06話 save the cat
トラ猫兄貴に先導され、俺は港湾部にある今北産業の貸倉庫裏にやってきた。
今北産業は七条河市の貿易企業だ。
貸倉庫や貸しコンテナ業を中心に儲けており事業規模は中堅程度。
密貿易に利用する可能性がある企業リストに入っていたから覚えている。
「に」
トラ猫兄貴が立ち止まり、座り込んで顎で室外機の上を指した。熱を持った室外機の上には一本の安物ソーセージが転がっている。
はあん? なるほどね?
冷蔵が必要な物を保管している倉庫に備え付けられたエアコンの室外機は常に熱を持っている。何かを温めるにはもってこいだ。室外機の雨よけだろう屋根もついていて、コンクリートで固められた土台のおかげで地面より数センチ高くなっているので水たまりが侵食してくる事のない乾いた足元が確保できている。寝床だろう、猫の毛まみれの破れたボロ毛布まで敷いてある。
野良猫が拠点にするにはもってこいと言えるだろう。
「いただきます」
「に゛!?」
小腹が空いていたのでありがたくソーセージに手を伸ばすとトラ猫兄貴は驚いて飛び上がった。そうなんすよ、俺喋れるんすよ。黛訳の翻訳能力血清の力を借りてだけども。
「人間が喋ったらダメか」
「にー……くるる、にゃん?」
「バレたか」
「にゃーん」
なに見破ったりみたいな声出してんすか兄貴。自分で言っておいてなんだけど猫判定ガバすぎない?
猫語喋ったらみんな猫かよ。そんなワケがない、猫語ぐらい誰でも……喋らないな。
猫語喋れば基本猫だったわ。俺も自分の事を人間だと思っているだけで本当は猫だった可能性がある。無いか? 無いな。
ほんのり人肌ぐらいに温かくなったソーセージを取って室外機の横に座り込む。倉庫の壁を背もたれにすれば、胡坐をかいた足の間にトラ猫兄貴がするりと入ってきた。は? なんだテメー撫でるぞ。
「これ賞味期限は?」
「にゃ?」
「あー、分からないならいい」
猫が賞味期限なんて概念を知るはずもなし。
ビニール包装はされたままだけどバッチリ猫の歯形ついてるし衛生面が心配だ。
しかしまあ食っても死にはしないだろう。
ソーセージをもっちゃもっちゃしながら俺はトラ猫兄貴の身の上話を聞いた。
トラ猫兄貴の名前は黄虎というそうだ。誰かに名付けられた訳ではなく黄色いトラ猫だから黄虎と呼ばれているだけなのだが、一応黄虎で通じるようだ。
まだ子猫の頃に捨てられた黄虎は生き猫の目を抜く野良猫社会で必死に生き抜いてきた。
魚市場の魚を盗み、水揚げ漁船からイカをくすね、子供に面白半分に追いかけ回され必死に逃げ、食べ歩きをしている人間を狙って媚びて僅かばかりの餌を恵んでもらい、雨の当たらない寝床を巡って年上の野良猫と喧嘩をして、悪臭のする下水に降りて鼠を狩り、食あたりを起こして一匹で震えて眠り……
死ぬ事こそなく生き延びたが、友はなく傷だらけで、片目も失った。
猫はやろうと思えば一匹でも生きていける。人間と違って。しかしふとした時に寂しさを覚えるのだという。記憶の彼方、朧げな親猫の温もりの記憶が恋しくなる。
だから雨に打たれて一人寂し気に蹲っていた俺に自分を重ね、助けてくれたのだ。
「にゃーん。に゛ー?」
黄虎は同情的に頭を俺の太ももにすり寄せた。
「あー……」
い、言えねぇ。超絶美人で性格良くて地位も名誉も金も能力もある最高の嫁がいて仲間にも恵まれていて毎日楽しく過ごしてますなんて言えねぇ。孤独とほど遠いけどなんとなく楽しそうでついてきましたなんて言ったらぶっ殺される。
言い淀んでいると、黄虎は室外機の下から萎びた柿を前脚で出してきた。
「にゃ」
「黄虎が食えよ」
「くるるる」
言った直後に黄虎の腹が鳴ったが、黄虎は断固として俺に食わせようとしてきた。
黄虎、そんなにやせ細ってボロボロなのに俺のために。砂がついてるとかちょっとカビてるとかそんなの問題じゃない。ここで食べなきゃ超能力者が廃るってもんだ。
若干調子が悪くなってきた気がする胃を気にしながら、室外機に寄り添い黄虎を抱いて横になり目を閉じる。
会話が成立したお陰なのか性格が為すものなのか、このたった数時間で黄虎は種族の垣根を超え数年来の友人のように俺に気を許してくれている。腕の中からトコトコと心臓の鼓動と温もりが伝わってきた。
あったけぇ。あったけぇよ……
優しい。黄虎優しい……
こんなの泣くじゃん……
次の日の早朝、俺は黄虎と一緒に起きた。雨は上がっていた。
翻訳が切れたのでもう一本お注射して(黄虎は自分の腕に針をぶっ刺す俺に恐れおののいていた)、黄虎に今日の予定を聞く。
心優しいトラ猫の兄貴は他の野良猫と活動時間帯を被らせず、衝突を避けるために夜の限られた時間だけ活動しているという。食べ物が手に入りやすいタイミングを外してしまうため食い扶持を稼ぐだけでもギリギリなのだが、無理して他の猫と競争すると喧嘩になり怪我をして結果的にマイナスなのだとか。黄虎は決して喧嘩が強い猫でもない。栄養状態が悪く痩せているのも不利だ。
黄虎は水たまりの水を舐めながら悔しそうに鳴いた。
「に゛ゃーご……」
「……もし力が手に入ったらどうする?」
「なぁーお。んなぁー。にゃん」
即答だった。
その言葉には説得力があった。
自分が苦しいだろう、痛いだろう、ひもじいだろう時に種族も違う俺を身を削って助け親切にしてくれた猫だ。
こんないい奴なかなかいねぇよ。
俺は念力という規格外の力を持つ。人を助ける時だって自分に余裕があるからやっている。力があるから助けられる。
彼のように自分が力を持たず、追い詰められ、孤独な時でも人助けができるかと問われれば全く自信がない。
黄虎はすげぇよ。本当に。
俺は心を決め、目頭を押さえ立ち上がった。
「少し、出かける」
「……にゃー?」
「必ず」
俺は一夜ぶりに浩然くんの家の近くのビジネスホテルに泊まっているババァを訪ねた。
部屋のドアを開けたババァは服の前面を猫の毛だらけにした俺を見て顔をしかめたが、中に入れてくれた。
キャリーバッグを漁り粘着テープをコロコロしてゴミを取るやつを俺に投げ渡しながら聞いてくる。
「昨日はどうした? 心配はしておらんが連絡はせよ」
「それは悪かった。なあババァ」
「なんじゃ」
「黛訳より黄虎の方がボスに相応しいと思う」
「…………?」
「でも黛訳を推すババァの意見も一理あるし、浩然くんも途中で放り出す訳にはいかない」
「待て、最初から順番に話せ」
「ああ、つまりな、」
俺に良い考えがあるって事だ。
 




