07話 マールスタン解放戦線
今日この日――――九月五日はマールスタンにとって記念すべき日になるだろう、と、市民革命組織の構成員は囁き合っていた。
五年の長きに渡り続いたマールスタン紛争にもとうとう終わりの日が来たのだ。
臨時政府を立て実権を握り圧政を敷いてきた軍事政権は、マールスタン全土の抵抗運動によって弱体化し、追い詰められ、残す拠点はマールスタン首都アリナータヤの本部しか残されていない。周囲は完全に包囲され逃げ場もない。
既に革命の成功は揺るがず、後はどう犠牲者を減らすかという段階にある。
合議制によって革命組織を率いている幹部の一人、ヒシャームは作戦本部の机につき、ひっきりなしに届く報告を聞きながら腕組みをして考え込んでいた。
革命の不安要素は二つあった。
一つは市民の退避が難しい事だ。
まず単純に人口が多い。治安が悪いため火事場泥棒を恐れ家を空けるのを拒む者も多い。軍事政権側の人間が市民に紛れ脱出を図る恐れもある。
鍵をかけて家の中に籠っていていてもらうのが最善として、そう通達している。
もう一つの不安要素は世界の闇の介入だ。
ヒシャームを含む市民革命組織の幹部数名は世界の闇の存在を認知している。戦乱の嘆きと怒りを吸い上げ肥大した脅威に立ち向かえるのがたった一人の少女だけだという事も。
メドゥ・サグロゴが世界の闇を倒せなければ軍事政権を打倒しても必ず紛争は再燃する。
マールスタンの未来は少女の小さな双肩に託されている。
ヒシャームはそれが情けなかった。
大人の負債を子供に負わせてしまう事が情けなかった。
なんという時代だろうか。親に守られ愛情を一身に受けるべき子供が、国家存亡をかけた過酷な戦いに身を投じなければならないとは。
悲しい時代を終わらせるためにもやり遂げるしかない。
信じることだ。お互いに最善を尽くす事は誓った。後は神に祈るのみ。
救いはメドゥ・サグロゴが勇敢に自らの宿命に向き合っていた事。
そして、彼女には頼れる仲間がいる事だ――――
決戦の前、俺はメドゥちゃんに使い捨て必殺兵器を渡した。
鐘山テックに注文していたPSIドライブがようやく届いたのだ。
メドゥちゃんの血液を早々に送って試作機を作っていてもらったのだが、不具合の解決のために時間がかかり届くのが決戦ギリギリになった。
不具合の原因はPSIドライブで増幅された石化能力が内部の部品を石にしてしまう事にあった。
石化能力はPSIドライブで増幅する事で生物だけでなく無生物まで石化できるようになるのだ!
めちゃめちゃ強いようだが弱点もある。
まず、どうあがいても起動と同時にPSIドライブが丸ごと石化するので使い捨てになる。数百万のオーダーメイド精密機械が一回で石コロに変わってしまう。酷い話だ。
イグの治療は生物にしか効かないから石化したPSIドライブは戻せない。
もう一つは空気が石になる事。
無生物を石化するのだから当然空気も石になる。起動と同時に発射点の空気が石になり、射線が切れ、そこで石化が止まる。射程は約0.3mmだ。
望遠鏡型のPSIドライブを相手に思いっきり押し付けて接射しないとただの自爆にしかならない。
現在は威力を増幅するのではなく等倍で発揮する事でなんとか通常の麻痺or生物限定石化形式で起動できないか研究中らしい。そっちが完成すれば使い勝手が良さそうだが決戦には間に合わなかった。
『――――という仕様だ。使い所はよく考えるように』
『ほ、本当に頂いて良いのですか』
『ああ』
メドゥちゃんは望遠鏡型PSIドライブを受け取ると感激に声を震わせ、そのまま宝箱に大切に仕舞おうとした。
待て待て待て。
『メドゥ、それは使うためにあるものだ』
『えっ……でもこれ一つしか無いです。保存用では?』
なんだその保存用、布教用、実用で三つ持っとけみたいな思考。
そういうのいいから。パーッと使いなさい。
メドゥちゃんは躊躇いがちにPSIドライブを太ももにベルトで固定した。石割り用のハンマーや発煙手榴弾、破片手榴弾、暗視ゴーグル、携帯食料、応急キット、コンバットナイフなどを軍用戦闘服に装着したガッチガチの戦闘モードだ。
メドゥちゃんは俺の見送りを受けてアジトを出た。その後ろからアリナータヤ解放戦線の子供達が決死の面持ちでぞろぞろついていく。
彼らはメドゥちゃんと一緒に行くと言って聞かなかったのだ。
聖域にはマールスタン出身の超能力者しか入れない。だからついて行ったところでできる事は無いのだが、それでも行くと言い張った。リーダーを一人では行かせられないと言った。何かできる事があるはずだ、と。
うむ。そういうの嫌いじゃないぞ。
外出自粛勧告が出てるとか、心意気だけあっても本当に何もできる事は無いとか、そういう理屈を全て放り投げ。一人にさせられないから、何か手伝いたいからついていく。
メドゥちゃんの人徳だよな。アリナータヤ解放戦線として生き抜いた日々は彼らにそうさせるだけの尊いものだったに違いない。
できれば子供達の勇気と友情を汲んで戦闘に介入させてやりたいところだが、流石に世界の闇を操りつつ千里眼で見張りつつ数十人の子供達の安全管理に目を配りながら決戦は無理だ。脳みそが足りない。
という訳で彼らには道中でカッコよく離脱してもらう。
俺は国産テロリストの伏見に連絡を入れた。
世界の闇が封じられている聖域はアリナータヤ近郊の山岳に空いた秘密の入り口から行ける。今朝落石が起きて入口が現れたばかりだ。
俺が渡した地図を頼りにぞろぞろと聖域を目指す一行は、街から離れた荒れ地の岩陰でエンストした軍用車両を直そうとしている五人の軍人と鉢合わせた。
双方に緊張が走り、お互いに武器を構える。
くっ、なんという事だ!
こんな所で革命組織の首都包囲網になぜか空いた穴から抜けて脱出中の兵士と遭遇するなんて!
爆薬が全部湿気てナイフは鞘から抜けなくなって銃の発射機構が全て故障中とはいえ相手は軍人!
5人対40人! 一体どちらが勝つんだ……!?
解放戦線の戦士たちは一斉にメドゥちゃんを背後に庇った。
前に仲間がいるためメドゥちゃんの視線が軍人に通らなくなるが、完全に悪手でもない。
相手は五人で、全員銃口を向けてきている。マールスタン解放戦線の面々は発射機構が壊れていて撃てない事を知らない。メドゥちゃんを前に出せば一人石にする間に他の四人に撃たれてしまう恐れがある。
マールスタンの軍人は散々民間人の恨みを買っている。軍人はその事をよく理解している。和解などできるはずもなく、逃げれば追いかけて叩きのめされるか、通報されて追手がかかるか、だ。
睨み合いになる。
動けば撃たれると思っている子供達と、装備が全て故障し5対40は無理だと思っている軍人は双方動けない。
しかしいつまでも睨み合いはできない。
メドゥちゃんは紛争終結までに世界の闇を倒さなければならないのだ。
倒すタイミングが遅れればせっかく終わった紛争が再燃してしまう。
睨み合いは解放戦線の少女の一人が水筒を軍人に投げつける事で決壊した。
全員が荷車や板切れを盾にしてわあわあ鬨の声を上げ軍人に襲い掛かった。
流石鍛えているだけあり、軍人は数の暴力でもみくちゃにされながらも組み付いた子供達を引き剥がし抵抗している。
子供達は乱戦で焦点を固定できずおろおろするメドゥちゃんに口々に何か叫んだ。
メドゥちゃんは何か言ったが、更に言葉を返され、意を決して走り出す。地図に記された聖域――――決戦の地へ向けて。
……待てよ?
状況から考えてまさか今「ここは俺に任せて先に行け!」って言ってた?
あの伝説の!?
畜生、パシュトー語覚えておけばよかった!
決戦の舞台となる聖域は山岳の山肌に空いた洞穴を通った先の大空洞にある。
大空洞には寺院があり、その寺院にまとわりつくように巨大な世界の闇が蠢く。発光する岩(に見える岩を模したLEDライト仕込みのプラスチック構造物、一個あたり\12,000~)が点在するおかげで最低限の視界は確保できている。
そして大空洞の入り口が不可思議な弾力あるガラスのような膜――――結界で封鎖されていた。
洞穴を恐る恐る進んだメドゥちゃんは結界の前で立ち止まり、結界越しに見える世界の闇に慄いているようだった。
恐ろしいだろう。恐ろしげな容貌をしているわけではない。シンプルにデカいのだ。何しろ全長が10mもある。
かつて超水球事件で翔太くん達三人と一匹が束になってかかった世界の闇が全長50mで、インビジブルタイタンが倒したのが全長600m。超能力に目覚めて二ヵ月の少女が一人で戦うなら10mは妥当なところだ。たぶん。
全長10mの世界の闇の体積は25mプールの水量に匹敵する。25mプールの水が意思を持って襲い掛かってくると考えれば、まあ死ぬ。国が滅びるかはとにかく街ぐらいは余裕で壊滅するだろう。銃弾効かないし、半端な爆発も核まで届かないし。
最悪メドゥちゃんが負けて世界の闇に取り込まれてしまっても、超強い秘密結社のボスが結界を無理やり念力でぶっ壊して助け出してくれるから勝ちは確定している。そもそも全て仕組まれた大規模リアルおままごとなのだから勝ち負けなんてあって無きが如し。
思いっきり力をぶつけて戦ったらいいと思います。負けられない宿命を背負い、強大な敵に超能力を駆使して死力を尽くして立ち向かう、なんてのは人生でそう何度も味わえる事じゃないぞ。
とりあえずメドゥちゃんが結界に入ったら世界の闇の猛攻を始める……
……つもりだったのだが、メドゥちゃんは結界越しに世界の闇を睨んだ。
当然、世界の闇とメドゥちゃんの間にある結界が石化した。
こらこらこらこらハメ技で倒そうとするのはやめるんだ。
そりゃ結界の外から一方的に世界の闇を石にできれば安全確実だけどさ、そんな来た見た勝ったで済んだら決戦の舞台整えた意味なくなっちゃうだろ!
『チッ! ダメか』
メドゥちゃんが忌々しそうに舌打ちして、腰にぶら下げた小型ハンマーで石化した結界をせっせと叩き割る。戦略としてはめちゃめちゃ大正解だけどテンポ悪くなるんでもう勘弁して下さい。
石バリアを割り人が通れるぐらいの穴を開けたメドゥちゃんは発煙手榴弾を投げ込んで煙幕を張ってから暗視ゴーグルを下ろして中に飛び込んでいった。
むむむ! 賢い! 見えんッ!
俺は念力式千里眼で戦場を俯瞰しているが、念力式千里眼は光学的なものだ。煙幕を張られると普通に姿を見失う。
が! 俺はこんな事もあろうかと念力の応用力を鍛えに鍛えてきた。透明な相手や姿の見えない相手でも感知できる。
念力による重量感知に集中すれば、46kgの重量の何かが聖域入口から寺院へ向けて走っているのが感じ取れた。
甘い! そこだァー!
『うあっ!?』
煙を裂いて唸りを上げる細めの触手の一撃が寺院の柱の影に飛び込もうとしたメドゥちゃんを横から襲う。メドゥちゃんは受け身も取れずに聖域の床を転がった。
今まで散々世界の闇を操ってきたから手加減は完璧だ。ほどよく吹き飛びつつ骨は折れず痣にもならない会心の一撃である。
メドゥちゃんは煙の中を風切り音を立て振り回される触手の下を匍匐前進で進んだ。重量感知をしているから地面にべったりくっついて這うとむしろ鮮明に居場所が分かるのだが、ここで叩くと追い詰め過ぎなのでバレないという事にしておく。
くっ、また見失った。どこだ、どこなんだー。がむしゃらに触手を振り回すだけじゃ当たらないー。絶対このあたりにいるはずなのにー。うわー邪魔な煙めー。
煙が消える前に匍匐前進で寺院の裏に回り込んだメドゥちゃんは寺院を壁にして触手を睨み始めた。
世界の闇は硬直し、石化し、脱皮するように抜け出して触手の猛攻を仕掛ける。
メドゥちゃんは寺院を遮蔽に使って触手を避け、また睨む。
その繰り返し。
単純で効果的な戦法だ。密かに触手を床を這って伸ばし足元から奇襲をかけようとするも、目ざとく気付いて石にされる。
盾に使われた石造りの寺院は野太い触手の攻撃で粉砕されていく。順調に石化を繰り返し、世界の闇は小さくなっているがメドゥちゃんは気が気ではないだろう。石の建造物が簡単に破壊されるのだから、人間が直撃を貰ったら即死だ。
短いインターバルを挟みつつではあるが、メドゥちゃんは初めて大物を相手にして決死の戦闘の中で魔眼の連続使用をした。三分もしないうちに超能力原基は疲弊しきり、魔眼が発動しなくなる。
まだ世界の闇は健在だ。ただし10mが4mにまで縮小し、振り回す触手も小さく短く細くなっている。
あとはもう手榴弾を体内にねじ込んで爆破すれば決着だ。10mの時は中心部まで爆発に伴う圧力波が届かなかったが、4mならいける。
メドゥちゃんは腰の手榴弾に手を伸ばす。そしてピンを抜こうとして固まった。
顔を真っ赤にして力み、力づくで抜こうとするが、抜けない。
手榴弾は変形して歪み、ピンが抜けなくなっていた。
しまった……!
煙の中で一撃殴った時にやってしまったらしい。メドゥちゃん本人に怪我をさせないよう威力調節する事に意識が行き過ぎて、装備の破損まで気を付けられなかった。
どうする、ピンチだメドゥちゃん!
そして俺もピンチだ! この勝負にどう決着を付ければいいのか分からなくなった!
メドゥちゃん! なんでもいいぞ! 適当に何かやればバラバラに吹き飛んで負けるから!
攻撃手段を失ったメドゥちゃんは焦って触手攻撃から逃げ回る。が、すぐに瓦礫に躓いて顔面から思いっきり転んだ。
いやそれは……うーん。
ここで追撃入れたら……うーん。
倒れた相手に触手振り下ろして怪我すらしないのは流石に違和感あるよな。既に一回煙の中の一撃で甘めの一発を入れてしまっているわけだし。二回やったら手加減がバレる。
かといってこの絶好のチャンスを見逃してメドゥちゃんが立ち上がるまで静観したらそれはそれで手加減がバレる。
……吸収するか!
メドゥちゃんを触手で捕まえ、世界の闇の内側へ取り込む。そして水中でもがくメドゥちゃんの超能力原基を念力で引っ掻いた。
『!!!!????』
水の中で泡を吹き出し、メドゥちゃんが声にならない絶叫を上げる。
世界の闇は超能力者を捕食して力をつける。超能力原基を傷つけられる苦痛は筆舌に尽くしがたい。翔太くんの人格が変わり、栞が地声で悶えるぐらいだ。
あまりイジメてもトラウマになるだけなので、引っ掻くのは一度だけにしてすぐに助けに入る。
俺は結界を解除し、念力でメドゥちゃんを救出して世界の闇を自爆させようとしたのだが、その一瞬前に世界の闇が丸ごと石化して念力の制御下から外れた。
うん?
……ああ、PSIドライブを起動したのか。
確かに世界の闇の体内に取り込まれた水没状態なら、射程0.3mmのPSIドライブ接射で内側から丸ごと石化させられる。
取り込まれているメドゥちゃんは石の中に閉じ込められてしまうが、世界の闇は倒せる。
自爆覚悟、捨て身の一撃だ。
メドゥちゃんは10m級の世界の闇とたった一人で引き分けた。
うむ。頑張った。偉い!
恐らく死を覚悟した決死の特攻だったのだと思うがここで強制ハッピーエンドの時間だ。
念力でメドゥちゃんを閉じ込める石球を砂に変え、救出する。世界の闇が倒された事によって聖域の結界が解け、念力が届くようになったのだ。
空気に晒されたメドゥちゃんは酸素を求めて喘ぎ、大の字になって仰向けに倒れる。
やがて呼吸が整うと、不思議そうに手で砂をすくい、ハッとして跳ね起きた。
『佐護様……?』
俺は応え、念力で床に砂文字を書いた。
『よくやった。聖域は役目を終えた。崩壊する。脱出しろ』
メドゥちゃんは頷き、痛そうに呻いて腰のあたりを手で押さえながらよろよろと聖域を後にした。
千里眼をアリナータヤ市街地中心部に向ければ、政府の議事堂に建てられた軍旗が引きずり降ろされ、代わりに金色の瞳の黒い蛇の旗があがったのを見た市民が歓呼しているところだった。
こうして中東の小国マールスタンは市民の手よって紛争から解放された。
その裏で一人の超能力者による世界の闇からの解放があった事は、限られた者しか知らない、教科書に載らない隠された歴史の真実だ。