第一話 センとスイ
─この世界は一人きりでは生きていけない─
人間には、生まれた時から憑物がいる。
様々な種類の憑物はその人と共に生き、生涯離れる事は無い。
稀に憑物がいない子が生まれる事もあるが、大抵はすぐに死んでしまう。
何故ならこの世界で人間は、一人では、生きていけないからだ。
そんな中、憑物が居ない一人の少女が生まれた、段々と弱っていく少女の元に一人の男が現れる。
彼は少女を優しく撫でると、そのまま少女の憑物となった。
大きな山の頂近くにある泉、そばには小さくも立派な祠がある。その祠に祈りを捧げる少女が一人。修道服を身に着け、頭を覆うようにフードを被るその少女は、祠に主への祈りを捧げる。
「………主よ、願わくは主の御心により全てのものに幸福が訪れますように…。」
十数分と続く長い祈りを捧げ終えた少女は、顔を上げ泉の方へと向かう。
「スイ様、お待たせ致しました。参りましょう。」
「……やっと終わったのか。」
「はい、申し訳ありません。」
少女が泉へ言葉を投げかけると、中から若い青年が現れた。青い髪に青い瞳、白き衣を纏い、スイと呼ばれた青年は泉の上に浮いている。青年は少女に近付くと頭を優しく撫で、大地に降り立つと同時に、長い白蛇へと姿を変えた。
「構わん、済んだのなら山を下りるぞ。そろそろ日が暮れる。」
「はい、スイ様。」
少女は最後に一度、泉と祠に頭を下げスイを首に巻き付け山を下りた。二人は山の麓にある小さな村を目指し、山道を歩く。
「セン、大分歩いたが疲れてはいないか?」
「大丈夫ですスイ様、ありがとうございます。」
「そうか、だがあまり無理は……。」
半分ほど山を下りたところで、スイがセンに話しかける。無理をするなと言いかけたところで、スイは辺りを探るように黙った。
「……セン、少し止まりなさい。」
「はい、スイ様。どうかしましたか?」
「近くに何かがいる、複数だ。山賊の類かもしれん、身を隠しなさい。」
「は、はい!」
センは言われた通りに身を隠し、スイが静かに気配を探る。すると突然、ハッとするかのようにセンに言葉を発した。
「セン、急ぎ山を下りなさい。こちらに向かっている、おそらく鼻が利くやつでもいるのだろう。」
「え、えっ、あ、はい!」
スイの言葉通り、急いで山を下り始める。しかし、慌てて動き出したせいで、足がもつれ転んでしまった。
「きゃっ…、い、たた……。」
「大丈夫か、セン!怪我はないか?」
「はい、大丈夫です。少し擦りむいただけで…。」
「そうか、それなら良かった…。だが、どうやら追いつかれてしまったようだな。」
センが体を起こすと、周りの茂みから複数の男達が現れた。周りには犬や狐の憑物が逃げられないように囲うと、彼等は下卑た笑い方で話し掛ける。
「よう、お嬢さん。一人でこんな山にいるなんて、危ないぜ?俺達みたいな奴がいるからなあ。」
「大人しくしてりゃ、命までは取らねえよ。ただ、身ぐるみ全部置いて、俺達をちょーっと楽しませてくれりゃいいからさ!」
じりじりとセン達に近付く男達だが、触れようとした男が思い切り転倒した。
「いでっ…!」
「穢れた手でセンに触れるでない。」
スイが尾を伸ばし、男の足を払い転倒させた。そのまま足を掴み男を持ち上げ、他の男達の方へと投げ飛ばす。驚いた男達はそのままぶつかり、地面へと倒れた。
「うぐっ…!」
「テメエ、よくもやりやがったな!覚悟しろ!」
他の山賊達は憑物と一緒に、二人へと襲ってきた。向かって来る山賊に対してセンは後ろに下がり、スイはセンから離れて前に出る。スイは体を大きくさせ、その巨大になった尾を相手に向かって振り上げる。山賊達は思い切り打ちつけられ、痛みと衝撃のせいでそのまま気絶する。全員を倒したスイは姿を元の大きさに戻し、再びセンの首へと巻き付く。
「ありがとうございます、スイ様。彼等をどうか端の方へと寝かせてあげて下さいませんか?」
「アイツ等の事は知らぬ。そこまでしてやる事もない。」
「…そうですか、仕方ありません。少し日も落ちてきました、急ぎましょう。」
「そうか、それなら少し急ぐとしよう。無理はするなよ。」
センは少し足を速めて歩く。村に大分近付いて来た頃、道の途中で一人の少年が倒れていた。
「大変です、スイ様!あそこに男の子が倒れております!もしや、先程の山賊達に…!」
「ああ、そうだな。」
「大丈夫ですか、どこか具合が悪いのですか?傷が?」
「…う、あ……。お、なか…が…。」
少年は静かに呻き、何かを訴えようとするが、声が出ないようで。しかし代わりに、少年のお腹が小さな音を立てた。
「…もしかして、お腹が空いてるのかしら…?確か荷物の中に、水と食料が……あ、あった。大丈夫ですか、食べられますか?」
食べ物の匂いに気付いたのか、少年は起き上がりセンの手からそれを受け取り、口にする。勢いよく食べる様を見て、余程お腹が空いていたのかと吃驚する。
「ゆっくり食べなければ、喉に詰まりますよ。急がずとも、逃げたり致しませんから。」
「はむ、もぐ、むぐ…!…ぷはー、美味しかった、ご馳走様!お姉ちゃんと蛇さん、どうもありがとう!」
「ふふ、お粗末様でした。もう大丈夫ですか?」
「あ、うん…。本当にありがとう、お姉ちゃん達。美味しかったよ、そ、それじゃね!」
「あ、待ってください!」
少年はお礼を言うと、足早に立ち去ろうとする。しかしそれよりも前に、スイが尾を使って少年を捕まえる。
「こら、待ちなさい。センが話そうとしているだろうが。どこへ行く。」
「は、放してくれよ!僕に近付いたら、お姉ちゃん達が……。」
少年の言葉を遮るように、向こうから大きな声が聞こえてきた。そしてスイが捕まえていた少年を奪い取る。
「おい!ユウに何しやがんだ!」
少年を奪うと、声を荒げてセン達に襲い掛かる。
「セツキ、ま、待ってよ!その人達は、僕を……!」
「………お前、鬼か…。」
「……っ…!!」
鬼憑は珍しく、そして迫害されていた。周りに害をなすとされ虐げられていた。
「う、うるさい!それが何だって言うんだ!ただの蛇憑のくせに、鬼の俺とやろうってのか!よ、容赦しねえぞ!」
今にも掴み掛ろうと走り向かってくる鬼の子を、スイは尾を伸ばし転ばせる。そのまま縛り付けるように捕まえた。鬼の子は解こうと暴れるが逃げ出す事が出来ない。
「話を聞かん鬼子め、センが傷付いたらどうする。」
「貴方達、ユウ君とセツキ君って言うのね。怖がらないで、私は貴方達に危害を加えたりはしないわ。」
「嘘だ!人間はいつもユウを傷付ける!お前だって、きっとそうだ!」
「…鬼子は疎まれているからな。きっと迫害されていたのだろう。」
「そんな、迫害だなんて…。ああ、主よ、なんと悲しき事でしょう…。」
センは俯き、静かに涙する。スイは流れるセンの涙を頭で拭い、話し掛ける。
「おい、貴様に何が憑いてようと構いはしないが、センを傷付けようとするなら容赦はしないぞ。そもそも、貴様程度の子鬼など相手にならん。」
「な、何だと、テメェ!」
スイの尾の中で更に暴れ出した、その姿を見て少年が慌てて話し掛ける。
「待ってよ、セツキ。この人達は僕を助けてくれたんだ!お腹が空いて倒れていたところに、食べ物をくれたんだよ。」
「え、えっ…!?」
少年が鬼の子に説明すると、暴れていた動きが止まる。もう暴れないと感じたのか、スイは縛り付けていた尾を解く。
「……ごめんなさい。俺、またユウが虐められてるのかと思って…。」
「いいえ、気にしないで下さい。それだけ、彼が大事なのでしょう」
「あの、僕、ユウって言います。こっちは、セツキで、僕の憑物です。本当に、ごめんなさい…!」
「俺、セツキ…ごめんなさい…。」
ユウとセツキ、二人の少年は申し訳なさそうに謝罪をする。センとスイは気にする事なく、二人に話し掛ける。
「本当に気にしないでいいのですよ。後悔の気持ちがあるのなら、主はきっと許してくれます。それより、もう具合は大丈夫ですか?他にどこか悪いところなどはありませんか?」
「あ、うん!もう大丈夫!お姉ちゃんのおかげで、お腹いっぱいだよ。」
「そうですか、それなら良かった。でも、なぜあんなところで倒れてたのですか?」
「それは…、えっと…。」
歯切れの悪いユウをよそに、セツキが話し始める。
「アイツ等のせいだよ。村の奴等、いつもユウを虐めるんだ。俺が…、鬼が憑いてるからって…。ユウが生まれてから、村はどんどん水不足に悩まされているんだって。鬼憑が生まれたせいで、水が無くなってるって。だからアイツ等、ユウに碌な食事も寄越さねえんだ。」
「そんなことない、村は水不足による貧困に悩まされてるんだよ。だから山の上の方にある泉へ、僕が水を汲みに行くんだ。そしてその代わりに、村の人達からご飯を貰うんだ。村中が貧しいのに、水を汲みに行けばご飯が貰えるんだから虐められてる訳じゃないよ、セツキ。村の人達も大変なんだもん。」
「ユウ、まだそんな事言うのかよ!アイツ等、いっつもユウの事傷付けるんだぞ!」
「それは…、その…。」
口籠るユウに苛立つセツキ。そんな様子を見たセンは、二人を抱きしめる。
「ユウ君、セツキ君。大丈夫です。今は辛くとも、主は見てくれています。貴方達にも、必ず幸せが訪れます。だから……。」
突然抱きしめられた事に驚いた二人は、どうしたらいいか分からずにアタフタとする。しかしセンが話していると、突然セツキが暴れ出した。ユウを抱えてセンから離れるセツキ、驚いたセンは後ろへと倒れ、スイが前に出る。
「それっていつだよ!俺達は、どれだけ我慢すればいいんだよ!」
「貴様、センに何を…。」
「うるさいうるさい!お前達に、ユウの何が分かる!お前達なんか嫌いだ!」
「セ、セツキ…!」
泣き出した顔でユウの手を引っ張り、走り去っていく二人。スイは人の姿に戻り、センの手を引いて立ち上がらせる。感謝の言葉を述べ、センはスイの手を握る。そのままセンの体を優しく叩いて土を落とし、怪我が無いかを探す。
「セン、どこか痛む所は無いか?怪我は?後でアイツ等に謝罪させてやる。」
「大丈夫です、スイ様。きっと私が、彼等に酷い事を言ってしまったのです。どうか彼等をお許し下さい。」
「……センがそう言うのなら、今回だけはそうしよう。さあ、私達も山を下ろう。」
「はい、スイ様。ありがとうございます。」
スイが蛇の姿に戻り、センの首へと巻き付く。二人は麓の村を目指し、再び山を下り始めた。