03話 最終決戦だよ! 全員集合!
私立葦ノ原学園の平均学力偏差値は、数年前理事長に鏑木栞が就任してからというもの右肩上がりだ。
かつてはありふれた学園だった葦ノ原学園だが、新しい理事長は莫大な私費を投じ底知れない人脈と交渉術で各方面に渡りをつけ大改革を成し遂げた。
老朽化が目立つ校舎は真新しく改装され、耐震工事が施された。他にも全教室へのエアコン配備、教師・清掃員・事務員の増員、冷水機の設置、全ての部活動における最新の器具の導入刷新、有名デザイナーの手による新制服、学費の値下げなどなど。
良い設備、良い教員が揃う学校は人気が出る。都内であり交通の便も悪くない。そういった学校は相応の学費がかかるはずなのだが、葦ノ原学園にはそれがなかった。都内でも珍しいほど優れた学習教育環境でありながら、公立と大差ない程度の学費で済むのだ。
当然、葦ノ原学園には受験生が殺到した。理事長就任の年には1.8倍だった高校志願倍率は年を追うごとに急上昇し、昨年度はなんと16.2倍を記録した。倍率に比例し偏差値も上がった。
高倍率を勝ち抜き入学し優れた環境で教育を受けた学生達は概ねそれに相応しい結果を残している。夏の高校野球で地区予選二回戦を突破できるかどうかという弱小だった高校野球部がものの数年で甲子園準優勝を飾るまでになった事に触れれば、他の部活動や学業方面での華々しい活躍も想像できよう。
葦ノ原学園の躍進の起爆剤であり推進剤でもある鏑木理事長は(一年ほど前に結婚して姓が佐護に変わっているが未だクセで鏑木理事長と呼ぶ者は多い)、正に功績に相応しい人間だ。類稀な美貌、美声、話術、カリスマ性、学歴、財産。正真正銘の貴族位を持ち、外国の王族と親しい関係にありながら生まれは平凡な一般家庭。むしろ中学時代まではぶくぶくに太っていて潰れたカエルのような顔面に耳障りなダミ声だったというから(本人談)多大なハンディキャップを負っていたとすら言える。
逆境を乗り越え、勢い余って成層圏まで飛んで行ったような女傑なのだ。
一方、出来過ぎたサクセスストーリーに胡散臭さを覚える者もいる。非現実的なまでの有能さと行動力を見せつけられれば何か裏があるのではと疑いもする。
葦ノ原学園中等部二年生、渡部匠も理事長を疑う一人だった。ライトノベルで一見優しく有能な学園理事長が裏であくどい事をやっている、という展開を読んだ事があったからだ。
が、先月理事長の鶴の一声により教育に良さそうなお堅い本しか置いていなかった図書室にライトノベル新刊の棚ができた事で全幅の信頼を置くようになった。あの理事長は「分かって」いる。
さて。
その日の放課後、図書室に寄って帰ろうとしていた匠は、クラスメイトの女子がコソコソ用務員室に入っていくのを見かけた。
彼女の名前は日之影三景。件の理事長のお気に入りだ。大病院の医院長の一人娘でもある。
女傑のお気に入りというだけあって、というべきか、日之影は変な逸話に事欠かない。
美術の時間にはいつも赤と黒色ばかりを使って精神を病んだような絵を描いているし、道徳の授業の命の大切さの話で先生に指名された時に「死ねばいいと思う」と言い放ったのは有名だ。人類滅亡論者だというのは同級生に知れ渡っている。
ただ、単純な頭のおかしいヤベー女でもない。
匠が風邪を引いて学校を休んだ時、日之影は丁寧に作った全授業分のルーズリーフをくれた。しかも説明役の怪物マスコットの挿絵付だ(本人曰くコモンマーモセットの絵らしい)。
忘れもしない去年の冬、防災訓練が終わった後になぜか「誰も死ななくて良かった」と呟いて本気で安心した様子だったり。
高等部で密かに男子人気を集めている三年の蓮見先輩ともどういう訳か仲がいい。
ちなみに密かではなく大っぴらに人気を集めているのが金髪碧眼美少女ナジーン先輩だ。ナジーンの顔と性格に蓮見の胸を足せば対男子殲滅兵器になる、という下品な話はよく聞く。匠も全くもって同意だった。
そんな変な話の数々のうちの一つが「日之影三景はよく用務員室にいく」だ。
用務員室は清掃員のおじいさんの部屋だ。別に立ち入り禁止にはなっていないが、誰も行かない。校長室だって入っていいけれどみんな入らない。それと同じだ。なんとなく気まずくて、場違いな感じがして。そもそも特に用もない。
ところが日之影はたびたび用務員室に行く。清掃員のおじいさんと仲が良いらしく、時間を見つけては遊びに行っているようだ。
匠は用務員室の中がどうなっているのか興味があった。別に用事は無いのだが、移動教室で用務員室の前を通るたびに「この部屋の中ってどうなってるんだろう」とそこはかとない好奇心を覚える。何事もなければ一度も中に入らないまま卒業してしまう。それは惜しいような気がした。
中の様子が気になって、匠は日之影が入っていった用務員室に足音を忍ばせて近寄った。ドアに耳をくっつけて聞き耳を立てれば、日之影と清掃員のおじいさんの声がする。何か話しているのは分かるが、何を話しているのかは聞き取れない。ただの用務員室のクセに妙に防音がしっかりしていた。
自分が入っていっても大丈夫だろうか? なんだコイツ、という目で見られないだろうか。日之影が自由に出入りしているなら同じ生徒である自分が入ってっても平気なはずだがしかし……
迷っていると、部屋の中から変な音がした。ぶおん、という、古いクーラーか何かのスイッチを入れた時のような駆動音? だ。
駆動音はすぐに消え、同時に話し声も消えた。
気付かれたか!? と焦った匠はドアを開けられる前に先制ノックをした。先に開けられ聞き耳を立ててたのがバレるより、まだ自分から殴り込んだ方が傷は浅い。
しかし数秒どころか数十秒待っても反応はない。訝しみながらもう一度ノックする。やはり反応はない。
匠は失礼します、と恐る恐る声をかけ、そっと用務員室のドアを開いた。
用務員室はこじんまりとした小さな部屋で、モップやバケツ、ハタキ、ワイパーなどが並んだ掃除用具置き場の他に冷蔵庫やテレビなどの家電が揃っていた。流石にベッドは無かったが、ここで暮らしているのではと思えるぐらい快適そうだ。空調も利いている。
しかし露骨に欠けているモノがあった。
誰もいないのだ。
匠は日之影がこの部屋に入っていくのを見た。ついさっきまで話し声も聞いていた。
しかし日之影の姿はどこにもない。日之影と話していたはずの清掃員のおじいさんの姿もない。
混乱した匠は部屋を見回した。出入口は匠が入ってきたドア一つだけで、他の部屋に繋がる扉はない。
人が隠れられる場所といえばロッカーの中ぐらいで、中に隠れていたらワケが分からないし怖すぎる、と戦々恐々としながら思い切って開けてみたが誰もいなかった。
では、二人はどこに消えたのか?
不可解な謎の答えは窓しかなかった。
窓は閉まっているが、鍵は開いている。横幅60cmぐらいの窓で、大きくはないが人の出入りは可能だろう。
理由は分からないが、二人は窓から外に出て行ったのだ。
一体どうすればそんな事になるのか分からない。しかし状況から考えてそれ以外にあり得ないから、そうなのだろう。
そして用務員室にはもう一つ謎があった。
ドア枠のような銀色の金属製の置物だ。大きさは正にドアを嵌めればちょうどいいぐらいで、壁際にぽつんと置いてある。
実用品にしては用途が分からないし、観賞用の芸術品にしては質素過ぎる。指紋認証ディスプレイとパスワード入力用らしいキーパッド、カメラレンズ、小型マイクなどがついているからセキュリティ系の何かなのだろうという事しか分からない。妙な駆動音を立てていたのもコレなのだろうか?
触らぬ神に祟りなし。好奇心より薄気味悪さが勝った匠はそれ以上深く探りは入れず、なんとなく人目を気にしながらコソコソ用務員室を出た。
それが匠が人生で体験した一番不思議な出来事だった。
日之影三景は転移ゲートを通り南極地下大空洞魔法城内酒場にやってきた。数秒遅れて後ろから狭間空重もやってくる。
酒場には既に佐護栞以外の全員が集まっていた。
秘密結社のボス、佐護杵光はいつも通り何が楽しくて生きているのか分からない不愛想な仏頂面でワイングラスを磨いている。
蓮見燈華は腕にイグを乗せモンキーフードをあげながら耳元で優しくお経を囁いていて、チョコシガレットをふかし甘い煙をモクモクさせる高橋翔太は、楽しげにニコニコしたアーマントゥルード・ベーツ公女殿下にペラペラ英語で話しかけられたどたどしく答えている。
他のメンバーから離れた酒場の隅にひっそり座り、膝の上に塗装が剥げかけ使い込まれたマシンガンを乗せじいいいぃっとボスの動きを目で追っている女の子は初めて見る。小麦色の肌に栗色の髪をしていて、砂っぽい戦闘服が生来の可愛らしさを凛々しさに変えていた。彼女が中東の小国、マールスタンの支部長メドゥ・サグロゴに違いない。
なお、ドイツ支部のアーデルハイト・ウンタースベルガーは友達の誕生日パーティーに出るため欠席。アメリカ支部のポーラ・ポートはピザを焼くから欠席だ。
「マスター、いつもの」
「…………」
カウンターに寄りかかった三景が頼むと、冷蔵庫がひとりでに開き牛乳が飛び出し、棚のグラスと白い粉が宙を舞い、たちまちミルメークいちご味が出来上がった。そこにマスターが手ずからココアパウダーで液面に髑髏の絵を描いて完成だ。名付けて「人類滅亡いちご味」である。
いつもならすぐにストローを刺して飲み始めるそれを持って三景は酒場の隅に向かった。
新入りに構ってやるのも先輩の勤めだ。
牛乳パックを振って残量を確かめているボスをあやしげな目で見つめているメドゥの前にグラスを突き出すと、彼女は虚を突かれた様子で目を瞬いた。
「飲む?」
「××××、ワタシに?」
声をかけると、メドゥは訛りのキツい日本語で困惑した返事をした。
「いらないなら私がのむけど」
「ホシイ!」
「あ、うん」
目の色を変え急に大きな声を出したメドゥにちょっと引きながら、三景はグラスを手渡した。
「佐護様の×××××……」
うっとり呟いたメドゥの反応は異常だった。変態と言ってもよい。
受け取ったチープな飲み物を何百万円もする超高級ワインでも扱うように捧げ持ち、ポーチから小瓶を取り出して少量注ぎ移し大切そうにしまった後、一口飲んでは身震いして、もう一口飲んではうっとりため息を吐いて、挙句の果てにびくんびくんと痙攣しはじめた。
「きっも……!」
ドン引きして口にも出てしまったが、メドゥは人類滅亡いちご味に夢中で耳に入っていない。
関わらないようにしよう。心に決めた三景はそそくさとその場を離れ、長ったらしい名前のカクテルをドヤ顔で注文してボスを困らせている空重の尻を蹴りに行った。
しばらく待つと、酒場の入り口の転移ゲートが開き、秘密結社天照の副官・佐護栞が姿を現した。今日はポップな花柄の浴衣を着て冬なのに夏祭り風の装いだったがもはや誰も突っ込まない。
「お待たせ、始めましょう。殿下はこちらをどうぞ。メドゥちゃんは×××、×××××××××」
栞は日本語カタコト勢にそれぞれの母国語で書かれたプリントを配り、テキパキと予定されていた会議を始めた。皆姿勢を正し、静かになる。
「この前回収してもらったアーティファクトなのだけど、調べた結果、杵光さんと世界の闇の繋がりを断ち切り分離させる能力があると分かったの。厳密には概念切断能力なのだけど」
「ほう……概念切断とはやりおるわ。もう三十も若ければ儂の能力で事足りたのだが。全く歳は取りたくないものだ」
すかさずイキった空重は全員に無視された。
「んじゃソイツを使って世界の闇を燃やし尽くせば俺達の戦いは全部終わるワケだな?」
「いいえ、少し話が面倒なのよ」
翔太が確認すると、栞は困り顔でポケットから半透明のプラスチックケースに入れた石型アーティファクトを出して見せた。
「このアーティファクトを使うと無差別に概念的な切断がされるようなの。この何日かで実験をしたのだけれど、切断されたモノは浮いたり認識できなくなったり塵になったり壊したくて仕方なくなったり、効果が安定しなかった。杵光さんと世界の闇を断ち切る、望み通りの結果を引き出すためには効果を安定させる必要があるわ」
「でも、どうやって?」
おつまみピーナッツを栞に投げつけようとしているイグを押さえながら燈華は首を傾げた。
三景はまた鐘山テックあたりにそういう技術を開発させるのだろうと思ったが、栞の答えは違った。
「このアーティファクトは長い時を経て人から人へ渡ってきた物なのだけど、製作された土地、生まれた場所に戻せば効果が安定するわ。他のアーティファクトもそうだしね。だから『そこ』に持って行きさえすればいい。ただ問題もあって……このアーティファクトを持っていた組織の裏に月夜見がいたようなの」
ああー、と、燈華と翔太が同時にめんどくさそうな声を上げた。
「また争奪戦になるかも知れないわね」
「月夜見……?」
話についていけない三景が首を傾げると、翔太が小声で教えた。
「月夜見ってのはコゲ臭ぇ超能力秘密結社だ。前にも邪魔された」
「ふぅん。ウチとどっちが強い?」
「そりゃ俺達に決まってんだろ。あっちに炎使いいねぇし。たぶん。金髪忍者とカラーコーン被ったギターデブとロリババァはいるけどな」
「は? 忍者とカラーコーンと、何?」
耳を疑う取り合わせに脳が停止した。芸人集団か何かなのか?
叩き込まれた意味不明情報を呑み込もうとしていると、隣で空重が呟く。
「まあ、素戔嗚よりは御しやすいと考えるべきだろうよ」
「スサノオ?」
「流石の翔太君も知らんか。素戔嗚は儂が若い頃に戦った裏社会の超能力秘密結社でな、」
「あ、いつものな分かったそれ以上はいい。黙っといてくれ」
話を遮られても空重は「まだこの話は早かったようだな」と寂しそうに言い余裕の表情を崩さない。三景はこの老人の堂々とした部分を尊敬していたが、見習おうとは全く思わなかった。
続いて栞は地図を取り出し、テーブルの上に広げてアーティファクトの産地に赤印をつけた。全員が地図を覗き込み、全員が困惑して唸ったり首を傾げたりする。
印がつけられたのはどう見ても海のど真ん中だったからだ。
「Sea?」
とりわけ何も分かっていない様子の殿下の言葉に栞は微笑んだ。
「海というか、厳密には海底ね。この場所には別名があるの。たぶん、皆も知っていると思うわ。つまり――――」
栞は心なしかウキウキと言った。
「アトランティスよ」




