08話 優しい魔手
ある日の放課後、ダーレス校体育館の第二器具庫に二つの人影があった。
口の端を切った不良が目の前に仁王立ちするピンク髪の美少女を苦々し気に睨み上げる。彼はハンクを呼び出し、代わりにやってきた華奢な美少女に顔面をぶん殴られ今しがたバスケットボールの山に突っ込んだところだ。
「ち、ちくしょう……」
「つまらない遺言ね」
悔しげな不良に謎のつよつよ美少女は冷たく言った。
最近ハンクを筆頭としたナード(内向的、非社交的なスクールカースト下位学生)に用心棒がついた、という噂が校内に流れていた。
その用心棒はVR市場で販売されているpinkyというアバターとそっくりだった。蛍光ピンクの長い巻き毛に、アニメさながらにメリハリの利いた抜群のプロポーション。紫色の大きな目にはきらきらした星が入っている。ダーレス校に制服はないが、彼女は日本のセーラー服を着ていた。これも市販アバターと同じだ。
彼女は暴力を振るわれたり、脅迫・恐喝されたり、笑い者にされているナードの元にどこからともなくやってくる。そして簡単な警告をして――――警告が無い時もある――――暴力的に事件を解決し去っていくのだ。
彼女はミニマム級(≒47kg以下)並の華奢な体格でヘビー級(≒90kg以上)超え並のハードパンチを繰り出す。特段トレーニングを積んだ鋭く早いパンチではないが、不良を殴り倒すには十分な威力だった。
突然現れ突然去っていく彼女には早くも綽名が付けられていた。
市販VRアバター名であるpinkyと用心棒を意味するbouncerを繋げて「ピンキーバウンサー」、あるいは単に「バウンサー」。
それが彼女の名前だ。彼女もいつしか自然とそう名乗るようになっていた。
「くそがっ!」
「んぐぅっ」
不良が飛び起き、その勢いのままバウンサーに殴りかかる。避け損ねて肩に当たり、バウンサーは可愛らしい苦悶の声を上げた。そしてバウンサーは踏ん張ったが隣の第一器具庫からは体重100kg超えのデブが転んでカラーコーンの山に倒れ込んだような音がした。
「……このパンチを人を痛めつけるのにしか使わないのは全く理解に苦しむね」
「ま、待て! いいのか? 俺のバックには――――ぐわーっ!」
バウンサーは命乞いをする不良を殴り倒し、今度こそノックアウトした。
バウンサーはため息を吐きその場から消失する。それから数秒間を空けて痛そうに肩を押さえたポーラが第一器具庫から人目を避けコソコソ出てきた。
ポーラのドッペルゲンガー能力は校内自警活動をする間も訓練により成長していた。
訓練はほとんどVR機器を使えば事足りた。VR世界に再現された「仮想の自分」を「現実」の自分で操るのだ。
今や本体が静止状態でもドッペルゲンガーは走ったり殴ったりできるし、ボイスチェンジャーを使った訓練でドッペルゲンガーが発する地声をポーラの地声とは似ても似つかない可愛らしくも凛々しい声に変える事に成功していた。
射程も5m程度にまで伸びている。ただし痛覚・ダメージのフィードバックは消せていないため、ドッペルゲンガーへのダメージが本体にそっくりそのまま反映されてしまうという弱点はそのままだ。
大抵の超能力の応用訓練では感覚が重要になる。超能力由来の本来存在しない感覚を五感と紐づけていく必要があるのだ。その観点で見ればポーラの能力とVR機器訓練は見事にマッチしているといえる。
ポーラの能力が劇的に成長しているのは本人の素質の高さもそうだが、能力と訓練法が奇跡的なまでに完璧に噛み合っているというのが大きそうだ。
とはいえまだまだ発展途上。校内の不良と治安悪化の元凶たる自称秘密結社の排除も一朝一夕にはいかない。
武力はまあ足りているとしても、ポーラには校内で被害に遭っているナード達の異変に目を光らせ続ける能力は無い。暴力に暴力で対抗するというのも問題になりかねない。
本人も言っている通り虐められているヤツを守り、守り抜く力はまだ無いのだ。
「お疲れ」
一仕事終えたポーラを正門で待っていたハンクが迎え、缶ジュースを投げ渡した。ポーラは砂糖がごっそり入ったジュースを一気飲みしてため息を吐く。
「帰っていいのかな。私が帰ったら居残りしてる人を助けられない」
「そんなんやってたらポーラの身がもたんぜ。ポーラが家にいる間に学校で何かあったら明日とっちめてやればいいんだよ。監視は24時間続けてるし、ログも残る」
そう言ってハンクは手に持ったタブレット端末を振って見せた。
ポーラは助けて早々にハンクに超能力について明かしていた。ポーラ曰く、ポーラにはまだハンクを問答無用で守り抜く力はない。ハンクがポーラの力を理解していた方が何かと守りやすい。
ハンクは頭が良く、機械に強かった。ポーラとお金を出し合い監視カメラを買い、それを校内でよく虐めが起きる場所にこっそり仕掛けていた。それをハンクがモニタリングしポーラに報告。ポーラが出動する。受け身で虐めの嵐が過ぎ去る事にただただ耐えていたハンクは、ポーラに触発され立ち上がった。
そうして未熟なポーラをハンクがサポートする事で校内警察は成り立っている。
ポーラだけでは校内のどこかで暴力沙汰が起きても察知できなかったり駆け付けるまでにタイムラグが出たりするし、ハンクだけでは察知はできても解決する力がない。
お互いの不足を補う良いコンビだと思う。
わざわざ良いコンビになりそうな奴を選んでポーラのイベントに巻き込んだのだから半分ぐらいは必然の成り行きなのだが。
二人は協力して校内で頻繁に発生する有形無形の暴力に立ち向かっていた。
……ところで、実はここしばらくポーラ&ハンクが戦っているのは事実上サンジェルマンだ。
サンジェルマンはニューヨークを中心とした広範囲の情報網を持っている。
サンジェルマンは公・民の枠を超え広く深く根を張った秘密結社「月の智慧派」のトップである大導師。その提携相手であり、医療系大企業レインコート社の重役も務める。古巣の大学とのコネクションも強いし、篤志家としても名前が売れ、熱心な愛国者として軍部・政府との繋がりすら持つ。
だからこそニューヨークの高校でおきた不可解な事件の情報をいち早く知り、新たな超能力者の出現を疑う事ができた。
超能力者が――――おそらくはタイムレディが示唆した超能力者が、ダーレス校に現れた可能性がある。サンジェルマンはこれを受け、誤報でない事を確かめるために同じ状況を整えた。即ち、ハンクに対し再び月の智慧派下部組織であるダーレス校超能力探求会を介し不良を差し向けたのだ。
当然、ポーラはハンクを再び助けるからバウンサーが出現する。
バウンサーはダーレス校の生徒ではなく、ましてや教員や出入りの業者でもない。付近に住む市民にも該当しない。調べれば電子世界にしか存在しないはずVRアバターとそっくりだという事が分かる。
それが分れば情報を辿る事ができる。ハッキングによりVRアバター「pinky」の開発者やフォロワー、購入者の情報にアクセス。ダーレス校でpinkyを購入使用しているのはポーラ・ポート他一名であると特定。ポーラは二度のバウンサー出現時に現場に居合わせた。
そこまで情報を絞り込めば手勢にポーラを尾行調査させ、ポーラこそがバウンサーを召喚? する能力を持つ超能力者であるという事実を明らかにできる。
ポーラこそが超能力者だと特定した後は当て馬として上手くダーレス校超能力探求会を使い、校内で事件を起こしてはポーラの能力、行動力、性格などを量っている。
サンジェルマンはゴキゲンで、最近前にも増して忙しそうにしているが楽しそうだ、と親しい人々の間では噂になっている。
普通の人間はいくらずば抜けた情報網を持っていてもその中から自分の知りたい情報を抜き出す事は困難だ。
しかしサンジェルマンならできる。
大量の情報の海から意味あるものを吸い上げ、取捨選択し、分析し、追加の調査検証を行い、真実を導き出すだけの能力がある。恐るべき知性だ。
サンジェルマンにとっては何もこれが初めての超能力者捜査ではない。
彼は今まで何度も何度も同じような事をしてきた。
超能力者の疑いがある者を徹底的に調べてきた。
疑った数だけ失意を味わった。
それでも諦めなかった。
ようやく本物からの接触があり、本物を調べている今、サンジェルマンの心情はいかばかりか。
ポーラの類を見ない急成長も驚異的だが、サンジェルマンの悪魔的知性もまた驚異的だった。正直寒気がする。
俺が栞抜きでサンジェルマンの相手したら気付いた時にはヤク漬けの傀儡にされてそう。こわい。
さて。
悪役もスーパーヒーローも順調に駒を進めているわけだが、スーパーではないただのヒーローが失われる日が来た。
長い闘病の末、とうとうベンジャミン・ポートが逝った。
医者に宣告された余命を十日余りオーバーして、もしかしたらこのままなんだかんだ快方に向かっていくのではないかと思い始めた矢先の事だった。
元々死病であったし、衰弱して今にも死にそうであったし、本人も死ぬし死ぬつもりだと言っていた。心構えができていたしそんなに長い付き合いでもなかったから俺や栞のショックはほとんど無かった。
が、当然ベンジャミンの妻であるメイジー、姪であるポーラは文字通りのお通夜状態になった。
アメリカの葬式はざっくり通夜、葬儀(教会で行われる)、埋葬の順で進む。
ベンジャミンは長年ニューヨーク・クイーンズの治安維持に貢献してきた。決して派手ではない地道な人助けは確かに人々の心に残り、慕われてきた。
自然と葬式の規模は大きなものになるが、あくまでも一般人であるメイジーには一人で大規模な葬式を取り仕切る事はできない。
協力してくれる人々が必要だ。
葬儀はレインコート社の大々的な協力の下、多くの参列者に惜しまれ荘厳に行われた。
レインコート社はベンジャミンが亡くなる三日前にポート家に声をかけてきた。
ベンジャミン氏への医療支援を無償で行う用意がある事。また、力及ばず逝去する事があれば葬式にも協力する事。
地域の有名人であるベンジャミンへの援助申し入れはそれが最初ではなかった。流石にレインコート社ほどの大企業から声がかかるのは初めてだったが、ベンジャミンはメイジーを交え落ち着いてレインコート社のエージェントと話し合った。
最終的にベンジャミンはレインコート社の支援を受け入れた。自分が死に、残される家族を心配しての事だった。
ベンジャミンの死はそんな取り決めをした翌日の事だった。
埋葬の日は晴れだった。墓地に黒く塗られた棺が運び込まれ、多くの人が見守る中穴に降ろされ土をかけられていく。
やがて神父が聖句を述べ葬式が終わり、墓地から人が散っていく。俺も栞と一緒に参列して、帰ろうとしたのだが、栞に袖を引かれ目線で木陰を指された。
そちらを見ると喪服を着てメイジーに寄り添い赤い目を拭っているポーラに、身なりの良い紳士が声をかけるところだった。
「この度は御愁傷様でした。心からお悔やみ申し上げます」
「……ありがとうございます。サンジェルマンさんのおかげでこのような良い葬儀ができました」
ポーラが言葉に詰まるメイジーの代わりに応える。ポーラは葬儀の中でメイジーに紹介されサンジェルマンと知り合っていたが、ちゃんと話すのはこれが初めての事だった。
握手をかわし、言葉をかわす。
「ええ。これからも何かお困りの事がありましたら遠慮なくどうぞ。前にも話しましたが、葬儀代は全額我々が負担しますし、ポーラさんが進学なさるならその支援もできます。もちろん、学校で上手くいかない事があるだとか、ちょっとした御相談にも乗りますよ」
「それは……ありがたい事ですが、そんなにしてもらって私にお返しができるかどうか」
サンジェルマンは骨ばった手でハムのようにむっちりしたポーラの手を握り、聖人のように穏やかで優しい笑みを浮かべた。
「いいえ、貴女は必ず叔父上の名に恥じない偉大な事を成し遂げられるでしょう。応援していますよ」




