第13話 セイトへの帰還
「マスター!」
電離層を抜け通信が回復するなり、サクラからコンタクトが入る。
仮想空間にダイブするなりユキコはいきなりサクラから抱きつかれた。
相変わらず無表情なサクラだが、なにやら様子がおかしい。ユキコにしがみついたまま一言も口を利かない。
「ただいま。サクラ」
ユキコの挨拶にも駄々っ子のように首を横に振るだけだ。
サクラにとって、ユキコが地球に行くのはかなり辛い事だと言ったハルの言葉が頭をよぎる。
サクラはひしとユキコにしがみつき、頭をぐりぐりと押し付けてくる。よっぽど辛かったらしい……。
「ごめんね――サクラ。
一人ぼっちにさせて。寂しかったんだよね」
ユキコがサクラの頭を撫でると、サクラは堰を切ったように号泣した。
「うわ~~!」
サクラはただただ泣きじゃくる。
ユキコは仮想人格の気持ちがまるで分かっていなかった事を今更ながら申し訳なく思った。
サクラがインストールされているバイオコンピュータは生きた細胞で構成されている。
留守の間にスイッチを切っておく事など無論できない。
マスターと五感や感情を共有する事によって成長する仮想人格にとって、生まれて直ぐに五感と感情の接続を切ると言う事は、赤ん坊のまま何も見えず、何も聞こえない状態のまま放り出されたに等しい。
仮想空間にダイブすること位は出来たであろうが、喜怒哀楽の感情すら知らないサクラにとって、マスターと同伴しないネットへの接続は、感情を伴わない情報の羅列に過ぎず、目的も無いまま途方にくれていたに違いない。
ましてやユキコは地球で暮らしたいと思っていたのだ。
一ヶ月以上にわたって五感と感情を共有していたサクラにその事が分からなかった筈はない。
ユキコが地球で暮らすと言う事は、サクラにとっては死と同義である。
暗闇の中、ただ一人死への恐怖におびえる日々……。
ユキコは初めて自分がサクラに対してどれほどひどい事をしてしまったかを自覚した。
「ごめん。ごめんね――サクラ」
ユキコはサクラを抱きしめて髪を撫でさする。
それでもサクラは泣き止まない。
「ひっく。ひっく。うぐっ」
サクラはユキコの服に顔を押し付け尚も嗚咽する。
よっぽど辛かったのだろう。
ユキコは泣きじゃくるサクラの背中を優しく撫で続けた。
――サクラはかれこれ五分は泣き続け、ようやく落ち着きを取り戻した。
「独りぼっちはもう嫌です……。マスター、もう地球には行かないで下さい」
サクラは涙ながらにそう訴える。
「ごめん。本当にごめんね」
サクラに対し、本当に申し訳なく思いながらも、ユキコはその約束を交わす事ができなかった。
しかし、二度とサクラにこのような思いはさせまいと固く心に誓った。
「ただいま――サクラ。もう二度とこんな思いはさせないようにするね」
「お帰りなさい――マスター」
サクラはユキコにひしとしがみついたまま笑顔を向けた。
「私が留守の間、何か変わった事はなかった?」
ユキコは別段深い意味も無く、サクラにそう尋ねる。
「……」
ユキコの何気ない一言にサクラが凍りつく。
「サクラ――どうしたの?」
ただならぬサクラの様子にユキコが問いかける。
「地球統合政府から利子の請求書が届いています。ユキコ様には多額の借金があります」
「え……?」
サクラの言葉にユキコは呆然とする。言っている事の意味が理解できない。
「ユキコ様が眠っていた三百年間に、お父様の残してくださった財産はすべて医療費に消え、その後の医療費と利子が総額五百四十二億円に達しています。
尚、昨年度の利子請求額――三十二億円が、六月末日に加算されます」
(う、嘘――! ハルからはそんな話一言も聞いてない)
「ハルはこの話を知っているの?」
「勿論知っている筈です。この件に関する地球統合政府との話合いは、すべて後見人であるハル様を通すよう手続きがされています。この度は利子の請求書が借主であるユキコ様に送付されてきた為、私の方でもその事実を知る事が出来ました」
「そんな借金ハルだって払えないでしょ。これから一体どうすれば……」
あまりにも衝撃的な事実でユキコには現実感が伴わない。
「ハル様はあくまで後見人ですから借金の返済義務はありません。
ユキコ様がこれまでに購入した物品はすべてハル様名義で支払われています。今後の生活費に関しましても、ハル様が負担して下さると推測されます。
ユキコ様に今までお話にならなかったのは不用意に心配をさせたくなかったからでしょう」
(確かに自信を失っていた私がその事実を知っていれば取り乱していただろう)
「何か具体的な解決手段は見当たらない? さすがにこれだけの金額になると自己破産しか無いように思えるけど……」
「現在の法律には、自己破産という概念はありません。自分が作った借金は、すべて自分で返済する事が義務付けられています」
「……わ、私、未成年だし」
ユキコの手に冷たい汗がにじみ出る。
「ユキコ様は戸籍上、三百十六歳の日本人女性と登記されています。
御病気の為、現段階では社会人として適切な判断を下す事は難しい状態との判断から後見人をつける事は法律上認められています。
しかし、かかった医療費も、法定利息として年利六パーセントの利子も根拠のある合法的な請求費用です。無かった事には出来ません」
「その場合はどうなるのかしら」
「ユキコ様は一切資産をお持ちでない為、差押えは出来ません。ユキコ様の支払い可能額を、毎年の調査と話合いで決定し、その金額を支払い続ける事になります。
但し、本人に前向きな返済意思がない場合および資産隠し等悪質な隠蔽行為があった場合は、強制労働等の法的措置をとられる場合があります。
尚、御結婚なされた場合は配偶者も連帯で支払い義務を負います。子供は相続放棄さえすれば支払い義務はありません」
淡々と語るサクラの口調にユキコにも現実感が込み上げてくる。
(……一生貧乏人確定! 結婚も出来ないじゃん)
「…………」
思わず地球に夜逃げする事を真剣に考える。
先ほどサクラに二度と寂しい思いはさせまいと誓ったばかりであるにもかかわらず……。
サクラは何やら不安そうだ。ユキコの考えが見透かされているのかもしれない。
ユキコの服の裾を掴んだまま、この三百年に起こった事を話し始める。
サクラによれば、ユキコが眠っている三百年の間、本当にいろんな事があったらしい。
二十一世紀半ばには経済の大恐慌があり、ユキコに残された父の遺産はこの時点で破綻している。
その後のユキコの医療費を肩代わりしてくれたのは孝之だ。
彼とて楽な生活をしていたわけではない。
大恐慌の影響で経営不振に陥った会社を支え、家族を守り、大変な生活の中から工面してくれたお金だった。
――ユキコに残されたアルバムの中にはそのような苦労はかけらも触れられていなかった。
年齢を重ねていくアルバムに残された弟の姿と彼が背負っていたさまざまな苦労を重ねあわせ、ユキコは涙ぐんだ。
できる事ならもう一度、せめて一目だけでも会って話をしたかった。
二十二世紀半ばには関東に大震災も起きている。
ユキコが入院していた病院も倒壊は免れたものの半壊している。
その際関東一円は大停電が続き、病院の自家発電機が無ければユキコも死んでいたそうだ。
当時は宇宙移民が奨励されており、地球人口の過半数が宇宙で生活していた時代なので、地震で崩壊した関東の街はほとんど再建されないまま、ほとんどの人達がそのまま宇宙へと移住していた。
孝之の子孫やユキコがセイトへと移り住んだのもこの時期である。
この時点でユキコの医療費はまたしても底をついており、当時の後見人はセイトの病院にユキコの管理を移管するのが精一杯だっようだ。
その後滞った医療費は利子が利子を呼び、雪だるま式に膨れ上がって現在に至る。
「はあ――」
ユキコは大きなため息をついた。
彼女は色々な人に支えられて三百年の歳月を生き延びてきたのだ。
ここで彼女が自分の責任を投げ出すわけには行くまい。
「ハル様と御相談されてはいかがでしょうか?
ユキコ様のホームサイトでの広告収入もかなりの金額だと推測されます。
何かお考えがおありだと考えますが……」
「私のホームサイト?」
「一度ご覧になられてはいかがですか?
かなりのアクセス数を稼いでいます」




