置が無く、脳神経とダイレクトに接続しているため、多少便利になっている機能である。

 この際、重要になるのが同調シンクロ率だ。ブレインサーキットは脳神経の普段使っていない部分を使って通信を行うが、この利用可能領域は個人差がある。

 この時代の人達は遺伝子改良を受けているため、同調シンクロ率はおよそ百二十パーセントが平均的な数値だ。

 遠隔操作で各種センサーの情報を読み取り、調理器具を操作したり、仮想空間サイバースペースで魔法を使ったりということが、イメージ操作でダイレクトにできる。


 コンタクトは人とコミュニケーションをとる為の機能で、単にテキストメッセージや動画を送る他、音声会話や仮想現実で会う時にも使われる。


 仮想人格サーヴァントは自分の性格、癖、嗜好、感性等を理解したネット上の人工知能のことだ。

 この時代の人達は幼児の頃からブレインサーキットを通し仮想人格サーヴァントと五感を共有している。

 その際、マスターの脳波をモニターすることで、怒りや喜び、悲しみといった感情すらも共有している。

 より多くの行動を共にし、経験を積重ねることで、仮想人格サーヴァントはマスターの性格、癖、嗜好、感性等を理解すると共に、人格を持つようになる。

 それらのパーソナルデータを使うことで、仮想人格サーヴァントは様々な支援や作業ができる。


 極めて応用範囲の広い機能のため、ここですべてを挙げることはできないが、代表的な機能を例に挙げてみる。

 知らないものを見聞きすれば先読み機能で検索し、結果をアクセスで表示してくれる。

 服を買いたいと伝えれば、ネット上で好みに合った商品をTPOにあわせて検索してきてくれる。

 忘れ物や落とし物の警告、スケジュール管理、文章要約、検索、音声・映像情報加工等をあたかも自分がやったように何万倍ものスピードでやってくれる。

 さらにマスターの体や自動調理器を遠隔操作することで、部屋の片付け、調理、工芸等の作業を自分の感性に合わせて行ってくれる。

 極め付きは技術ダウンロードだ。仮想人格サーヴァントはマスターの身体データ、癖等を完全に把握しているので、剣術等の技術を訓練するに当たりマスターの身体データで訓練データをシミュレーションし、最適な動きを算出することにより、剣術の達人レベルまで極めて短時間に到達できるようになる。

 もちろん仮想人格が出来るようになったから、本人も同じ技術を会得出来るわけではないが、五感を共有する身体で実演した演技や技能はコツを短時間で習得できる。

 失敗した時もイメージフィードバックで、実際の体感覚を感じ取れれば、技術のコツをつかむのは段違いで早くなる。


 これらの機能のうち、ユキコが現時点で使える機能はダイブのみで、アクセスやコンタクトは訓練によってある程度は使えるようになるらしい。

 仮想人格サーヴァントの使役については、ユキコのパーソナルデータを理解させる経験を積む必要があるらしいが、幼少時からの経験を共有していなかったため、やはり能力的には限界があるらしい。


 ユキコは、こちらのネットワークとは以前の世界のインターネットとパソコンをより便利にした機能と理解した。


(パソコンすらろくに使えなかった私に、こんな機能を使いこなす事ができるのかしら?)


 このときユキコはこれからの生活に一抹の不安を感じた。


「お疲れ様、ユキコ。そろそろ昼食にしない?」

 ハルがそう切り出してくれた。


 こちらの事情が良く分からないユキコは、ハルに誘われるまま近くの喫茶店で昼食を取った。

「まるで魔法か超能力ね。パソコンとインターネットの発展型だっていうことはわかるんだけど、何もかも凄すぎて降参って感じ――」


「ユキコがこちらの世界に溶け込むに当たって、一番大変なのがネットを使うことだと思う。

 だけどものは考えようじゃないかな。今までできなかったことがこれからできるようになるわけだし。

 魔法使いの修行をしていると思えばいいさ」


 ハルと話をしていると、ユキコの不安は薄らいでゆく。


「だけど、仮想人格サーヴァントってほとんど反則。ロボットを遠隔操作させれば人間なんか働かなくても良くなりそう――」

 ユキコの一番の不安はこの辺りにある。


「確かに単純労働は必要ないね。

 だけど技術開発や文学、芸術等の創造的な分野において、仮想人格サーヴァントは補助的な作業しかできないんだ」


「すべての人が創造的な仕事をできるわけないわよね。

 この世界では、仕事のない人、生き甲斐を見つけることの出来なかった人、なんてたくさんできちゃうんじゃないの?」


「そのあたりが資本主義経済の崩壊した最大の理由かな?

 資本主義では分配を適切に調整する機能が欠けているから、労働生産性が高まるにつれ、需要が潜在的供給力を常に下回り経済環境が悪化する。

 そんな問題を解決するために、今は統合調整型経済に移行して……」


「ハル……、難しい話をして私を煙に巻こうとしていない?」


 ハルが話し始めた難解な説明にユキコが口を挟む。


「ユキコ。今は目の前の問題を解決するだけで精一杯のはずだ。

 何かあったときのサポートは僕がするし方向性が間違っている時には指摘する。

 安心して今やるべきことに集中するんだ」


 ハルはユキコの目が、不安と焦燥に揺れているのを感じていた。






 結局、ブレインサーキットの取り付けは午後からとなった。


 ユキコはナノマシンの注入装置となるプラスティックのヘルメットをかぶり、複合検査装置に入れられた。検査装置がナノマシンの形成状況を監視し、的確な電気信号で指令を下す。

 その指令を受けたナノマシンが目的となる神経組織を見つけ出し固着化することで脳内回路は形成される。

 ブレインサーキットで必要とされる電力は、生体電池(血液中のブドウ糖と酸素を水と二酸化炭素に分解する際に得られるエネルギーを電力として取り出す一種の燃料電池)によって供給される。

 もちろんブレインサーキットは修理や新製品に取り替えるときなど、必要がなくなったときはいつでも取り外しが出来る。


 ユキコは麻酔をかけられ、目が覚めたときにはすべてが終わっていた。痛みも何か変わったという実感もまるでなかった。


「ユキコ、お疲れ様」

 手術が終わったユキコに、ハルが声をかけてくれた。


「ユキコに渡したいものがあるんだ」


 ハルはそう言って一冊の本を手渡してくれた。


「しばらくの間は、ブレインサーキットを通したコマンドの送信は難しいと思う。

 だけど、音声入力でコマンドを送れるように設定を変更しておいたから、少しは便利になるんじゃないかと思って――。


 このテキストは、その際に必要なコマンドのマニュアルだ。

 慣れればネットのヘルプを使うほうが便利だけど、しばらくはこれが必要になると思う」


 本来は幼児に仮想人格サーヴァントを取り付けた際のオプション設定なのだが、この際は仕方がない。

 マニュアルはハルの指示でハヤテが作成したものだった。


「ありがとう」


 ユキコは心を込めてそう言った。ユキコはハルの好意に何一つ報いることの出来ない自分を思い、いたたまれなかった。


「それじゃー、早速使ってみるよ。アクセスは今まで使っていなかった脳神経を使うため、訓練が必要になる。

しかし、ダイブなら今まで君が使っていた五感をそのまま仮想空間サイバースペースの五感に置き換えるだけだから、問題なく使えるはずだ。

 今から僕が先にネットにダイブして、君にコンタクトを送る。

 君は僕からのコンタクトに設定したリンクに対して『YES』と言うんだ」


 ハルはそういってユキコを椅子に座らせ、自らも腰を下ろす。


 そして……!


 頭の中で文字が光ったが、ぐにゃぐにゃしていてよく読めない。


「YES」


 そう口にした瞬間、ユキコは東京にあったユキコの部屋にいた。――ハルと一緒に。


(――ここは東京の私の部屋? 夢を見ているの?)


「君に渡したいものがある」


 そう言って、ハルはアルバムとカセットを手渡した。


「君のアルバムと家族から君に当てたメッセージだ。この部屋はアルバムの写真を元にしてハヤテに作らせた。

 他に、昔のテレビ番組や音楽はここからダウンロードできるようにしてある。

 アルバムはまだ見ちゃ駄目だよ。君に泣かれると困るから。ブックマークを登録しておけば、いつでも来れるから」


 誕生日でもないのに、こんなに贈り物ばかりもらっていて良いのだろうか。


「ハルはあたしを誤解してる。あたしはそんなに泣き虫じゃない」

 心の内を隠し、拗ねてみる。


「ふーん。それじゃー、今度涙を見せたときは、罰ゲームってのはどうだ」


「そういう意地悪を言うんだ……ハルって。お母さんに言いつけてやろ~っと」

 悪のりするユキコ。


「そういうかわいくないことを言うのはこの口かー」

 そう言って、ハルはユキコの頬をつまみ上げた。


「いたひ。いたひ。いはいっへば」


 仮想現実は、本当にリアルだ。痛みがあるのもさながら、頬をつねられると声まで変わる。

 先ほどのハルの言葉から察すると、涙を流すこともできるのだろう。


「レイコからメッセージが入っている。

 ユキコがネットにダイブするときは連絡するように頼まれていたんだけど、これからコンタクトをとってみる?」


 ハルの言葉に頷き、早速レイコにコンタクトを入れてみる。


 レイコのアドレスは既に登録されていたが、ブレインサーキットを通してコマンドを送れないユキコは声に出してレイコに呼びかける。


「コンタクト・レイコ。――仮想空間サイバースペースにダイブしたよ!」


 ほどなくレイコが目の前に現れる。虚空より降り立つ姿が格好よく決まっていた。


「ふーん、ここがユキコの部屋? 初めて仮想空間サイバースペースにダイブした印象はいかが?」


 レイコは真紅のタンクトップに黒のスパッツを穿いていた。ラフな格好ながらもレイコの粋な仕草にはぴったりだ。


「あんまりリアルなんでびっくりしちゃった。

 ハルに音声入力に設定を変更してもらったおかげで、何とかここまで来れる様になったみたい」


 そのとき、レイコの後ろに黒髪の少女が現れた。

 髪はショートカットだが、顔立ちはレイコにそっくりだ。くの一のような服装をしている。


「紹介しておくわ。私の仮想人格サーヴァント、カスミよ。

普段、仮想空間サイバースペースではこの容姿スキンを使っているわ」


「はじめまして。ユキコ様」

 カスミは丁寧に挨拶をする。


 そして、ハルの隣にはハルに良く似た容貌の男性が現れお辞儀をする。


「ハルの仮想人格サーヴァント、ハヤテです。よろしくお願いします」


 よどみない口調。整った顔立ちに浮かべる穏やかな表情。

 仮想空間サイバースペースで見る彼らの容姿は人間とまったく変わらない。

 しかし、彼らはコンピュータのプログラムが作り出す、人工知能だ。


「こちらこそ、よろしくお願いします」

 ユキコは、仮想人格サーヴァントというものをいまだ明確に理解できておらず、対応に戸惑いながらも挨拶を返した。


「ユキコも仮想人格サーヴァントを呼び出してみるといい。『サクラ』と呼びかければ彼女は実体化する」


 昨日、ハルに仮想人格サーヴァントの名前と容姿スキンを決めるよう言われたとき、ユキコは『サクラ』という名前で登録してもらった。


「サクラ!」


 突然目の前に黒髪をツーテールにまとめた十歳位の女の子が現れる。


「はじめまして、マスター」


 サクラは無表情のまま、抑揚の無い声で挨拶をした。


 サクラには人工知能として基本的な認識力、論理的思考能力、判断力及び一般常識レベルの知識と基本機能が備わっている。

 しかし、経験が全く無いため人格の形成はこれから積重ねていくことになる。


 ちなみに仮想人格サーヴァントの設定をしなければ、仮想空間サイバースペースにダイブすることはできないらしい。

 仮想空間サイバースペースに定義されているのは最低限の物体オブジェクト物理特性プロパティーのみで、ダイブ中のマスターの行動や振る舞いは仮想人格サーヴァントによって神経の電気信号から肉体の物理的な運動へと変換されてサーバに送信される。

 サーバでは物理シミュレータによる演算で、仮想空間サイバースペース内にいる各マスターの行動がどのような物理現象を起こすかを算出する。

 それを立体的に、あるいは体感としてマスターの五感に認識できる電気信号に変換しているのは仮想人格サーヴァントの役割らしい。


「ユキコの仮想人格サーヴァントがあなたのサポートができるようになるには、まだしばらく先のことになると思うの。

 それまでの間、カスミに共有設定をかけておくから、必要なときはいつでも使ってくれていいわ。

 ただし、カスミが見聞きした情報は、私には筒抜けよ。そこのところだけは注意しておいてね」


「ど、どうもありがとう。でも、私にカスミさんを貸してくれるって、その間、あなたがすごく困るんじゃないの?」


「マルチタスクなんて基本中の基本よ。よほどの仕事タスクでない限り、私とあなたの命令を同時にこなすことくらい、カスミにとっては造作もないことよ」


 仮想人格サーヴァントの凄まじいまでの能力を何度か目の当たりにしているユキコは、この申し出にいたく感謝した。

 カスミがサポートしてくれればネットのナビゲーションや買い物、トランスポーターの設定など、日常生活で必要になるネットの機能はほぼ問題なく使えるようになるだろう。


「それじゃー、今日の実習はこの辺にしておこう。手術の直後で無理をすると神経が炎症をおこす恐れがある。

『ダイブ・アウト』と言えば接続が切れる。やってごらん」


 ユキコはハルにいわれたとおりにし、現実に戻った。


 初めてのダイブは意外とスムーズに体験できた。忘れられぬ想い出と共に。


次回投稿は明日の午前9時頃になります。気に入った方はブックマークの登録をお願いします。

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