04話 月夜見のいちばん長い日
日本の裏社会を支配する巨大ヤクザの実働精鋭部隊にして超能力秘密結社「月夜見」は、異世界出身の参謀ロナリア・リナリア・ババァニャンを擁している。
数百歳という年齢でありながら銀髪翠眼長耳幼女の姿をしているロリババァは何百もの強力な魔法を習得しており(この世界には魔力が無いので使えない)、SF作家もびっくりの先進技術に熟達している(そのうちの99.9%は必須物質がこの世界に無いので再現できない)。宝の持ち腐れも甚だしい。
他にも菜食生物であり一口でも肉を食べるとお腹を壊してしまうとか、極度の除草剤アレルギー持ちだとか、欠点も多いがそれを補ってあまりある能力を持つのがババァだ。
彼女は卓越した言語能力、人心掌握術、長寿、コウモリを上回る聴力、擬死能力、人類最高峰に比する俊敏性などなどを豊かな経験に裏打ちされた素晴らしい思考力によって十全に活かしている。月夜見の隆盛とババァの存在は切っても切り離せない。
そんなババァであるから、月夜見メンバーの信認も篤く、非常に頼りにされ、月夜見及びその母体組織月守組大親分月守剛によって大きな裁量権を与えられている。直属の部下を使い独立して動き、何かをしてから事後報告、というのも少なくない。
大親分・月守は事後報告そのものは許しているが、報告内容は必ずよく吟味し、それに応じて諫めたり、謹慎させたり、賞賛したり、褒美を与えたりする。報告を待たず現在何をやっているのか確認をとる場合もある。月守はババァをよく見定め、間違いなく信用していたが、それはそれとして確認が必要だとも考えていた。手綱を離すには影響力も行動力も高過ぎる。
そうしてババァと上手く――――親分の自惚れでなければ仲良く――――やっていたのだが、その日の報告には久々に困惑を隠せなかった。
殊更に寒さが染み入る冬の日の夜。いかにもスジ者の本拠を思わせる庭園付の古式ゆかしい日本家屋、月守邸の書斎で、月守組親分たる月守は耳を疑う報告をしたババァを見下ろしていた。
日本人には珍しい巨躯に和装を纏い右眼に眼帯をした厳つい月守は椅子にどっしり座っている。相対するババァは文机の端に手をつき身を乗り出すようにちょっと背伸びしていっしょうけんめい机の上に顔を出している。見る者は孫娘と祖父のような印象を抱くだろう。実態は逆なのだが。
しばらく考え、聞き間違いかと思った月守は尋ね返した。
「すまん、もう一度いいか?」
「我々はアトランティスに行き、奪われたアーティファクトを取り返さねばならぬ」
ババァは一字一句違わず同じ言葉を繰り返した。聞き間違いではなかった。
この若々しい老婆は知り合った頃からたびたび素っ頓狂な発言をするが、今回は記憶にある中でも指折りだった。
「アトランティスというと、あー、なんだ。ムー大陸とかのヤツか?」
「ムー大陸とアトランティスは全く別物じゃ」
うろ覚えの知識で確かめると、ババァは少しムッとした。
「ムー大陸はフランスの19世紀の聖職者シャルル=エティエンヌ・ブラッスール・ド・ブルブールによる誤訳とこじつけで生まれた妄想の産物に過ぎぬ。幼子がラクガキした火星人が実在すると信じるほどに馬鹿馬鹿しい。対してアトランティスは紀元前ギリシアの哲学者プラトンが書き残した『ティマイオス』及び『クリティアス』に記された大陸とそこで繁栄した帝国を示す。プラトンは対話形式でこういった書物を著しており、その対話は事実に基づいている場合が大変多い。ゆえにアトランティスもまた事実に基づいている可能性が高いという訳じゃ。そしてその道の研究者にとってアトランティスの実在は公然の秘密であり、前人未到ながら場所も明らかになっておる」
「分かった分かった、一緒にして悪かったよ。で、なんでまた俺達ァそのアトランティスに行ってアーティファクトを取り返さなきゃなんねぇんだ。そもそも取られたか?」
月守の記憶が確かならば、月守組が所有するアーティファクトと呼べるシロモノはババァが開発した胡散臭いタイムマシン一つのみ。そのタイムマシンも存在を知る者は少なく、奪われたという話も聞いていない。
ババァは少し気まずそうに語勢を弱めた。
「うむ、それがな。ワシはこのところウチのシマに潜り込みおった悪漢どもを懐柔しておったのだが」
「それが失敗したのか。後始末に人手はいるか?」
「急くでない、懐柔は順調に進んでおる。最終的にはアメリカの超能力系大規模新興宗教団体に強力なコネができるじゃろう……問題は彼奴に取って来させたアーティファクトでな、先日天照に襲撃され、ソイツを奪われた」
「……夜久の仕業か?」
「いいや、下手人は幹部格の構成員じゃ。それと奴はいま佐護と名乗っておるよ」
ババァに静かな否定と訂正を貰い、月守はなんとも言い難い懐かしさに佐護に奪われた右眼の眼帯を触った。
超能力秘密結社天照のボス佐護杵光と、裏社会精鋭武力集団月夜見の親分月守剛は、かつて絶海の孤島で天を裂き地を割る死闘を繰り広げた。結果は相打ちに近い形での月守の負けだ。
佐護が何を考え偽名を使い月夜見に潜入し、怪しげな暗躍をしたのか分からない。だが決して悪人ではないと月守は知っている。悪人というより遊び人、青春時代に囚われた小市民といったところだ。持っている能力が人智を超えているためとんでもない事態を起こしてしまうだけで。
「ウチの組の者を焼いて氷漬けにした挙句ウチの組の物を強奪したというのに何もせんでは面子が立たぬ」
「知らん知らん、面子なんざ立てんでいい。立てたい奴にだけ立てさせておけ」
天照は超能力者を多数抱えた強大な秘密結社だ。面子などという煮ても焼いても食えないあやふやなモノのために彼らを敵に回すのはコストが高過ぎる。
月守が椅子に背を預け腹を掻くと、ババァは物分かりの悪い子供に言い聞かせるように言った。
「しかし面子を立てねば――――」
「ああ分かってる、分かってる。みなまで言うな。昔なら本当に面子を捨てたんだがな。ウチは大きくなり過ぎた」
月守は疲れたため息を吐いた。
日本の裏社会を牛耳り、中国にも手を伸ばし始めた月守組には敵が多い。敵の多くは弱きをいたぶり強きに媚びる愚か者だ。性根が腐りきり人を痛めつけ奪う事しか考えていないならず者どもも、殴れば殴り返される、罰を受けると思っていれば殴って来ない。そうした抑止力になっているのが面子だ。
面子を失えば、殴っても反撃して来ない腑抜けだと思われれば大勢の小悪党が嬉々として殴りかかり奪いに来る。全てを撃退できても撃退のためにかかるコストは結局面子を保つためのコストよりも高くつく。
ゆえに体面を取り繕い面子を立てなければならない。
世の中の人間が全員善良ならば面子など必要ないのだがそうもいかない。月守はままならない世の中に暗澹たる思いを抱きながらババァに話の続きを促した。
「天照はアーティファクトを持ちアトランティスに向かっているという情報を得た。我々は先回りし、これを奪い返す。ついでに天照にやり返せれば上々といったところじゃろう」
「言うだけなら簡単だな。天照相手に奪い返せるか? マリンランドではどうにかなったが、また構成員が増えたって話を聞いたぞ」
「こちらも増えた。中国支部の力も借りれば不可能ではあるまい?」
「…………」
月守はババァをじっと見つめ、熟考した。ババァは底知れない翠色の瞳でじっと見つめ返し、月守の判断を待っている。
月守は決して頭は良くない。しかし人を見るのは得意だった。
佐護の性格は知っている。ババァの性格も知っている。超能力を絡めたお祭り騒ぎが大好きであるという二人の性格の共通点から、月守は今回の件に作為を疑っていた。
事の成り行きに矛盾はなく、お祭りというには手が込み過ぎている。単なる不幸な衝突、すれ違い、偶発的な事故、あるいはいずれ来る宿命にあった避けられない対決と考えるのが自然。
だが、今回の一件はいかにも二人が好みそうなシチュエーションだ。意図的に事件をコントロールしている・しようとしている可能性は十分ある。証拠はないが、前科はある。
仮に二人が月夜見をアトランティスに向かわせ、天照と対決させたいと考えているのなら、アトランティスに向かう合理的な理由を必ず用意している。佐護の計画ならば見落としがあるだろうが、ババァが噛んでいるならばそれもない。
月守は一つだけ確かめる事にした。
「ババァ」
「なんじゃ」
「この件が終わった時、俺達は笑っていられるか?」
「うむ」
「俺達ってのはお前もだぞ」
ババァはほんの一瞬虚を突かれたかに見えたが、すぐにニヤッと笑った。
「そうありたいと思っておるよ」
「良いだろう。ババァ、中国支部を全員呼べ。俺も出る。全員でアトランティスに乗り込むぞ」
中国支部の面々と合流した月夜見はイワシクジラの背に乗り太平洋上にいた。真夜中に行動を開始し、移動に時間を取られ現場に到着した今は朝になっている。
メンバーは五人と二匹。
鉄筋墓石を担いであぐらをかく筋骨隆々の大男「月守剛」。
お気に入りのカラーコーンを被り防水加工ギターでねこふんじゃったをかき鳴らしている太った男「見山響介」。
金髪碧眼忍者「Christina Najin」。
猫のために缶詰を空けてやっている「王浩然」。
それをお座りして今か今かと尻尾を揺らし待っている黒猫黛訳。
ねこふんじゃったに合わせてゴキゲンでめちゃくちゃなステップを踏んでいるトラ猫黄虎。
そして衛星通信端末と睨めっこしている銀髪碧眼ロリババァ「ロナリア・リナリア・ババァニャン」だ。
「にゃー、にゃおん。なー」
ババァが顔を上げて黛訳に話しかけると、黛訳は前脚でイワシクジラの背を軽く叩いた。
「にゃー」
「―――――――――――」
黛訳の鳴き声にイワシクジラは応え、南下をやめその場で大きく弧を描くようにゆったり泳ぎはじめる。
瞑想していた月守は目を開けた。
「ついたか」
「うむ、この真下にアトランティスが沈んでおる。天照も近くに来ているはずじゃ」
「OK! 敵は先に見つけてアンブッシュ! これに限るよねやっぱさ」
クリスは額に手をかざして朝日を遮りながら水平線上の敵影を探しつつ、これまでの道程を思い返した。
親分の招集を受け、空中を横に落下して日本にやってきた中国支部の一人と二匹は、東京で四人を拾ってそのまま一気にアトランティスの座標近辺まで横落下移動をした。身軽さと未来視を活かした奇怪な立体的三次元戦闘を得意とするクリスでさえ奇妙に感じる体験だった。
大雑把に目的地付近に移動した後は、滞空したり足場を作ったりできる能力者がいなかったため、ちょうど近くにいたクジラに黛訳が話しかけ背中を貸してもらい正確な座標まで移動。あとは天照とぶつかるのみだ。
天照にはかつて月夜見を共に立ち上げ、足抜けしていなくなったクリスの兄貴分、佐護杵光がいる。彼と対立するのは気が進まなかったが、月守に「思いっきりやった方が夜久は喜ぶ」と聞いてからは安心して思いっきりやると決めている。久しぶりに会う兄貴分に上忍(自称)になった自分を見て欲しかった。一言褒めて貰えれば最高だ。
「お、アレじゃない?」
「どれだ?」
「あの船。クルーザーかな」
クリスが指さす方向を親分は目を細めて見て頷いた。
「甲板に見覚えのある奴がいるな、間違いない。そうだな先鋒は……新入りに任せるか。黄虎、行くか?」
「黄虎、んにゃーお?」
「に」
ババァの通訳を受け、黄虎は踊りをやめた。浩然を見上げ、尻尾で足を叩く。浩然は頷き、黄虎を片手で持ち上げ思いっきり水平線の向こうへ投擲した。
重力の方向と強さを操られたトラ猫は、海面に衝撃波の白い線を刻みながら高速横落下していく。
クルーザーとの距離は瞬く間に縮まり、着弾寸前にトラ猫の姿が爆発的に膨れ上がった。
山の如き巨体が朝日を遮り、影がクルーザーをすっぽりと覆う。
前脚を振り上げた黄虎は咆哮した。
「に゛ ゃ お゛ ん゛!!!!!」
その突然のメガトン猫パンチで、クルーザーは木っ端微塵に吹き飛んだ。




