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星界の門《ヘブンズゲート》  作者: Nanashi
三百年後に冷凍睡眠から目覚めた少女が体験する電脳社会
2/19

第1話 新たな門出

 病室の片隅で氷結されたまま水槽の中で眠る少女がいた。

 彼女の名前は楢崎雪子。

 三百年前に冷凍冬眠を施された少女だ。


 ハルは水槽の前に立ち、少女を見つめ続けた。

 まもなく彼女の蘇生手術が開始されようとしている。


ハルは、彼女の後見人であり、今回の手術で使う蘇生用ナノマシン開発者でもある。


手術成功の可能性は五十パーセント。

骨肉腫の治療は百パーセント確実であろう。

蘇生手術そのものにも問題は無い。

しかし、ナノマシン技術を駆使しても、脳細胞の一パーセントは損壊し、シナプスの七パーセントは断絶する。

その影響が、彼女の精神に重大な影響を及ぼす可能性は正直なところ半々であろう。

三百年もの間、待ち続けた彼女に押し付けるにはあまりにも分の悪い賭けといえた。


 仮に成功しても、ネットにアクセスできない彼女は日常生活に多大なハンデを負う。

 ナノマシン処理を施し、リハビリ訓練を受ければある程度は使いこなすことができるだろう。

 しかし、遺伝子改造を受けていない彼女のネットへの同調シンクロ率はせいぜい八十パーセント。

 仮想人格サーヴァントを使いこなすことにも不自由を強いられるだろう。


 そして、医療費として課される五百四十二億円もの負債。

 考えれば考える程、重すぎる負担だ。


 しかし、この機会を逃せば彼女は永遠に眠り続けることになるかもしれない。

 莫大な負債を持つ彼女の後見人として、面倒を引き受ける人がそう多くいるとは思えない。

 そして、おそらくは世界でたった数十人しかいない冷凍冬眠患者蘇生のため、蘇生用ナノマシンを開発する人はおそらく居るまい。


「ドクター楢崎。手術のお時間です」

 背後から看護婦の声がかかった。


(必ず手術は成功させる。そして彼女を幸せにしてみせる)

 ハルは不退転の決意を胸に、手術の準備に取り掛かった。






 ユキコは、窓から降り注ぐ朝の眩しい光に目覚めた。見慣れた病室の風景にふと溜息をつく。

頭が重くぼっとしている。なぜか記憶がはっきりしない。のろのろと過去の思い出に手を伸ばす。


(昨日、私は冷凍冬眠処置を受けたはず……。なぜいつもの病室で眠っていたの?)


 体はいつになく軽い。右足の痛みもささやくほどに小さい。


(――私は助かった?)


 蘇生手術と骨肉腫の悪性腫瘍除去手術に成功したの?


(――今は何時いつ? 私が眠りについてからどれくらいの時間が経過したのだろう?)


 病室に永き歳月が流れた様子はない。

 生きて再び両親に会える日はあるまいと覚悟を決め、泣き出しそうになる想いを押さえつけ笑顔で決別した。


「――お父さん。――お母さん。――孝幸」


(今は一体何時(いつ)なのだろう?)

 祈るような想いでささやいたユキコは、次の瞬間絶叫していた。


「おとうさん! おかあさん! タカユキ!」

 ベッドから飛び出そうとしたユキコは、まとわりつく毛布に足を取られ、次の瞬間転倒した。


 這いずるようにドアに飛びついたユキコは、入室しようとしていた若い医師に衝突する。


「教えてください! 今は西暦何年ですか?」

 若い医師にすがりつくユキコは、必死の想いで詰問した。


「落ち着きたまえ。君は昨日大手術を受けたばかりの体なんだ。まずは検査だ」

 若い医師は、そういさめ、近くにあった椅子にユキコを腰掛けさせた。


 若い医師に続き、もうひとり初老の医師が入室してくる。


「昨日、冷凍冬眠からあなたを蘇生させる手術と骨肉腫の悪性腫瘍除去手術を行いました。

 手術は成功し、これまでの経過は極めて順調です」


 若い医師は穏やかな口調で言葉を続ける。担当の西崎医師ではない。ユキコの記憶に二人の医師の顔ははなかった。

 ――不安に胸が押しつぶされそうになる。


「頭痛はありませんか」

 そう問う若い医師に、ユキコはこくりとうなずく。


「記憶が不鮮明なところや、どうしても思い出せないことはありませんか」

 質問を繰り返す医師に、ユキコはたどたどしくもありのままの症状を答えた。


 穏やかな口調で丁寧に話しかける若い医師に、ユキコの心はほんの少し落ち着きを取り戻した。


 不安な気持ちをこらえ、あらためて若い医師を観察した。

 百八十センチを超える長身と、しなやかな筋肉に包まれた肉体。少し長めの黒髪は繊細で軽く波打っている。

 黒曜石のような瞳は光の加減で時折緑がかって見える。

 落ち着いた穏やかな雰囲気をまとっているが、年齢は二十歳を超えているように見えない。

 どう見ても医者というよりアクション映画のヒーローかアイドルのような容姿だ。

 今まで見たこともない整った顔立ちに思わず息をのむ。


「冷凍冬眠の蘇生手術は、世界でも始めての成功例です。現状はこの上なく順調ですが、決して無理はなさらないでください」

 間近で見つめられそう告げられた時、ユキコは鼓動が早くなるのを感じた。


「それで、骨肉腫の方はどのような状況でしょうか?」

 そう問いかけたユキコに、いままで沈黙を守っていた初老の医師が答える。


「昨日医療用ナノマシンを注入しておいたのでもう心配はない。

 右足の腫瘍を取り除いた痕が少し痛むだろうが、全身の悪性腫瘍は完全に駆逐されている。

 もう心配はいらないよ」


(――医療用ナノマシン!)


 穏やかな表情で告げられた初老の医師の回答に、ユキコは凍りつく。


 衝撃に呆然と佇むユキコの目前で、若い医者が烈火のごとき視線を初老の医師に叩き付ける。

 若い医師の視線に気圧され、初老の医師はあたふたと退出する。


 しばしの沈黙の後、ユキコは若い医師を見つめ再度質問する。

「一体、今は西暦何年なんでしょうか?」


 正面から見据えるユキコの目に、沈痛ちんつうな光をこめた医師の瞳が映る。

 心臓が凍りつきそうな不安に全身が震える。


「すまない。君を落ち着かせようと思って当時の病室を再現しておいたんだが、却って苦しめてしまったようだ――。本当にすまない」


 うなだれる医師の姿に絶望的な気配を感じたユキコは、もはや顔を上げていることが出来なくなった。

 目頭が熱くなり、こらえていた涙が溢れ出した。


 長い沈黙の後、若い医師はポツリポツリと言葉を搾り出した。


「今は西暦二千三百十七年、君が眠りについた日からおよそ三百年になる」


 その言葉を聴いた瞬間、ユキコの絶望は現実となり、今まで彼女を支えていた気力は根こそぎ奪い取られた。


「ここはスペースコロニー・セイトにあるセイト国立医療センターだ」


 もはや、医師の語る言葉はユキコの耳に届いていなかった。


(……みんな死んじゃった。お父さんも、お母さんも、孝之もみんなみんな……。

 私だけが最後まで生き残っちゃったよ――)


 目頭が熱くなり涙が溢れ出す。あたりは暗く体も鉛のようで力がまるで入らない。

 堪えても堪えてもあふれ出す涙は、ユキコにはもう押しとどめる事はできなかった。


「僕は、楢崎春樹。ハルと呼んでくれ。

 君の後見人で、孝幸さんから数えて十二代目の子孫になる」


 相変わらず呆然としていたユキコの耳に、奇妙な言葉が届いた。


「君は僕が守る」

 ハルはユキコの肩に手を置き、迸る感情のまま口走った。

「君は僕が絶対に幸せにするから!」


 うつろな目を上げるユキコの眼に真剣な眼で語りかけるハルがいた。


(――ハァ……?)


 黒曜石の瞳に間近で魅入られ、男性に免疫の無いユキコは不覚にも狼狽する。

 訳が分からないまま頭は真っ白にリセットされ、頬は真っ赤に上気する。

 そして凍りついたはずの心臓は爆発するような勢いで暴れだした。


 そんなユキコの胸の内も知らず、ハルは熱い視線で話し続ける。


「ご両親と孝幸さんは幸せな人生を送られたよ。

 ――病気、大変だったね!

 よく頑張ったね。

 今度は君が幸せになりますって、孝幸さんに約束したんだろ」


 いつの間にかハルの眼も涙で潤んでいた。


(――そう。あれは約束。そして私の決意)


 なんとかユキコを慰めようと暴走するハルの熱い想いが、ユキコの重く冷えきった心を吹き飛ばしてしまったようだ。


「これからは僕が一緒だから――。

 病気は治ったんだ。もう何も心配する事はないから――」


 ほんの昨日まで一緒だった筈の家族たち。苦しかった闘病生活。夢を断ち切られた絶望。

 走馬灯のように心に浮かぶ思い出に胸が熱くなる。


 肩に置いたハルの手が引き寄せるまま、その胸に顔を埋めたとき――


「う……ぐっ……ぐすっ……。うわっ~~~~~~っ」

 ユキコは声の限りに号泣していた。


 ――本当はこうして泣きたかったのだ。

 ……怖かった。辛かった。苦しかった。

 ユキコはまだ十六歳の女の子なのだ。死の覚悟などできよう筈もない。

 誰も知る人のいない未来に旅立つことが平気だったはずなどない。

 そして大好きだった家族や友達も皆既に亡くなってしまったのだ。

 そして彼女はこれから誰一人知る人のいない世界で一人で生きていかねばならないのだ。


「ひっく。ひっく……」


 ユキコはハルの胸に顔を埋めたまま泣きじゃくる。

 一度堰を切って流れ出した涙は、どうにも止める事はできそうになかった。


 嗚咽おえつをあげ、ハルの白衣にヒシとしがみつく。

 ハルはユキコの背中を優しく抱きしめた。


 どれほど時間が過ぎたであろうか。

 ユキコは、これまで押し殺していた気持ちをポツリポツリと話し始めた。


 ハルは何も言わずに聞いてくれた。ただ、ひたすらにやさしかった。


 七歳のときから続けていたスケートのこと。

 全日本選手権で金メダルを獲得したこと。

 夢にまで見たオリンピックに出場できそうだと知らされた時のこと。

 骨肉腫だと知らされた時のこと。

 死んでもいいから出たかったということ。

 死ぬ気で頑張っても足が動かなかったということ。

 夜中に一人で泣いていたこと。

 死ぬことが怖くて怖くてたまらなかったこと。

 意地っ張りで誰にも本当の気持ちを話せなかったこと。

 家族に八つ当たりをして、とってもとっても迷惑をかけたこと。とってもとっても苦しめたこと。

 それでも本当にお父さんとお母さんと孝之が大好きだったこと。


 ユキコは、自分の左肩もあついしずくで濡れていることに気がついた。

 ささくれ立った気持ちがうそのようにいでいく。

 涙はいつの間にか止まっていた。


 不安な気持ちは収まらない。しかし、この人が居てくれれば大丈夫だと感じた。


「ありがとう。私はもう大丈夫」

 そう言って顔を上げようとしたユキコは、恐ろしい事実に愕然としてしまった。


――パジャマで男の人に抱きついて、泣きじゃくった挙句、今まで誰にも話した事のないあの様な話を……。


「ご、ご、ごめんなさい――」

 ユキコは、ねずみ花火のようにあわてて飛びのいた。


 心臓が早鐘のように鳴り響いている。


(私のパジャマじゃない。誰が着替えさせてくれたのだろう……。下着は?

 診察ってどんな事をしたの???)


 頭をよぎる想像に、ユキコの頭はかつてないほど混乱した。


 ハルは、照れくさそうに顔をそらし、いまだ消えぬ涙の跡を拭いながらこう言った。


「気にする必要は無い。僕は君の後見人だと言ったろ。

 御両親亡き今、僕は体を張ってでも君を守るよ」

 ハルはユキコの動揺の理由を勘違いしているようで、見当はずれなことを言っている。


 ――後見人――そういえば先ほどそのような言葉を聞いた気がする。


(私を守ってくれるのは単なる義務感なのだろうか?)


 ――上気した頬が急速に冷めていく。ユキコは、不意に胸が押しつぶされるような重苦しさを感じた。


「もし良かったらこれから僕の家で食事でもしないか? もちろん、体調に問題がなければの話だけれど――」


「私、入院しているんじゃないんですか?」


「君の健康状態は、体内のナノマシンを通して左腕のメディカルリングが常に監視している。

 結果はオール・グリーン。

 蘇生手術に伴う脳神経組織の損傷が心配だったが、精神活動、記憶、五感とも、中枢組織に異常はなさそうだ。

 今の君に必要なのは肉体的な休息ではなく、精神的なゆとりだ。

 現在おかれている状況を認識し、今後の生活に関する展望を持ち、安全を確認する」


 ハルはユキコの置かれている状況を明確に洞察していた。


「こ、これからハルの家で食事を――」


(こんなに簡単に退院してしまって良いのだろうか?

 私は、昨日まで生死の境をさまよっていたはずだ――)


「うん、家は母さんと義妹の三人暮らしなんだ。

 今日は、義妹のレイコもここに来ることになっている。

 レイコはユキコさんのお見舞いでこっちに来ていて、さっきまで一緒にいた筈なんだけど――」


『コン、コン』

 そうハルが応えた時、不意にノックの音が響いた。


「そろそろ私もご一緒させて戴いて宜しいかしら」


 開いたままのドアの脇に一人の少女が立っていた。


「レ、レイコ……、お前いつからそこに居たんだ?」


 ハルは、目の前に姿を現した少女に動転する。


「最初からに決まってるでしょ。ハルと一緒にユキコさんが目を覚ますのを待っていたんだから――。

 まったくドアを開けたまま、なに恥ずかしいことやってんのよ」


 どうやら初老の医師はあわてて退出した際、ドアを閉め忘れていたようだ。

 余裕を失っていた二人はそんなことすら気づかずに話し込んでいたようだった。


 ハルとユキコは羞恥と狼狽で固まってしまった。


 レイコは、つかつかとユキコに歩み寄ると持っていた紙袋を手渡した。


「これ、あなたの着替え。さっさと着替えなさい。話はそれから――」

 そう言い残すと、ハルの手首をつかんでさっさと出て行ってしまった。


(全部聞かれていたんだろうか……)


 レイコとハルが出て行った後も、ユキコはしばらく呆然と座り込んでいた。


次回投稿は明日の午前9時頃になります。気に入った方はブックマークの登録をお願いします。

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