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星界の門《ヘブンズゲート》  作者: Nanashi
三百年後に冷凍睡眠から目覚めた少女が体験する電脳社会
13/19

第12話 お墓参り

「ユキコさんが望むのなら、ここで暮らしていく事も出来るんだよ」

 ユキコとハルが出発する朝、これから帆船に乗り込もうとする二人にマオはやさしく話しかけた。

「今はまだ……。

 私はまだこの世界の事、何も分かっていないんです。

 眠っていた三百年の間に何があったのか?

 宇宙にいる人達の社会の事。

 そして自分にできる事は本当に何も無いのか……。


 正直、宇宙での生活は不安です。

 周りの人達に比べ、自分だけが何も出来ないという劣等感は拭い去れませんでした。

 でも、まだこの時代で目覚めてからたったの三ヶ月しか経っていないんです。

 いろいろ勉強して、自分にできる事を探してみたいと思います」


「わかった。ユキコさんが納得が行くまで頑張って御覧なさい。

 だけど覚えておいてくれ。君がここに帰って来たくなった時は、いつでも帰ってくるがいい。

 前もって手紙をくれれば、今度はシンジに馬を連れて迎えに行かせよう――」


 たった十日の間だったが、この村の人達は暖かく迎え入れてくれた。

 村での生活は質素ではあったがとても懐かしいものに包まれていた。


 ユキコは涙ぐんで、マオの手をとった。

 そして、シンイチ、リエと別れを告げる。

 地球での旅は経験の無い人間には極めて危険だと言う事から、シンジが墓参りと成田宇宙港までの道程を同行してくれる事になった。

「お兄ちゃんも、きっとまた来てね」

 リエがハルにすがり付く。

 リエの言うお兄ちゃんは、シンジではなくハルのことだ。

 この十日間でリエはすっかりハルに懐いてしまった。ハルはリエの『理想の兄』だそうだ。


「ごめんねリエちゃん。向こうに帰ったらきっと手紙を書くから……」


 ハルが今回地球に降りられたのはティーシスの力による特例処置である。

 彼が地球に降りれる事は二度と無い。

 こんなときでもハルはその場しのぎの嘘がつけないらしい。


 川崎に向けての定期便が出発する事を知らせる鐘の音が響く。


「それじゃー親父、行って来るよ」


「さようなら」


 三人を乗せた帆船は、程よい風に運ばれ海原を進んでいった。






 川崎で船を下り、馬を借りて旅を続ける事になったユキコ達は多磨霊園に向かう途中、ユキコの自宅があった大森に立ち寄る事となった。


「このあたりが大森。ユキコの自宅も近いはずだ」


 ハルの言葉に従いユキコは周囲を見回した。


 鉄筋コンクリートのビル街は、三百年の歳月にも原型を失うことなく建っていた。

 ビルの壁面は蔦が蔽い隠し、アスファルトで舗装されていたはずの地面はすっかりと草木に取って代わられていた。

 あの大きなビルは大森駅前のターミナルビルだろう。


(私の自宅はあの辺りだ――)


 ユキコは手綱を取って、かつての自宅があった方角に馬を走らせる。

 道路の両脇にはかつての面影を残す建物がいくつか残っていた。


(ここは銀行。こちらは病院。そしてあの角を曲がれば……)


 そこには鬱蒼とした樹が生い茂っていた。三百年も昔の木造住宅は面影すらも残していない。


「…………」


 ユキコは馬から下り、生い茂る木々を見上げていた。

 かつて自分が暮らした街の変わり果てた姿に、三百年の月日を実感する。

 過ぎ去った日々を取り戻す術など在りはしないのだ。


「今日はこのあたりで夜営しよう」


 ハルの提案にユキコとシンジが頷く。


「すこしこの辺りを歩いてきていい?」


 ユキコはハルとシンジの了解を得て、変わり果てた街並みを散策する。

 ビルの殆んどは廃墟と化しており、区画は変わっていないものの、三百年前の姿を思い浮かべる事は難しかった。

 大きな地震でもあったのか、倒壊しているビルが多い。木造の建物は跡形も無く消えている。


 ――かつてユキコが通った中学校があった。

 ユキコの胸に熱いものがこみ上げる。


 正門横の表札に『都立大森北中学校』と書かれている。

 よくゴミを捨てに行った焼却炉が残っていた。

 校舎は建て替えられていたが、かつての面影は残っている。

 校庭は木々が立ち並んでいたが、水道と鉄棒の跡が残っていた。


(この辺りで恵子や夏美とお弁当を食べていたんだ……)


 高校には半年位しか通えなかった為、ユキコの学生時代の思い出は中学時代が一番印象に残っている。

 目を閉じれば仲の良かったクラスメートや先生の姿が心に浮かぶ。


(気になる男の子の話題でバカ騒ぎをしていったけ……)


 ユキコは校舎を横切り、中庭に出た。


(――やばい!)


 一匹の狼がユキコを睨んでいる。

 血走った目は明らかに狂躁状態を示している。


 木刀は荷物と共に置いてきた。

 昔の面影が残る街に気が緩んでいたようだ。


 狼は涎を垂らしながら近づいてくる。

 明らかに狂犬病だ。咬まれれば命は無い。


 ユキコはじりじりと後退る。

 背中を向けて逃げ出せば間違いなく襲われる。

 近くの建物はすべて扉が無くなっており、逃げ込めそうな場所は無い。


 素手で戦う他無さそうだ。幸い厚手の皮手袋ははめている。


「ユキコ――!」

 ユキコを心配してついて来たハルが、ユキコと狼の間に割って入った。


 ハルはあの夜以来、狼を見ると体がすくむ。

 しかしそれ以上に、自分が臆病な人間だと認め逃げ出す事は許せなかった。


(落ち着け、落ち着け、落ち着け)


 ハルは懸命に自分自身に言い聞かせる。

 落ち着いて冷静に対処しさえすれば、ハルの戦闘能力で狼ごときに負けることなどありえない。

 先日は直前まで焚き火を見ていたため、暗闇にいた狼が全く見えなかった。

 そしてパニックに陥ってしまったのだ。

 ――よりにもよってユキコの目の前で……。


(例え目が見えなくても冷静に対処すれば絶対に勝てる!)


 ハルは大きく息を吸い込み、狼の正面で目を閉じた。

 先日襲われた状況を再現し、それを克服するつもりらしかった。


 狼の低いうなり声が聞こえる。位置は正面五メートル。徐々に近づいてきている。

 心臓の鼓動が嵐のように高まっていく。そして全身から冷や汗が滲み出してゆくのがのが自分でも分かる


(落ち着け、落ち着け、落ち着け)


 野生の狼とて、厚手の皮ジャケットを一咬みで噛み切る力は無い。

 急所と頭部さえ咬まれなければ命を落とす心配はない。

 ハルの握力は八十キロを超える。

 掴まえてしまえば頚骨をへし折る事も可能だ。


 ――息遣いが近づいてくる。距離はおよそ三メートル。

 狼が土をける気配がかすかに聞こえた。

 その瞬間、狼がハルに飛びかかる。


 ハルは左にサイドステップすると、狼の延髄に手刀を入れた。

 狼の右腕をハルが捕らえていたため、狼はユキコにぶつかることなく背中から地に投げ出される。

 狂狼は口から泡を吹き悶絶していた。


「ありがとう、ハル」


「一人にするのは危険だと思って後をついて来たんだ。……ごめん」


「ううん、助かった。木刀置いてきたから、どうしようかって焦っちゃた」


 文字通りの瞬殺だった。

 先日襲われた時とは別人のような動きだ。


 ようやくユキコは思い当たる。

 ――ハルはあの時見当違いの方向に薪を振り回していた。

 焚き火の番をしていたハルは炎を見つめていた為、突然訪れた暗闇に目が順応しきれず、盲目状態だったのだと……。


 そんな状態でもユキコを庇い戦おうとした。

 窮地に陥ったときも助けを求めるのではなく、ユキコを逃がそうとした。

 ――不器用なハルの優しさが心にしみた。


(ありがとう……ハル)


 結局その夜は中学の校舎で夜営する事となった。

 石畳の廊下で火を熾し夕食を作る。

 今日の料理は鰆の味噌漬けとせりのおひたし、たけのこの土佐煮にせりのおすましを添えている。

 食後のデザートには野いちごを準備している。


「いやー、ユキコの作った料理はおいしいよ。ご飯お代わりいいかな?」


 体格のいいシンジは食べ方も豪快だ。


「ガツガツと品の無い食べ方は止めて戴きたいね!」

 ハルがシンジに毒づく。


「けっ、お高くとまったスペースノイドが……。

ぶっ飛ばされたくなかったら引っ込んでろ」


「おまえのへなちょこパンチなんて、一発だって当たるもんか!」


 ハルとシンジの口喧嘩は今に始まった事ではない。

 あの一件以来、一日に一度はこうして言い争う。


 ユキコが二人の仲裁に入るのも恒例行事になっていた。

「もう、二人とも喧嘩しないでよ。お食事中は静かに食べて!」


(ハルも意外と子供っぽいところがあるのよね。そういえば孝幸も私の事が絡むとよく喧嘩してたっけ)


「……また梟がこっちを見ている」

 突然ハルが話題を変える。


 一羽のふくろうが窓の正面にあたる木の枝に止まっている。

 紫の瞳がこちらの様子を伺うように向けられている。


「確かに良く見かけるな。

 こんなにでかくて紫色の眼をした梟なんて、ユキコ達と旅を始めるまで見たこと無かった気がするけど……」


「私が最初にこんな梟を見かけたのは、骨肉腫で入院したときかな……」


 地球に降りて以来、鷲や梟といった鳥を見かけることがやたらと多い。

 おまけにこちらの様子を伺っているように感じられるのだ。


「まさか……」


「どうしたの? ハル」


「……すごく嫌な予感がするんだ」


 その時、ハルには梟がニヤリと笑ったように感じられた。







 多摩霊園は管理する人も既に絶え、廃墟となっていた。

 墓地までは石の階段があったはずだが、それがどこにあったかすら判別できない。

 草木に埋もれた墓地を発見するまでが一苦労だった。

 無論、墓地にも草木が生い茂り、倒れた墓石が雑然と転がっている。

 墓石の数は万を下るまい。

 案内板はおろか石段や柵などの特徴は全く見当たらない。

 完全に埋まっている墓石もかなりの数に上るはずだ。


(……)


 楢崎家のお墓の場所が分からない。

 さすがにここまで来てこのまま帰る選択肢は無いだろう。

 ユキコは祖父母の墓参りに訪れたときの様相を思い起こし、懸命に探し続けた。

 ようやく見つけた楢崎家の墓石は、コケと蔦に覆われ半分土に埋もれていた。

 ユキコ達は半日がかりで掃除をし、亡き両親と孝幸の冥福を祈った。


(お父さん。お母さん。孝幸。――ようやく会いに来れたよ)


 ユキコは墓前に跪き両手を合わせて瞳を閉じる。


 ユキコの感覚では三ヶ月前に別れたばかりだが、あれから三百年の月日が流れている。

 両親や孝幸が亡くなったことに未だ実感を伴わないが、思い起こせば本当にいろんなことがあった。

 挫けそうになった事は一度や二度ではない。


 ユキコはハルから渡された家族のアルバムを思い浮かべていた。

 父さんは享年八十二歳、母さんは八十五歳、孝之は九十二歳で亡くなっている。

 残された写真は笑顔が多い。

 ユキコとの約束を思い起こし、明るい写真を残してくれたのだろう。

 孝之は父の会社を継ぎ、二十六才で結婚した。

 一人の息子と二人の娘を授かったらしい。

 家族の写真はいっぱい残されていた。

 あの孝之がおじさん・おじいさんになった写真はさすがにショックが大きかったが、幸せな人生を送れたようだった。

 ユキコとの約束は忘れていなかったらしい。


(お父さん達は約束を守ってくれたんだよね。今度は私が守らなくちゃ――。


 この人は楢崎晴樹。あたしの後見人だよ。

 この先どんな関係になるかは今のところ不明。


 かっこ良くて頭が良くて、最初は王子様みたいに思っていたんだけど……。

 不器用で、要領が悪くて、子供っぽいところもあるけれど……。

 とってもいい人だよ――。安心して! 私、絶対に幸せになるから!!)


 成田宇宙港までの帰路は大きな問題は無く、順調な旅となった。

 船便の乗継も予定通り進み、また馬での旅は徒歩とは段違いに早かった。

 途中狼の群れとすれ違う事もあったが、馬に乗る三人は獲物にはならないと判断したのか、近づいては来る気配は無かった。


 旅の案内とサポートをしてくれたシンジは成田宇宙港まで二人を送った後、旅で使った馬を連れて習志野村へと戻った。

 成田宇宙港で乗ったシャトルは、単独で大気圏を突破できる機種ではなく、軌道オービタルドライバーのあるチベット高原に向かった。

 ここにあるを施設でシャトルは衛星軌道上へと打ち上げられ、静止衛星軌道上にある宇宙ステーション・ナスカに向かう。


 ユキコとハルは軌道オービタルドライバーによる射出をシャトル内で待っていた。


 軌道オービタルドライバーは最小限のエネルギーで宇宙に物資を輸送する為の施設だ。

 軌道ドライバーは、超電導磁石のリニアモーターによる全長六百キロの加速レール。

 空気抵抗をゼロにする為、加速レールを包むトンネルを真空状態に保つアイスチェンバー。

 高度五十キロまで真空のトンネルを支えるエアマウンテン。

 そして軌道ドライバーに必要な電力を宇宙の太陽光発電所から受取る為のマイクロ波受信アンテナから成り立っている。


 軌道オービタルドライーバーがチベット高原に建造された理由は、チベット高原の標高が五千メートルと高く空気抵抗を最小限に抑えることが出来る事、全長六百キロを超える直線上の加速レールを設置するのに適した地形が存在した事、そして季節風がヒマラヤ山脈に遮られる為に空気が乾燥し晴天率が高く気流が比較的安定していることによる。

 

 加速レールは地上に設置された全長六百キロに及ぶ真空のトンネルで、内部は超伝導加速コイルがレール状に敷き詰められている。

 超伝導磁石で作られた推進器に牽引されるシャトルは、リニアモーターにより秒速八キロまで加速される。

 

 エアマウンテンは、極超音速のシャトルを成層圏まで保護する真空のトンネルとそれを支えるインフレータブルフレームや炭素繊維ワイヤーから構成さる巨大な構造物で、高度は五十キロに及ぶ。

 インフレータブルフレームは、主にヘリウムを詰めた空気よりも軽い風船のような建造物である。

 真空トンネルはハニカム構造のFRP(繊維強化プラスティック)で気圧が低くなるほど軽量化されており、シャトルの射出口はシャッターにより空気の流入を最小限に抑えている。


 アイスチェンバーは真空トンネル内に流入した空気を極低温で凍結する事により高い真空状態を維持するための装置である。


 マイクロ波受信アンテナは、静止軌道上にある太陽光発電衛星からのマイクロ波を受信し電力に変換するための直径二キロに及ぶパラボラアンテナだ。

 チベット高原は標高が高く、雲もほとんど無いため送電効率が高い。


 槍状に変形させたシャトルを加速レール内の超伝導コイルにより、十Gで秒速八キロまで加速し、加速レール終端に設置された超伝導コイルで射出の角度を三十度にベクトル変換する。


 シャトルは、エアマウンテン内の真空トンネル内をトンネルに接触する事無いよう慣性で飛行する。

 高度五十キロの成層圏から射出されるため、大気による摩擦熱と衝撃は地表から射出される場合に比べ千分の一に抑えられている。

 秒速八キロという速度は、高性能火薬の爆心地での風速をも超える破壊力を持つため、これほどの高度まで真空トンネルで保護しなければ風圧でシャトルが爆発してしまうのだ。

 加速レール内での加速度は十Gにも及ぶため、シャトル内の座席は浮力を応用した対G外殻シートが設置されている。


「本当に大丈夫なの?」


 ユキコは不安そうな表情でハルに訊ねる。十Gという加速度は、五十キロの体重が五百キロになるという計算になる。


「何百億という人達が使った施設だ。今更心配する必要は無いよ」

 ハルは落ち着いた様子で応える。


 加速度というものは慣性の法則により、密度の低いものは上、密度の高いものほど下へと分離させる現象である。全身を覆う耐圧外殻内で人体と同密度の液体に体を浸し固定する事により、人体内では骨と肺以外にはほとんど負担はかからない。


「宇宙へ戻る事に後悔は無い?」

 ハルは心配そうにユキコに問う。


「大丈夫。おかげさまで気持ちの踏ん切りはついたわ。地球に来れて本当に良かった――。

 それにね、やりたい事も見つかったの」


 ユキコの表情は晴れ晴れとしていた。地球に来る前の不安そうな翳りは全く無い。


「やりたい事って?」


「今はまだ内緒――」


 シャトル添乗員からの案内に従い、対Gシートの外殻が下ろされ、緩衝液が注入されてくるのを感じた。しばらく待たされた後、発進のアナウンスとともに胸にのしかかるような加速の後、ユキコとハルは再び宇宙へと射出された。


次回は明日午後9:00頃更新予定です。

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