海の国から石の国へ、親愛を込めて
九月五日はマールスタンの終戦記念日となった。
紛争は終わり、新政府による統治が始まった。平和の時代の幕開けだ。
いきなり治安が回復したりはしないし、ボロボロになったインフラや壊滅した産業を戻すには長い年月が要る。失われた人命は戻らない。
これからは復興という名の戦いが始まる。外国企業を頼れば有形無形の様々な復興支援を受けられ楽だが、反面、外国資本が過度に根付いてしまい将来的に国益が国外に吸い上げられる危険性を孕む。
かといって自国だけで復興を成し遂げようとすれば恐ろしい時間がかかってしまう。
難しい問題だ。
このあたりは念力パワーゴリ押しでどうにかできる領域ではないし、俺としてもマールスタンの復興のために何年も奔走するつもりはない。マールスタンの人々が自らの手で時間をかけて解決していかなければならない。
その復興の陰に「超能力者が国を脅かす敵と戦っているらしい」「世界の闇と戦う秘密結社が人知れず暗躍しているらしい」、そんな噂があったらちょっと楽しいのではないかと思うのだ。
聖域での戦いを終えたメドゥちゃんは仲間に連れられてアジトに戻った。
新政府樹立宣言を終えたヒシャームさんがアジトを訪ねてきたのはその半日後の事で、話し合いの場が持たれ、メドゥちゃんはヒシャームさんの養女になる事が決まった。解放戦線の面々もそれぞれ里親が見つかり次第そちらに行く事になる。
ヒシャームさんは無理にとは言わなかった。急がせもしなかった。
アリナータヤ解放戦線は解散しなくていい、今まで通りアジトで暮らしても良い、と言い、アジトの地権を正式に取れるようにしようとまで言った。
だが、その上で「子供は親の下で育って欲しい。大人のわがままをどうか聞いて欲しい」と真摯に頭を下げたヒシャームさんに皆ほだされ頷いていた。
少し離れて聞いていた俺が恥ずかしくなってくるぐらいのできた大人だった。
彼を見ていると俺が介入しなくても遠からず紛争は終わっていたのではないかと思う。
アジトから帰る時、ヒシャームさんは俺に感謝の言葉を言ってきたが、何のことか分からなかった。
国産テロリストを派遣したのが俺の仕業だと気付いたのかも知れないし、短い間だがメドゥちゃんを筆頭としたアリナータヤ解放戦線の面倒を見た事を指しているのかも知れない。睡眠薬を盛った事を言った可能性も無くはない。
マールスタン解放の最後の決戦(革命組織と軍事政権の決戦)はほとんど戦いらしい戦いも無く終わった。
何者かが軍が管理する食料という食料全てに睡眠薬を仕込んでいたらしく、眠りこけた軍人は片端から縛り上げられ、軍事政権本部は無血で制圧された。
内通者の仕業と思われるが数人の内通者が行ったとするには些か大規模に過ぎ、その不可解さから超能力者の仕業という噂も立ったが、真偽は定かではない。
そんな事ができる超能力者がいたら是非スカウトしたい。きっと秘密結社のボスに相応しい優秀な男に違いない。
かくして中東の小国マールスタンを巡る騒動は収まるところに収まった。
苦難の道のりは果てしなく。しかしささやかな喜びと楽しみ、そして絆を胸に、彼らは歩いて行くだろう――――
エドワード・マリントンはマリンランド国立大学医学部に所属する大学院生である。工学部から転学した経歴を持ち、機械に詳しい。
そこを買われ、エドワードは最近中東の小国マールスタンから贈られた医療機械の研究を任されていた。医療に力を入れているマリンランドにとって重大なブレイクスルーになり得る代物だ。
マールスタンは一ヵ月前に紛争が終結したばかりである。戦後初の選挙が終わり、革命組織のリーダーがそのまま首相に就任した。
終戦後間もなく麗しの公国大公殿下がマールスタンとの友好宣言をしたため、マリンランド全体で関心が高まっている。
エドワードが扱っているのはそのマールスタン製の医療機械だ。
それは一見して望遠鏡のような形をしていた。しかし分解してみると内部は精密部品が複雑に組み合わさっていて、奇妙な形をした用途の分からない異質な部品も多い。ただ、どうやら液体燃料で稼働するらしい、という事だけは分かった。付属の燃料は予備を含め使用期限が三ヵ月と定められている。
工作精度から考えて、五年間も紛争をしていた小国が製造できる代物とは考えにくかった。外国から工作機械を技術者とセットで迎え入れたのか、それともマールスタン製と偽っているだけの他国製なのかどちらかだろう。
肝心の性能はというと正に革新的だった。
なんとたった一秒患者に照射するだけで完璧な全身麻酔がかかるのだ。
12時間が経過するまで決して解けず、副作用も体への負担も全く無い。一秒以上の照射ができないよう厳重に安全装置がかかっているのが若干の不安を煽るが性能は素晴らしい。
紛争の爪痕が残る小国からこれほど高度な平和的道具が贈られてくるとは驚きの一言だった。
量産できれば間違いなく医療業界に革命を起こす。
エドワードに求められているのは原理の解明と安全性の確認だ。原理不明の機械を使い医療事故を起こすわけにはいかない。
分解した部品を3Dスキャナーにかけたエドワードは休憩を取る事にした。空調が効き湿度管理もしっかりしている研究室は快適だが、ずっと室内にいると息がつまってしまう。
研究室を出たエドワードは購買でツナサンドと紅茶、新聞を買い、大学の中庭のベンチに腰掛けて早めの昼食を取る。
新聞の一面はアーマントゥルード・ベーツ大公殿下が今年初めてアジを釣り上げられたという喜ばしいニュースだった。エドワードはほほう、頬を緩ませた。ドレス姿で釣り上げた獲物の尾びれを持ちピースしているルー殿下の麗しさはヨーロッパに並ぶ者無しと言える。
マリンランドの主産業の一つは漁業であり、釣りは大公家の方々も嗜む国民的なレジャーなのだが、ルー殿下は壊滅的に釣りが下手だった。一匹釣っただけでニュースになるほどに。微笑ましい。
殿下のほのぼのエピソードに和み癒されページを捲ると、マールスタンの文字が目を引いた。
読んでみると、マールスタン首都アリナータヤで送電網が復旧し電信インフラが回復したという話だった。
エドワードは首を傾げた。
奇妙な話だった。早過ぎる。
電線を敷くだけならば不可能でもないだろうが、肝心の発電設備が無いはずなのだ。
つい二週間前にマールスタンは浄水設備も発電設備も壊滅的打撃を受けておりインフラ復旧に一年はかかるという話を読んだばかりだ。
そこでふと思う。
マリンランドに少し似ている、と。
一年ほど前、マリンランドでは電気料金の大幅な値下げがあった。
新しい発電設備が完成したから、という触れ込みだったが、発電設備建設の話は全く聞かなかったし、新発電所の場所も定かではない。
ルー殿下による遠く離れた異国との突然の友好宣言……
類似した発電設備……
まさか大公家は莫大な電力を簡単に生産する極秘技術を秘匿している……?
妄想が捗る。
ルー殿下は美し過ぎる罪で呪われ知能指数が下がってしまった、というゴシップ記事を読んだ時並みの面白さだ。
超能力の実在が明らかになって数年。マリンランドでも石巨人が暴れる事件があり、荒唐無稽なゴシップや陰謀論を嘘と決めつけられなくなった。科学とオカルトの境界も曖昧だ。
案外研究中のマールスタン製医療機器もオカルトの産物なのかも知れない。
エドワードは脳裏によぎった想像を自分で笑い、新聞を畳んでサンドイッチの紙包みと一緒にゴミ箱に投げ入れ、研究室に戻った。
次章【世界支部編(下) 中華湾岸経済特区/にゃんにゃん三合会】に続きます。三月中に開始します。




