01話 とにかく拷問だ!
ルーベン・ルーニーが所属する月の兄弟団(Brotherhood of Luna)は月の智慧派(Lunar wisdom)の後継団体である。残党、分派とも表現できるだろう。
月の智慧派は教祖たる大導師ジョン・サンジェルマンによる悪事の暴露を受け、組織の中核を成す主要幹部の大多数が自首あるいは拘束された。一方で一部は司法取引で逮捕を免れたり、疑似的脱会で無実を装ったり、あの手この手で自由を手にした。
月の智慧派がニューヨークにて衝撃的空中分解を起こしてから既に半年が経過している。法の網の目をすり抜けた狡猾な者達が水面下で再集結するには十分な時間だった。
とはいえ強力な指導者を失い、協調性を欠いた残党に元のような団結はできない。再起を志す同志の人数は定かではなく、些細な思想の違いで反目し合い、ただでさえ弱った残党は分裂分派し更に勢力を弱めた。
事実、半年前の悪夢以降バウンサーを恐れアメリカを発ち日本に潜伏したルーベンが月の兄弟団に勧誘されたのはほんの一ヵ月前。月の兄弟団の構成員数は十数人と少ない。復権に尽力するどころか組織の維持と残党狩りから身を隠す神経を削る隠蔽だけで精一杯だ。
その組織維持、隠蔽、残党の回収と吸収ができているのは月の兄弟団の元締め、コードネームを「リトル・エルフ」という小導師の功績である(大導師の座は空位とするのが残党の共通認識)。
リトル・エルフは正体不明で、ネット越しに指示を出す謎めいた存在だ。年齢、国籍、性別、全て隠されている。だがその指示は分かりやすく的確で、目に見える効果を上げていた。リトル・エルフにより脱した窮地の数は片手の指の数では収まらない。その確かな実績が故に顔も分からないながらも構成員の全幅の信頼を得ていて、当面のリーダーと仰ぐのに誰も不満はなかった。
ルーベンも当然そう考える。リトル・エルフに任せておけばまず間違いはない。
月の智慧派は『超能力開発による明るい未来』を標榜していたが、月の兄弟団が掲げる目標は少し違う。『超能力者による神の国創世』である。『明るい未来』を『神の国創世』と解釈し、元の大義は具体性を増すと共に変質していた。
超能力に目覚めた新人類達が力を合わせれば、地上に神の国、即ち天国を創造するのも可能だ、というのがルーベン達の考えである。
人類はあまりに不完全で脆い。より完全で強力な存在が問題だらけの世界を正し導くのは当然ではないか?
さて。ルーベンは表向きは外国人労働者として勤勉に働きつつ、夜な夜な超能力者を探していた。世界には自称超能力者の紛い物が多すぎて、本物を見つけるのは容易ではない。だが間違いなく実在はするし、かつて大導師は超能力者捕縛にあと一歩のところまで迫ったと目されている。本物の超能力者を見つけ、仲間にするのは可能だ。
超能力者を仲間にした後は大導師を解放するもよし、実例を基に超能力覚醒実験や移植実験を行い勢力拡大に努めるもよし。
とにもかくにも、まずは超能力者を探し当てなければ話は始まらない。
その夜、ルーベンは東京郊外の借家の地下室で超能力者と関係がある可能性があるらしい少年少女を拘束し拷問にかけようとしていた。
一人は小柄な少女で、もう一人はがっしりした体格の青年だ。二人とも頭にズタ袋を被せ両手足を縄で縛ってあり、今は更に薄暗い地下室の椅子に縛り付けられている。
二人が何者なのかルーベンは知らない。捕縛しハイエースで拷問室まで送り届けてきたのは別の人間だからだ。リトル・エルフからは拷問して超能力者についての情報を引き出せ、としか指示されておらず、余計な探りを入れるのは禁じられている。顔を見るな、名も聞くな、ただ超能力についてだけ情報を引き出せ、という指令である。
これはNeed to knowの原則――――知る必要のある事だけ知れば良い、という考え方に基づく判断だ。
リトル・エルフは秘密主義である。例え構成員であろうと月の兄弟団の全容は知らない。リトル・エルフ本人も意図的に自分が把握していない部分を作ってると言っているほどだ。月の智慧派がたった一人による情報開示で一気に瓦解した事を思えば情報制限は正解なのだろう。
だからといって何も知らされずワケの分からない仕事をやらされるのに不満を感じないではない。
古びた神社の拝殿に安置されている変わった色の石を盗まされたり、ネットオークションに出品されてる出所不明のアンティークカップを落札した挙句破壊する任務を言い渡されたり。ルーベンには意図を掴みかねる指示もこれまで多々あった。
が、同時に後々不可解な指示の意味が分かり納得させられる事も少なくなかった。
その点、今度の任務、少年少女の拷問は意図が分かりやすい。リトル・エルフがどのようにして彼彼女が超能力に関係していると睨んだかは不明ではあるが、拷問して超能力に近づけるなら是非もない。有象無象のガキが苦しもうが死のうが憐れみなど欠片も感じない。
ルーベンは椅子に縛り付けられ沈黙する少女を横目で伺いながら、リトル・エルフから渡された拷問マニュアルのページを捲った。青年の方の拷問を担当している同胞のマイケルもマニュアルを確認し始める。
可愛らしい丸文字にポップな挿絵付の拷問マニュアルによると、まずは対象者に焼きゴテによる苦痛を与えるのが定石らしい。
なるほど、先に部屋にいたマイケルがガスコンロで焼きゴテを熱していたのはそれが理由か、とルーベンは納得した。
ルーベンがマニュアルを机に置いて焼きゴテを手に取ると、マイケルも焼きゴテを持った。どちらからともなく頷いて各々の尋問を始める。同じ部屋で拷問をするのは、悲鳴がよく聞こえた方が心が折れやすいだろう、との判断だ。
「おい、超能力について知っている事を吐け」
「…………」
「言葉は分かるな? 吐け」
「…………」
「そうか。吐かなかった事を後悔させてやろう」
短いやりとりの後、ルーベンは躊躇なく焼きゴテを少女の二の腕に押し当てた。
すると恐ろしい事にたちまち少女は苦痛に身をよじらず、肉の焦げる生々しい音がせず、鋼鉄製の焼きゴテは少女の肌に触れた部分からドロドロに融解し床に滴り煙を上げた。
「!?」
ルーベンスは驚愕し、先端が熔け落ちた焼きゴテをまじまじと見た。
一体何が起きたというのか? 焼きゴテを加熱し過ぎていたのか?
しかし鋼鉄はガスコンロの熱で熔けるモノだっただろうか……?
混乱して隣で青年を拷問中のマイケルに声をかけようとすると、マイケルも自分の焼きゴテをまじまじと見ていた。
「おいマイケル、どうした?」
「いや、その……焼きゴテが凍った」
「凍った? そんな馬鹿な」
よく見ればマイケルの焼きゴテには白い霜が降りていて、うっすら白い冷気が出ていた。
白い霜が降りた焼きゴテと先端が熔け落ちた焼きゴテを突き合わせ、二人は顔を見合わせ沈黙した。これは一体……?
異常事態を脳が理解し事態を把握する前に、更なる異常がルーベンとマイケルの前に現れた。
虚空から黒いモヤが滲み出て、ステッキを持った仮面の老人が悠々と現れ床に置かれたガスコンロに躓いて転んだのだ。
目を剥く二人の前で仮面の老人は何事もなかったかのようにすっくと立ちあがり、先週ルーベンがリトル・エルフの指示で回収したばかりの妙な石コロをハンカチで持って見せ、一言言った。
「二人共、囮ご苦労。無事回収した。制圧せよ」
何が何やら分からないまま、ルーベンは燃え盛る紅蓮と凍える白銀の暴威に殴られ気を失った。




