第2話 宇宙での新生活
第1話と第2話を間違えて登校していました。すみません。話数をサブタイトルに入れていなかったので追加しました。
ユキコはハルから今後の生活についていくつかの重要な話を聞かされていた。
第一に、今後はハルを後見人として、ハルの家族とこの町で暮らして行くこと。
第二に、ここでの生活を送るためには、ブレインサーキットと呼ばれるナノマシンを脳神経組織に接合してネットワークとの通信を行う装置を装着し、それを使いこなすための訓練を受けねばならぬこと。
ブレインサーキットは、脳神経から直接ネットワークにアクセスし、仮想世界での肉体を動かす為の通信装置である。
そして第三に、ここはスペースコロニーと呼ばれる宇宙の居住区で、もう、地球に住む事は出来ないという現実だった。
驚天動地な話だったが、ユキコは黙って受け入れた。
善意で面倒を見てくれているハルに、駄々をこねてこれ以上の負担をかけるわけには行かない。
着替えを済ませたユキコは、二人と一緒にハルの家へと向かうことになった。
初めて見る未来都市の風景に気押されながら、ハルの袖を握りしめる。
視線は落ち着きなくあたりをさまよい、袖を握る左手に力がこもる。
「改めて自己紹介させていただくわ。私は楢崎玲子。血のつながらないハルの妹。
つまり、家の両親は再婚同士で私たちは連れ子同士ってこと。
父親は亡くなっているけどね。
年はあなたと同じ十六歳よ」
「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」
差し出された右手を握りかえす。
「どうも、あなた落ち着きがないわね――」
小さくつぶやいたレイコは、
「私は先に行ってるから、ハルはユキコにこの街の案内でもしておいてもらえる?」
そう言い残し、返事も聞かずにさっさと先に行ってしまった。
とり残されたユキコとハルはお互いに見つめあい、引きつった笑顔を見せた。
「街を案内するよ」
ハルはそう言ってゆっくりと歩き出した。
袖につかまっているユキコもそれに倣って歩き出す。
街並みは、当初思っていたより普通だった。高層建築の類はない。
緑が多く空間にゆとりがある。
落ち着いた色調の洗練された建物と美しい木々が立ち並ぶ街路は絶妙な美観を誇った。
しかし、左右の街並みが遠くに行くほど、見上げるほどにせり上がっている。
確かスペースコロニーというのは巨大な円筒型の建造物だと聞いたことがある。
なのになぜ、太陽や青空まであるのだろう?
――うっすらと空に浮かぶ一対の黒い巨大な帯。
よく見れば、天空を横切る橋のように二つの帯状の街並みが青空にかかっていた。
不意に足の力が抜け、こけそうになる。
全身から嫌な汗がにじみ出た。
ユキコは冷たく震える左手が白くなるほどの力を込めて、ハルの右袖を掴んでいた。
(まぎれもなく、私は異世界に来ているのだ――。)
ユキコは今、初めて実感した。
ユキコの異常に気がついたのか、ハルが足を止める。
(…………)
「どうしたの? ユキコ」
「――――!」
沈黙のまま立ち尽くすユキコの手に、ハルはそっと左手を重ねた。
無言の時が流れる。ふとハルを見上げるユキコの目に、優しいまなざしがあった。
(――あったかい)
ユキコは急に気恥ずかしくなり目を逸らす。そして視線を下げ、呟いた。
「ねえ、ハル。ここはスペースコロニーって言ったよね。
なのに、太陽や青空まであるのはどうしてなの?
――あの空に架かる街並みは一体何なの?」
「僕たちは円筒形コロニーの側面内側で生活している。
コロニーを回転させることで発生する遠心力を擬似重力として利用しているんだ。
頭上の太陽と青空の方角にあるのは巨大な鏡だ。
本当に太陽があるのはこっちの方向」
ハルは円筒型コロニーの天井に当たる部分、一対の橋と垂直に交差する巨大な壁を指差した。
「本当の太陽はあの壁が遮って見えないようになっている。
コロニーでは本当の太陽がある方向を便宜的に東と呼んでいる。
そして僕たちの頭上にあるミラーに太陽の光を反射させ、あたかも本物の太陽があそこにあるように見せている。
ミラーの角度を変えることで太陽が東から昇り、西に沈むように見せかけているんだ」
ハルはミラーと太陽光の説明を、手ぶりを交えて説明する。
「もう一度空を見上げてごらん。頭上にある空と帯状の街より下にある空は色が違うだろ」
たしかに頭上にある空は空の色をしていたが、左右の空は頭上の空と比べ色が暗い。
「僕たちの街並みは、頭上のミラーを通して太陽と青空を映す。
右上の街並みは左のミラーを通して、左上の街並みは右のミラーを通して太陽と青空を映しているんだ」
ユキコはじっくり空を見上げて考えてみる。
――なるほど。こういう仕組みで出来ていたんだ。手品師もビックリのからくりである。
よくもまあ、これほど巨大な建造物を造ったものだ。
人類は一体いつこれほどの力を手に入れたのだろうか。
先ほどの震えは既に収まっており、今はこの壮大な景色に心を奪われていた。
――知らないもの、分からない事をむやみに恐れる必要など無い。
まだ日は高く、結構厚着をしているにもかかわらず、少し肌寒い。
「今は冬?」
ユキコの問いかけにハルが答える。
「いや。今日は西暦二千三百十七年三月二日。
早春と言った方がいいだろう。
コロニーは、建設母体となった国に季節と時間を合わせる例が多い。セイトでは日本だ」
(私が眠りについてから、およそ三百年の歳月が流れたわけだ。
今は午後二時前後。感覚的には昨日の今頃、家族と最後の別れを惜しんでいたはずだ。
両親はそして孝幸は、あの後どのような人生を送ったのだろうか?
私はこれからどんな人生を送ることになるのだろうか?)
永かった冬が終わりを告げ、ようやく春を迎える。
(――孝幸と約束をした。幸せになると――!
もっと強くならなきゃ)
ユキコは家族との約束を胸に決意を新たにした。
遠くで野鳥のさえずりが聞こえた。きつねの親子がいた。湖では、かもの群れが泳いでいた。
ユキコの胸に、言葉にできない気持ちが一杯に広がった。
眼下に広がる景色に見入り、言葉も無く立ち尽くす。
隣に立つハルをそっと見上げる。
「行こう。街を案内するよ」
肩を抱くハルの手に催され、ユキコはゆっくりと歩きはじめた。
「とりあえず展望台に案内するよ」
ユキコはハルに倣って階段を下りる。
「これは?」
ユキコの目の前に電気自動車のようなものが止まる。ハルに催され、ユキコはそれに乗り込んだ。
「トランスポーター。全自動で運転される電気自動車って説明で分かるかな。
トランスポーターの呼び出しや行き先はブレインサーキットを通して僕が指示している。
ブレインサーキットはさっき話した脳とネットワークの通信をするために脳内に張り巡らされたナノマシンでできた通信装置だ。
トランスポーターは行き先を指示するだけで中央コンピュータが経路を割り出しデーターベースに登録する。
窓から見えるのは電線や通信回線、上下水道管と排煙ダクトだ。
トランスポーターの軌路はこれら都市インフラの保守・修理区画をかねた共同溝としてスペースコロニー全域を網目状に張り巡らされている。
各家庭や工場はすべてこの共同溝に繋がっており、すべての交通と物資の配送や保管は自動的に行われている。
トランスポーターはデータベースに登録されたスケジュール通りに運行する。
そのため渋滞や交通事故は一切なく、スペースコロニー内ならどこでも五分以内に移動できるんだ。」
ハルの説明が終わらぬ内に早くもトランスポーターは展望台に着く。
(あはは……)
展望台ではガラスの地面を通して足元に星空が広がっていた。
そしてガラスの向こう側では円筒形をした銀色の筒状のスペースコロニーがいくつも宙に浮かんでいるのが見える。
セイトも外から眺めればあのような形をしているのだろう。
「セイトはLP4に所属するスペースコロニーだ。
ラグランジュポイントというのは地球と月の重力の干渉から安定した軌道をとる事ができる空域で、地球圏には五つのラグランジュポイントが存在する。
LP4は地球と月を底辺とする正三角形の頂点に位置するラグランジュポイントで、地球と月からそれぞれ三十八万キロ離れた月軌道上の空域を指している」
このスペース・コロニーは一分五十秒で一回転しているという。
今、足元に月が見えていた。白銀に輝く月は半分にかけている。
そして、月からは何本もの光の糸が伸びており、その内一本の光の糸がLP4に向かって伸びている。
「あの光の糸は何?」
「月の土砂をマスドライバーで各コロニーに射出しているんだ。
月からの物資の輸送は地球からの輸送に比べ三%以下のエネルギーで済む。
スペースコロニー建設に必要な資源は主に月からマスドライバーを使って射出し、各ラグランジュポイントでマスキャッチャーを使って受け止めている。」
この時代酸素や珪素、アルミニウム、鉄、チタン等の資源は月から。水素や炭素は火星の衛星から窒素や塩素、硫黄、ナトリウムといった資源は火星から調達しているという。
もっとも最近は小惑星の軌道を核パルスエンジンでわずかにずらし、スィング・バイ(惑星や衛星の重力を利用して加減速を行う方法)で小惑星ごと持ってくる方法が主流になっているらしい。
(……)
高校中退のユキコにハルの話はあまりにも難しすぎた。
分からないことが多すぎて質問すらできない。
ユキコは悄然とうなだれる。
眼下には地球がその美しい姿を現しつつある。
初めて目にする地球はまさに青い宝石と称えられる美しさを誇り、その大きさは月の数倍はあった。
月同様およそ半分に欠けている。
地球―日本で過ごした日々が心に浮かび、狂おしいまでの郷愁が胸にこみ上げる。
もう、二度とこの星で過ごせる日は来ないのであろうか。
ユキコは足元で輝く青き星を食い入るように見つめ続けた。
「セイトの人口はおよそ二百万人。地球人類の総人口は五百億人。
地球統合政府のもと、各コロニーは独立した都市国家として自治・運営されている」
ユキコの隣ではハルが現在の国家体制について熱心に話し続けている。
しかし、ユキコにはどこか遠い異世界のように現実感を伴っていなかった。
彼女の時間感覚では昨日まで東京の病院に入院し、家族と一緒にいたのだ。
空に街が架かっている光景や足元に星空が広がる光景など想像したことすらない。
悪い夢でも見ているような気分になる。しかし、夢ではないことを悟ってしまう。
ハルの説明はユキコには理解しきれないが論理的な整合性を持っていることは分かる。
そして足元に星空が広がり地球が浮かんでいる光景など未だかつて見たことはおろか想像したことすらない。
こんな夢を見れるはずがないのだ。
こわばる手を開き、そして固く握り締める。手のひらが汗ばんでいるのがはっきりと分かる。
驚きと緊張の連続で、三月だというのにユキコの全身は冷や汗でぐっしょり濡れている。
(私は本当にこの世界で生きてゆくことが出来るのだろうか……)
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