04話 ネコへの態度を悔い改めよ
猫語有識者ロナリア・リナリア・ババァニャン氏によると、黛訳は自らを七条河市の飼い猫勢力の大多数を掌握しているボス猫だと称しているらしい。
ボス猫と言うだけあり配下は多い。猫が使用する数詞は人間よりも少ないため具体的な数は不明だが、『夜の空の光ぐらい』という表現を使っていた事から、彼女の部下の数は少なく見積もっても100匹を優に超えると推測できる。
猫は社会的な動物だ。縄張りを持ち、不定期に「猫集会」と呼ばれる集会を開きコミュニケーションを取る。そうしてお互いの距離を調整しバランスを保っている。
しかし都市部は人口が密集し、全世帯の一割が猫を飼育しているとすると七条河市には90万匹の猫が存在する。狭い地域に大量の猫がいれば縄張りが被り衝突が増える。それを治めるだけの実力を持つ都市部のボス猫は声望篤く喧嘩も強い。
黛訳は正にそういった傑物猫だ。
現在黛訳は力を求めている。最近縄張りがいくつも正体不明の怪物に潰されていて、それに対抗するための力が必要だと言う。
週に数度開催される猫集会には恒例の場所というものがあり、決まった場所に集合する。その集合場所に黒い怪物が湧いて出て、猫達を蹴散らしているのだ。
由々しき事態である。猫達が集まりやすく、ほどよく人間が近寄らない場所は大体めちゃくちゃにされてしまった。これではおちおち集会も開けない。
そこに現れたのは正体不明の黒い怪物を吹き飛ばして見せたババァだ。黛訳としては是が非でも悪いヤツをやっつける方法を教えてもらいたい。
猫達の敵、世界の闇を倒すために。
…………。
いや、あの……ごめん。
でも待ってくれ言い訳させて?
わざとじゃないんすよ。
俺は七条河市に支部設立が決まった半年前からアリバイ作りのため周辺地域一帯に二十回ほど世界の闇を出没させている。浩然くんが勧誘後に『世界の闇ってほんとにいるの?』と疑問に思った時、過去に遡って存在を確認できるようにするためだ。勧誘後に急に世界の闇が出没しはじめると自作自演を疑われる恐れがある。
恐らく杞憂に終わる対策だが念を入れるに越した事はない。
世界の闇は人気の無い場所に現れるという設定だ。しかし本当に誰一人来ない無人の山奥に出没させても誰にも会えなくて寂しくて悲しくて虚しくて死んじゃうから、目立たない場所でありつつ時々人が来て目撃する場所に現れるのが丁度よい。
この条件が猫集会開催場所の条件と被ったのだ。
黛訳が開く猫集会には飼い猫が集まるから、人里離れた場所は移動が大変で不適切だ。猫集会は人間がしゃしゃり出て来ると解散になるから、人通りが多い場所も好ましくない。
結果、猫集会の会場は都心部にありつつ人の目があまり無い場所に落ち着く。
俺が半年間で二十カ所ほど出没させた場所のうち何カ所かが猫の集会場として利用されていて被害に巻き込まれたようだ。思い出せば確かに世界の闇が暴れた途端に猫が物陰からにゃーにゃー鳴きながら飛び出し逃げていったり、猫集会を遠巻きに見守っている人を脅かしたら猫まで逃げていったりしていた記憶がある。
人への配慮はしていたが猫への配慮はできていなかった。その結果が猫もチカラを求める時代の到来だ。にゃんてこったよ。
まあ猿も超能力者になるご時世だ。冷静に考えれば何もおかしくない。
「黛訳に超能力あげて猫社会の覇権を握らせるのは楽しそうだけどな。月夜見の支部長に据えるのはキツくないか? 密輸やるんだろ」
月夜見が計画している密輸品目は主にエロ本だ。
エロ本は「公安又は風俗を害すべき書籍」として輸出入を禁止されている。しかしエロ本は需要がある。特に中国では国家主導のインターネット規制が厳しいから、ネットに掲載された作品を見る事も難しく紙の本が使われる傾向にある。
エロ本の産業規模は日本だけでも250億円。密輸を通してその数%でもいいから利益の流れを利用できればかなりいい安定収入となるだろう。今まで個人規模で行われていたエロ本密輸を集団で効率化すれば優れた利幅を叩き出せる。
エロ本の密輸というと頭悪そうだが、月夜見は頭悪いなりに大真面目だ。普通に犯罪だし。
なお、もちろんエロ本以外の禁制品や関税率が高い品も扱う。
確認するとババァは訳知り顔で頷いた。
「それなのだが、猫は密航が得意なのじゃ。むしろ人間より適任やもしれん」
「そうか……?」
「うむ」
曰く、猫は古くは船倉を荒らすネズミをスレイするネズミスレイヤーとして船に乗ってきた由緒正しき船乗りだ。
人間では入れない隙間に入れる。
人間では通れないルートで侵入脱出できる。
猫が密輸なんてするわけないという心理の隙を突ける。
訓練された猫の集団は優れた密輸業者になり得る。
「世界の闇と戦う力を授け、代わりに密輸を委託する。ウィン-ウィンというやつじゃな」
「なるほど……そうだな。色々聞いたけどやっぱり猫を超能力者にするとなると問題も多そうだ。用意してた計画は浩然くん用だし、黛訳を勧誘すると部下の猫集団もついてくるわけだろ? 大量の猫に目を配って大事故が起きないように注意し続けるのは流石に難しい」
「うむ……」
「でも楽しそうだしやるか。黛訳と浩然くんを両方超能力者にして、支部長に相応しい方を支部長にする方向でいこう」
「うむ!」
そういう事になった。
親は子供の嘘を見抜く、という話があるが、王さん家の浩然くんを見ているとそんなもの嘘八百もいいところだと思い知らされる。浩然くんの御両親は浩然くんの連日の深夜外出に全く気付いていなかった。
本来はババァが浩然くんに新品のバイクを受け渡し「深夜外出していたのは父に新しいバイクをプレゼントするためのアルバイトをしていたから。新しいバイクは買えたがバイクを受け取りに行く途中に古いバイクを川に落としてしまった」と言い訳するように指示し、不良独特の深夜徘徊だと思って悲しんでいた御両親が感動の真相を知って涙ぐみ家族の絆が深まる……というシチュエーションを想定していた。
しかし浩然くんは自分の無断外出を隠蔽するのが上手過ぎた。
ベッドの布団に空気を入れたビニール袋を入れパッと見で寝ているように見えるよう偽装し、音を立てないように家を出て、車庫からバイクを出す前に写真を撮って位置や角度を記録し帰ってきたら完全に同じ配置にする。朝出勤していく父がバイクのシートやエンジンの熱で気付かないよう早めの帰宅も欠かさない。
浩然くんのパパもママも完全に騙され、息子は夜は普通に家で寝ているものとばかり思っていたらしい。
急に新しいバイクを引っ提げ、古いバイクを無くしてしまったと謝りだした息子にパッパは激怒。親に黙って深夜外出をしていた事を初めて知り、しこたま怒鳴りつけ怒った。自分から罪を自白したのにめちゃめちゃに怒られたらこれから先自白する気が失せると思うんだけどな。
マッマは悪い事をして稼いだのだと決めつけ、それでもママは浩然の味方だからね、と一人で勝手に盛り上がっていた。
御両親も浩然くんを心配していて、悪い人間にならないよう、悪い人間になっても親は味方である事を覚えていてくれるよう、心を砕いている。野次馬目線で見ているとそれはよくわかった。
が、浩然くん目線だと正直に悪さを白状したら反省して弁償もしたのにアホほど怒られ、身に覚えのない悪さをしたと決めつけられいくら説明しても信じて貰えない、という人間不信加速シチュエーションでしかない。
当然浩然くんはブチ切れ、両親と口を利かない冷戦状態に突入した。
よくある家庭の失敗の闇って感じだ。無理解……押し付け教育……そりゃ浩然くんもグレるわけだよ。信じられるのは黛訳だけなんやなって。
俺まで悲しくなってきた。なんというか、その、ごめんな。燈華ちゃんの時のように札束で殴って家庭の状況が改善するならいいのだが、浩然くんの場合は御両親の性格がシンプルにちょっとアレな感じだからどうにもならない。
せめて超常青春ストーリーをお届けするからそれで気晴らしをして欲しい。親に抑圧され一緒に遊ぶ友達もいない青春ほど悲しいものはないって栞が言ってた。栞が言うと生々しい。栞、俺がついてるからな。人生楽しもう。
さて。
超能力原基を浩然くんと黛訳に移植し、一人と一匹は無事超能力に覚醒した。
変異定着した超能力原基の感触からして浩然くんは重力系、黛訳はテレパシー系の能力だ。
重力系能力はまあまあポピュラーな能力だ。炎や氷、雷などの自然系よりは珍しいが、治癒・時間あたりの能力よりはありふれている。
重力使いというと強そうに聞こえるのは何故なんだろうな。なんかこう、炎とか氷より複雑で上位な概念って感じがするからだろうか。
まあまだ目覚めたばかりの浩然くんは能力を使っても全然何が起きているのか分からないぐらいの貧弱能力者でしかないわけだが。成長が待たれる。
黛訳のテレパシー能力は能力詳細によっては厄介になり得る。
心で会話できる程度の能力ならいい。ヒトと会話できるハートウォーミング猫の誕生はむしろ歓迎。
読心能力に覚醒してもセーフだ。猫は喋れないから、マッチポンプの裏側を知ったところで伝える手段が無い。唯一対話可能な人間(?)であるババァがマッチポンプの黒幕側だから、黛訳がどれほど浩然くんに「弄ばれている!」と伝えようとしても真相が伝わる事はない。
読心+言語翻訳+心会話の複合能力に目覚めた場合が不味い。俺やババァの心を読み、それを拡散され、マッチポンプがボロッボロにぶっ壊れる。そうなりそうだったら黛訳にはすまないが超能力原基を剥がして回収する事になる。バランス調整、大事。
とはいえ黛訳もまだ超能力に目覚めたばかりで、能力を使っても何が起きているのか全然分からない脆弱能力者でしかないわけだが。成長が待たれる。
浩然くんは学校に通ったり通わずサボったりしながら超能力の訓練を繰り返した。一番地味で重要な基礎訓練だ。
普通なら5回成長、つまり十日ぐらい経てば何かしらの兆候は見えるか自覚できるものなのだが、浩然くんは全くその様子が見えなかった。超能力を使っても何も変わったように見えないし、本人も超能力を使っている感覚はあるのに何も変わったように思えないと言うのだ。
超能力者特有の魂(?)に響く成長痛はきているというから、成長していないわけではない。
成長率が低すぎて目に見えるほどの能力に育っていない可能性もあるが……重力系能力だと分かっているババァはシンプルに浩然くんを体重計に乗せた。
効果は分かりやすく現れた。アナログ体重計の針が振り切れたのだ。
300kgまで測れる高性能デジタル体重計を新しく買ってきたところ、60kgの体重が139kgにまで激増していた。水入りペットボトルを持ったり服を着こんだりして確認したところ装具・所持品の重量増加は認められなかったから、浩然くんの能力は自分にかかる重力を増加させるチカラ、という事になる。
自分の重量増加が無いかの如く動けるのは「超能力者は自分の能力に耐性を持つ」という原則のおかげだろう。
まあ……うん。応用能力に期待だ。現状では能力があってもなくてもあまり変わらない。
これが重力増大を遠隔で敵に発動できれば最強格に躍り出る。60kgから139kgに増えるならプラス79kg。ちょっと太めの成人男性を背負うぐらいの重量増加だ。防具で防げる類の能力ではないし、まず大抵の敵は間違いなく行動不能にできる。
全ては仮定の話で、ルー殿下のように成長限界が低い上に応用ができなかったりするとどうしようもないのだが。
黛訳も一日十八時間眠り残りの時間を浩然くんとのイチャイチャやお散歩に費やしつつババァの指示で基礎訓練をして、その成果は訓練開始11日目に偶発的に判明した。
日雇い外国人労働者を装い、堂々と浩然くんの家の近所の狭い路地裏で工事用ドリルで穴を開けイベントの仕込みをしていた俺はお散歩中の黛訳とバッタリ会った。直接面識はないから黛訳は俺の顔どころか存在も認識していない。
怪しまれないよう、近所のネコちゃんにするようにしゃがみ込んでネコ撫で声を出しタオルの先を猫じゃらし代わりに振る。
「よーしよしよし、ネコちゃんにゃーにゃーかわいいねぇ~」
そーっと撫でようとすると、黛訳は俺を見上げて鳴いた。
「にゃあー」
ウッ……頭の中に直接超圧縮音声が!?