07話 鎮まれ俺の右腕!
濡れた体を炎で乾かし、疲労困憊で天岩戸に戻ってきた二人を俺は熱いブラックコーヒーを淹れ無言で迎えた。
燈華ちゃんはぽつりぽつりと経緯を話してくれ、それを仏頂面で口を挟まず聞く。翔太くんは隅の席にぐったりと座り溶け切った氷になっている。そっとしておこう。今は何を言っても追い打ちにしかならないだろう。
これから勉強会や訓練をしようという雰囲気でもなく、二人は暗くなる前に重い足取りで帰っていった。
俺は店に鍵をかけて居住スペースに引っ込み、現場から回収したホームビデオを再生し一人で反省会をしつつ考える。
改めて観ると負けイベ前後で翔太くんのテンション落差が激しい。イベント前はペラペラよく喋っていたのに、天岩戸に戻ってから帰るまで一言も喋っていない。消沈具合がよく分からんな。
普通に凹んでいるのか、それとも……まさか首吊ったりしないだろうな。
想像し、怖くなってくる。何しろ極端から極端に走る年頃だ。超能力を身に着け有頂天になっているところを叩きのめされ、この世の終わりが来たぐらいまで落ち込んでいてもおかしくない。
心配になってきた俺は翔太くんの帰宅経路に念力を飛ばして追い、傷心の少年の姿を探すと、ちょうどホームセンターに入っていく後ろ姿を捉えた。
まさか自殺用の縄を買ってるんじゃ!? と思ったら全然違った。化粧品コーナーをうろうろした後、カゴに入れたのは赤色の染髪料である。
何? お使い? 高橋家でそんなファンキーな色に髪染めてる人いたっけ? と困惑していると、染髪料だけ買った翔太くんはホームセンターを出て今度はファッションショップへ入っていく。そこでは黒地に炎が描かれたTシャツを買い、レジ横に置いてあったライターもごっそりまとめ買いしていた。
ここまで行くと俺でも何となく察する。黙り込んで何を考えているのかと思えば。
案の定、買い物袋をぶら下げて帰宅した翔太くんは、まっすぐ洗面所に言って買ったばかりのTシャツに着替え、説明書を見ながら染髪料で自分の髪を赤く染めた。
鏡に映るのは、無理して派手に夏休みデビューしてダダ滑りするも後に引けなくなりずるずる不良ファッションを続けている厨二病患者のような姿だ。
しかし翔太くんはライターの火をつけ、揺らめく灯を見つめご満悦である。
アイタタタタタタタ! 痛い痛い痛い! 魂が痛い! 俺ネンリキンちぎったっけ!?
「これが赤き火の心……真理だぜ」
うるせーよ黙っとけ! 炎能力者かお前は。
翔太くんが開いた危ない扉、閉まってなかった。半開きだこれ。
俺は鏡の前でライターの炎を聖火のように掲げポーズをキメている翔太くんに深いため息を吐いた。ラノベやアニメで登場するようなエキセントリックなキャラはこうして生まれるんだな。怪人を生み出した悪の組織の総統の気分がちょっと分かってしまった。軽い強化人間作ろうとしたら思ったよりすごいのできちゃって「なんやこれなんでなん困るわ」と困惑しつつも「ええやんけやったれやったれ!」みたいな。目覚めさせてしまった罪悪感半分、面白さ半分。
負けイベはやり過ぎだっただろうか。超能力を与えた事で普通の少年だった翔太くんを狂わせてしまったのだろうか。
……いや、違うか。
金、権力、筋肉。別種の力を手に入れてもきっと翔太くんは調子に乗っていただろう。今回はたまたま手に入れた力が超能力だったに過ぎない。大人になってから失敗するよりも、冗談や思い出にできる今失敗できて良かったのだ。うむ。
よし。自己正当化終了。親でさえ実の子を完全には教育できないんだ。赤の他人の俺なんてそりゃ失敗するさ。大失敗はしなかったから良しッ!
なお夕食の席に現れた翔太くんの突然のヤンキー&厨二病化に高橋家では緊急家族会議が開かれていた。
「火の真理に目覚めた」の一点張りの翔太くんに、息子が狂ったと思い取り乱しやめさせようとする高橋母と、苦しいような懐かしいような形容し難い顔で誰にでもこういう時期はあるから長い目で見よう、と取りなす高橋父が印象的でした。親御さん、正直すまんかった。
高橋家の一大事は一時そっとしておく事にして、俺は夜の間に翔太くんから引き千切ったアイステロイドの再移植実験をした。翔太くんの覚醒が強烈過ぎてしばらく忘れていた。
結論として、アイステロイドの再移植は不可能だと分かった。ネンリキンを移植する時に感じる粘着力が完全に失われているのだ。引き千切ったり細切れにしたりはできても、くっつける事はできない。故に再移植もできない。
炎と氷を操り時を止め念力を振るう多重最強能力者の誕生は夢と消えた。少し残念だったが、これで良かった気もする。念力だけでも人の身に余るオーバースペックなのだから。
一夜明けて、翌朝。
家族会議の結果はどうなったのかと高橋家の様子を伺いに念力を飛ばすと、翔太くんが布団の中で右腕を押さえて唸っていた。
なんだなんだとしばらく観察していたが、どうやら凍結能力の制御が不安定になっているようなのだ。アイステロイドの状態を念力で触って確かめてみたが、千切った傷跡は回復しかけだった。アイステロイドは時折小さく痙攣し、そのたびに冷気が溢れている。どうやら治りかけの傷が痒くなったりムズムズしたりするような症状……らしい。
俺がネンリキンを千切ってもそんな事にならないのだが、それは長年の制御訓練のお陰なのか? それとも大陸から草を一本引き抜いたところで誤差の範囲内だからなのか。特に深く考えずいつも俺が自分のネンリキンを引き千切る感覚でアイステロイドを千切ってしまったのだが、まだまだ成長初期の貧弱アイステロイドを多く千切り過ぎたのかも知れない。
うーむ、やはりもっと本格的に動物で実験しておくべきだったか。今のところ動物に応じたネンリキンの貼りつきやすさぐらいしか分かっていない。実際に移植してみて、引き千切ってみる、ぐらいはやった方がいいな。
今回のアイステロイド不調はまだ良い。一歩間違えば完全に制御を失い、翔太くんが氷像になっていたかも知れないのだ。
俺が反省していると、翔太くんはタンスから冬用のホッカイロをいくつも出してきて、それを包帯で腕にぐるぐる巻きにした。手を数度握りしめ、具合を確かめ、包帯とホッカイロの位置を調整している。
なるほど、賢い。-10℃の冷気なら、確かにホッカイロが十個もあれば能力がちょっとぐらい暴走しても相殺できる。いくら日常を守るのが天照の方針とはいえ、今日ばかりは休んでも咎めるつもりはなかったのだが。翔太くんが日常維持に熱心になってくれて俺は嬉しいぞ。極端から極端に走ってしまったが、ちゃんと反省はしてくれたんだな。
……ただ、アレだな。
その、なんというか。
今の翔太くん、くっ鎮まれ俺の右手! とか言いそう。
めっちゃ言いそう。
いや、実際本当にそういう状況なんだけど。
翔太くんはどこまで面白くなれば気が済むんだ? あんなに普通だった君はどこへ行ってしまったんだ。
登校後、いつもより五割増しでざわつく教室に不思議そうに入ってきた燈華ちゃんは、奇異の目線の集中砲火を受けている不良と厨二のハーフ&ハーフと化した翔太くんを一目見て軽く泣きそうになった。翔太くんの襟首をつかんで人気のない屋上へ続く階段の踊り場へ引っぱっていく。そして壁際に追い込み壁ドンしながら矢継ぎ早に問いかけた。
「何その恰好? 気は確か? 頭怪我してたの? 大丈夫? 読経する?」
「読経はいらねぇ。ちょっと世界の真理を知っただけだ、なんともねーよ」
翔太くんの答えを聞いた燈華ちゃんは酷く驚いた。
「えっ、悟ったの!?」
「悟ってない」
「? 世界の真理を知ったんでしょ?」
「ああ」
「じゃ、悟ったんだ!」
「悟ってない」
「…………?」
あ゛ーッ! この噛み合わない会話。
めっちゃ突っ込みたい。鏑木さんがいてくれれば。いやいくら鏑木さんでも困惑するわこんなの。
「なんかよく分かんないけど、それやめた方がいいよ。その髪絶対叱られるし、制服の下に色付きTシャツ着るの禁止でしょ」
「理解されるとは思ってねぇ。真の理は難しいからな。火の真理は俺の心が知ってればいい」
こいつむちゃくちゃ言いやがる、と俺は生暖かい気持ちで聞いていたのだが、燈華ちゃんはそう捉えなかったらしい。壁ドンしていた手を離し、少し離れて翔太くんの曇りなき眼を見て、感心したように頷いた。
「へえ、なんとなく分かった。つまり高橋も、翔太も求道者になったんだ。徳を上げたね」
燈華ちゃんは聞くべき事は聞き問題ないと判断したらしい。翔太くんの肩を軽く叩き、教室に戻っていく。翔太くんも大人しくそれに続いた。
この日一日、翔太くんは休み時間になるたびに担任や教頭に呼び出され叱られたり面談したりトイレでライターをつけて火をじっと見つめていたりしていたが、授業態度は真面目になり、一生懸命ノートを取り居眠りもしなかった。
負けイベは概ね良い方向へ実った。のだが、もうあの頃の翔太くんは戻ってこないのだと突きつけられた一日だった。なんだかなー。
さて。
いつまでも負けイベの反省をしていても先に進めない。
翔太くんの鎮まれ俺の右腕事件を通し、俺はネンリキン移植についてもっと知るべきだと知った。そのためには実験が必要だ。実際に移植し、観察し、剥がしてみる必要がある。
人体実験は流石に不味い。かといってマウス実験をしても結果をそのまま人間に応用するには不安がある。そこで俺は間をとって猿で実験する事にした。世界中にいる様々な野生の猿を念力で捜索し、ネンリキンを移植し、追跡して、変異過程・結果を観察。最後は変異した超能力原基を剥がしてその様子を観察しつつ完全に奪う。新たな力を得た猿を野放しにしておくと人間を駆逐して惑星を支配してしまうって映画でやってた。後始末はしっかりと、だ。
俺はニホンザルやニシローランドゴリラなど様々な猿の群れを追い、ネンリキンを移植し、監視観察した。
俺は情報収集に徹し、マリンランド公国公爵となって堂々の帰国を果たした鏑木さんには分析考察を任せる。ちなみに鏑木さんはたった三日会わない内に豹変した翔太くんに爆笑していた。まああんなの笑うか引くかどっちかだ。
猿達は例外なくネンリキンを変異定着させたが、自分に超能力が身に着いた事を自覚したような反応を見せたのはそのうちの2割ほどだった。
その2割のうちの9割は不思議な力に驚いて二度と使おうとせず、驚かなかった内の半分は最初は興味深そうだったがすぐに飽きてしまった。超能力を自覚し、興味を持ち断続的に行使した……つまり鍛えたのは全体の1%に過ぎない。
だが、大量の猿達にネンリキンを移植し、変異過程を観察し、触って、千切って、確かめた事で、俺は超能力原基の触感についての感覚を深めた。例えば、ネンリキンは触ると普通の筋肉のようだ。ストップロテインはカチコチと機械的に脈動していて、バーニングルタミンはぶにぶにしていて温かい。アイステロイドはよく冷やした豆腐っぽい。ザラザラしていればエレクトロキシン、ゴムのように伸びればスピードーパミン、などなど。
更には俺が口述した触感に基づき鏑木さんが細かい条件ごとに分け関連付け相関関係を出してくれたおかげで、触った感覚さえ分かれば今まで触った事のない変異超能力原基でもどんな能力なのか大雑把に推測できるようになった。
全ての実験を終えるまでに二か月弱かかってしまったが、おかげで成果は上々だ。
なお猿の超能力原基を一片たりとも残さず引きはがすときは一気にやり痛みが一瞬で済むようにしたのだが、それでも悲痛な悲鳴は抑えられず、失神者が多発。実験に無理やり付き合わせたせめてもの礼として、珍種の猿を狙う密猟者達の両手足をへし折って証拠と共に警察機構に突き出しておいた。どうせすぐに第二第三の密猟者が現れ根本的な解決にはならないのだが、猿達にひと時の平和が訪れる事は間違いない。
猿達の犠牲に感謝しつつ、俺達は今回の成果を早速生かし、今後激化させる世界の闇との戦いで絶対に必要となる、治癒系超能力者の捜索に乗り出した。




