03話 漆黒の片翼
狭間さんは一人で超能力を「鍛え直し」たいようだが、ノーヒントは恐らく辛いのでそれとなくヒントを出した。具体的には手紙を送った。
勧誘の時に伝えきれなかった事、つまり天岩戸の住所や俺のメールアドレス、ドッグタグを利用した緊急招集法、戦闘スーツは発注して制作中なので後日送る事などを伝える手紙だ。
そしてその中に、『日々の反復訓練でお疲れのところ申し訳ない』『超能力を一般人に目撃されるのは避けて欲しいが、目撃さえされなければ狭間さんの空間能力を使っても構わない』『基礎訓練に区切りがつき応用訓練をする際は天岩戸地下秘密基地にトレーニングルームがあるので利用して良い』などと手がかりを散りばめた。
それに対し狭間さんは「委細承知した。儂の事は親しみを込めて『シゲじい』と呼んで欲しい」などと返信してきた。馴れ馴れしいぞ、シゲじい。
シゲじいは雑誌広告の裏に訓練についてのメモや考察を熱心に書き込んでいたので、念力で四六時中ストーキングしなくても、訓練方針や内容、手ごたえはよく分かった。
シゲじいの次元筋線維は例によって最初はクソ雑魚性能だったが、持久力は高かった。俺のネンリキンや翔太くんのアイステロイドと同じで、出力を上げようとすると負荷がかかって疲れるが、最低出力なら最初から時間制限が無い。成長ペースは二日に一度、成長率は1.7倍。
シゲじいの空間能力は発動すると一種の亜空間のようなものを生成するらしい。この亜空間はシゲじい本人の体内に生まれる。
最初は「超能力を使うと体の中に何かができる」という事しか分からなかった。
次に超能力を何度も発動させたり中断したりして検証している内に、しばらく発動させてから中断すると腹から空気がせり上がってゲップが出る事に気付いた。
そこから呼吸を止めたまま発動中止を繰り返したり、浴槽に潜って能力を発動させたり、アロマの煙と普通の空気を吸い比べたりして追加の検証をして「次元筋線維を使うと体内に亜空間が生成され、亜空間生成中に体内に取り込んだ物を格納する。亜空間が解除されると、格納されていたモノは解放される」という事を明らかにした。
だから能力発動中に呼吸すれば空気を亜空間に貯め込み解放と同時にゲップが出る。
種苗会社で研究職をやっていた経歴のおかげか、対照実験や数値化からの平均値算出など手際が科学じみていた。
ちなみに水を飲んでいると口から水鉄砲が出るし、肉を食べていれば肉を吐き出す事になるし、アロマを吸っていればいい匂いのゲップが出る。格納した質量は現実空間に影響を及ぼさず、格納していてもしていなくても体重は変わらない。
成長率1.7倍というのはこの亜空間の収納スペースを示している。シゲじいは水を吸い込んで吐き出す事で収納スペースを量り記録していたので、それをそのまま引用すると、
31ml(初日)→53ml(二日目)→89ml(四日目)→152ml(六日目)
と成長している。六日目の時点ではまだおにぎり一個を格納するだけで精一杯である。これからの成長と応用に期待だ。
ルー殿下並の成長しかできず、応用も効かず、なんでも食べちゃうびっくり手品おじいちゃんで終わるのだけは勘弁して欲しい。もう二度と地獄の空間系能力者探しはしたくない。
勧誘一週間後に戦闘スーツを届けるついでに訪問すると、シゲじいは「能力の余波で空間が歪曲していて危険」とかなんとか言って部屋に上げてくれず、すぐに追い返された。
その後めちゃめちゃ焦り、毎週末の碁会所通いもキャンセルして一層訓練に打ち込んでいたから、どうやら早くしろとせっつきに来たと思われたようだ。
そういう意図は無かったのだが。やましい事があると何かにつけて自分が責められているように見えてしまうものだ。
十二日目にして500mlペットボトル一本分の水を亜空間に収納できるようになると、シゲじいは早めの応用訓練に入った。
計算上、人間一人分の体積を亜空間収納できるようになるまで一ヵ月かかる。しかし口を経由しないと格納できない現在の性能では問題があり過ぎる。
見栄っ張りでなくても食べて吐き出す事でしか亜空間を使えない、というのは嫌だ。少なくとも俺だったら恥ずかしくてとても人前では使えない。見た目が完全にギャグか手品である。
口以外で格納する訓練として、まずは鼻で息を吸って空気格納にチャレンジした。これは普通に成功した。そもそも鼻と口は喉のあたりで繋がっているから、成功しない訳が無い。
問題はそこからだった。目にさした目薬を格納しようとしてみたり、風呂場で延々と三時間も浴槽の中で大の字になって沈んでみたり逆立ちしたりして全身でお湯を格納しようとしてみたり、尻の穴に座薬を突っ込んでみたり。爪の間に鰹節をねじ込むという奇行までしていた。手あたり次第だ。
そして全て失敗した。正直同情する。基礎力が不足していて応用の域にないのか、やり方がまずいのか。俺が考えた次元筋線維訓練法はシゲじいがやったものと大差ないから、口出ししても意味は薄い。
一ヵ月でなんとかすると宣言してしまったシゲじいは、二週間経ち折り返しが迫るとほとんど恐慌状態に陥り、最終手段を取った。注射を使ったのだ。シゲじいは注射するぐらいならゴキブリを素手で掴む方がマシと豪語するほど注射が嫌いなのだ。
目を血走らせ脂汗をだらだら垂らしほとんど過呼吸状態になりながら、シゲじいは体重計に乗って生理食塩水を注射。恐る恐る体重計を見ると、重量は増えていなかった。注射した生理食塩水の亜空間格納に成功したのだ。シゲじいは安堵のあまり漏らしかけていた。
注射によって口以外からの亜空間格納の感覚を掴んだシゲじいは、手で触った物を亜空間に取り込めるようになった。一度感覚が分かれば簡単な事だったらしい。
手で触ったもの、というが、厳密には手だけではなく、肩から指先にかけてと、太ももから足先にかけてを使い触れた物を格納できる。一番やりやすいのが手なのだ。
それ以外の背中や耳、首などでは格納できない。できそうな感触はあるようなので、基礎力が不足していると考えるのが妥当だろうか。
手を使って亜空間収納をしようとすると、手が薄く黒いモヤのようなものを纏う。このモヤに触れたものは問答無用で取り込まれる。取り込む対象はまだ取捨選択できないのだ。従って、漫然と手にモヤをまとわせると、手の周りの空気を自動収納してしまい一瞬で限界容量になりそれ以上格納できなくなる。
まともな運用は難しい。初期超能力あるあるだ。
しかし工夫すればなんとかなる問題でもある。
「黒いモヤに触れれば問答無用で自動収納」というのはON/OFFの切り替えができない欠陥である一方、凶悪な攻撃性能も発揮する。相手に手を当て密着した状態で能力を発動すれば、相手の体の一部を一瞬にして手の形に格納し抉り取る事ができるのだ。
相手が鋼鉄だろうとチタン合金だろうと人間だろうと関係ない。空間そのものを抉るため、あらゆる防御を貫通する。
試しにシゲじいの黒モヤに念力バリアをこっそり食わせてみたら、普通に抉り取られてちょっとビビった。太陽が爆発しても余裕で完全防御できる念力バリアも空間能力の前では何の意味もないようだ。恐ろしい。
しかしまあ「念力を抉られる」感触はしっかり感じたので、それに抵抗する感覚を養えば空間攻撃もガードできるようになるだろう。俺もまだまだ訓練あるのみである。
シゲじいの見てるこっちが心配になるほどの厳しい実験・考証・訓練は一ヵ月間全く休みなく続けられた。一ヵ月で超能力を研ぎ直す、という嘘を本当に見せかけるため、老骨に鞭打ってボロボロになるほど頑張ったのだ。ジジイ無理すんな。
虚言癖は褒められた事ではないが、衝動的に吐いた嘘をできるだけ本当にしようとする事は評価しない訳にはいかないだろう。
シゲじいは超能力原基が疲れ果てても更に極限まで苛め抜いて、成長率をほんの少しだけ上げている。
俺も親分との戦いの後に一度だけ経験があるが、普通ならもう無理だ、疲れすぎてもう超能力を使えない、というところまで行ってもなお無理やり絞り出して使うと、いつにもまして強烈な成長痛と引き換えにほんの少しだけ大きく成長できる。
激痛に対し全く割に合わない微増に過ぎないため誰もやらないのだが、シゲじいはその法則を自分で見つけ、やった。やり続けた。
全く大した人だ。ダメな人にもいい所はある。
まあそもそも見栄を張らずに素直に「鍛え方教えてくれ! 鍛える時間も欲しい!」と言っていればそんなに無理をする事も無かったのだが。
要らない苦労をしていると見るべきか、極まった見栄っ張りだと褒めるべきか。判断に困る。
そして勧誘から一ヵ月後。シゲじいは対象を選択して亜空間収納できるようになり、人間一人分の体積の収納スペースを確保し、宣言通りの実践レベル空間能力を引っ提げて天岩戸に初めて顔を出した。
折り合い悪く翔太くんは家族でサマーキャンプに出かけていて、鏑木さんは魔法城。クマさんは非常勤店員なので不在。
いるのは冷房の効いた店内でサンスクリット語の経典を写経している燈華ちゃんと、カウンターテーブルでマドラーを引っ張り出し遊んでいるイグ、ワイングラスを磨く俺だけだ。
「やあ、こんにちは。中々良い店ではないかね」
ベージュのスーツを着て髪をかっちりオールバックに決め、ステッキを持ってドアベルの音と共に入店してきたシゲじいは酒場が似合う老紳士だ。今朝クリーニングに出しっぱなしで忘れていたスーツを慌てて取りに行ったお茶目さんにはとても見えない。
俺はシゲじいを不審そうに見る燈華ちゃんに、彼が例の空間能力者だ、という意味を込めて小さく頷いた。
燈華ちゃんは首を傾げた。伝わらなかった。鏑木さんと違って以心伝心は無理かあ……悲しい。
「お初にお目にかかる、イグバディ・ングナッ・ムグーくん。儂は狭間空重、親しみを込めてシゲじ」
「チチチチチチチチチチチチッ!」
屈んで目線を合わせ手を差し伸べたシゲじいに、イグは小鳥の鳴き声のような警戒音を出しながらマドラーを連続して投げつけた。シゲじいは黒いモヤを纏わせた手でそれを振り払い格納。テーブルの上に手を置いてそっと戻す。シゲじいにドヤ顔を向けられたイグはびくっとして逃げていった。嫌われてしまった。
イグは香水の匂いを嫌がったのだ。手紙で癒し系コモンマーモセットの紹介はしたが、化粧や香水を嫌っていると伝え忘れていた。
シゲじいは俺に軽い挨拶をした後、イグとのやりとりを見て話していた空間能力者だと気付き筆を置いた燈華ちゃんの元へ行った。
「やあ、蓮見燈華くん。儂は狭間空重、よければ気軽にシゲじいと呼んでくれたまえ」
「蓮見燈華です。よろしくお願いします……えっと、狭間さん」
「うむ、よろしく」
シゲじいは好々爺然とした微笑みを浮かべ、燈華ちゃんの対面に座った。孫娘を見るおじいちゃんのようだ。
「蓮見くんは何をしているのかな」
「写経です」
「ほう。最近の高校生は変わった宿題をするのだね」
「いえ、これは趣味です」
「ほほう、趣味……趣味?」
シゲじいは困惑している!
戸惑って俺の方に目線を送ってきたので小さく頷く。大丈夫だ、シゲじいもキャラの濃さでは負けてないぞ。
しかしシゲじいは首を傾げた。伝わってない。はい。以心伝心できるほど深い仲でもないですもんねそうですね。
「……ふっ、若いな。儂も若い頃は三蔵法師に憧れ仏の道を志したものだよ」
「そうなんですか!? 宗派は? 宗派は何ですか?」
案の定、シゲじいが意味もなくその場しのぎの虚勢を張り始めると、燈華ちゃんが目を輝かせて喰いついた。今まで天照に話が合う人がいなかったからだ。
鏑木さんや俺、クマさんは燈華ちゃんの仏説を聞きはするが、特に興味があるわけでもない。イグは猿の耳に念仏だし、翔太くんは嫌がる。
しかし話が進むにつれて雲行きが怪しくなっていく。燈華ちゃんが仏教の話題を振っても、シゲじいが言葉を濁したり話を逸らしたりするのだ。
当然だ。シゲじいは一般人程度の仏教知識しかない。自己流とはいえ仏教ガチ勢の燈華ちゃんの話についていけるはずもなく。最初輝いていた燈華ちゃんの目は段々光を失っていき、代わりに剣呑な光を帯びはじめる。
燈華ちゃんは嘘に敏感だ。シゲじいが嘘八百を並べ立てている事に勘付いたのだ。
「……狭間さんは普段どうやって徳を積んでいるんですか」
「あー、うむ、いや、その……車に轢かれそうな子供を助けたり……そう、道祖神的な」
「嘘ですよね。道祖神は仏教関係ありません。民間信仰ですし、強いて言うなら神道です」
「う、うむ。最近はそういう解釈もあるようだね」
「は?」
燈華ちゃんが冷たい声を出した。軽蔑しきった目を向け、舌打ちまでした。こわい。
「あなたみたいなのがいるから世の中は……口先ばっかりで、威勢の良い事は言うけど何もしない。そういう人を老害って言うんですよ、反省して下さい」
「いやいや、儂は嘘などつかんよ。実際、これまで何度も私財を投げうち身を挺して人助けをだね」
シゲじいは大仰な手振りを合わせて弁明したが、もう燈華ちゃんは聞いていなかった。話す価値すらないと思われたようだ。めっちゃ嫌われている。
女子高生に毛嫌いされたシゲじいは悲しそうに帰って行った。曰く、全盛期の1%しか力を取り戻せていないので、まだ鍛錬は続けるそうだ。
帰り際にこれからは能力を使った隠蔽・援護・輸送を頼みたいと伝えたので、そっち方面で応用訓練をしてくれるだろう。「その程度の事でいいのか?」とまた大物ぶって迂闊な見栄を張った後、帰りのタクシーで頭を抱えて呻いていたので、放っておけばまた辻褄合わせを頑張るに違いない。なぜいつも自分で自分を追い詰めるのか。
シゲじいは発想豊かで、俺と同じく適切な超能力鍛錬法を考え出す才能があるらしい。最初にヒントを少し与えただけで勝手に基礎・応用訓練を熱心にやってくれるというのは非常に楽である。
超能力を悪用しようとする様子も全くない。天岩戸からの帰り道で友人に会って秘密結社への加入を薄っすらと匂わせる話をしていたが、普段が普段なので全く本気にされていなかった。オオカミ少年ならぬオオカミじじいだ。
何にせよ、放っておいて大丈夫そうだ。シゲじいが更に超能力を鍛えている間、俺は安心して次のイベントの計画を練れる。
……と思った三日後、シゲじいは車に轢かれそうになった子猫を助け入院した。
嘘だろシゲじい!