02話 露骨なお色気シーンで媚を売る
真夏の夜、世界の闇から辛くも逃れた燈華ちゃんが鏑木さんに連れられて天岩戸にやってきた。高いビルに挟まれた小道から地下へ続く数段の短い階段を降り、CLOSEDの看板が掛かったドアを開ける鏑木さんの後ろで燈華ちゃんは終始オドオドしていた。
普通の女子中学生が夜に何の店かも分からない閉店中の店舗に入る事はまず無い。悪い事をしているような罪悪感と不安感に襲われている事だろう。だが、鏑木さんがあまりに堂々としているためか、燈華ちゃんは素直に背中にくっつくようにして入店してきた。
燈華ちゃんの顔は強張り、緊張しているようだ。
俺も緊張している。
俺はノリの効いたYシャツに黒のベストを着込み、髪をオールバックに整えて、毎日10分鏑木さんの専門指導を貰って鍛えた仏頂面を貼り付けて美女と美少女を出迎えた。もっとも出迎えたと言っても、ドアベルの音に軽く顔を上げ、カウンターについてワイングラスを磨く手を一瞬止めただけだ。
俺の顔の造形は鏑木さん曰く「悪く無いわ」との事だが、いかんせんバーのマスターとしては年齢と貫禄が足りない。足りない部分は無口属性と取っ付き辛い表情で補う。
そう、俺は秘密結社の拠点の入口を守る口の堅いバーのマスター……!
「マスター、紹介するわ。超能力者の卵の蓮見燈華ちゃん。まだ組織に入るかは決まっていないのだけど、取り敢えず何か温まるものを貰えるかしら。雨に降られてしまったの」
俺は無言で頷き、手を止めて作り置きのホットコーヒーをミルクと砂糖付きで出し、バックヤードに下がる。
……フリをして、バックヤードから念力で風呂を沸かしつつ盗撮盗聴。
燈華ちゃんはコーヒーに思いっきりミルクと砂糖を入れ、一口飲んでほうと息を吐いた。鏑木さんは品良くカップを持って苦笑する。
「無愛想でごめんなさいね、あれで優しい人なのよ?」
「あの人も、その、時間を止める人なんですか?」
「いいえ、マスターは拠点を提供管理してくれているだけで超能力は持っていないの。事情は知っているけどね。車の中で話したけれど、超能力者は私とボスの二人しかいないわ……いえ、燈華ちゃんを入れれば三人ね」
「やっぱり、私も秘密結社に入らないといけませんか」
燈華ちゃんはコーヒーカップを両手で包み持ち身を縮め、呟くように聞いた。
あれ……な、なんだ、乗り気じゃなさそうだぞ。鏑木さんは燈華ちゃんの肩をそっと抱き寄せ、頭を撫でて優しく言う。
「無理にとは言わないわ。世界の闇は超能力者を狙うけど、ボスに頼めば超能力を消して普通の人に戻る事もできるの。戦うのが嫌ならその気持ちを尊重するわ」
うむ。燈華ちゃんは毎週ニチアサの魔法少女アニメを食い入るように見て切なそうに溜息をこぼす娘だが、やっぱ自分が戦うのは怖いと言うなら残念だが、本当に残念だが、これ以上強引な勧誘はしない。ネンリキンの移植も中止する。天照はホワイト秘密結社です。
「私は」
と、寄り添う鏑木さんの体温に安心したのか、燈華ちゃんはコーヒーを見つめながらもごもご囁くような自信無さげな小声を少しだけ大きくして言った。
「人を助けたかったんです。かっこよくて可愛い、魔法少女みたいに。それでありがとうって言われたかった。その一言だけで良かった。でも、私は気付いたんです。人を助けるためには人が苦しんでいないといけない。私は人の苦しみを望んでいたんです。私は、私は、そんな事を思ってしまった自分が嫌で、嫌で……」
「うん……」
分かる。そういう潔癖気味の精神的葛藤は中学生あるあるだ。大人になると大体割り切ってしまうから葛藤もなくなる。流石現役女子中学生、青春してるぜ。
「醜い煩悩を消したくて、解脱したくて読経しながら仏像を彫っていたんですけど」
「うん……?」
分からない。女子中学生とは(哲学)。
「違ったんですね。今日、分かりました。私は鏑木さんが来てくれて本当に嬉しかった。戦わなくていいって言葉も嬉しかった。きっと助ける理由なんてなんでもいい。間違いなく人助けは良い事なんです。それに」
燈華ちゃんは顔を上げ、鏑木さんを真っ直ぐに見た。
「世界の闇が力に餓えた人間の欲望の具現だというのなら、仏の道を行く者の端くれとして、その欲を断つために。私は戦います」
決然と言った燈華ちゃんを鏑木さんは思わずといった風にぎゅっと抱きしめた。
俺も硬派なバーのマスターを演じていなければ飛び出して行って抱きしめたい。
この子良い子過ぎない? 仏か何か? 好き!(脳停止)
しかしいつまでも脳死してはいられない。俺はタイミングを計ってカツカツと靴音を立て店内に戻った。
「風呂を沸かした」
俺はそれだけ言ってカウンターのドアを開け、身を退かす。
や、やった!
やったよ鏑木さん! ぼく、咽せずに言えたよ!
いやマジで良かった。短い台詞だが、思いっきり無理して渋い声作ってるから噛んだり咽せたりしたらホントどうしようかと。
俺の演技は歩く演技力のような鏑木さんと比較にならないほど下手なので、ボロが出ない内に鏑木さんは燈華ちゃんの手を引いてさっさとカウンターを抜けてバックヤードに入っていった。去り際にこっそりウインクをくれたので、俺もこっそりサムズアップを返す。いい感じだ。ホームビデオ撮影が捗るぜ。
天岩戸はカウンター裏のバックヤードが俺の居住空間と繋がっている。特に見られて困る物も置いていない。
鏑木さんとの約束で着替えと風呂の覗き見はNGなので、脱衣所からは音だけである。
はらり、ぱさり、と衣摺れの音がする。
「そういえばどうしてドレスなんですか?」
「ふふ、綺麗でしょう?」
「あっはい」
鏑木さんの自慢げな声。自分の美しさを積極的に誇るのは鏑木さんの美点の一つだ。
「でも燈華ちゃんも綺麗よ。私、昔から燈華ちゃんみたいな可愛い妹が欲しかったの」
「そんな、私なんて……きゃっ」
「ほら、こんなにキラキラした髪してるんだから。うーん、スタイルもいいわね。でも化粧と下着はもうちょっと頑張った方がいいわよ」
おっと? なんか美女と美少女のガールズトークが始まってるぞ。風呂に入って親睦を深めるとしか聞いてなかったけどこんな感じなんですか? 百合? キマシ?
衣摺れが止み、ペタペタという足音の後、水音がする。風呂場に入ったらしい。
「でも私、センス無いですし。鏑木さんみたいにすごいの着る勇気無いですし」
「センスは磨くもの、勇気は培うもの。私だって燈華ちゃんと同じくらいの頃はクソデブ顔面ヘドロ吃音芋女だったのよ? 可愛いと綺麗は作れるんだから。燈華ちゃんはどんどん挑戦していいの。それを笑う人がいたら私がぶっ飛ばしてあげるわ」
「お、お手柔らかに?」
ああ〜、自信の無い美少女と自信に溢れた美女の絡み。最高ですよこれは。
そしてそれを盗聴してる俺の最低さよ。
でもアレだな。今、鏑木さんと燈華ちゃんが、日本屈指の整形美人と仏道系美少女が下着一つ身につけてない裸でイチャイチャしながら風呂に入ってるんだよな。
「鏑木さんって歌好きですか? 私、毎日お風呂に入る時に歌ってるお気に入りのがあるんですけど」
「へぇ、どんなのかしら?」
風呂を覗き見しないと約束はした。したが、覗き見しても絶対バレないんだよな。覗き見するかしないかは俺の意思一つ。
ちょっと念力を操るだけで油断しきった百合百合しい桃色空間が拝めるんだ。いや、女子中学生はヤバい。ヤバいが……正直興奮してきた。
へへっ。
もういいや、見てしまおう。少しぐらいバレな
「仏説摩訶般若波羅蜜多心経ー」
…………。
「観自在菩薩
行深般若波羅蜜多時
照見五蘊皆空
度一切苦厄
舎利子
色不異空
空不異色
色即是空
空即是色
受想行識
亦復如是
舎利子
是諸法空相
不生不滅
不垢不浄
不増不減
是故空中無色
無受想行識
無眼耳鼻舌身意
無色声香味触法
無眼界乃至無意識界
無無明
亦無無明尽
乃至無老死
亦無老死尽
無苦集滅道
無智亦無得
以無所得故
菩提薩垂
依般若波羅蜜多故
心無罫礙
無罫礙故
無有恐怖
遠離一切顛倒夢想
究竟涅槃
三世諸仏
依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三藐三菩提
故知般若波羅蜜多
是大神呪
是大明呪
是無上呪
是無等等呪
能除一切苦
真実不虚
故説般若波羅蜜多呪
即説呪曰
掲諦掲諦
波羅掲諦
波羅僧掲諦
菩提薩婆訶
般若心経」
浴室に反響する読経フルコーラス。
鎮まる心。
消える煩悩。
去れ、マーラよ!
俺は仏の心境で風呂上りのホットココアを用意した。いやあ、色欲は強敵でしたね。