第4話 水晶の宮殿
食事が終わると、話込んでいるユキコとレイコを残し、ハルは仮想空間にダイブした。
ユキコのホームサイト更新作業はハヤテに任せていたが、最後の確認作業は自分の目でやる必要がある。
これは三年前にハルがハヤテに作らせたユキコのホームサイトである。
森の一角に開けた花畑があり、水晶の宮殿がほぼその中央に立っている。
サイトに実体化するハルの前に、幼い少女が現れた。
彼女は、十歳のユキコをイメージに構成した人工知能で、このサイトの案内人である。
その側らにハヤテが実体化する。
『本日アップした残りの映像は、『食卓の団欒』と『レイコとの歓談』です』
ハルはそれらの情景に転移すると共に、内容を確認した。
ブレインサーキットを通して仮想人格と五感を共有している以上、ハルが目にし、耳にしたものはすべてハヤテも知覚し記録している。
ここにある情景は、ハルが見た情景を元に、視界の外の景色を補完のうえ立体化し、視点を変更した後、まばたき等のノイズを取り去った加工映像である。
ハルの仮想人格であるハヤテは、これら作業をほんの数秒で処理することができる。
細部の修正をハヤテに指示した後、ハルは映像の公開を認可した。
『病室での目覚め』と『驚愕の風景』は、既にハルが確認を済ませ公開している。
たった半日の公開で、アクセス数は二十億ビューを突破していた。
地球圏の総人口はおよそ五百億人。スペースコロニーセイトの人口は六百万人に過ぎない。
このアクセス数は非常識と言う言葉すら陳腐化させていた。
「ハ~~~~!」
思わず、苦い溜息がこぼれる。
(どうしてこんな事になってしまったのか?)
ハルは己の愚かさに絶句する。
ユキコが興味本位でプライバシーを侵害するマスコミに好感を抱いていなかったこと、人前で涙を見せることを何よりも嫌悪していることは、誰よりもこのサイトを作ったハル自身が感じていたことである。
(あんの、くそ女~!)
妖艶なる魔女。星人ティーシスを思い浮かべ、思わず溜息をこぼす。
彼女がいたからこそユキコに出逢えたことは事実である。
このサイトで公開してある映像のおよそ八割は彼女が寄贈してくれた三百年前のユキコのものである。
ドキュメンタリー映像として、ユキコの努力、夢、挫折、絶望―その体験を迫真の描写で映し撮っている。
『家族との別れに精一杯の笑顔を向ける映像』を始めて見た時には涙が止まらなかった。
ユキコの家族への想い、不安、純粋さに惹かれ万難を排しても彼女に逢いたいと願った。
ユキコはハルが想像したとおり――いや想像していた以上に素敵な女の子だった。
真摯な瞳、強がる仕草、袖につかまりおずおずと付き従う姿、はじける様な笑顔。
絶望に打ちひしがれ、涙を流す彼女の細い肩を抱きしめたとき、この娘のためなら命を捨てても惜しくは無いとさえ思った。
それ故に、何に変えても彼女を救いたいと思った。彼女と話したいと思った。
そして、彼女をこの手で幸せにしてあげたいと思った。
――すべて、あの魔女の思惑通りに……。
「星人たるティーシスと交流を持つハルを羨む声は多い。
しかし、それは魔女の本性とその玩具にされる苦労を知らぬたわごとだとハルは思う。
「くす、くす、くすっ――」
ハヤテと案内人以外存在しないはずの仮想空間に、女の笑い声が響く。
(ちっ――また、ハッキングをかましやがった。あの女!)
舌打ちをするハルの目に、銀髪、紫眼の妖艶な魔女が映る。
「ハルって表情が豊かなのね。
今の百面相――ユキコに見せてあげたらきっと喜ぶわ!」
ティーシスは瞳をきらきらと輝かせ、さも楽しげに話す。
「――――! 止めて下さい!」
この人は本当にやる。尾ひれをつけて――。
「あなたってユキコの前じゃーとっても紳士なんだもの――
どれが本当のあなたなのかしら?
ユキコの前にいるときのやさしくて紳士的なハル。
私の前にいるときのおどおどしたあわてものハル。
アニメが大好きなオタッキーのハル」
ハルはティーシス最後の言葉に凍りついた。
「ユキコの時代、アニメオタクって若い女の子に相当に嫌われていたらしわ――。
もちろん――ユキコも好意は持っていなかったはずよ――」
今の時代、ジャパンアニメーションは古典文化として評価され、広く親しまれている。
しかし、二十世紀の日本ではオタクと呼ばれて迫害を受け、特に若い女性からは顰蹙の冷たい視線を浴びせかけられたと伝えられている。
(どうしてティーシスが僕の趣味のことまで知っているんだ?)
――星人たるティーシスにとって、地球のコンピュータやセキュリティーなど児戯にも等しいレベルだろう。
つまり、ネットを通して見聞きしたものは、すべてティーシスには筒抜けと考えるべきだ。
何度もハッキングをかけられ、いたぶられたにも拘らず、ハルはこの現実を失念していた。
「……何でも言うことを聞きます。
どうかユキコには秘密にしてください……」
数秒間逡巡した後、ハルは全面降伏した。
ハッキングは重罪である。しかし、ティーシスが証拠を残すようなヘマをするはずが無く、またティシレイウスの外交官でもある彼女には外交官特権がある。
どのみち喧嘩をして勝てる相手では無い。
「そうそう、ネットに上ったユキコの映像、あれで全部なの?」
ティーシスの質問にハルは青くなる。
ユキコを蘇生するために、ハルは多くの支援をティーシスから得ていた。
その見返りとして、二つの約束を交わしていた。
ハルが見聞きした情報はドキュメンタリー映像として真実をそのままに提供すること。
そして、ハルの持ちうる技術と情報のすべてを駆使して、このサイトを最高のものにすること。
「はい。ユキコが蘇生した初日ですから情報は厳選し、質の高いものをアップしました」
ティーシスは柔らかな笑みを浮かべ、ピストルの形に曲げた右手をハルに向ける。
「うぎゃーー!」
エア・ハンマー。高圧の空気の塊に打ち抜かれ、ハルの体は高々と宙を舞う。
仮想空間では現実では起こりえない様々な現象を可能とする。
しかし、それらはネットゲームで使われる事はあっても、一般サイトにはそのような機能は実装されていない。
(あのくそ女、またサイトの設定情報勝手に書き換えやがった)
ハルは心の中で毒づく。
「今、『あのくそ女』って心の中で思ったでしょ――」
ティーシスは朗らかに微笑みながら話続ける。
「め、めっそうもございません!」
ハルは必死の形相で後ずさる。
「ぎゃぶー」
次の瞬間、ハルは特大の雷撃に打たれピクピクしていた。
ネットゲームでは一定以上の痛覚をカットする機能が安全のために設定されているが、今回の攻撃で安全装置が機能している様子は無い。
心臓の弱い人ならば、今の一撃できっと即死だ。
「ハルには前にも言ったはずよ。私はうそつきが嫌いだって――」
ティーシスは倒れたハルの前にしゃがみこみ、ツンツンと脇腹をつつく。
ハルはユキコが泣き出す場面とその後の思い出を語ってくれた場面については、意図的に削除していた。
ホームサイトのことはいずれユキコにもばれるだろう。
その際に決定的に嫌われるような情報は載せたくなかった。
そして、ユキコが心を開いてくれたあの場面だけは、二人の思い出として大切に取って置きたかった。
「最後にもう一度だけ言うわ。私は約束を守らない人とうそつきが嫌いなの――!」
ティーシスの最後通告に、ハルの全身からは冷や汗が滝の様に流れでる。
ハルは覚悟を決め、目を閉じた。
「――――!」
ティーシスは座り込んだまま目を閉じたハルの髪を優しくなでる。
「今回はこのあたりで勘弁してあげるわ――。
だけどハル、覚えておきなさい。
ユキコは魅力的な女の子よ。でも、それは容姿じゃない。
辛い現実に立ち向かう心の強さ。――葛藤、挫折、絶望。そんな現実に心が流す涙であるがこそ人を惹きつける。
そんな心の痛みを知る彼女だからこそ、笑顔が一層引き立つの――。
絶望を乗り越えた心の強さが彼女を輝かせているの――。
今の地球社会は鬱屈しているわ。この社会には彼女が必要なの。
このサイトを訪れる多くの人は心のどこかでそれを感じ取ってくれるはずよ。
そして私達は、あなたにそれを託したの――」
ハルが再び目を開いたとき、ティーシスは目の前から消えていた。
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