04話 俺が「夜」になる
オヤブンコールに迎えられて月守邸に着くと、親分は谷岡組についての詳しい説明を玄関で受け付けをしている見山さんにぶん投げ、自分は疲れた様子で屋敷の奥に引っ込んで行ってしまった。体力的なものもあるだろうが、精神的な疲れが大きそうだ。親分は一体いつから東京最大勢力のヤクザの嫌がらせを受けて苦しんでいたのか。
俺は親分を見送り、受付机で貧乏ゆすりをして出っ張った腹をたぷたぷさせている見山さんに尋ねた。
「谷岡組のせいであと三ヵ月で月守組が潰れるって本当ですか」
「本当だ。あとタメでいいぞ。親分言ってなかったか? 俺達は互助会だ、上下関係はねぇ」
言いながら見山さんは机に「お休み中 あとにしろ」の看板を立て、足元からギターを引っ張り出した。
なぜギター?
「弾きながら説明してもいいか」
「どうぞ。弾き語りか?」
「ただのストレス解消だ。俺は昔ギタリスト目指してて……いや俺の話なんて聞きたくもねぇわな。で、谷岡組についてだが」
見山はむっちり太った指で想定外の繊細な旋律をゆっくり奏でながら話し出した。物静かながらもどこか楽しげな異国情緒漂う曲だ。
なんだその特技。ただの禿げ散らかした受付のおじさんかと思ったら、あんたもオモシロ枠か。
「谷岡組ってのは元々東京の中堅ヤクザだったんだが、超水球事件を踏み台にして急成長したんだ」
見山の説明によると、谷岡組は親分を頂点として若頭、幹部、下っ端、というピラミッド構造をとる典型的ヤクザ階級制組織で、都内に五十件の事務所と無数の関係会社を持つらしい。その谷岡組は超水球事件の負の側面を余すところなく利用して裏社会を駆け上がった。急成長を支えた新規事業は主に四つ。
まず一つ、超能力詐欺。
谷岡組は超水球事件の直後からバリエーションに富んだ超能力詐欺を展開した。「超能力が身に着くクスリ」「超能力が身に着くパワースポット案内」「超能力研究所援助金募集」「超能力で悪霊退散」「超能力で運気を上げる」などなど。「超能力で鉄を金に変える」とかいう中世レベルの詐欺すら行われ、そしてそういった超能力詐欺に引っかかる者は山のようにいた。超水球事件によって超能力の実在を信じる人が飛躍的に増えたため、詐欺の犠牲者も増えたのだ。
詐欺を仕掛けるクズが100%悪いと分かっていても少し心が痛い。俺にしてみれば超能力が身に着くクスリもパワースポットも失笑モノだが、それは超能力の真実を知っているからであって、何も知らない一般人にとっては十分真実味のある手口なのだろう。一説によれば超水球事件から現在までの超能力詐欺被害総額は全世界合計で一兆二千億円にのぼるとか。
二つ、地上げ。
東京パワースポット説や空前の好景気が原因で東京へ移住を希望する人間が増え、東京の地価は急騰している。谷岡組はそこに目をつけ、脅迫したり、脅迫に屈しなければその土地にドーベルマンを放ったり、飲食店にダンプカーを突っ込ませたり、なりふり構わない手段に訴え土地を強奪。高値で転売し莫大な利益を出した。バブル期にも同じような手口で儲けたヤクザがいたらしく、その手口を踏襲したようだ。
過去にあった手口に二度やられるなんて警察は無能かよ、とも思ったが、見山曰く谷岡組は構成員人数にあかせた飽和攻撃を仕掛けたらしく、あちこちで多発する事件に警察は対応が全く追いついていないようだ。無茶苦茶やりやがる。
三つ、ストレンジャーの取り込み。
谷岡組はストレンジャーを積極的に囲い込み、使い捨ての手駒として活用した。
誘拐、強盗、万引き置き引き車上荒らし、麻薬の売人、臓器売買、違法風俗、密漁など。食うに困ったストレンジャーを仕事に最低限必要な知識だけ教え込んで送り出し、成功すれば上々。失敗すれば捨てる。古参のヤクザの罪を擦り付けたり、囮として警察にわざと逮捕させる事もある。半ば法律の外にいるストレンジャーだからこそ、ヤクザの食い物にされても助ける者はまずいない。
最悪なのはストレンジャーの中にはそうしてヤクザの使い走りをさせられるのを良しとする者も多くいる事だった。
何しろ、日本政府はストレンジャーを守ってくれない。親分のような篤志家による炊き出しや支援にも限界がある。その日のパンと寝床にすら困るストレンジャーは、行きつく先に破滅しか待っていなかったとしても、ヤクザがぶら下げる目先の甘い餌に食いつき取り込まれてしまうのだ。
最後は正義面。
治安の悪化した東京では防犯グッズが流行っているのだが、警備員の需要も増している。屈強でコワモテのヤクザは警備員にうってつけだった。正体がヤクザとは知らないまま谷岡組構成員を雇っている企業は多いらしい。
治安を乱したその手で治安を守る。とんだマッチポンプである。
……なぜかまた心が痛い。
「そうやってド汚ねぇ手口で膨れ上がった谷岡組の構成員数は約二万人。月守組のシノギと組員を食ってもっと肥え太ろうとしてるって訳だ。今の波に乗って全国制覇を目指してるんだとさ。東京で稼いだ資金で大阪福岡はもう谷岡組の勢力圏だ」
見山はギターを強く鳴らし、苦々しそうに締めくくった。
なるほど。脱法ハチミツやら高純度カレー粉で細々とまっとうに稼いでいる月守組八百人弱では、悪質な二万人軍団に太刀打ちできるはずもない。
「事情は分かったが、なんでそんなに谷岡組の事情に詳しいんだ。スパイでも潜り込ませてるのか?」
「前に親分が情報屋のリーって奴を助けてな。割安で情報買えるのさ」
「情報屋……だと……?」
実在したのか、情報屋!
ここは本当に現実か? 昨日と今日でフィクションの中にしかいないような職業の情報を人生三回分は聞いた気がするぞ。
「別に隠してるわけでもないが、今月守組がヤバいって話は言いふらすなよ。さて話は終わりだ、そろそろ寝ろ。明日の夜も出るんだろ」
「分かった。ところでそれ良い曲だな。なんて曲だ?」
「俺の尻を舐めろ」
「……は?」
突然の要求に数秒脳が理解を拒否した。なんでいきなりホモをカミングアウトした?
尻を押さえて後ずさる俺に、見山は笑って続けた。
「『俺の尻を舐めろ』って曲名だ。モーツァルトの」
「おい嘘つくな。そんなアホな曲名あるわけないだろ!」
「ほれ楽譜」
「……嘘じゃなかった。マジかよモーツァルト」
渡された楽譜を見ながら思わず笑ってしまった。モーツァルトの事はよく知らないが、もったいぶった楽曲ばかり作るオッサンじゃなかったんだな。ユーモアがある。
「ちょっと面白かったろ? 世の中苦しい事ばっかりだが、そうやって笑ってけ。俺達みたいなダメ人間にも笑う権利はある。んじゃ今度こそオヤスミだ」
俺は毛布を持って本日の空きテント探しの旅に出ながら、なんとなく、月守組三つの規則「盗むな、働け、楽しめ」の内の一つを誰が決めたのかが分かった気がした。
「ここしばらく考えていた事なんだが」
昼のオヤスミタイムを挟んで再び夜になり、見回りに出かけるはずの親分を待っていた俺は、月守邸の奥の部屋に呼ばれた。掛け軸がかけられた畳敷きの一室で、中央のちゃぶ台にはババァとクリスが一緒に作ったという草餅が置いてある。見山はまたギターを抱えて何やらしんみりした曲を弾いている。
座布団に座る俺と見山を前にした親分はこれ以上ないほど深刻そうに口火を切った。
「余力のある内に谷岡組に降伏しようと思う」
「嘘だろ親分!」
とんでもない言葉に思わず叫んでしまった。叫びたくもなる恐ろしい決定だ。しまいにゃ「嘘だろ」が口癖になるぞ。
「ヤクザだぞヤクザ! 降伏したって絶対良い事無いだろ!」
「向こうは今降伏して傘下に入れば上納金を半額に負けると言ってきている」
「はぁ? 嘘に決まってるだろそんなもん。本当だとしても降伏した次の月からは倍額にするとかやってくるぞ」
弱みを見せれば骨の髄までしゃぶってくるのがヤクザだ。甘い見通しは必ず裏切られる。任侠ヤクザ? んなもんとっくに絶滅してる。
俺の言葉を聞いた親分は、黙って話を聞いていた見山に目くばせした。
「な、頭回るだろ。きっと良い大学出てんだよ。国立大とか」
「英語流暢に喋れるからって国立大の出とは限らないんじゃないすかね。ま、打開策が出るなら中卒でも記憶喪失でもなんでもいい」
「試してすまんな。そういう訳だから知恵を貸してくれ」
親分はそう言って俺に頭を下げてくる。
「はあ……? あー、つまり……このままだと降伏するしかないから、一緒に打開策考えてくれって事か?」
「やっぱり察しが良いな。そういう事だ。見山、説明頼む」
「アイ、アイ、親分。んじゃ月守組の詰みっぷりを教えてやろう」
解説役おじさんと化した見山が語った月守組の追い詰められぶりはそれはもう酷いものだった。
元々資産家で億万長者だった月守親分の個人資産は現在二十万円。それどころか月守邸を担保に借金をしている。三ヵ月後までに借金を返済できなければ差し押さえられ、月守邸に住めなくなる。谷岡組の営業妨害のせいで、月守組の店舗はほぼ全て赤字。返済どころではない。
警察には頼れない。そもそも月守組はストレンジャーの、つまりは不法滞在者の集団である。警察には月守組を検挙する理由はあっても、助ける理由はない。
自力救済もできない。何しろ相手は天下の谷岡組二万人軍団だ。殴り合いになれば月守組は必ず負ける。親分は俺とクリスとババァを助けた時のような正体を隠した谷岡組への反抗を行っているが、焼け石に水である。交渉も無理だ。谷岡組は暴力を背景にした絶対的優位がある。何一つ譲る必要が無いのだから交渉にならない。
戦えば負ける。
降伏すれば貪り尽くされ使い捨てられる。
現状維持すれば金が尽きて窒息死。
攻めても、逃げても、守っても死ぬ。
さあ、どうするか。こいつは難問だ。
「他のストレンジャー互助会と連携できないか?」
「月守組以外の互助会は全部潰れるか谷岡組に吸収された」
「月守組を一度解散して再結成して別組織として再出発」
「本拠地のこの屋敷が動かなけりゃ意味ねぇな。移転先なんてねぇぞ」
「世間に現状を訴えて同情を煽って支援をもらう」
「忘れたのか? 世間はむしろストレンジャーに消えて欲しいんだ」
くそっ、提案がバッター見山にことごとく打ち返される。俺の頭脳に期待してくれているようだが、ダメっぽい。今まで散々頭をひねって打開策を探してきただろう二人に希望の光を見せられるような妙案は出せそうにない。
やっぱり詰んでるじゃないか。
いっそ念力で谷岡組を壊滅させるか?
……いや、ダメだ。壊滅させるだけなら一日あれば充分終わるだろうが、仮に谷岡組という組織を潰したとしても、組織が無くなり烏合の衆になった二万人のロクデナシが世に解き放たれる事になるだけだ。
それに念力で俺がなんとかする、というのは根本的な解決策にならない。短期的にはいいが、そのうち第二第三の谷岡組が出てきて同じ事の繰り返しになるのが目に見えている。俺が上から天の恵みを降らせるのではなく、月守組が自力で立ち上がり、自衛できるようにしなければ意味がない。
そう考えれば、親分が月守組の構成員を働かせ、手に職を持たせるようにしているのは実に正しい。金や物を恵むだけの支援は長続きしないのだ。
時間は限られている。時は谷岡組に味方する。
どうせいずれ谷岡組に食われるなら、まだ少しでも余力がある内に降伏し、少しでもマシな食われ方をする、という親分の方針は、現実的に考えて正しい。
現実的に、考えて。
現実、現実、現実。
また、現実だ。
クソ現実はどこまで俺の、俺達の前に立ちはだかるのか。
奇跡的に現実とは思えないほど楽しい奴らが集まっている月守組も、ドロドロした無情な現実に負けようとしている。
クソが。
負けてたまるか。
負けさせない。
俺が負けさせない。
この世界に夢はある。希望はある。無いなんて言わせない。
無いなら作るまでだ。
俺が作ってやる。
逆転勝利を!
不屈のストーリーを!
立ち向かう力が無いのなら!
俺がくれてやる!
俺は、親分と見山に超能力をあげたい、と、小声で囁いた。
月守邸を囲む塀の瓦屋根の上でクリスに折り紙手裏剣の折り方を教えながら耳をぴくぴく動かし盗み聞きしていたババァが手でマルを作った。
OK、GOサイン。
言ってやるぜ。
「分かった。ならこうしよう。最終手段だ。実は俺、超能力者なんだ。親分と見山にも超能力の素質がある。それを俺が目覚めさせて鍛えれば、谷岡組なんてボッコボコだ」
「今はそういうのは要らん。他に無いのか?」
見山はさらっと流そうとする。完全に嘘だと思っている顔だった。
同じような文句を何十回となく聞いてきたのだろう。嘘だと決めつけてかかるその警戒心は正しい。
だが、今回ばかりは本物だ。
「嘘じゃない。ほら」
俺がテーブルの上の草餅を念力で持ち上げ、宙に浮かせてくるくる円を描くように動かすと、親分は目を見開いて絶句し、見山はギターを弾きそこない突き指した。
「はぁ!? ほ、本物? んな馬鹿な!」
「本物なんだなあ、これが。捕まえられて解剖とか嫌だったから黙ってただけで」
俺は目の前の現象を信じられていない親分の体を念力で持ち上げた。
混乱したままなすがままに空中遊泳する親分と俺を、見山は交互に見つめた。
「なんだお前。なんだお前! それ、はあ? 超能力? 超能力!? なんだ、まさかFKなのか? ……違うな氷じゃないもんな。見えない力? IT?」
「いや記憶無いから分からん」
俺は身一つで宙に浮いて漂う奇天烈体験をして目を閉じ縮こまってしまった親分を畳の上に下ろした。
「驚くのも分かるが、話を聞いてくれ。要するに脳筋解決法だ。超能力で、谷岡組に反撃する。あっちがナイフと拳銃なら、こっちは超能力だ。使い方次第でこっちの正体を隠したまま一方的にボッコボコにできる。超能力を使うのは犯罪じゃない。超能力は法律で凶器だと定義されてない。谷岡組が暴力で俺達を思い通りにしようってんなら、俺達は超能力で反撃する。これでどうだ」
親分と見山は俺を穴が空くほど見ながら、しばらく黙り込んだ。
やがて、親分が言った。
「俺は今まで谷岡組に何度も平和的解決法を打診した。蹴ったのは向こうだ。法律は俺達を守ってくれん。自分で自分を守るしかない。そのために暴力が必要なら是非も無し。目には目を、悪には悪を、だ。見山、いいか?」
「アイ、アイ、親分。おい、その超能力の素質? ってのは誰にでもあるのか?」
「素質を眠らせてる奴なら多い。半覚醒とか覚醒状態の奴は珍しいな」
「そうか……まあ何にしても俺と、親分と、お前の三人が超能力で谷岡組に反撃するってのは決まりだな。そのつもりで計画を練る必要があるが、とりあえず」
そこで見山は禿げ頭をサッと撫で、禿げ散らかしながら恰好つけて言った。
「名前決めるか。対谷岡組、超能力部隊だ」
「名前? 必要か?」
「あった方が便利だし楽しいだろ。せっかく希望が見えたんだし楽しい事見つけていかないとな。そうだな、三人の名前からとるとして。『月守剛』と『見山響介』と……お前の名前が分からんな」
佐護です。でも言えない。記憶喪失だから。
しかしまあいつまでも「お前」「兄貴」では困る。名前が必要だとは思っていたところだ。どうするかな、と悩みまたババァの様子を念力で伺うと、ババァはニヤッと笑ってぼそぼそ呟いた。
ははぁ、なるほど。上手い!
そのアイデア、いただきだ。
「決めた。俺の苗字は夜久にする。だから三人の苗字の頭文字を繋げて『月夜見』にしよう」
闇を以て闇を制す闇の秘密結社、『月夜見』の結成だ。