11話 正義と悪は交互に勝つ
ポーラは急いで窓に駆け寄り、声を潜めて尋ねた。
「ハンク! 無事? 監禁されてるんじゃなかったの?」
『監禁されてるさ。身体検査で持ち物も全部取り上げられた。でもX線検査まではされなかったからな。マサチューセッツ大学で開発された体温発電伝導性ポリマーと日本製のカーボンナノチューブ集積回路を組み合わせたマイクロチップを指に埋め込んであって、』
「何? なんて言った?」
『……まあ要するに金属探知機に引っかからないドローンコントローラーを体に仕込んでたのさ。すぐコントローラーの充電切れるから俺の家からここまで飛ばすのにこんなに時間がかかったんだ』
「すごい!」
ポーラは驚いている。
いやすごいどころの話じゃないだろ。ヤベー事やってやがる。一流スパイかスーパーエンジニアかってレベルだ。ハンクくん、君そんな超有能マンだったんですか?
俺は隣でドローンの無線を傍受して楽しんでいる栞の脇腹をつついた。
「なあ、コイツIQ300ぐらいあるんじゃないか」
「そんな事は無いと思うけど。部品は全部ネットで注文できるし、部品を正しく繋いで軽いプログラミングをすれば高校生でも十分作れるギミックね」
「今時の高校生すごいな!?」
これが若さか。最新技術との親和性が違う。
脳死念力ゴリ押しおじさんには真似できないよ。
「そうよね。少しレクチャーしただけでできたから私も驚いたわ」
アッ流石に栞の入れ知恵はあったんすね。納得。
びっくりした。アメリカの高校の機械オタクはみんなあんな事できるのかと思ったぜ。
「鍵はどうやって?」
『それは実は俺にもよく分からないんだ。朝起きたらメモと一緒に手の中に握ってた。これを使ってポーラ・ポートの牢を開けろ、っつってな。ピンマイクとワイヤレスイヤホン、小型ディスプレイは枕の中に入ってた。たぶん協力者がいるんだと思うんだが』
「な、なるほど? でも一体誰が……?」
ドローンの通信を傍受している栞がニッコニコしながら早速音声ファイルの切り抜きを作っている。
謎の支援者ムーブ楽しそう。
『分からん。心当たりは、そうだな……いや俺の話はいいんだよ。ポーラ、このドローンにぶら下がってるのが今話した鍵だ。たぶん、それでその牢屋は開く。早い所受け取ってくれ。充電が切れちまう』
「でもここから出ても……」
いざ脱出の時が来てもポーラは難色を示した。
脱獄すれば脱獄囚だ。逃げるという行為が自分の罪を認めた証拠になり、逃走罪が追加される。警察は追うだろう。市民に目撃情報を募るだろう。
人助けどころではない。警察と市民の目を避け逃げ隠れする生活が始まる。
まあポーラが考えるヒーローっぽくはないな。悪系。
法を蹴り破る事に難色を示すポーラをハンクが説得した。
『昔は奴隷制の廃止だって『悪』だったんだぜ? 警察なんて関係ない、周りになんと言われても声を上げ続けるんだ。声を上げて戦うんだよ、ポーラ。『これは間違ってる』って言うんだ。抵抗するんだ! こんなところで黙って蹲って屈服するポーラなんて見たくない。なあ、立ち上がってくれよ。立ち向かってくれよ。俺を助けてくれた時みたいに。頼むよ』
「…………」
ポーラはむっちりした拳を握りしめた。
『ポーラはニューヨークの親愛なる隣人でいてくれるんだろう? 善人面したクソ野郎を叩きのめすんだ。俺も力になる』
ポーラは背伸びしてドローンにぶら下がる鍵を受け取った。ええ話や……
しかし二人がどれだけ悪の打倒を固く決意しても栞の露骨なテコ入れが無いと詰んでいたあたり、本当に現実は救いが無い。
何が正義は勝つだよ。悪が勝ってるじゃねぇか。いやそんなバッドエンドは神が許しても俺が許さんが。
さて。
牢の中からは鍵穴に手が届かないようになっているがそこは超能力者の面目躍如。牢の外にドッペルゲンガーを出し、鍵を投げ渡して普通に開けた。
牢を出てどうするつもりなのかお手並み拝見だ。
最初の関門は看守。突然監獄の廊下に現れポーラを解放したピンクの巻き毛の魔法少女に唖然としている。
そりゃそうだ。虚空から現れた助っ人なんて全く意味が分からない。
しかし二人にして一人が歩いてくると身構えて通信機に手をかけた。
看守の前まで来たポーラは言った。
「通してくれなければ押し通ります」
「……仕事なんでね」
看守の返答にポーラとドッペルゲンガーはシンクロして拳を振りかぶったが、振り下ろされる前に通信機から手が離れるのを見て眉を挙げた。
看守は両手を上に上げ、道を開けた。
「しかしアレも仕事だった。俺は覚えてる。ダーレス校に犯罪防止講習に行った時、君だけが真面目に話を聞いてくれていたね。他の子が講習の後に飴を貰ってさっさと帰る中で君は缶コーヒーを買ってきて俺にくれた。よく、覚えている」
「……ロジャー・スミスさん? 去年の秋に講習に来た?」
看守は微笑んだ。
二人の遭遇は偶然のようだが偶然ではなかった。
ポーラはニューヨークで人助けをしまくっている。めちゃくちゃな数を助けているのだから、偶然過去に思いやりを示した人が自分を助けてくれる可能性も必然的に上がる。
それを差し引いても珍しい出来事ではある。あるが、サンジェルマンの息がかかっているはずの看守兄貴がまさかここで絆されるとは正直少し予想外だった。
論理的に考えればコーヒー一本でサンジェルマンを裏切るのは全く割に遭っていない。
それだけポーラの心の底から出た善行が響いたという事なのだろう。
やべちょっと泣きそう。
「君の名前を聞かせてくれないか?」
「ポーラ・ポートです。こっちはバウンサー」
「よろしく」
バウンサーは鼻が詰まったようなポーラの声とは正反対の綺麗な腹話術で言い、優雅に会釈した。
「俺には難しい事は分からんが、君を信じよう。今だけは看守のロジャーではなく、あの日君に親切にしてもらったロジャーだ。何かやらなけれならない事があるんだろう? しっかりやるんだ」
「ええ、今日で終わらせます。全てをね」
「まるでヒーローのような台詞だな」
看守は笑い、ポーラもニヤッと笑って看守と拳をぶつけあった。
そしてポーラは堂々と監獄を出ていき、夜の街に消えていった。
それを微笑んで見送った看守は、ややあって真顔になり、通信機のスイッチを入れた。
「大導師。今ポーラ・ポートがバウンサーと共に牢を出ました」
はい。
出たよ高速手のひら返し!
汚い大人汚い。立ちふさがってもどうせ突破されるから素直に通して自分の身を守りつつポーラに良い顔して、月の智慧派上司にも媚びを売るって訳だな? 理解した。カーッ! とんでもねぇ野郎だ。
「一度ニューヨークの外へ逃亡し態勢を立て直すつもりのようです。カリフォルニアの親戚がどうとか」
…………。
いやごめん俺が悪かった。
さっきから手の平ぐるんぐるんで手首とれそう。
職務を投げうち上司に虚報を流して裏切ってまでヒーローを助けた看守兄貴もまた紛れもないヒーローだ。
アンタ最高にカッコイイよ。自信持ってくれ。
その夜、元生命工学教授にしてレインコート社重役・月の智慧派大導師ジョン・サンジェルマンはニューヨークの摩天楼を一望できるレインコート社本社最上階展望フロアでくつろいでいた。傍らでは顔面蒼白のハンク・スナートが血のにじむ包帯を巻いた両手を背に隠し、直立不動で震えている。
メイジー・ポートがピンクの巻き毛の魔法少女に奪われたという第一報を聞いたサンジェルマンは、最も現実化可能性が高いと考えていたシナリオを即座に棄却し第二案の想定に切り替えた。ついでに裏切ったと思われる(ポーラの能力は洗脳系統ではないし、仲間に洗脳系統能力者がいてもポーラの性格を鑑みるに使用を止めるはずだ)ロジャー・スミスの『適切な処理』を『期待』する旨を部下に伝えておく。
サンジェルマンの計画はたった一つの虚報で崩れるほど脆い作りをしていない。人員の幾らかをニューヨーク郊外に差し向け若干手薄になり、メイジー・ポートが奪取されたとしても大勢に影響はない。最後には必ず帳尻が合い、ポーラが屈するようシナリオを組んでいる。
全てタイム・レディとインビジブル・タイタンが横槍を入れて来なければの話だが。
ポーラとの会合や完璧に外部との接触を断っていたはずのハンクへの機械類提供など、神の如き力を持つ二人は折に触れて肩入れを行っている。
二人は最終目的こそ定かではないものの、少なくとも短期的にはポーラ・ポートの成長を望んでいる事が推定できた。どうやらポーラが種々様々な試練を超え心身共に健全かつ強靭になるよう誘導しているらしい。些か遊びが多いがまず間違いない。
自分はポーラの噛ませ犬に過ぎない。サンジェルマンは自分の置かれた立場を正確に了解している。
その上でサンジェルマンは最善を尽くす。神々の手のひらの上で踊りながら、神をよく見、調べ、考え、その力を我が物にするための方策を編み出すため全力を傾注する。
神の如き力を持っていても人である。必ず付け入る隙はある。
ポーラ・ポートを陥れるためにサンジェルマンは相当危ない橋を渡っている。最大限に危険性を減らす手段は講じたが、それでも危険には違いない。
TLとITがどこまでサンジェルマンの暗躍を許すか分からない。どこまで許されるか尋ねるのは愚策だ。尋ねれば尋ねた内容から企みを見抜かれる。ゆえに神の心証を損ねはしても裁かれはしない程度のギリギリ限界一杯を推定し、攻める。
だからこれもまたギリギリ限界の一手。
サンジェルマンは本社ビル前の交差点にポーラがやってきたタイミングで電話を一本かけた。
すると赤信号を無視して大型トラックが突っ込んでくる。突っ込んで来た大型トラックに大型トラックが突っ込んでいき、その正面衝突する。交差点の中央にできた二つの障害物に車が次々とぶつかっていき、たちまち大事故に発展した。弾き飛ばされた一台の車両がスリップして本社ビルフロアに突っ込み、けたたましい警報が鳴り出す。
双眼鏡で覗けばポーラは間髪入れずバウンサーを出現させ救助活動を開始していた。
本人に後遺症を与える事は禁じられているが、本人以外に制限は無い。事故を起こしたのは皆愛すべき月の智慧派の信徒である。アメリカ発展の為の礎となれるのだから本望だろう。
「見たまえ、君の友人は全く大した女性だよ」
ハンクに双眼鏡を渡そうとするが、指の切開摘出手術を受けたばかりのハンクは取り落とし、痛みに呻いて涙を零した。
サンジェルマンは素直に謝る。
「いや、すまない。鎮痛剤は本当に?」
「……いらない!」
強情な若者に笑みが零れる。毒を警戒しているようだ。そうしようと思えば鎮痛剤と偽るまでもなくいつでも毒を投与できるのだから全くの杞憂なのだが、そこまで考えが及んでいないらしい。
ポーラ・ポートの脱獄は既にニューヨーク市警に通達されており、追っ手がかかっている。人命救助で足止めされている間に追いつかれて詰みだ。今度はより厳重な監獄に入れられ、脱出できなくなる。逃げるほどに罪は重くなっていく。
サンジェルマンはポーラが決して命の危機にある市民を見過ごさないと信用していた。
それゆえにポーラはサンジェルマンの元に辿り着けない。
足止めしている間に警官が脱獄囚確保のためにやってくる。ポーラはサンジェルマンと一度も対峙する事なく敗北するのだ。
そしていずれ自ら身を捧げ、超能力の秘密を解き明かすカギになる。
神の秘密を知り、神殺しの武器を製造する事ができたのなら、それは誇りあるアメリカ合衆国の星条旗をより偉大かつ永遠のものにする力となるだろう。
サンジェルマンは超能力を広めた事により罰せられるかも知れない。かつて人類に火を与えた咎により責め苦を負わされたプロメテウスのように。
望むところだった。
玉突き事故は車両火災に発展し、警察車両に消防車と救急車が駆け付け、野次馬を締め出すため周囲の封鎖が始まったようだった。
もう一度双眼鏡で覗く。バウンサーは炎に巻かれながら車両を持ち上げ下敷きになった子供を助け、引き攣った笑顔で何か声をかけているところだった。
正にヒーローという言葉が相応しい、素晴らしい行いだ――――
そこでサンジェルマンは気付いた。
ポーラはどこだ?
現場にいない。
答えはサンジェルマンの背後から聞こえた。
展望フロアの入り口の自動ドアを殴りつける音がする。すぐに強化プラスチックの自動ドアは消火斧で破られ、満身創痍のポーラが姿を現した。
「ハンク! 助けに来た!」
「ポーラ!」
「……これは驚いた」
サンジェルマンは心から驚いていた。
救助活動を行い、黒幕を倒し、友人を助ける。全てを同時に行うための妙手だ。
より緊急性のある火災に発展した交通事故現場にバウンサーを置き、自らはビルを登りサンジェルマンの元へ。
理屈では簡単だが、実行は困難だ。
サンジェルマンはバウンサーへのダメージがポーラにフィードバックされる事を特定している。事実、火災の中で活動するバウンサーの火傷と熱された煙のダメージがポーラに反映され、全身に火傷を負い呼吸は掠れている。
その状態でビルの最上階まで上がってきたのだ。全てを助け抜くために。
我慢強いだとか、意思が強いという域を超えていた。
一人の友人と何十人の市民を天秤にかけ、両方を選び、両方を助けるための策をすぐさま考えだし、大人の男も悶える苦痛に耐え、成し遂げる。
サンジェルマンをして最大級の称賛に値する行いだ。
まるでコミックから抜け出してきたヒーローのようではないか?
サンジェルマンは数多くの善人に会ってきた。偽善者にも会ってきた。しかしポーラほどヒーローらしい善人には会った事が無かった。
「しかし私は自衛のためにこうして銃を持っている」
サンジェルマンは未だ火傷が増えていくポーラに銃口を向け、機嫌よく語り掛けた。穏やかな声を作るつもりであったが、楽しくなってしまっていた。
真夜中の高層ビルの最上階で対峙するヒーローとヴィラン――――思えばこれはなんともドラマチックな場面ではないか?
「バウンサーを別に動かしている君に何かできるとも思えない。仮にバウンサーを戻して私を打ちのめしたとしても事態は解決しない。君の罪状に傷害罪が追加されるだけだ。友人もこの有様」
サンジェルマンはそろそろと距離を取って逃げようとしていたハンクをちらりとも見ずに殴り倒して言った。
「……アンタは一度痛い思いをした方がいい」
「私が今まで一度も痛い思いをした事が無いとでも? 痛めつけて要求を通そうというのは野蛮な未開人の行いと言わざるを得ないな。そして私は文明人であるから、こうして君にメリットを提示した交渉ができる」
サンジェルマンがタブレット端末を操作し、銃口を向けたまま投げて渡す。ポーラは受け取らなかったが、床に落ちた端末に表示された動画は見た。それはどこかの研究室の監視カメラ映像で、カプセルに入り霜が降りた叔父ベンジャミンの姿が映っていた。
「お前……ッ!」
「超能力の中には治癒系統の物もある。君が協力してくれるならば、私は必ず蘇生能力を確保しベンジャミン氏を生き返らせると誓う。どうかな?」
「…………」
ポーラは沈黙した。
サンジェルマンは落ち着いた微笑みを浮かべ答えを待った。
そして昏倒して床に転がっていたハンクが目を覚ましサンジェルマンの足に組み付いた。
「ポーラ!!!」
ポーラは走った。サンジェルマンがそれを迎え撃つ。崩れた姿勢から撃たれた弾丸は外れた。
ポーラの100kgを超える体重に助走の勢いまで乗った重い返答がサンジェルマンの顔面に突き刺さる。
攻防はそれだけのやり取りで決着した。仰向けに倒れたサンジェルマンはポーラにのしかかられ動けない。サンジェルマンは決して若くはなく、鍛えているわけでもない。
100kg超の重りで動きを封じられたサンジェルマンはしかし余裕を全く崩さなかった。
「なるほど、いつの世も正義は勝つ。しかし忘れるなかれ、正義の勝利の前にも後にも悪の勝利がある。君達はこれからどうしようというんだ? 私を倒してさぞ胸のすく思いをした事だろう。その後は? 私を倒しても君がレインコート社に起訴される事に変わりはない。例えこれから本社を探って悪事の証拠を見つけたとしても、不正な手段で手に入れられた不正の証拠は証拠能力を持たない。何も変わりはしない。若者よ、現実は悪者を倒せば全てハッピーエンドではないんだ――――」
「おいおい、ウチの校長より長話するじゃんか」
取り落とされた拳銃を拾ってきたハンクが足先でサンジェルマンの頭を小突く。
ポーラは肩を竦め、救助活動が終了した火災現場から呼び戻したバウンサーを自分の隣に出現させる。
そして『サンジェルマンの姿になったバウンサー』がサンジェルマンの声で答えた。
「留置所の中でたっぷりイメージトレーニングの時間がとれたからね。私はアンタに色んなやり口を教えてもらった。今の私ならコレで何ができるかよく分かる。アンタも分かるでしょ?」
自分の顔と声でニヤリと笑われ、一瞬呆気に取られたサンジェルマンは大笑いした。
殴り抜かれた顔面が酷く傷んだが、痛みさえも爽快に感じるほどの笑いが込み上げて止まらなかった。
息が詰まるほど笑ったサンジェルマンは全身の力を抜いてついに観念した。
「ポーラ・ポート。降参しよう。今回は確かに、紛れもなく君の勝利だ」
その日、レインコート社幹部ジョン・サンジェルマンは記者会見を行った。
記者団は前日夜の本社前車両事故についての声明だと考えたが、違った。
サンジェルマンはレインコート社と月の智慧派についての三時間に及ぶ長い内部告発を行い、二組織のおぞましいと言うに余りある悪行の数々が赤裸々に暴露された。
淡々と書類を読み上げ会見場から退室したサンジェルマンにはすぐさま逮捕状が発行され、捕えられた。記者会見で見せた饒舌振りとは打って変わり、逮捕後のサンジェルマンは謎めいた笑みを浮かべ沈黙し、全ての答弁を弁護士に任せた。
しかし裁判に望む前に彼は一言だけ記者に言葉を発した。
短い一言だった。それは宣言というよりはむしろ誰かに向けた言葉であったと言われている。
こんな言葉だ。
「私は必ず帰ってくる」