11話 子供が活躍するために無能である事を強いられる大人かわいそう
海老名竹広(27歳、既婚)は葦ノ原学園中等部一年二組の担任教師である。中肉中背、黒髪、趣味はサッカー観戦。中学教師として五年を務め、経験を積み、最近ようやく一通りの仕事をこなせるようになった。教職に就いてから一度も採点ミスをした事が無いのが密かな自慢だ。
生徒達から『エビせん』と呼ばれ慕われている海老名だが、冬休みを間近に控えた半端な時期にクラスに転入してきた日之影三景には手を焼いていた。
まず、鏑木理事長の肝いりで転入してきたというのが神経を削る。
鏑木理事長は私立学園である葦ノ原学園最大の出資者で、莫大な資金援助により教師の増員や全教室へのエアコン設置、音楽室の楽器一新、部活の送迎バス無料化、修学旅行費用半額負担、給食のグレードアップ、有名デザイナー監修による制服変更など、金に物を言わせて凄まじい改革を行っている。
教師も生徒も親も大助かりで、芸能人や俳優でも滅多に見ないレベルの類稀な美貌と合わさり人気は天井知らずに高い。一度全校集会に姿を現し短いスピーチを行った時に、直前まで校長の話で寝ていた生徒達が全員起きたという逸話は有名である。
そんな敬愛すべき理事長から、日之影三景には特に気を付けるようにと御下命を受けてしまったのだ。イジメでも起きた日には首が飛ぶ。
人当たりが悪いのも難点だ。
ずっと闘病生活をしていて学校に通った事がなかったというのだから仕方の無い事かも知れないが、日之影は人間関係の構築が下手だった。構築する意欲も無かった。
明らかにクラスメイトが興味無さそうにしているのに自分が喋りたい事だけ昼休み丸々ノンストップで喋り続けたり、体力の無さを軽く指摘されただけで怒って怒涛の反論をした挙句逆ギレして無視したり。
遊びに誘われれば嘲笑と共にバッサリ断って、勉強教えてと頼まれれば教え方が嫌味ったらしい。
これでは友達ができるはずもない。
ただ、体育の授業で転んで膝を擦りむいたクラスメイトを見た時に取り乱して救急車を呼ぼうとしていた事もあり、悪質なだけの子供では無い事は確かだった。
海老名は日之影の態度についてやんわりと注意したが効果は無かった。
親が大病院の院長という事もあり、厳しい指導をすれば問題になりかねない。
一方、放置すればそれはそれで問題を起こしかねない。頭痛がしてくる。
頭を抱える海老名に更に圧をかけてくるのが鏑木理事長大号令による防災訓練である。テロリストが学園に通う有名人の子女を人質に取ったという現実味に欠ける想定の訓練だ。
実際、葦ノ原学園には有力者の子女がそこそこいる。学年に一人は政治家の息子や有名芸能人の娘がいる。大病院の院長の一人娘にして理事長に目をかけられている日之影三景もVIPに数えられるだろう。
学校を襲うテロリストなどという中学生の痛々しい妄想のような事態が起きるとは到底考えられないが、他の一般的な学校よりは起こる可能性が高い。
有名人に恨みを持つ人物が、親の恨みを子で晴らすために学校を襲撃してきた、という事は確かに起こり得るのかも知れない。
事実、学校に不審者が侵入して殺傷・傷害・立てこもり事件を起こした事例はある。
学校が襲われる事態を想定した訓練は心配し過ぎとも言い切れない。テロリストは流石に杞憂だが。
心配なのは、中学生特有の斜めに構えた思想からか普段『殺人』『絶滅』『世界革命』などという危なげなキーワードを含む本ばかりを読んでいる日之影三景がテロリスト側に加担しようとしないだろうか、という事だ。
防災訓練とは言ってもストーリーが決まったプロレスのようなもので、テロリストの襲撃から撃退まであらかじめ手順が決められている。生徒の悪ふざけで引っ掻き回されてはたまったものではない。教員が生徒の悪ふざけを抑止するのも含めての訓練なのだが。
どれほど考え、準備して、対策しても、問題事は次から次へと生えてくる。
教師の気苦労はいつも絶えない。
さて、防災訓練当日。二限目の数学の授業を始めて十分ほど経った時、ピンポンパンポンと音が鳴り、副校長の声で校内放送が流れた。
『全校の皆さん、校内に不審者が侵入しました。先生の指示に従って体育館に避難して下さ、あ、こらっ、何をす』
放送は慌てた声の後、打撲音と共に一度途切れる。そして別の聞き覚えの無い落ち着いた声が後を引き継いだ。
『ただいまの放送を訂正します。指示があるまで各教室で待機して下さい。安全のため、警備員が巡回します。放送を終わります』
半分ほどの生徒は困惑していて、察しの良い生徒はざわつき、何人かは面白そうにしている。
防災訓練の筋書きでは『テロリストに放送室を占拠され、以後は誤報が流れる』という事になっている。この誤報に対し、教師と生徒はクラス別に行動する。半分のクラスは誤報を信じ教室で待機し、もう半分は放送に不信感を抱き体育館に避難。三年の学年主任の先生が放送室に確認しに行き、占拠を確かめ、警察を呼ぼうとするも、電話線を切られた上に電波妨害で呼べない。
そこで教員から有志を募り、校外へ助けを呼びに行く。
妨害するテロリストをかいくぐり、事前に防災訓練について協力要請してある警察署にたどり着けば終了だ。
今回の防災訓練はあくまでも学校側の訓練であり、警察による突入やテロリスト制圧は行われない。警察署に駆け込んだ時点でその後の状況を省略してテロリストは撤収していく。
重要なのは誤報を流し武器で脅してくるテロリストを相手に、教師が最大限に生徒の安全を守り、勝手な行動をとらせない、という事だ。
防災訓練で悪ふざけをする生徒はどうしても出てくる。誰にも行先を告げずふらっと列を抜け出しトイレに行ってしまったり、面白半分に逃亡して隠れたりして教師を困らせたり。悪意がなくとも、訓練中に急な体調不良を起こす生徒が出る事もある。
訓練なら大事にならないが、本当に事が起きればそうした想定外が死に繋がる。訓練を通じて想定外に対応できるよう訓練しておかなければならない。
さて、海老名が担任を務める一年三組は誤報を信じず体育館に避難する役を割り振られている。
海老名は手を叩いてざわめくクラスの注意を惹いた。
「えー、放送の後半では教室で待機するようにと言っていましたが、前後の状況から察するに不審者が放送室を乗っ取ってしまったようです。体育館に移動しましょう。廊下に出席番号順に並んで」
「そんなんつまんねーよ。エビせーん、テロリスト倒そうぜぇー!」
促した途端にクラスのお調子者がまるで面白い事であるかのように大声で言った。この時点ではまだテロリストがやってきているという確証が無い想定にも関わらず、全てをぶち壊しにする発言だ。二、三人の生徒が追従して薄ら笑いを浮かべている。
お前を倒してやろうか、と言いたいのは山々だが言えないのが教師の辛いところである。逆に幸いなのは大多数の生徒は迷惑そうにお調子者達を横目で見ながら廊下に並び始めている事だ。
海老名がお調子者達がつけ上がらないように聞こえないフリで無視すると、目立つのに失敗した彼らは面白くなさそうに廊下に出て行った。
「はい並んでー、出席番号順二列。慌てず落ち着いて。持ち物は無くていいから」
「エビせん、体育館シューズは?」
「体育館シューズは……体育館シューズも持たなくていい」
廊下に並んだ生徒達の人数を確認し、クラス委員長に先導させ、体育館へ移動を始める。海老名は最後尾をついていき、はぐれる生徒が出ないよう見張った。
海老名の目の前を歩いている列の一番後ろの生徒は、転校生ゆえに一番最後の出席番号を割り振られている日之影三景だ。制服を着ていなければ小学生と見間違える低身長で見失いやすく、危なっかしく行動が読めない要注意生徒である。
が、今のところはそわそわと回りを見回してはいるものの大人しく指示に従ってくれている。むしろクラスのお調子者達の方が手間をかけさせられていた。
何事もなければいいが、と祈ったのがフラグになったのか、体育館へ続く渡り廊下の途中で武装した三人の男が立ちふさがった。黒いヘルメットで顔を隠し、ポケットがごっそりついた分厚いジャケットを着て、手にはマシンガンなのかライフルなのか分からないがとにかく軍隊が持っているようなごっつい銃器を下げている。
「あー困ります困ります。先生困ります。教室で待機して頂かないと。ああ、我々は警備の者です。さっ、君達も教室に戻ってほらほら、今不審者がうろついてるからね、おじさん達に任せて」
自称警備員の一人がねっとりした声音で声をかけてくる。銃器の黒光りが妙に気になった。本物にしか見えない。本物など見た事はないのだが。
生徒達が静まり返り、何人かが……最後尾の日之影三景も、戸惑って海老名を見てくる。
戸惑っているのは海老名も同じだった。
これは計画に無い。
防災訓練計画では『適宜状況に沿ったアドリブを入れ行動する事』とされているが、もしかしてアドリブを入れるというのは生徒や教師だけでなくテロリスト役もそうなのだろうか。会議でテロリスト役の動きについての話を聞き逃してしまっていた可能性もある。いや、恐らくそうだろう。
海老名は少し考え、近寄ってきた自称警備員の一人に手招きして囁いた。
「すみません、コレについて記憶から抜けてしまっているんですよ。私のクラスはどう行動すれば? ここで抵抗した方が良いですか?」
「あー……」
自称警備員は少し考え、仲間の二人にハンドサインで合図を送り合った。
「一度説明し直した方が良さそうですね。先生と生徒を一人、そうですね、その子がいいかな、その子にも協力してもらって、これからの流れを説明するので。ちょっと二人一緒に離れたところに来てもらっていいですか」
「分かりました。日之影さん、先生と一緒についてきて。みんな、ちょっと離れるけど落ち着いて待ってるように。私語は?」
「「厳禁!」」
元気に答える生徒達に微笑み、海老名は日之影を連れて自称警備員についていく。日之影は自称警備員を不審そうにじろじろ見ていたが、とりあえず大人しい。
「エビせんエビせん」
物々しい足音で進む自称警備員の後ろについて歩きながら、日之影が袖を引っ張り背伸びして囁いてくる。海老名は身をかがめて囁き返した。
「何かな?」
「これ分断作戦じゃないの? 有力者の子女を狙ってるって設定なんでしょ。こうやって一人一人孤立させるのって定番でしょ? 口車に乗せてさ、離れたところまで連れてってさ、先生を殺してさ、私を人質にしてさ」
「それは……」
海老名は言い淀んだ。
自称警備員ことテロリスト役のみなさんは、葦ノ原学園に有力者の子女を狙ってやってきたという想定で動いている。そして日之影三景は大病院の院長の一人娘。
確かに、これが訓練でなければ、生徒達を置いて有力者の子女を連れ、ノコノコ銃器を持った正体不明の男に付いていくのは迂闊過ぎたかもしれない。
しかし訓練は訓練である。
これは訓練をスムーズに進めるために説明を受けるだけだし、最悪でも黄色か赤の旗を渡されて『負傷/死亡判定です。状況終了まで動かないようにしてください』と言われるだけだろう。
「大丈夫。日之影さんは先生が守るから」
「はあ? 銃持ったテロリスト相手に先生が何をできるの?」
安心させようと言った台詞にはあからさまな嘲笑が返ってきた。
流石にイラッとする。全く可愛げの無い子供だ。
「はいじゃあ入って下さい。まあそんなに長い話はしませんが」
空き教室のドアを開けて促され、海老名は言われるがまま中に入った。日之影も胡散臭そうに自称警備員をほとんど睨むように見上げたが、抵抗せずに後に続く。あまり暗い部屋でもないのに入り口の電灯スイッチを押したのは癖だろうか。
最後に入った自称警備員はドアを閉め、鍵をかけた。
「はい、それでこれからの計画なんですけど。これ見るのが分かりやすいですね」
自称警備員がポケットから折りたたまれた紙を出し、手招きしてくる。
そして近寄って白紙の紙を覗き込んだ海老名は、頭を銃床で強かに殴られた。
何が起きたのか分からず衝撃と共に暗転する視界の中で、海老名は緊張に強張った顔をした日之影の足元から影が立ち上がったのを見た気がした。




