NYの親愛なる隣人
ボロッボロになるまで自分を追い込み、遂には成し遂げたポーラを心配したハンクは救急車を呼んだが、誤報になった。栞と俺が現地に行き治癒PSIドライブで完治させたからだ。
サンジェルマンの罪を白日の下に晒してのけたポーラを改めて秘密結社『天照』のニューヨーク支部長として勧誘すると、半分受けて半分断られた。
自分のホームである街の病巣を取り除くだけでこんなに苦労したのに、世界の闇となんて戦ったら死んでしまう、という訳だ。
『街』規模の戦いで瀕死だった。『世界』規模の戦いなんてしたら即死する。
全くその通りでグウの音も出なかった。サンジェルマンが強すぎたんだがそれはそう。
何度でも言うが秘密結社は張りのある劇的青春を送るためのものだ。張りがあり過ぎて張り切りはち切れて死にそうだったポーラにそれ以上は求められない。
一方でポーラはサンジェルマンとの戦いを通して組織の力というものを身に染みて理解していたから、支部長就任は了承した。今後、近隣で超能力に目覚める者が出たら指導役を担う事も。世界の闇という存在は把握しているから、緊急時には手を貸すという取り決めにも頷いてくれた。
代わりに天照からは金銭面の支援やエージェントの手配、鐘山テック製PSIドライブの支給などを行う。
つまり、これまでそうだったように、これからもポーラはニューヨークの平和を守る親愛なる隣人であり続ける。そこに秘密結社天照支部長の肩書とバックアップがついただけの話だ。
休日のオープンカフェテラスで一緒にコーヒーセットを頼み栞と細部を詰めるポーラは自信に溢れ、ほんの三ヵ月前と比べて一皮も二皮も剥けていた。
もう俯いて人目を避け学校と家をただ往復していた物悲しい少女ではない。
かくして秘密結社天照ニューヨーク編は大団円を迎えた。
圧倒的めでたし!
アメリカ合衆国の多くの熟練警官がそうであるように、ロジャー・スミスも人間の善性を信じられなくなっていた。
新米警官として配属された当初は犯罪者を追い詰め悪人を打ち倒す華やかな職務を夢想していたのだが現実は違った。夫婦喧嘩の仲裁だとか、酔っ払いを引っ立てていって家に帰してやるだとか、麻薬中毒者の支離滅裂な言い訳を聞き流しながら病院に放り込むだとか。
犯罪者ばかりを相手にしているからだとどれほど自分に言い聞かせても心はすり減っていく。犯罪者はいつでも警官を陥れ騙しあるいは殺そうとしてくる。稀に改心した風な者がいても、すぐに同じ事を繰り返す。表面上は愛想良くしている者でも、少しつつけばボロを出し逆上して襲い掛かってくる。
悪意に晒され心身共に疲れ切った警官に、守るべき市民は感謝や称賛を向けるどころか牙を剥く。やれ巡回が足りないだの、税金を使い込んでいるに違いないだの、制服がダサいから近寄るなだの。
大抵は勤続五年で職務への熱意など消え失せ、十年も経てば金さえあればこんな仕事辞めてやるのに、と思うようになる。職業柄ウソに敏感になり、家族のちょっとした誤魔化しを犯罪者が繰り出す愚にもつかない言い訳と重ねて見てしまう自分に嫌悪する。
愛すべき家族すら信じられなくなるのだ。
ロジャーも全く例外ではない。
妻は結婚した後になって深酔いした時に収入が安定した警官なら結婚するのは誰でも良かったというような事を言っていて、愛はすっかり覚めた。息子と娘がいなければとっくに別れている。
その息子と娘も父を顔を合わせるたびに説教してくる厄介おじさんとしか思っていないようだった。
キッチンから持ち出した包丁で遊ぶ娘を厳しく叱るのは当然ではないのか?
万引きした息子に説教をして人としての正しさを時間をかけて教えるのは当たり前ではないのか?
自分が厳し過ぎるのか?
やはり「愛が無い冷たい人」なのか?
そうして毎日鬱々と過ごしていたロジャーは『超能力開発による明るい未来』を謳う秘密結社・月の智慧派に惹かれずぶずぶと沈んでいった。
同僚に誘われて入った秘密結社だったが、『秘密』結社という割にクリーンでオープンだった。顔や正体を隠して秘密らしい秘密活動をしているのは上級幹部ぐらいだ。
月の智慧派トップである大導師ジョン・サンジェルマンは全く大した傑物で、講演に出席するたびロジャーは感心する事しきりだった。彼は言葉一つ、動作一つで人を強く惹きつけるカリスマ性があった。講演の内容も道理に適っていたし、静かな熱意と断固とした決意を感じる心地よいものだった。
彼についていき、彼に協力すればアメリカは必ず良くなる。そう思わせてくれるパワーがあった。
同じ秘密結社のメンバーとも気が合った。年齢も職業も違う者ばかりだったが、同じ結社に属しているという仲間意識があった。結社の活動外で飲みに行ったり、スポーツ観戦に行ったり、ロジャーの陰鬱な暮らしぶりは明るく変わった。
明るく変わって、また落ちた。
秘密結社のちょっとした謎めいた任務を最初は楽しんで遂行し、何か大きな作戦の一部を担っているという誇りに胸を高鳴らせていたのだが、任務は次第に過激に法律すれすれのものに変わっていった。
これはマズいと気付いて身を引こうとした時には既に手遅れだった。ロジャーはいつの間にか月の智慧派の敵を捕らえる監獄の看守の地位に就いていた。
ロジャーは必死に自分に言い聞かせた。自分が監視している囚人たちは、どんなに善人に見えても、無実を主張していても、犯罪者なのだと。我が身可愛さに体面と言葉を取り繕っているだけの悪人なのだと。これまでずっと見てきた者どもと同じように。
真面目な男であるロジャーはどれほど不安を抱え疑いを持っていても職務には忠実だった。手を抜きたい、嫌だ、と思っていても手を抜かず顔にも出さなかった。
人生の苦悩に押し潰されそうな一人のちっぽけな男は表向き誠実な警官で通っていて、だからダーレス校の犯罪防止講習を頼まれた。未来ある若者に地域のおまわりさんから犯罪防止について教えてもらおう、という訳だ。
何の意気込みも誇りもなく、ひたすら虚無感と義務感で行った講習だった。
しかしそこで受けた一つの親切がロジャーの人生を変えた。
月の智慧派が裏切者抹殺のために送り込んできた暗殺者は友人面をして堂々とロジャー・スミスの自宅にやってきた。美容製品の割引目的で月の智慧派の末端メンバーになっていた妻は全く疑わず家の中に迎え入れた。
後ろ暗い事情など何も知らない妻は愛想よくお茶請けを出し、学校に子供を迎えにいった。
第三者が消えた途端に暗殺者が浮かべていた柔和な微笑みも消えた。
万事休すかと思われたが、偶然つけていたテレビに救われる。
なんと生放送中の画面の中で大導師サンジェルマンが内部告発をはじめ、悔い改めるつもりがある者達へ自首を呼び掛けていた。
暗殺者は食い入るように放送終了まで観た後、さめざめと泣きながら何もせず帰った。
間一髪。ロジャーは助かった。
ロジャーはポーラ・ポートとバウンサーがやり遂げた事を知った。サンジェルマンを打ち倒し、自ら罪を告白するほどにきっぱりと改心させてのけたのだ。
それからまたロジャーの生活は変わった。
怪しまれながらも概ね好意的にニューヨーク市民に受け入れられていた月の智慧派(とレインコート社)は一夜にして軽蔑と迫害の対象になった。暴走する正義漢による過剰な制裁から守るため、警察は一部の幹部を保護しなければならないほどだった。その警察内部にも月の智慧派が食い込んでいたため話はややこしくなるのだが……
ロジャーも裏事情についてこそ黙していたが、月の智慧派である事そのものは全く隠していなかった。つい先日まで仲良くしてくれていた隣人は口も聞いてくれなくなり、会えばまるで凶悪犯に出くわしたかのように怯えて逃げていった。
厄介な一週間を耐えるとマスコミの風向きが変わり、楽になった。
月の智慧派を悪人の巣窟に仕立て上げ(事実それは間違っていない)叩くニュースに大衆が飽きウケが悪くなったため、別の切り口が求められた。
その新機軸として打ち出されたのが「月の智慧派にも派閥があり、悪事を働いていたのは過激派で、穏健派はむしろそれを止めようとしていた」という論調だ。
不思議な事に、この新しい論説は多数の信頼できる証言・証拠を元に瞬く間に広がり圧倒的支持を受け、旧型の「月の智慧派は全員残らず悪者」論をあっという間に過去の遺物にした。
確かに月の智慧派の下部組織は何も知らない一般人で、秘密裡に悪事を行っていたのは上層部だ。そういう意味では「月の智慧派には派閥がある」というのは間違ってはいない。
しかしいくら流行り廃りが激しく移ろいやすいSNS全盛の時代とはいえ、切り替わりが突然で完璧すぎる。何者かの誘導か陰謀を疑いたくなる。
事の発端となった大導師サンジェルマン本人も獄中で月の智慧派内部の二極化を肯定し、自分の無力を悔いる殊勝な声明を出していた。
そもそもサンジェルマンが黙っていれば悪事の数々が表沙汰になる事は無かったのだ。サンジェルマンの自分は悪の主導者ではないという主張は一定の説得力を持つ。
いつの間にか世論は「サンジェルマンこそ諸悪の根源である」から「サンジェルマンは組織の暴走を止めようとしていたが力が足りなかった」という認識にすり替わっていた。
当事者であったロジャーも混乱した。
サンジェルマンこそ絶対悪だと信じていたのだが、思えばサンジェルマンから直接悪事に加担するようはっきり指示された記憶はない。彼はいつでも何かを期待したり、予期したり、思想を語ったりするだけだった。周囲が――――自分も含めて――――勝手に気を利かせたり曲解したりしていたという事なのだろうか?
いくら考えても調べても真実は霞のようで、手をすり抜けて消えてしまった。
どうあれサンジェルマンは自らの罪を自らの口から告白しているという厳然たる事実がある。魔術師のような底知れない男がすぐに監獄の外に出る事はないだろう。
はっきりしたはずの真相が不気味にぼやけはじめた事は置いておくとして、ひとまずはニューヨークに平和が戻ったと喜んでよい。
ロジャー個人の生活も良い方向に変わった。
元々誠実で真面目な警察官で通っていたロジャーは勝手に「ライトサイド月の智慧派」だと思われた。隣人は再び親切になり、子供達は悪の秘密結社に潜入捜査していたカッコイイ警察官のパパを学校でしきりに自慢した。
ポーラ・ポート、というより彼女の仲間であるバウンサーも脚光を浴び賞賛され大ブームを巻き起こした。
以前からニューヨーク市内での人助けが噂になっていたところに、レインコート社前大事故火災での救出劇が全国生中継で取り上げられ話題が沸騰。
映像解析によりこの神出鬼没の可愛らしい美少女が明らかに自己修復能力と身体工学的にあり得ない怪力を発揮している事が明らかになり、超能力者だと断定されると、グッズ屋は次々と彼女をネタに商売に乗り出した。
日本で活動し露出頻度も少ないBGやTLより、毎日ニューヨークで細々とした人助けをする身近な隣人の方がウケが良かったのだ。
彼女のルーツと思われるVRアバターも有名になり、ミーハーな年頃の少女たちはこぞってバウンサーのコスプレをしたりコーディネイトを真似したりした。蛍光ピンクの整髪剤と紫のカラーコンタクトがアパレルショップにずらりと並んだ。
用心棒では可愛くない、と、彼女のアバター名であるpinkyで呼ばれる事も増えた。
ロジャーの娘もpinkyの熱心なファンだった。なんと言っても可愛くて、超能力を使うリアルスーパーヒーローというのがたまらないようだった。つい先月までクリスマスプレゼントはBGの人形がいい、と言っていたのが嘘のような乗り換えぶりだ。
そして今日は休日。
ロジャーは久しぶりに子供達を連れて買い物に出かけていた。
大型ホビーショップで娘にはpinkyの何かのグッズを、息子にはレゴの新しいセットを買う約束だ。
信号待ちの間、娘は楽しげに笑いながら父の腕にぶら下がり、息子はパーカーの紐をずるずる引き出す手遊びをしている。些細な日常を素直に楽しめる幸福をロジャーはポーラに感謝した。
その時、わっと歓声がした。
振り返るとどこからともなく現れたバウンサーがピザ配達中の青年に話しかけていた。様子を見るに、どうやら配達用のバイクが壊れて立往生してしまったようだ。
バウンサーは観衆に手を振って愛想を振りまいた後、恐縮する青年からメモとピザケースを受け取り、猛スピードで走り去った。
彼女がロジャーとすれ違う一瞬にウインクしていったのはきっと気のせいではない。
お互いあれから何もやりとりはしていない。しかし確かに二人にだけ理解できる通じ合うものがあった。ロジャーは自然に微笑んでいた。
慌ててポーチから出したペンと紙を握りしめて立ち尽くす娘を慰める。
「落ち込むな、また会えるさ。サインはその時に頼めばいいだろう?」
「本当? また会える?」
「ああ。彼女はニューヨークの親愛なる隣人だからな」
次章【世界支部編(中) 中東紛争地帯/エスパー解放戦線】に続きます。二月中旬に開始します。