第3話 歓迎パーティー
「ただいま」
そう言ってドアを開けるハルを迎えたのは、上品で穏やかな笑みを浮かべる女性とレイコだ。
「はじめまして。楢崎雪子です。これからお世話になります」
「楢崎茜。ハルの母親です。こちらこそ、どうぞよろしく――」
アカネはハルの母親というより姉と言った方が違和感のない線の細い女性だった。
ハルの家は、郊外にあるセンスのいい一軒家だった。
ユキコの生まれ育った時代にあっても違和感の無い和風のデザインで、庭には小さな池がある。
最初にユキコが案内されたのは、二階にある日当たりの良い部屋だった。
窓は庭に面しており眺めもなかなか良い。
部屋の調度品は最低限の物だが、懐かしい感じがする。
「今日から、ここがユキコの部屋だよ。
まだまだ生活していく為に必要なものが揃っているとはいえないけど、これからユキコが気に入ったものを買い揃えていけばいい」
ハルは、ユキコが昔使っていた部屋にイメージにあわせてこの部屋を用意してくれたようだ。
ユキコはハルの細かな心遣いがうれしかった。
「本当にありがとう。こんなにいろいろ気を遣って貰っちゃって」
「どういたしまして」
と、はにかむハル。
「なにか困ったことがあったら、いつでも言って頂戴。
ハルに意地悪されたときには、すぐに私に言うのよ」
冗談めかしてアカネが言う。
「服や下着は最低限のものだけ、私のほうで揃えさせて貰ったわ。
後で私の部屋にもいらっしゃい。気に入ったものがあれば貸してあげるから。
なんだったら、今晩にでも泊まりにいらっしゃいよ」
口調は乱暴だが、レイコもユキコが心細くならないように気遣っているようだ。
ユキコはこちらの世界で目覚めてから、世界で独りぼっちになったつもりでいた自分が恥ずかしく思えた。
見渡せばこんなにもあたたかい人達に囲まれているのに――。
「夕食は六時からにしましょ。みんなそれで問題はないわね。
ユキコさんはそれまでゆっくり休んでいるといいわ」
ユキコはハルに家の中を一通り案内してもらった後、部屋に戻りベッドに体を横たえた。
ユキコはベッドに体を横たえ、今日一日に起こった出来事を振り返っていた。
これほど奇想天外な出来事に遭遇したことはかつて無い。
(もしハルが居てくれなかったら、どうなっていたのだろう?)
ユキコはハルに寄りかかりすぎている自分を戒めた。
(ハルは私の後見人で保護者だと言った。だけどわたしは……)
ハルに恋人はいるのだろうか――。
ハルは私の事をどう思っているのだろうか――。
ハルはどんな女の子が好きなのだろうか――。
そしてハルはどんな人なのだろうか――。
気がつけばユキコはハルのことばかり考えていた。
ユキコがこの家に来た時に気づいたことがある。
派手さこそないが、家の造りも調度品も超が付く一級品だ。
素材といい、造りといい申し分がない。
さり気なく飾っていたが、玄関の花瓶などは国宝クラスだった。
父が事業で成功した資産家だったこともあり、ユキコは小さい頃から一流の品に囲まれて育てられた。
自分の鑑定眼にはそこそこに自信がある。
(ハルは本当に王子様だったりするのだろうか?
それともこちらの世界ではこれが当たり前なのであろうか?)
ユキコは出会ってから一日にも満たないハルが、自分の中でかけがえの無い存在になりつつあることに驚きを覚えた。
そして改めて思い出す――今日一日、ハルの前で見せてしまった失態の数々を――。
恥ずかしさのあまり、顔が熱くなり、思わず枕に顔をうずめた。
(幻滅させちゃっただろうな~。そもそも女の子として見られていないのかも?
でなければ保護者だなんて言わないよね)
現在、ユキコが置かれている状況は相当に厳しい。
気の弱い女の子なら正気を失っていてもおかしくない程に……。
(ハルはきっと私に同情している。優しい人だから……)
このとき、ユキコはふと思った――。
(私が無条件にハルを信頼し、チョコチョコと後をついて回るのはインプリンティングのようなものかもしれない。
――ひよこが生まれて始めて見た生き物を、親と思ってついて回る本能だ。
見知らぬ世界に一人で目覚めた私は、ハルのような保護者を求めていたのだろうか?)
しばらくして食事の時間が来た。
ユキコが食堂に下りて来たとき、ハルとレイコが既にテーブルについていた。ほどなくアカネも来る。
テーブルにはワインとグラスが並べられており、花瓶にはバラの花が飾られている。そして、部屋の片隅にはメイドが控えていた。
(どうしてメイドさんがここに!)
フランス人形のような美しい金髪に青い眼。しかし、微笑をうかべた表情のまま微動だにしない。まばたきすらも――。
「ロ、ロボット……」
ユキコは思わずつぶやいていた。
「家で使っているメイドロイドよ。今の時代では家事アンドロイドは珍しくないわ。今は、私の仮想人格、カエデが遠隔操作をしているの」
アカネが応えた。
「はじめまして、ユキコ様。カエデと申します」
無表情だったメイドロイドに、鮮やかな表情が浮かぶ。
(サーヴァント?)
ユキコには状況が把握できなかったが、後で尋ねる事にした。
「まずはユキコさんの目覚めを祝って乾杯しましょう」
アカネの呼びかけに応じ、カエデが優雅なしぐさでワインをグラスに注ぐ。
「それでは、かんぱ~い」
ハルの音頭に続いてグラスが鳴る。
「ユキコは何が食べたい?」
レイコの問いかけにユキコはしばらく考え込む。
「みなさんはいつもどんなものを食べているんですか」
ユキコの質問にハルが応える。
「ユキコが食べていた食事と基本的には変わらないよ。二十一世紀の日本なら和食・洋食・中華をはじめ、世界中の料理が集まっていたはずだ。
今の時代はそれに多少の創作メニューが加わった位だよ。ユキコに異存が無ければ、僕の方で適当に見繕って注文をしておくけど?」
「そうして貰えると助かるわ」
「私は、イタリアンなんかいいと思う」
レイコがハルに注文をつける。
「レイコや母さんの好みは適当におりまぜておくよ」
そうハルが応えている間に、早くもメイドロイドが料理を運んでくる。
「イタリアンを主体にした洋食に、中華や寿司なんかも混ぜておいた。
他に欲しいものがあれば勝手に頼んでおいてくれ。
ユキコは僕に言ってくれれば注文しておくから」
ユキコは目の前のやり取りと、運ばれてくる豪華で繊細な料理を前に呆然としていた。
(これはいったいどういう魔法なのだろう?)
ユキコの様子に気づいたハルが説明をはじめる。
「僕たちはブレイン・サーキットと呼ばれるナノマシンを通して、脳から直接ネットワークと通信を行うことができる。
その通信回線を使って、近くにあるレストランに注文をした。
オーダーした料理はトランスポーターと呼ばれる自動配送システムを使って我が家のポートまで届けられ、メイドロイドがそれを食卓まで運んできたというわけだ。
料理がすぐに届いたのはピザやキャビアといった既に調理済みのメニューを注文したからで、個別に作ってもらう料理は自動調理器が調理をする時間がプラスされる」
「まったくハルときたら、そんな基本的なこともまだ説明していなかったの?
ブレインサーキットが付いていなかったから妙だとは思っていたんだけど――」
アカネがあきれた顔で言い放つ。
「ユキコには昨日医療用ナノマシンを注入したばかりだから、ナノマシンの回収が終わるまで、他の処置を施すのは危険なんだ。
悪性腫瘍の除去は完了し、今は手首に付けてあるメディカルリングでそれを回収している。
今の回収率は九十パーセント位だから明日の朝には完了していると思う。
ユキコは元気そうに見えるけど、昨日までは重態患者だったことを忘れないで欲しいな」
ハルが憮然とした顔で抗議する。
「でもユキコは運がいいよね。
骨肉腫の治療なんて今では注射一本で治っちゃう病気だけど、完全冷凍された肉体を蘇生させるなんて治療、ハルじゃなきゃ誰もやってくれなかったわよ」
そんなレイコの言葉にユキコは驚きの視線を向けた。
「余計な話はしなくていい」
そう言ってハルはレイコを睨み付ける。
「あ、あの……それってどういうことですか?」
「ユキコはそんなこと気にする必要はないよ」
優しく応えるハルにレイコが口を挟む。
「ユキコには知る権利があるし、知らなくちゃいけないことだと思う。
おいおい分かるとは思うけど、ユキコ、あんたがこの世界で生きていくって結構大変なことなのよ。
だけどね、大変なのはあなただけじゃないってことを覚えておいて欲しいの――」
「ハルは十七歳で大学を卒業し、医療用ナノマシンの技術者として大学の研究室で活躍しているわ。
でもね、ハルは天才だったわけじゃない。あんたを助けるため、誰よりも必死だったの。
冷凍冬眠処置を受けた人達は、世界で何千人と居たの。
だけど二十一世紀半ばの大恐慌で、大半の人は死んでしまったわ。
極端なインフレで資産の価値は下落し、装置を維持管理していく運営費を支払えなくなってしまったから……。
冷凍冬眠を運営していた会社は次々と倒産し、誰にも管理されることのなくなった患者たちは事故という名の元に見殺しにされていったの。
あなたの肉体は国立病院に保管されていたから助かったのね。
でもね、それ以上に大変だったのは冷凍冬眠を蘇生させる技術の困難さよ。
冷凍冬眠の蘇生手術は何件も試みられたけどすべて失敗に終わっているわ。
急激な温度変化に脳細胞が耐えられないの。
凍結したことによる小さなヒビ等による細胞の損傷もある。
そしてゆっくりと処置をしていては脳細胞が酸欠で死んでしまうわ。
ナノマシンを使った蘇生方法はずいぶん昔に考案されていたけれど、その開発費用を一体誰が負担するというの。
ハルは自分自身の手でそれを行うため、誰よりも必死で頑張ったの」
ハルは照れくさそうな笑みを浮かべ俯いている。
口には出さなくとも、想像を絶する苦労があったに違いない。
「ありがとう――」
「ユキコ、忘れないで。私もあんた達を応援してるんだってこと――。
さっ、食べましょ。私が長話したせいでお料理が冷めちゃったわね」
食事は三ツ星レストランに勝るとも劣らぬ豪勢なものだった。
この時代、各家庭で料理が作られることはほとんど無くなっている。
仮想人格が遠隔操作する自動調理器は一流シェフさえ及ばぬ調理技術を持ちマスターの好みや気分に合わせた料理を調理する。
そしてトランスポーターは三分とかからず作られた料理を各家庭の食卓まで運ぶ。
これは料理に限らず、衣服や家具、日用品についても同様のことが可能となっている。
ユキコは食事が終わった後も、初めて目にする未来都市について、あれこれと質問をした。
仮想人格とはブレインサーキットを通して、物心つく前から五感と感情を共有している人工知能ということだ。
アカネにはカエデ、レイコにはカスミ、そしてハルにはハヤテが付き従っている。
幼少時より常時五感を共有しているため、マスターが見聞きしたものは総て仮想人格も体験しており、その際にマスターがどんな感情を抱いたのかも総て共有されている。
服や料理の好みも熟知しているほか、使用者が仮想空間にダイブしている間は、ネットワーク内でのサポートの他、現実空間の肉体を使って掃除や料理の他、美容やトレーニング等の肉体の維持管理までやってくれるという便利なコンピュータだ。
本体のハードウェアは各家庭やプロバイダーのもとに設置されているバイオコンピュータで、ネットワークを通じ、メイドロイドや自動調理器の遠隔操作等、様々なサポートをしてくれる。
ユキコの仮想人格も基本設定は完了しているらしく、ハルから名前と容姿を決めておくように言われた。
その後も話は続き、この世界でおきている様々なこと、学校のこと、友達のこと等、尽きることなく語られた。
途中でハルとアカネは席を外したが、ユキコとレイコの話は深夜まで続いた。
その日はこの世界に来て初めての夜だったにも拘らず、ユキコは久しぶりにぐっすりと眠ることができた。
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