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11話 世界の闇と戦う秘密結社


 ある穏やかな春の日の事だ。マリンランド公国公爵鏑木栞は東京都足立区のオープンカフェテラスで優雅に午後の紅茶を楽しんでいた。爽やかな春風が腰まで届く緩くウェーブのかかった黒髪を揺らし、仄かに甘い匂いを運んでいく。気品ある所作で洋書のページを捲る黒のドレスを着た麗しき令嬢に、通りがかる老若男女は残らず目を吸い寄せられる。彼女がいる空間だけがまるで絵画のように完成されていた。


 そこに俺が念力をどーん。

 鏑木さんがハッとして豊かな胸元に目線を映すと、首から下げられたドッグタグが(念力で)震えていた。緊急招集の合図である。


「まさか本当にこんな事が……」


 呟き、目を閉じ、決意を込め見開く。本を閉じ席を立った鏑木さんは、伝票を持ってレジへ向かった。


「釣りは要らないわ。急いでいるの、ごめんなさいね」

「え……え?」


 ぼんやりと絶世の整形美人を見ていた若い男のアルバイト店員に微笑みかけ、伝票と共に万札を握らせる。ハイヒールの硬質な音を鳴らし足早に去って行く謎めいた女性を、アルバイトは呆然と見送る事しかできなかった……

 ……と、いうところまでの映像と音声を収めたホームカメラを植木の陰から回収し、鏑木さんは愛用の黒塗りの高級車に乗り込んだ。抑えきれない笑みを浮かべ虚空に(つまり俺に)ピースする鏑木さんに俺は天岩戸でガッツポーズした。バッチリだぜ、鏑木さん! 全部終わったら鑑賞会だな。


 さてシーンは変わり、同時刻の某私立中学校2年2組の教室。

 春休みを二日後に控え、教室の空気は弛緩している。国語教師が唱える子守歌めいた授業に、クラスの半分は眠りに落ち、もう半分の生徒たちのノートを取る手も緩慢だ。教室の後ろの席に座る学年一の美少女、蓮見燈華も例外ではない。時折ショートカットの髪を後ろに払いながら、ぼんやりとノートの端にデフォルメされたブッダの落書きをしている。その隣の席では、机に突っ伏し完全に寝落ちした真っ赤な髪の不良風少年、高橋翔太が時折びくんと痙攣していた。


 そこに俺が念力をどーん。

 二人のドッグタグが震え出す。平和な日常生活に奇襲をかける緊迫した、しかし密やかな、二人にだけ分かる緊急招集! カーッ、仕方ないよなー! 世界の闇と戦うためだもんなー! カーッ! ほら走れ二人とも! この日常を守るための非日常へ! おじさんが撮影してあげるから!


「先生、お腹痛いので早退します」

「あ、俺送ってきます」

「あ、ああ?」


 燈華ちゃんはすっと立ち上がり両手で腹を抑えながら若干の大根役者ぶりで言った。虚を突かれている国語教師に便乗して立ち上がった翔太くんが畳みかける。

 二人は目と目を合わせ頷き合い、ほとんど走るように教室を出て行った。残されたクラスメイト達はまどろみから目覚めにわかにざわつく。誰もが違和感を感じていた。二人の唐突な行動、尋常ではない様子。単なる腹痛ではない事ぐらい、皆が察していた。しかし腹痛でないならなんなのか?

 しかし微かに顔を見せた非日常の残り香にそわそわしながらも、謎の行動を見せた二人を追う行動力のある者は誰もいなかった。まだ授業は終わっていないから。ここで二人を追えば目立つから。なんとなく、恥ずかしいから。うむ、うむ。そんな内心が手に取るように分かるぞ。チャンスがあっても動けないってのは悲しいなあ……

 やがて国語教師は釈然としない様子ながらも納得し、授業を再開する。教室の空気は僅かな浮つきを残したままだったが、五分もすると全く平和な日常に戻っていた。


 廊下を走って駆け抜け、下駄箱に向かう二人。窓から飛び出していければカッコいいんだけどね、上履きだからね今。ちょっとサマにならないが仕方ない。

 下駄箱で上靴を履き替える不安げな燈華ちゃんに翔太くんがからかうように言う。


「なんだ、ビビッてんのかぁ?」

「怖いよ。昼間に緊急招集って事は、鏑木さん一人じゃ勝てない闇が出たって事でしょ。私達が行って何かできるのかな」

「おいおい、しっかりしてくれよ先輩。俺より長く戦ってきたんだろーが」

「ちょっとだけね。今は翔太の方が強いよ。力も……心も、きっと」

「安心しろよ。いざとなったら燈華の事は俺が守ってやる。命にかえてもな」

「翔太……」


 自信満々に胸を叩く翔太くんに、燈華ちゃんがそこはかとなく熱っぽい目を向ける。

 絡み合う二人の視線。少し躊躇いがちに、ゆっくり近づく二人の距離。


 あれっ?

 な、なんかいい雰囲気? こんなの計画に入ってないんだけど。

 え? ちゅーしちゃう? こういうサブストーリーラブロマンスは歓迎ぞ?

 おじさんドキドキしてきちゃったぜ。

 いけっ……! やっちまえっ……!


 燈華ちゃんは翔太くんを見上げ、少しだけ背伸びして潤んだ目を閉じ、その唇を――――

 ――――重ねようとしたところで燈華ちゃんの胸ポケットから鳴り響く般若心経の着メロ!


 あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ブッダぁあああああああああああああああああああ!

 てめーこの野郎許さんぞ! 時代の壁ぶち抜いて殴りに行きたい!

 ブッダよ、あなたちょっと色欲に厳し過ぎません? 風呂の時といい今といいさあ……! くそっ、これだから現実ってやつは! こんな時だけタイミング合わせてイベント起こすんじゃねーよ!


「……電話だぞ」

「……うん」


 甘酸っぱい空気、消滅。二人は気まずそうに離れる。電話の主は鏑木さんだった。校門まで車で迎えに来ている旨の連絡を受け、電話はすぐに終わった。

 畜生、これ俺の管理ミスだな。鏑木さんに悪気は無かったのだろう。連絡を見越して待ったをかけていれば今頃は、今頃はぁ!


 悔やむ間もイベントは進行する。運動靴に履き替えた二人は校門へ駆け、待っていた鏑木さんの車に乗る。そのまま荒川沿いに東京湾へ向かいながら、二人は鏑木さんのブリーフィングを受けた。後部座席にはイグも乗っている。

 鏑木さんはぴったり制限速度1.3倍のギリギリ警察に取り締まられない速度で飛ばしながら深刻な表情を作り言った。


「ボスから連絡があったわ。今回の世界の闇の出現位置は八丈島の東方沖、日本の領海範囲内。私達は三人で東京へ向けて侵攻中の仮称『超水球』の撃破に当たるわ」

「海上なのか。なんでそんな変なとこに……それに今昼間だろ」


 体によじ登ってくるイグを適当にあやしながら翔太くんが首を傾げる。燈華ちゃんも無言で頷いている。もっともな疑問だ。世界の闇は普通夕方か夜に街の人気のいない場所に現れるというのが相場だ。


「世界の闇は暴力が咎められない場所に現れるだけよ。海上はその条件を満たしているわ。本来は海はなかなか襲う獲物がいないのだけど、今回は例外ね。エンジントラブルで海流に流されてきた密漁船が飢えと乾きでモラルハザードを起こし、その暴力と狂気に世界の闇が引き寄せられ現れた。乗員は全員捕食され……今、世界の闇は全長五十メートルに成長しているそうよ」

「五十!?」


 セーラー服を脱いで戦闘スーツに換装していた燈華ちゃんが驚く。

 これまでの最大サイズが大体四メートルだから、一気に十倍以上である。インフレも甚だしいのだが、それもこれも先にインフレに手を出した翔太くんが悪いんだ(断言)。

 なんで超級世界の闇の誕生経緯がそんなに詳しく分かるんだ、というツッコミが予想されていたが、二人は驚いてそこまで頭が回らないらしい。代わりに聞かれたのはボスについてだった。


「ボスは? こういうやべーやつは全部ボスが相手してるんじゃねーの?」

「ボスは今それどころじゃないのよ。アイルランド沖で六百メートル級の世界の闇と戦っているわ」

「は……?」

「ろ、ろっぴゃく……?」


 二人は絶句した。

 うむ、六百メートルだ。現在進行形で六百メートルの水球を用意して水流ビームをばんばん撃たせ、ボスに扮する怪しげな黒ローブの人形に相手をさせ念力で殴りまくる大怪獣決戦してるぞ。ボスのアリバイ作りのための片手間自作自演なんだけどな。アイルランド沖の自作自演と、三人組の監視撮影、これから始まる人間卒業試験で俺の脳のキャパシティはけっこう限界だ。走りながら歌いつつ計算してるようなもん。


 さて事態を把握してもらったところで、最終意思確認だ。これから東京壊滅を阻止するために『超水球』を相手に人間卒業実技試験を受けてもらうわけだが、受験を辞退してもいい。

 何しろ今までとは比べ物にならない難敵だ。怖かろう、恐ろしかろう。俺だって翔太くんや燈華ちゃんぐらいの超能力練度で超水球を相手にしろと言われたら腰が引ける。非日常とは日常を彩るスパイスであって、命をかけた洒落にならない恐怖はお呼びでない、というのが俺の嗜好だ。

 翔太くんや燈華ちゃんは、自分の命をかけてでも東京を救いたいと思うのか? それとも自分の命が惜しいのか? どちらも良しだ。

 他人の為に命をかけ、それを成し遂げた時、この先の人生の支えとなる大きな自信と誇りを得る事ができるだろう。

 一方で自分の命を大切にしたいという気持ちを新たにする事も同じぐらい重要だ。未来ある学生の自殺ニュースを聞くたびにそう思う。


 鏑木さんは意思確認のために口を開いたが、言葉を発する前に翔太くんが言った。


「やべーよな。鏑木さん、作戦とかあんの? 海上戦闘なら俺が海凍らせて足場作りはできるぜ」


 学ランのポケットからチョコシガレットを引っ張りだしているイグを横目に戦闘スーツのジッパーの具合を確かめつつ、翔太くんは至極当然に戦いを受け入れていた。


「五十メートルだと炎で蒸発は厳しいよね。私にできるのは炎槍(ジャベリン)連射で怯ませるぐらい?」


 燈華ちゃんも腕に仕込んだ火力補助高圧ガスギミックの固定を確認しながら戦いを前提に言う。

 二人とも、敵を過小評価している訳ではないはずだ。自分の力を過大評価するような性格でもない。つまり素で、躊躇いなく、恐るべき脅威に立ち向かう事を決意している事になる。俺達で発破をかけるまでもなく、だ。

 鏑木さんは僅かな動揺に目を瞬かせた。


「二人とも、怖くはないのかしら」

「ん、怖いけど、東京にはお父さんとお母さんがいるから」

「仏頂面マスターもな」

「うん。私達の街は、私達で守る」


 不意打ちで頬が熱くなった。て、照れるぞ翔太くん。俺は攻略対象じゃない、好感度を稼ぐのはやめるんだ。

 それはきっと、天照の活動を通して培われたに違いない。中学生らしからぬ、大人でも早々いない強靭な精神力と善性を見せつけてくれた二人に鏑木さんは心からのものであろう笑みを浮かべた。


「そうね。私達は天照。世界の闇と戦う超能力者ですもの。立ち向かいましょう。命を賭して」


 そして超然とした不敵な笑みを浮かべキメ台詞を放った鏑木さんの鼻に、イグがチョコシガレットを突っ込んだ。

 俺は頭を抱えた。

 あ゛ー! またしても台無しィ! イグ! メッだぞ! メッ! ほらっ鏑木さんの指が痙攣してる。謝っとけ! お前人に慣れたのはいいが、慣れすぎ!


「チチチチチッヂヂヂヂヂ!?」


 二本目を反対の鼻の穴に突っ込み笑うような鳴き声を上げたイグは、次の瞬間自分の鼻の穴にチョコシガレットを突っ込まれ後部座席のシートの隙間に頭からねじ込まれていた。

 とんだコメディ時空だったが、苦笑してイグを救出する燈華ちゃんの顔はほぐれている。まさかイグは精神治療にも目覚めていた……?


 港湾部のコインパーキングに車を停めた一行は人気の無い倉庫街の陰に隠れた。イグは燈華ちゃんの戦闘スーツの胸元に潜り込む。全員黒の戦闘スーツに換装済み。学生組はほどよい緊張を保っている様子。ベストコンディションだ。


「ここからどう行くんだ? 船?」

「いいえ、ボスの力を少しだけ借りるわ。貴重なものだけど、今が使い時ね。二人とも顔を隠して」


 言われるがまま二人はフードを下ろし、太陽の意匠が刻まれた仮面をつけ顔を隠す。天照は秘密結社だ。姿を晒すとしても、その正体は秘密にしなければならない。鏑木さんも二人に倣って顔を隠し、続いて持っていた和紙製の鳥の形の紙を破り捨てた。

 途端に三人を神秘的な半透明の鳥型の膜が包む。


「うおっ!」

「え、なになになに浮いてるっ!」

「暴れないで。飛ぶわ」


 三人は強風を巻き上げ倉庫街のシャッターを軋ませながら徐々に浮き上がっていく。半透明だった鳥形の膜は黒く染まっていき、外部からの視認を防ぐ。

 そして黒い巨鳥は倉庫街の上空で方位を定め、戦闘機もかくやという急発進。みるみる内に音速を突破し、漆黒の流星となった。

 いやあ、ボス謹製のアイテム(全手動)は凄い力だな!

 ……制御辛くてしんどい。二週間前から夜な夜な練習しておいて良かった。













 東京を守る戦いは、超水球の先制攻撃ではじまった。マッハ8まで加速して急接近する黒巨鳥を、超水球の極太ウォーターカッターが撃ち落とす。射撃の威力は黒巨鳥がその身の消滅と引き換えに殺しきったが、三人は上空三十メートルほどの高さに放り出される。

 と思った次の瞬間、三人は海上の氷のイカダの上に立っていた。鏑木さんが時間を止め、時間停止範囲を調節し坂を作って駆け下りたのだ。


「でっけぇ……!」


 冷気を発し流氷の範囲を広げながら、翔太くんはいかなる力学の成せる技か海上一メートルほどの低空に浮いている超水球を見上げ三人の偽らざる気持ちを代弁した。

 五十メートル、と数字で聞くのと実際に見るのとでは訳が違う。直径五十メートル。高層ビルが殺意を持って動き出したかのような圧倒的世界の闇は、通常個体と違い黒い膜に包まれてはいなかった。膜は透明で、まるで水が意志を持っているかのよう。中心部の核も大きく、直径は一メートルはあろうかという巨大さで、鉛色に鈍く光っている。ぶっちゃけ、鉛だ。大きさと強度の関係で翔太くんの凍結剣で壊すのはキツいが、鉛の融点は327.5℃だから燈華ちゃんの炎1200℃なら余裕を持って溶かせる。チームワークだ、少年少女+αよ。


「喰らえや絶対凍撃エターナルフォースブリザード!」


 恐るべき超水球に翔太くんは足元に氷の足場を作りながら走り、拳を大きく振りかぶって初手必殺技を叩き込んだ。

 自重しないなこやつ! いや、様子見とか小手調べをしないのは戦略として正しい時もある。俺も子供の頃、特撮を見ながら光の巨人てめぇ三分しか戦えないなら最初から必殺技連射してろよ、と何度思ったか知れない。先手とって初手ブッパは正義。わかる。

 が、そう上手くはいかないんだなこれが。五十メートルだぞ五十メートル。翔太くんの一撃は一瞬で超水球の一部を凍結させ海上に脱落させたが、全体としては微々たるものだ。ネズミに噛まれたようなものである。痛いが、大して効いてはいない。もちろん反撃する。


 しかしそこは覚醒翔太くん。昔のお調子者翔太くんとは違う。攻撃が通用せず反撃が来るのは予測済みだ。エタフォを叩き込むやそのままの勢いで背後を警戒しつつ反対側に走り抜けていく。離脱を助けるための陽動であろう、燈華ちゃんが全身に炎を滾らせそれを収束し、三メートルはあろうかという灼熱の炎槍を放ってくるが、とりあえず無視。

 超水球から巨大な水の触手を出し、大きく振りかぶる。ほーら攻撃しちゃうぞー。


「くそっ、絶対凍壁エターナルガードブリザード!」


 たっぷりとった攻撃の予兆を翔太くんは正確に理解してくれた。手を触手へ向け、空気を凍結させた白い壁を創り出す。全周防御ではなく一方向へ向けた壁なのは力を集中しているからか。よほどの脅威と認識したらしい。

 うむ、準備よし。天照での実験では銃弾防御までしか検証できなかったからな。翔太くんのエタフォがどこまでの攻撃を防御できるのか、俺は大変興味があった。この際実験させてもらおうじゃないか。防ぎ損ねてもギリギリのところで軌道を変えて直撃させないから翔太くんも安全。

 まずは小手調べ。スカイツリーをペシャンコに潰す程度の弱い力で、軽ーく極太水触手をどーん。


「ぐ、お、ああああああああッ!」

「翔太!」


 水圧の暴力に呑まれ咆哮する翔太くんと、自分が割り込んでも邪魔になるだけと理解し名前を呼ぶ事しかできない燈華ちゃん。

 数秒後水触手が殴り抜けると、翔太くんは全身びしょ濡れになり肩で息をしながらも、無事な姿を見せた。防ぎきったか、やりおる。防御力だけで言えばもう人類の兵器の限界超えてるな。


 ところで翔太くん。

 その技名叫ぶのは何かな? 楽しそうじゃないか。おじさん後でじっくりと叫ぶ理由を聞かせて欲しいな!


「試してみたのだけど、時空間を操って倒すのは無理ね。厄介な敵だわ」


 走り抜けた翔太くんの位置に燈華ちゃんを連れて瞬間移動した鏑木さんが超水球を睨みながら忌々し気に言った。

 言うね鏑木さん。空間操れないのを知っている俺が聞くと前哨戦を二人に任せて見物に回っていたのが丸わかりなのだが、学生組が聞くとまるでちゃんと仕事していたかのようだ。


「少しずつ削っていきましょう。私はサポートに回るわ。二人は攻撃に専念を――――」

「すまん鏑木さん、今のでアイステロイドに負荷がかかり過ぎた。かなり痛ぇ。絶対零度は無理して後一回だと思ってくれ」


 翔太くんが口元を歪ませ台詞を遮る。鏑木さんは二人に見えないよう、非難がましい目を虚空に向けた。

 ご、ごめんなさい。やり過ぎました。これぐらいなら防げると思って、つい。俺も感覚狂ってたな。気を付けないと。

 二人とも超能力の持続時間は長いからダレない程度の中期戦を想定していたんだが、パーだよ。こうなりゃ短期決戦だ。

 鏑木さんはため息を吐いた。


「訂正、短期決戦でいくわ。私が燈華ちゃんについて瞬間火力を上げて吹き飛ばしていくから、翔太くんは防御と援護に回って」

「了解!」

「燈華、背中は任せろ」

「あら私は?」

「あー、鏑木さんも」


 バツが悪そうに頭を掻く翔太くんと俯きほんのり頬を赤くする燈華ちゃんに鏑木さんはくすくす笑い、すぐ表情を引き締めて動き出した。

 翔太くんと燈華ちゃんに削られた水(体)を海から吸い上げて回復するフリをしながら空気を読んで攻撃を控えていた超水球も、それに合わせて動かす。戦闘再開だ。


 戦闘が再開した途端、何十もの炎槍がミサイルの群れのように超水球に食らいついた。爆炎に包まれた大量の水は蒸発によりその体積を1700倍にまで瞬間的に増大させ、爆発を起こし、単純に炎で蒸発させる以上の水を消し飛ばす。水蒸気爆発である。

 燈華ちゃんを時間停止中に動かし、炎槍を作成→射出→停止→生成のループで疑似的に大量の炎槍を用意し同時に撃ち出しているのだ。一発は弱くとも、一度に大量に撃てば相乗効果で威力は飛躍的に向上する。本来なら地味で地道な数年に及ぶ反復訓練の果てにあるはずのその技をあっさり再現してしまえるのは流石時間停止能力者といったところか。


 水蒸気爆発攻撃は何度も何度も続いた。立ち上る水蒸気と熱風が凄まじい。翔太くんは攻撃の余波で溶け、割れていく流氷の修復で手一杯。流氷がなくなれば女子二人は海へドボンだ。翔太くんの修復は地味に生命線である。

 このまま押し切られてもいいんだが、やられっぱなしはなあ。騒ぎを察知した報道ヘリも映像が撮れる距離まで無謀にも(あるいは果敢に)近づいて来ている事だし、ここで一発反撃を入れよう。


 俺は体積を半分以下に減らした超水球を上空数十メートルにまで上昇させ、海面と水平に、巨大な板のように広げた。

 不審そうに攻撃の手を止める燈華ちゃんと、「ああ攻撃パターンFね了解よ」という納得顔をする鏑木さん。そして理解と反応が早かったのはやはり翔太くんだった。焦った声で叫ぶ。


「鏑木さん、全員密集! 落ちてくる!」


 言葉通り、俺は大量の海水で面制圧大瀑布攻撃を仕掛けた。時間停止を連発している鏑木さんのストップロテインは消耗し、既に44秒は止められない。せいぜい最大20秒だろう。20秒で三人全員を範囲攻撃の外まで避難させるのは無理。回避が無理なら防御するしかない。さあ、もう一度だ翔太くん。今が無理のしどころだぞ!


絶対凍壁エターナルガードブリザードォ!」


 鏑木さんと燈華ちゃんが自分の元に瞬間移動してくるや否や、翔太くんは自分達を包む白いドームを形成した。大質量の水が落下しドームを叩き壊そうとするが揺るぎもしない。大荒れの海の上に浮かぶ球形の氷塊が炎の剣に引き裂かれ、中から三人が無事に出てくる。辛そうに荒い息を吐く翔太くんに燈華ちゃんが肩を貸していた。

 そこに背後から触手で薙ぎ払い。鏑木さんは回避したが、二人は五、六メートルは吹っ飛んだ。ゲハハハハ! 油断したな、翔太くん! というか疲れ切って反応できなくなっただけか。大瀑布攻撃とこれまでのダメージで超水球が五メートルクラスまで縮んでいて、触手も相応の大きさになっていなければ即死だっただろう。


 医療用人形で散々練習した甲斐あり手加減は万全。狙い通り、翔太くんは右肩の骨を、燈華ちゃんは肋骨を三本砕かれた。

 軽く骨を砕くと言うとああ重症なんだな、といったところだが、命がけの戦闘中に骨を砕かれるというのは普通に致命傷だ。二人とも恥も外聞もなく泣き叫び悶え苦しんでいる。最早戦闘不能だ。

 戦おうという意志があろうと、激痛というものは体を勝手に動かすものだ。頭は冷静で立ち上がれ敵を見ろと全身に指示を送っていても、体は言う事を聞かず、本能的防御反応から丸まって身を守ろうとする。激痛の中でも動けるようになるためには、激痛に慣れるだけの苛烈な反復訓練が必要だ。激痛は何度経験しても鮮烈である。痛みは決してなくならない。だが、痛みの中でも動けるようになる――――これが痛覚耐性なのだと、俺は何百回というネンリキン引き千切りから学んだ。

 二人はそんな訓練は積んでいない。翔太くんは一度だけ経験があるが、痛覚耐性というものはたった一度で獲得できるものではないのだ。


 戦闘員二人がダウンすれば、直接攻撃手段の無い鏑木さんは詰みだ。

 しかし、ここで活躍するのがここまで出番ゼロだったイグである。

 悲鳴を聞きつけたイグは燈華ちゃんの胸元からひょっこり顔を出し、その小さな毛むくじゃらの手から発する暖かな癒しの白光で瞬く間に二人の傷を癒した。

 散々俺の茶番負傷と大げさな悲鳴を聞き、それに合わせてヒーリングをしてきたイグは、誰かの悲鳴や苦悶の声を聞くと半ば条件反射で治癒する習慣がついているのだ。


「ありがと、イグちゃん!」

「チチチ!」


 燈華ちゃんにぎゅっと抱きしめられたイグは嬉しそうに鳴いた。その小動物と少女の心温まる光景に容赦なく攻撃を仕掛ける鬼畜水触手を、翔太くんは海中から取り出した氷の盾で防ぐ。


「おっとあぶねぇ。鏑木さん!」 

「ええ、そろそろ限界ね」


 走り寄ってきた鏑木さんは縮んでいる超水球と、その上空の少し離れた位置に飛ぶ報道ヘリを見上げた。長引かせるとヘリを巻き込みかねないし、全員疲労が激しい。


「私も辛いです。こんな大火力を連続して使ったの、初めてで。鏑木さんとの合わせ技をあと一回が限界です」

「分かったわ。それでなんとか仕留めましょう。三、二、一!」


 鏑木さんの合図で、最後の力を振り絞った合計五発の炎槍が超水球に襲い掛かる。超水球は回避せずに受ける。

 が……一歩届かない! 威力が足りず、まだ直径三メートル分の体積が残ってしまった。

 別に意地悪で残した訳ではない。純粋に火力が足りていなかったのだ。


 鏑木さんが「空気読んで? 倒れるとこよね?」という目を虚空に向けてくるが、甘いな。

 追い詰める時はとことん追い詰めるのだ。ほら、燈華ちゃんが絶望的な呻き声を漏らして膝をついている。正真正銘最後の力だったのだ。これで勝てなければ、もう勝てない。


 だが翔太くんはまだ諦めていなかった。

 無理な負荷をかけ疲労しきったアイステロイドはもう絶対零度は繰り出せない。

 重傷からの復活で体力的にも精神的にも疲弊している。

 だが、それを乗り越えてこその主人公だ。

 翔太くんは俺の期待に応えてくれた。


 鏑木さんと燈華ちゃんを背中に庇い、翔太くんは氷の盾と槍を手に仁王立ちする。超水球の触手を盾で弾く。一撃で半壊した盾を躊躇なく捨てる。

 裂帛の気合を発し、翔太くんは両手に槍を持ち超水球へ突貫した。ランスチャージだ。

 苦し紛れの超水球の水弾を氷のように冷徹に見極め最小限の動きで回避し、炎のように激しく躍りかかる。


 乾坤一擲、渾身の一撃は超水球に突き刺さり、ランスの切っ先が核である鉛を正確に捉え、貫……


 貫き……


 貫い……


 貫か……ない!


 そうだな氷の槍じゃ威力足りてないもんな!

 俺は再び頭を抱えため息を吐いた。

 はぁ~! 信じられん、現実ってとことんクソだな! 限界超えた先の一撃なんだぞ起これよ奇跡! 鋼鉄とかチタンじゃねーんだぞ。鉛ぐらい砕いとけ! ふざけんな空気読め!


 使えねぇ神が奇跡を起こさないなら俺が起こす! 奇跡は起こりました! はい決定!

 俺は念力で鉛の核をひび割れさせ、砕いた。浮遊していた水の塊は核と共に流氷の隙間から水中に落ちていく。

 翔太くんは残心をとり水中から核が浮かんでこない事を確認した後、力なくへたり込んだ。


 全員よく頑張った。カタがついたのでアイルランド沖の超超水球も派手にぶっ飛ばして決着させておく。


 翔太くん視点では必殺技を喰らわせ、一手届かなかったかと絶望しかけた次の瞬間焦らし終えたかのように倒れたように見えるんだろうな。

 焦らした訳じゃないんだ、もうここで倒れるべきか続行するべきか悩んでいただけで。

 こうして演出する側になって分かったが、アニメやゲームでボスを倒す時によくある一瞬の間。あれは「ほんとはまだ死なないんだけどなー、どうしよっかなー、ま、頑張ってたし負けとくか!」みたいな裏側があるのかも知れない。悪役も大変だな。


 生命力まで使い果たしたのではないかというほどに疲れ切った二人をねぎらう鏑木さんが胸元から防水加工のクジラ型和紙を取り出して破ると、半透明のクジラが出現した。少し驚いた二人だが、すぐに察して目を閉じ身を任せる。


 そして三人と一匹の正体不明の超能力者達は、報道ヘリの眼下で黒いクジラに飲み込まれ、海中へと消えていった。


 お疲れ。これにて人間卒業試験、終了だ。

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― 新着の感想 ―
もし神(それこそ作者)のような存在がいたとして、メタ的な視点では演出側は本当にそんな事を悩みながら作るのかもしれませんね。
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