12話 月に吠える
ロナリア・リナリア・ババァニャンはエンジニアであり、後方支援要員である。戦闘もできるが主役は張れない。来る決戦の日においては王家に残留し、浩然の外出を怪しむであろう両親を誤魔化す役割を請け負った。休日に家で勉強せず長時間の外出をする、というのは十分怪しむに値する。
七条河市の猫界を脅かす世界の闇、そして世界の闇が憑りついたホームレスおじさんとの因縁に決着をつけるため。浩然は休日の朝早くに届いたクスリを早速キメて一ヵ月も昔に逃げ去った男の追跡を開始した。全員基礎能力は成長限界に達し、戦闘能力の面でも準備は凡そ整っている。
たった二ヵ月の間に超能力を身に着け錬磨し修羅場を潜り抜け、形容し難い超能力者特有の感覚に慣れ密かな優越感を抱いていた若き俊英は新たに開かれた感覚に世界の広さを知った。
モノに触れるだけでそのモノが「視て」いた過去二ヵ月分の情報を一挙に取得し当然のように理解できる……クスリによって一時的に得たのは凄まじい能力だ。
浩然はソーシャルゲームを通して情報の強さを身に染みて知っていた。情報は単体では敵を倒せないし金にもならないが、あらゆる行動の効率を何倍・何十倍にも跳ね上げてくれる。モノに触るだけで二ヵ月分の情報を全取得という能力は情報屋が憤死するレベルの脅威と言える。
この能力を扱う超能力者が所属しているというのなら、なるほど月夜見が日本の裏社会を牛耳っているというのは真実なのだろう。底知れない裏社会の秘密結社――――何をしてくるのか予想もつかない超能力者集団を敵に回す可能性があったと思うとゾッとする。
浩然は月夜見の身内になって良かったと心底安堵した。
好奇の的だった件の公園も日数が経つと見張りの警官も野次馬も消え立ち入り禁止のテープが張られるのみになっていて、辛うじて破壊されず残っていたベンチに触れ情報を辿るのは容易かった。
ベンチの記憶からホームレスおじさんを辿る。道路標識や郵便ポスト、マンホールの蓋、店の壁などに触れて記憶から見えるホームレスおじさんの行く先を繋ぎ追跡していく。
不意の遭遇戦に備え、浩然は改造バイクに乗って黛訳をライダージャケットの懐に入れ、黄虎を足の間に置き、喵喵三合会の鴉達に空から追従させ、黛訳の号令で付近の猫が集合するよう手配し万全の構えだ。
なお、浩然が乗る改造バイクは免許が必要ない。
バイクの規格は排気ガス量によって定義される。排気ガス0ccのバイクはつまるところ単なる自転車だから、当然免許も不要だ。排気ガス量が一定以上の原動機が付いている自転車を運転する場合に初めて免許が必要になる。
超能力者の血液やその精製燃料によって稼働するババァニャン謹製のバイクはエンジンを汎用PSIドライブに換装しているため排気ガス排出量0ccで、法的には免許不要。従って公道を堂々と運転していても罪に問われる謂れはない。
もちろん一見して銀色に塗装されただけのバイクにしか見えないから、年齢を咎められ停車と免許提示を要求される事はあるだろうが、浩然にとって無免許運転(?)の逃げ道が用意できているというのは大きな安心材料だった。
頻繁にバイクを停めて道端のモノに触れる必要があったため、ホームレスおじさんが七条河市街に出た事を突き止めるだけで二時間もかかった。てっきり街のどこかに潜伏しているものとばかり思っていた浩然は、最悪発見まで何日もかかるかも知れないと気合を入れ直した。
ババァニャンが三日まではなんとか親を誤魔化すと言った時は大袈裟だと思ったが、存外ロリババァの知恵と慎重さは侮れない。
街を出る前に浩然は幹部猫二匹と相談し、黛訳及びその直属七匹七羽以外の雑兵を解散させた。
喵喵三合会に所属する猫と鴉にも日々の生活があり、慣れた地元を離れるのは抵抗がある。縄張り周辺での数時間の手伝いならいざ知らず、数日に渡る長期戦に付き合わせる事はできない。
せめて住処や食事を補償できれば無理も効くのだが、喵喵三合会にそこまでの財力・組織運営力はない。信頼関係も薄い。
特に忠誠心が篤かったり気のいい性格をしている七匹七羽の随伴が現実的な線での限界だと浩然は判断した。
名前も知らないおじさんのためにどうしてこんなに奇妙で地道な追跡劇をしているのだろうと時々正気に戻りそうになりながらも浩然は探索を続ける。
七条河市にはその名の由来になった七本に枝分かれした川が流れ込んでいる。そのうちの一本を遡上する形で北進し、やがて山道に入った。
紅葉も散り始め澄んだ秋空が垣間見える樹冠の下に入ると、ライダージャケットのポケットに猫を突っ込み、足元に猫を置き、胸元に猫を入れ、首に猫を巻き、荷台に猫を置き、リュックから猫の顔を出させた猫まみれのツーリストを奇異の目で見てスマホのカメラを向けてくる人と遭遇する頻度はグッと減った。
街中でもそうだったが、山道に入るとホームレスおじさんの逃走経路の特徴が顕著になった。障害物をほとんど無視して一定の方角に向かっているのだ。街を出た浩然くんは逃走する方角と距離にある程度アタリを付けて追うようになり、追跡効率は上がった。
やがて朝早くから始まった追跡は正午を過ぎ、中国国内からロシアとの国境に差し掛かる。能力が見せるホームレスおじさんの記憶の幻影は国境の向こうの森の中へと消えていた。
密貿易や無免許運転を是とする浩然も流石に躊躇した。パスポートもビザも無い浩然は国境検問所を正式な手段で抜ける事はできない。両親が説明もできない理由による海外出国を許すはずもなく、悠長に出国に必要な手続きを踏んでいたら追跡に使える痕跡が消えてしまう。
浩然は束の間躊躇い、しかし国境の概念を他の猫の縄張りに入る程度にしか理解できない猫達にみゃおみゃお鳴かれ、やれやれといった風情で不法入国を決意した。
必要とあらば警戒しつつも法や規則をあっさり破ってしまえるのが浩然のアウトロー気質をよく表している、とはババァニャンの談だ。
中露国境には鉄条網が敷かれている。検問所のある主要幹線道路周辺ほどしっかりした作りではないが、それでも定期的な点検は欠かされず監視カメラも設置されている。鉄条網には電流が流れ、人間が見つからずに通り抜けるのは容易ではない。
ババァニャンに電話で相談したところ、ホームレスおじさんの逃走方向と密入国の難易度から考えるに、山に分け入り道なき道を行く事を覚悟しなければならないという話になった。整備・舗装された道は警備が厳し過ぎる。
道理だ、と思った浩然は、もし国境警備隊に捕まっても死刑にならない事をしつこく確認し、月夜見が最悪国外逃亡先になってくれる事を念入りに確かめてから密入国に踏み切った。
猫を車体から降ろし、重力ダイヤルを0に合わせ重さを消したバイクをひょいと担ぎ、浩然は公道から逸れ森に入った。猫の嗅覚と注意力を頼りに人間が使っていないルートで北進し、国境のフェンスに到着する。
人の往来は限りなく少ないポイントではあるが、監視カメラはしっかりあった。堅実に視界をカバーし合っていてカメラの死角はなく、故障も望めない。
浩然は単純な一計を案じた。
鴉達に監視カメラを遮る形で縄張り争いを装った空中喧嘩をさせ、その隙に重力を操りジャンプしてフェンスを越え、ロシア領側の森に素早く姿をくらましたのだ。
野生動物がカメラに映り込むのはよくある事。怪しまれるはずもなく、一行は至極あっさりと密入国を果たした。
山に入ると間もなく日が落ち、急激に冷え込んだ。標高が高くなるにつれ更に寒くなる。
山は標高が100m高くなる毎に1℃気温が下がる。中露国境に横たわる山系は1000m級であり、最大-10℃は覚悟しなければならない。季節は秋も深まる11月。耐寒を失念していた浩然は懐に入れた黛訳の温もりで耐える。
幸いにして満月の夜だったため、木々の隙間から差し込む月明かりで辛うじて足元は見えた。能力で痕跡を見、鴉と猫に方角を確かめてもらい先に進む。
重くは無いが大きなバイクは時々木の枝に引っかかり露骨に邪魔な荷物になっていた。だが森の中に置いていったら二度と見つけられないだろう。持って行くしかない。
登山に疲れ足が重くなり夜も更けた頃、一行は廃村に到着した。
浩然は知る由もない事だが、そこはロシアの企業主体で再開発が行われるも失敗し、数年前に住民の消えた村だった。
古ぼけた廃ビルには蔦が絡みつき、建設中断のまま放置されたペンションにかかったブルーシートが半分破れ寒風に揺れている。朽ち始めた民家の屋根と雑草に覆い尽くされた畑にはうっすらと白雪が積もっている。
廃村の錆びた給水塔に触れた浩然は、野人の如く正気を失った様子で村をうろつくホームレスおじさんの姿を幻視した。どうやら野生動物を狩り、村を根城にしているらしい。
現在、彼は屋外のドラム缶に廃材を詰め焚火をし、焦点の合わない目で虚空を見つめぼんやりしていた。ヒゲは伸び放題で、元々ボロボロだった服も土や草木の汁で汚れきっている。
黛訳の指揮で、鴉達が催涙弾を足で掴み上空に舞った。
殺さず苦痛や生存本能を刺激して正気に戻す、となると、浩然が考える限りこれが最も安全で確実性が高く手っ取り早い。家より大きな巨人と正面戦闘など正気ではない。黄虎は仕掛ける前に話したがったが、黛訳に説き伏せられ渋々引き下がった。
茫洋としていた男は頭上から催涙弾が投下された瞬間、まるで全てを知り待ち構えていたかのように素早く反応し、黒いモヤを滲ませたちまち巨人化した。催涙ガスは巨大化に伴う突風で容易く吹き消される。
「あーあーあーあーあー。もう正気じゃねぇな。いけっ、黄虎!」
頭を掻いた浩然がバイクにまたがって叫び、足元の黄虎を掴みぶん投げる。空中で巨大化した黄虎は、地響きを立て着地した。
黄虎の巨大化能力は驚くべき規模に達していた。
成長回数20回。巨大化率3325倍。日本のスカイツリーより高い。
「 に ゃ お ー ん !!!」
月を背後に山の尾根を尻尾で薙ぎお座りする黄虎は、大気を震わせる勇ましい鳴き声を上げた。四足前傾姿勢で巨体を引き絞り、自分と比べて鼠サイズの黒巨人に襲い掛かる。
一歩踏み出すだけで地鳴りが起き、老朽化していた家屋が倒壊していく。前脚で大木が粉砕され、後ろ足で蹴られた地面に大穴が空く。猫並の俊敏さで山が動いているようなものだ。
速度と質量が掛け合わされた猫パンチは核爆弾級の威力。狙うのは頭部だ。公園で頭を吹き飛ばしても無事だった事とババァの見識により、黒巨人の核は腹部にあると考えられている。
頭部に感覚器があるのは公園での戦いから明らかであるから、まず頭を吹き飛ばし、四肢を抑え、マウントポジションから腹パンを連打すれば世界の闇もたまらず逃げ出すだろう。
ところが、黒巨人は自分の体と同じぐらいの大きさの巨大な猫の手を片手で止めた。衝撃が伝播し巨人の足元の地面が陥没し亀裂が走るが、黒巨人の身体は非生物的なまでにびくともしない。
「止めたァ!? 馬鹿な! やばい逃げ……っ……くそっ!」
反射的に逃げようとする浩然だが、パイプ爆弾を咥えた猫軍団が巨人の足元に勇敢に駆けていくのを見てバイクのエンジンをフルスロットルに入れ急発進した。
黒巨人は腕を触手に変化させ、肉球に絡みつき引かせない。どころかずるずると触手を伸ばし前脚を這い上るように侵食していく。
その足元で、数十本のパイプ爆弾が炸裂した。人間相手ならいざ知らず、10m超えの巨人にとっては精々爆竹程度。注意が逸れれば儲けもののと想定していたが、なんたる幸運か、黄虎と完全に拮抗していた巨人が体勢を崩す。
その隙に音速でバイクを駆る浩然が巨人の足元に指先を触れ走り弾丸のように走り抜けた。
途端、巨人が膝をつく。黄虎の猫パンチに耐えた巨人も突然17倍になった重力には耐えられなかったらしい。
「時間がない! 畳みかけろ!」
「にゃん!」
黄虎の巨大化時間は残り数秒しかない。主戦力が落ちたらいよいよ打つ手がなくなる。一気に攻め切るほかない。
浩然の加重支援を受けた黄虎の打ちおろす猫パンチが巨人に着弾すると尋常ではない激震と爆音が轟いた。大地が揺れ、一拍遅れて近くの山の崖の一角が崩落していく。
比喩ではなく災害級の一撃だ。
土煙の中、黄虎の巨体がするりと消える。制限時間切れだ。
息をひそめ天に祈って見守る中、ゆっくりと土煙が晴れていく。
隕石が落ちてもこうはならないだろうというほど深いクレーターの底で、一人の男が倒れている。
男の身体から夜より暗い闇が弱々しく滲み出る。
まさかまだ足りなかったとでも?
浩然と猫達は身構えたが、男の震える手が闇を掴み、握りつぶした。
闇は苦しげにもがき宙に解けて消えた。
黄虎が喜びに鳴きながらクレーターを真っ先に駆け下りていく。
それを見送り、浩然は脱力してため息を吐いた。
これだけの戦いで助けられたのはおじさん一人。美少女ならやりがいもあったのだが。
全く割に合わない。だが、おじさんに優しく撫でられ喉を鳴らしている黄虎を見ていると、まあいいか、と思えた。
こうして七条河市の猫社会を巡る騒動は終わりを告げた。




