06話 例の件について話そう
初戦闘以来メドゥちゃんは全く危なげなく世界の闇との戦いをこなしていた。稀に顔を隠し忘れたりするミスはあるが戦闘そのものは一方的と言っていい。
熱烈ITファンであるメドゥちゃんは超能力者が不定形の黒い怪物と戦っている事を知っていたし、紛争地帯で生き抜く中で自分の命を狙う敵との交戦経験もあった。知っているし慣れている。だからそつなくこなせる。
基礎能力の成長は二十回、連続使用上限30秒で上限に達した。単純計算で10回石化させられるが、休憩を挟みながら使えば数分はもつ。
メドゥちゃんは来るべき聖域での世界の闇との決戦に備えもっと強くなりたがったし、俺も師匠面して訓練を付けるのは楽しいので遠慮なく応用訓練に入った。
見ただけで相手を石にする魔眼は既に相当強い。弱点は生物にしか効かない事と、一度に一つの対象しか石化させられない事だ。
全身を布か何かで覆っている相手に石化は効かない。多人数に囲まれたら一人睨み倒している間に袋叩きにされて負ける。
世界の闇は服を着ないから、石化そのものが無効化される事はない。だから対策すべきは多対一戦闘。つまり一度に複数の対象を石化させられるようになればいい。
メドゥちゃんは右眼に眼帯をしていて左目で睨んで相手を石化する戦闘スタイルなのだが、両目で睨んでも片目で睨んでも三秒で石化する。
目から感知不能の「何か」を浴びせて石にしているなら、片目になれば放出される「何か」の量が半減して石化まで六秒かかるはず。そうならないという事は、一度に複数の対象に焦点を結んで睨みつけるというある種の矛盾したアクションを成立させれば一気に石化させられるという事だ。
しかし準備しておいた3D絵本で焦点を意識的にコントロールする訓練をしてみたり、カラーコンタクトや色付き眼鏡を装着した状態で訓練してみたりもしたが、どうにも結果は芳しくなかった。
メドゥちゃんも一日中目をしょぼしょぼさせるぐらい頑張ったのだが複数対象を一度に石化できそうな気配は全くない。
ただし副産物的成果は目覚ましかった。
目を酷使した結果、能力発動中に視力が跳ねあがるようになったのだ。
メドゥちゃんの通常時の視力は1.8。
応用訓練を進めるほど能力使用時の視力はどんどん伸びていき今は6.0を超えまだ成長している。
アフリカ先住民マサイ族は視力12と聞くからまだそれには劣るが、既に普通見えない距離から一方的に睨み倒せるようになっている。
能力的に正面戦闘に向いてないんだよな。たぶん身を隠し敵に所在を悟られないように動くアサシンムーブが一番強い。スナイパーと違って弾道が見えず銃声も聞こえない。これで夜目が効いたら完全に暗殺者だった。
反面、戦闘以外の使い勝手が悪いのが欠点といえば欠点だ。日常的に超能力でちょっと楽したりズルしたり遊んだり、というのは難しい。麻痺と石化は殺意が高過ぎる。そういう意味でも凶悪能力だ。
さて。
能力は戦えるぐらいになった。そろそろ二ヵ月が経ってしまいそうなので、中東支部の設立も大詰めの段階に移行していく。
メドゥちゃんはマールスタンの紛争を影から煽っている強大な世界の闇を倒す事でハッピーエンドを迎える。
そのためには適切な戦場を用意し、タイミングを合わせなければならない。
決戦の地は世界の闇が閉じ込められた聖域内で確定している。
俺はアリナータヤ近郊の山岳地帯に秘密の地下通路をせっせと掘り、山の中心部に謎のアラビアンな寺院を建設した。強度計算や耐震補強は全くしていない。念力のゴリ押しで支えて維持している。どうせイベントが終わったら崩落させて闇に葬るのだから細かいところは気にしなくていい。
遺跡はとりあえず崩落させておけば後処理を手抜きできる。マリンランドで覚えた。
寺院はめっちゃピカピカで新築剥き出しになってしまっているが、幼年学校中退のメドゥちゃん相手なら誤魔化しきれるだろう。
たぶん不思議な力で数千年前の建設当初の偉容を維持してるんじゃないですかね。超能力ってすごいなあ。
戦場はでっちあげたので後はタイミング。
紛争終結に合わせて世界の闇を倒すためには、紛争を終わらせる大人たちと足並みを揃える事が必要だ。
その夜、俺はメドゥちゃんを連れてアリナータヤ裏通りの酒場を訪ねた。
マールスタンの紛争を終わらせるのはマールスタンの大人たちで、未来を担うのは子供達だ。両方がよく話し合って計画を決めてもらいたい。俺はその計画を邪魔しないように茶番をねじ込むから。
今夜この酒場には市民革命組織の幹部がやってくる手筈になっている。俺の役目は幹部とメドゥちゃんを引き合わせる事。
幹部もマールスタンに正体不明の怪物が夜な夜な現れている事は承知しているし、腹心の部下である日本から来た顧問達が超能力者に誓った忠誠を隠そうともしていない。メドゥちゃんの話も通りやすいはず。
酒場は賑やかで、酒気と酔漢の笑い声でコンビニぐらいの広さの店内はいっぱいだった。ほんの二ヵ月前までとは見違えるほど明るい。
市民革命組織による各地の解放運動の影響で滞りがちだった物流が動き出し、酒をはじめとした嗜好品を楽しめるようになったおかげだ。
俺が懐から財布を出してメドゥちゃんに飲み物代をあげようとすると、メドゥちゃんは逆に巾着袋を差し出して俺に恭しく差し出した。
『佐護様、どうぞ。今夜楽しめるだけの額はあります』
『貢ぐな』
14歳の女の子に酒代奢られたら一生の恥だぞ。ヒモとかペットとかそんな生易しいものではない。
俺は巾着袋に高額紙幣を数枚突っ込み、恐縮するメドゥちゃんに返した。
遠慮する事はない。子供らしく素直に喜んでくれれば嬉しい。俺はしっかり稼いで……
……稼いでないな?
天岩戸が移店作業で閉じている今、俺は無収入だ。
という事は嫁から貰ったお小遣いを外国の美少女にお小遣いとして渡してる……!?
よせっ、考えるな俺! これ以上はいけない! 飲んで忘れるしかねぇ!
カウンター席について一番強い酒を注文すると、二つ離れた空き席にちょこんと座ったメドゥちゃんに早速酔っ払いおじさんが絡んでいた。もう随分飲んでいるらしく、口髭に白い泡がついている。
『ギャハハ! ここは乳臭ぇガキが来るとこじゃねぇぞ! ガキは大人しく家に帰ってママの手料理食ってあったかくして寝な!』
『お母さんは死んだ』
『おっとそいつは悪かった! ミルク飲むか!?』
酔っ払いは飲みかけのミルクのマグをメドゥちゃんに押し付けた。ちょっと優しいじゃねぇか。
『ありがとう。おじさん誰?』
『おじさんは市民革命組織の偉い人やってるおじさんだ!』
メドゥちゃんは口に含んだミルクを噴き出しそうになって激しくむせた。
うむ。いい反応だ。
彼は市民革命組織アリナータヤ支部リーダーのヒシャームさん。アルコールの匂いだけで酔っぱらえる気の良いおじさんだ。本人に何か素晴らしい特技があるわけではないが、その気の良さを慕って部下達がついていくるタイプのリーダーである。
しどろもどろのメドゥちゃんがヒシャームさんに絡まれているのをニヤニヤしながら眺めていると、隣の席の男が顔を合わせないようコップを見つめながら日本語で囁いた。
「ボス。店内は革命組織の人間で固めてあります。店外には狙撃手を二名配置。邪魔は入りません」
「御苦労」
「は」
僅かに頭を下げて畏まった彼は国産テロリスト義勇隊の伏見くん(25歳、既婚)だ。
俺ももし急に地中貫通爆弾をぶち込まれてもいいように店にバリアを張っているが、彼の細やかな気遣いは実際ありがたい。こういう配慮を立案実行してきたのが市民革命組織躍進の一因と言えるだろう。
「伏見」
「は」
「調子は」
「良好です。ロナリア陛下は健やかであらせられるでしょうか」
「ああ」
奥さんの事も心配してやれよ。
いや奥さんも昨日様子を見に行ったら銃身の掃除しながら同じ事聞いてきたけど。
ババァは彼らに一体どんな調教をしたのかちょっと気になる。
他の客が二人の謎めいた東洋人に興味を示しちらちら見てきているが、日本語だから盗み聞きされる心配もない。
酒場で謎言語でひそひそ話してる怪しい二人の男ってなんかすごく秘密結社っぽいな。テンション上がってきた。
もっと謎めいた会話しちゃうもんね。へへっ。
「伏見」
「は」
「例の件はどうなっている」
「は?」
「えっ」
「例の件とは? もう少し具体的に言って下さらなければわかりません」
「……今のは忘れてくれ」
素で不思議そうな顔をされた。
会話失敗。例の件なんて無かったわ。
そこはかとない気まずさを酒で誤魔化しつつ、炒ったひよこ豆をおつまみに伏見から改めて状況を聞いていると、何やら酒場が盛り上がっている事に気付いた。
見ればメドゥちゃんが椅子の上に立ち、酒場の酔っ払い達のやんやの喝采を受けながら身振り手振りを交えペラペラ喋っている。
なんだ……? 現地語で喋ってるから分からん。
「伏見、分かるか」
「は。自分もパシュトー語に堪能という訳ではありませんが」
伏見は少し耳を傾け、自信無さそうに言った。
「インビジブル・タイタンの良さについて演説しているようですね」
「なんて?」
「インビジブル・タイタンの良さについて演説しています。最強の力を持ちながら決して驕らず、足元の……地元の? ああ『故郷の』ですね、マールスタンの窮地に手を差し伸べてくれる、あー、毎日違う味の飴をくれる優しい人だとか」
「…………」
メドゥちゃん……
顔から火が出そうだぞメドゥちゃん……
どうしてそんな事をするんだ……
どうして本人の目の前で熱烈激推し布教活動を……
「伏見」
「は」
「止めてきてくれ」
「了解」
伏見はメドゥちゃんの背後に素早く静かに忍び寄り、裸絞めで気絶させた。
白目を剥いたメドゥちゃんを抱えて持ってきた伏見の目が生暖かい。
そんな目で俺を見るなぁーッ! いいだろ飴配るぐらい! みんな飴好きだろ! 毎日同じだと飽きると思って別の味にしただけだ! 悪い事してないだろ!
どうしてこんな辱めを……!
顔を見ないようにしながらヒシャームさんに話を聞くと打ち合わせは終わったと言うので、メドゥちゃんを背負って逃げるように退散した。
決戦は、明後日だ。




