02話 月守組はヤクザではない
俺を担いで夜の街を駆けたヒーローおじさんは、表通りに出てからも少し走り、煌々と明かりが灯った交番の前でようやく下ろしてくれた。表通りに出ただけでは悪漢の追跡を振り切れる保証が無いのが現在の東京という魔境である。
追従してきていたクリスとババァは軽く息を整えてからヒーローおじさんに礼を言っているが、俺は激しく揺すられ運ばれてシェイクされた胃の中身を吐かないように口を押えるだけで精一杯だ。
「顔色悪いな。大丈夫だ、あいつらは振り切った」
ヒーローおじさんは気づかわし気に声をかけてくれるが、別に悪漢が恐ろしくて蒼褪めている訳ではないぞ。しかし口を開くのも億劫なので無言で頷いておいた。念力で乗り物酔いはガードできない。いやできるのかも知れないが、訓練していないからできない。
「自己紹介がまだだったな。俺は月守だ。ストレンジャー互助会の元締めやってる。気軽に親分と呼んでくれ」
「親分!」
「おう。ま、歩きながら話そうや。落ち着けるところまで案内してやる」
月守親分は即座に人懐っこく気軽に呼んだクリスの頭を一撫でし先導して歩き出す。俺とババァは後に続きながら無言で顔を見合わせた。突っ込みどころが多い。
異邦人というのは、東京に溢れかえっている外国人の中でも悪い奴らを指す言葉だ。
いつからか自然に広まった言葉で、定義は曖昧だが、外国人で何か悪さを働いていたり、働きそうだったり、なんとなく怪しかったり不気味だったりする奴は全員まとめてストレンジャーと呼ばれる。
テレビやネットでもストレンジャー達が公園に勝手にテントを張って寝泊まりして火事を起こしたり、酒場に集まってバカ騒ぎをした挙句刃傷沙汰になったり、というニュースが時折流れている。超水球事件から一年弱、烏合の衆だったストレンジャーにも秩序や階級、グループのようなものが形成されつつあるのは俺も伝聞でなんとなく知っていた。だが実際にこうしてグループのメンバー、それも元締めに会うのは初めてだ。
闇の秘密結社を作るにあたってストレンジャーグループは構成員としてぼんやり考えていた候補の一つである。向こうから来てくれたのは中々幸先が良い。ストレンジャー互助会元締めとか言ってるし、ストレンジャーっぽいクリス(とババァ)が襲われていたから助けに来たのであろうというある種の必然性はある訳だが。
しかし親分という名乗り上げは……それ互助組織じゃなくてヤクザじゃないのか? 気軽には呼べないぞ。怖い。ヤクザ怖い。
「月守親分、助けて頂いてありがとうございます。これ少ないですが気持ちです。へへっ」
俺は先導する親分に追いついて財布から万札を三枚出し、へりくだって親分に上納した。
彫りの深い厳つい顔をしているし、成人男性65kgの重量を担いで猛ダッシュできるタフネスの持ち主である。Tシャツの上からでも分かるほど胸板がぶ厚い。クマさんといい勝負だ。威圧感が凄い。
親分は鬱陶しそうに万札を俺に押し返した。
「俺はヤクザじゃねえよ。恩の押し売りはしてねぇ。親分ってのはウチの若いモンが勝手に呼んでるだけだ。それで呼ばれ慣れちまってな」
ほんとかよ。言い回しがヤクザっぽいんだが。
「いえいえ受け取って下さい。一度出した金を引っ込めるのは男が廃るんで」
「廃らせとけそんなもん。三万だぞ、三万! 大金だろうが。何日分の食費になると思ってんだ、もっとけもっとけ」
「あー、少し良いかの。恩人に名乗りもせんのは礼を失するゆえ名乗らせておくれ。ワシはババァ、この娘はクリス、こやつは記憶喪失で名前も忘れたおにーさんじゃ。それでのう、物は相談なのじゃが、ワシらは宿のアテが無いゆえ、親分の人徳に縋らせて貰いたい。出来る限りの礼はしよう」
やりとりが長引きそうだと見たらしいババァが割って入り、サクサク話を進めにかかった。
まあ互助会の元締めだろうが、ヤクザの親分だろうが、闇の秘密結社の構成員候補として大変興味深い。これを足がかりに繋ぎを作らない手はない。
親分はちまっこい背丈で堂々と流暢なババァ口調を操るババァを見下ろし困惑した。
「聞き違いか? ババァ? 小学生じゃないのか?」
「母国では成人しておる。ババァは本名じゃ。この国では妙な意味になるようじゃが」
「お、おお。すまん。それで、あー、そうだな。泊まるとこねぇんならウチ来い。すぐそこだ」
「アタシお金ないんですけど」
「一晩ぐらいタダで泊めてやるよ。ストレンジャー互助会つったろ、助けてやる。ほれここだ」
恒例のババァツッコミを挟んでから、親分は立ち止まった。その目の前にあるのは、両開きの、リムジンが通過できそうな大きさの、瓦屋根がついた木製の扉だった。
三人揃って親分が無造作に扉を開けるのを呆気に取られて見る。白く高い塀越しに見える松の木、街明かりに照らされた歴史を感じさせる立派な日本家屋、達筆な毛筆で一抱えほどもある木製の表札に記された「月守」の文字。
どう見てもヤクザの大親分の本宅ですねこれは。何? 俺達はこれから生皮でも剥がれるのか?
どれだけ悪い事をすれば東京の住宅街にこれだけの邸宅を建てられるんだ……いや鏑木屋敷も趣向は違えど同じぐらい立派だったな。金はあるところにはあるのだ。
月守邸の敷地内は混沌としていた。そこはテントだらけで、人だらけだった。砂利の敷かれた庭はもちろん、松の木の根本、水の抜かれた池の中にまでもテントがひしめき、その間を縫うようにして曲がりくねった道ができている。屋敷の窓から伸びた延長コードがタコ足配線されながらテントの屋根を伝ってあちこちに延び、無数の蛍光灯に明かりを灯していた。カップラーメンの残り汁や何かが焦げたような臭い、人々の体臭が入り混じり鼻をつく。
狭い道を窮屈そうに歩き回る人々は老若男女人種も様々で、髪の色は黒から赤、茶、白、金といった自然色からあからさまに染めた紫や蛍光ピンクまで。服もインドっぽい民族衣装、ベールで顔を隠している女性、ギンギラギンのラメ入り特攻服などなど目に痛い。
なるほど、ストレンジャー互助会というのは事実なのだろう。互助会というより難民キャンプか何かのようだが。
雑多な言語でバラバラに、しかし一様に笑顔で親分、オヤブン、Oyabun、と挨拶してくるストレンジャー達に親分は鷹揚に答えながら、俺達を玄関口まで引率する。そして玄関のすぐ外にテーブルを出し、頬杖をついてうたた寝をしていた太っちょの男の禿げ散らかした頭を叩いて起こした。
「見山ァ、三人追加だ。全員日本語通じる。帳簿つけといてくれや」
「はえっ? あー、マジか今日は珍しく増えないと思ったのに……」
「んで俺はまた見回りだ」
「アイ、アイ、いってらっさい」
「三人はコイツの指示に従ってくれ」
親分は簡単に引き継ぐとすぐに来た道を引き返して去っていった。
それを手をひらひら振って見送った見山というらしい太っちょ禿げ頭おじさんは、帳簿を捲ってペンと一緒に俺達に突き出しながら疲れた様子で言った。
「ようこそストレンジャー互助会『月守組』へ。ウチは母国に帰れないまたは帰りたくないストレンジャーに住居を提供したり職を斡旋したりして、相互に協力しながら自立を目指す組織だ。つっても入るも抜けるも自由のユルい組織だから、まあいいように利用してくれりゃいいんだが、メンバーは把握したい。てなわけでここの欄に名前、ここに出身、ここに年齢書いてくれ。日本語書けないなら母国語でいいからパパッと頼む。互助会抜ける時はまた一声かけてくれ」
「アタシ知ってる。日本でナントカ組ってマフィアだよね」
「ヤクザじゃねぇ互助会だ」
軽口を叩きながら迷いもせずいそいそと記名するクリス。
Christina Najin、New York、Age16。ニューヨーカーだったのか。
書き終わったクリスからペンを受け取り、ババァも書く。
ロナリア・リナリア・ババァニャン、アルヴ王国出身、906歳。
絶対突っ込まれるかと思ったが、意外にも見山さんは半笑いでスルー。物凄く嘘臭いのにこれでいいのか、と思って帳簿をよくよく見れば、名前がイエス・キリストだったり、出身が火星だったり、年齢が123456789歳だったり、無茶苦茶なプロフィールが並んでいた。対比でババァのイカれたプロフィールがマトモに見える。ひどい。東京、面白くなりすぎだろ。
ストレンジャーはその多くが超水球事件をきっかけに日本にやってきたオカルト好きだ。必然的に変な奴は多い。分かっていたつもりだったが、思っていたよりずっと変な奴は多いようだ。
ババァからペンを受け取り、俺も書こうとしてのだが、手が止まった。
「俺記憶喪失で自分がストレンジャーかどうかも分からん」
「ああ? 自称記憶喪失ならもう二、三十人はいる。気にすんな。忘れてるとこは『なし』でいい」
俺と同じ手口使ってる奴多くないですかね。そりゃ、どこかの組織に何も知らないフリして潜り込むには手軽で有名な言い訳だけどさあ。
自称記憶喪失ですまない。
俺は名前なし、出身日本(推定)、年齢20代(推定)と書いた。
見山さんは帳簿とペンを受け取り、むっちり太った指でテーブル横の大きな棚を指した。
「毛布はそこ。適当に持ってって空いてるテント見つけて寝ろ。地面に赤レンガ埋めて線作ってあるの見えるだろ、線からこっちが女子テントで、あっちが男子テントだ。間違えるなよ。メシは6時、12時、18時に炊き出しやってる。トイレはあっち。風呂はむこうだが19時から24時までだから今は開いてない。まあ周りの動きみてなんとなくなんとかしてくれ。大丈夫だすぐ覚える。で、ウチでやってくためのルールなんだが、三つある。これだけは覚えていってくれ。盗むな、働け、楽しめ。この三つだ。他は好きにしていいが盗まない、働く、楽しむ、この三つだけは守ってくれ。あと今言った事は全部テントに張り紙してある。忘れたら読め。文字読めないなら言葉通じそうな先住民に聞いてもいい。以上、質問は?」
「守るのはいいし文句つける訳でもないんだが、ルール雑過ぎないか? 三つだけって」
「お前、こんだけ人種国籍言語入り乱れてて複雑なルールが通用すると思うか?」
「あっはい思わないです」
ぐぅの音も出ない。納得!
「質問はもう無いな? じゃ、さっさと行って寝ちまえ。起きたらまたここに来い」
話が終わるや追い散らされ、俺達は毛布を一枚持ってひとまず解散した。ババァは眠そうに目をこするクリスの手を優しく引いて女子テント群の間に消えていき、俺も毛布片手に男子テントに空きは無いか探して回る。一区切りついてようやく自覚したが、怒涛の一夜で体も精神も疲れ切っていた。体が重く、頭も鈍い。ババァと二人で死体ごっこしてから12時間も経っていないのが信じられない。もう一週間ぐらいは経っている気がする。
とにかく、疲れた。難しい事は明日考えよう。
やがて俺はようやく見つけた三人テントの隅に潜り込んで毛布を被って寝る態勢に入ったが、隣で寝ている二人のストレンジャーおじさんの歯ぎしりと寝言がうるさく、ようやく眠りに落ちたのは二時間後だった。
一夜明け、翌日……と言いたいところだが、起きても外は暗かった。かなり寝た気がするので変だと思って腕時計を見てみれば、どうやら日中丸々寝ていたらしい。寝坊するにもほどがある。
丁度炊き出しをやっていたので列に並んでカレーを貰い、食べ終わってから女子二人の姿を探す。
今日もテント群に蛍光灯が灯り夜でも十分明るかったが、何しろ人が多く、出入りも激しい。どうやら夜の炊き出しを食べに帰ってきている人と、食べ終わって働きに出かける人でごった返しているらしい。二人を見つけるまで時間がかかるかと思われたが、クリスはすぐに見つかった。
屋根の上で鬼瓦に腰かけながらカレーを食っていたからだ。
なにやってんだお前。絶対忍者だろ。金髪だけど。
俺は下から手を振って声をかけた。
「クリス」
「あっ! おはよー兄貴!」
「おはよう。お前なんでそんなとこにいるんだ」
「だって下狭いもん。女子テント全部埋まってたから屋根裏で寝てたんだよね。ババァは木の上で寝てた」
なるほど。
……なるほど?
クリスはカレーをがっつきながら続ける。
「ねー兄貴聞いて聞いて! アタシはねー、今日お屋敷探検する事にしたよ。で、壊れてるとことか見つけて直すの! 雨漏りとか割れた天窓とか」
「できるのか?」
「道具は見山さんが用意してくれるって。アタシそういうの得意なんだよね。忍者見習いだから」
「やっぱり忍者じゃねーか」
「見習いね、見習い。まだ分身できないし透明にもなれないから。日々精進、日々之忍者道!」
クリスは手で印を組んでキメ顔を作ったが、その拍子にカレー皿を落としそうになりアワアワしていた。なるほど、見習いっぽい。
しかし、金髪忍者見習い娘かあ。
くそっ、なんで俺の学生時代にクリスみたいなやつがクラスメイトにいなかったんだ。絶対面白かったのに。サイキッカー&クノイチでコンビ組んで夜の街を駆け抜けたかった。
昔、日本全国から学校一の変わり者を集めた変人学級を作ったらどれだけ楽しいだろう、と夢想した事がある。漫画やライトノベルが面白いのは、正にそういう状況になっているからだ。変人は独りではただの変人に過ぎない。複数の変人が集まってこそ、衝突によってワクワクするようなロマンとドラマが生まれる。
学生時代、俺の周りに変人はいなかった。独りだった。ロマンもドラマも何もなかった。ひたすら平坦だった。
今、俺が起こした超水球事件を契機に東京に世界中から変人が集まり(厳密にはアイルランドにも集まっているから二分化状態だが)、変人学級ならぬ変人都市状態になっている。東京の変人指数は最早クソ現実によるイベント阻止機能を上回るほどに大きい。昨日までの表社会で普通に暮らしていた時は自動発生したイベントに巻き込まれはしなかったから、やはり非日常的イベントを体験するためには自発的に裏社会に飛び込むなりなんなりしないといけない訳だが。
それでも、俺が大学時代に世界旅行パワースポット巡りをしてまで求めた非日常イベントがちょっと路地裏に入るだけで体験できてしまう今の東京は超能力青春の舞台に相応しい。
いくら天然イベントとはいえ、流石に誘拐多発は治安悪すぎだからそこは直していく必要があるが。誘拐されて臓器・人身売買とかシャレにならん。
さて。
木陰で多国籍な子供達に群がられ折り紙を教えていたババァは、見山さんに月守組通訳頭の地位を貰ったらしい。ババァはこれから月守邸に逗留し、持ち前の超絶言語学習能力を生かし月守組所属の多言語を片端から学習。言葉が通じないストレンジャー間の通訳、問題解決、相談にあたる。今まではグルグル翻訳を活用して見山さんが無理くりなんとかしたりなんとかできなかったりしていたらしい。
身元のクッソ怪しい俺達を即座に受け入れたためこの組織大丈夫かと思ったが、ババァの外見に囚われない見事な適材適所である。クリスの身軽さを生かした高所日曜大工指名も〇。なんだかんだ月守組は上手くやっているようだ。穿った見方をすれば、上手くできなかった互助会は早々に潰れ、上手くできた月守組が今日に至るまで残っている、と考えるべきか。
俺はしばらく考え、毎晩街をパトロールして月守組傘下の店の様子を見たりストレンジャーを拾ってきたりしているという親分に同行させてもらう事にした。
それを伝えるとでっぷりした二段顎を撫でて難色を示した見山さんだったが、俺が念力式身体強化で庭石を持ち上げて見せると前言撤回して許可してくれた。前々からいくら屈強とはいえ月守組のトップが単身で夜の東京をうろついているのは危険だと思っていたらしい。「使える」護衛がつくならそれに越した事はない。
月守組の親分、月守。
彼は闇の秘密結社の構成員に相応しいのか。ざっと見ただけで百人を超える月守組をどのように統率しているのか。
間近で見極め、そして勉強させて貰おうじゃないか。




