バカラで会いましょう
夏のうだるような暑さの中、西山風は歩いていた。
時刻は夜だが、人通りが多かった。
集まる熱気に耐えられず、どこか静かに休みたいと、裏道に入る。
しかしアスファルトから出る熱気はおさまらず、風は追われるように早足になる。
すると一軒の店を発見した。
「ーバカラ? 何の意味だろう?」
不思議に思いつつも、暑さに飽きた風は店内に入る。
狭いスペースで、カウンターのみの店だった。
「ーいらっしゃませ」
髪の青い青年が迎え入れてくれる。
風は小さく頭を下げると、席へと座る。
「何にいたしますか?」
聞かれて、風はうーんと悩む。
酒のボトルが並ぶところから、バーのようだが、カクテルには詳しくなかった。
「バカラ…かな」
店名を言うと、青年がうなずき、作り始める。
まさか酒の名前とは思わず、風がじっと見つめている中、青年はちゃくちゃくと作っていく。
「何と何で作るんですか…?」
青年の手元を見ながら聞くと、青年は嫌がらずに答えてくれる。
「ウオッカとテキーラ、ホワイトキュラソーなどです」
そう言うと、シェイクを始める。
その姿は素敵で、男の風でも見惚れてしまうものだった。
ーそういえば、ここは涼しいな。
エアコンが効いていることもあるかもしれないが、いつの間にか、汗が引いていた。
しかも客と店員と1対1なので、社会から独立したような雰囲気を感じる。
まるで外の熱気が嘘のように感じられ、風はふうと息を吐き出す。
「ー完成です」
グラスに注ぐと、夏の青空を思い出すような、綺麗な青色だった。
差し出されたので、風はグラスを手にすると、口に含む。
「…ん? ん?」
ウオッカとテキーラを合わせてあるので、きついのかと思ったが、そうではなく、爽やかな喉ごしを感じる。
後からテキーラなのか、アルコールを感じるが、風はぐっと一気に飲んでしまう。
「美味しい!! さっぱりしている」
「ありがとうございます。レモンジュースが入っているので、そう感じるのかもしれせん」
青年は酒の瓶を片付けながら、優しく言ってくる。
風はどうしようか迷ったが、もう一杯、頼むことにする。
「カクテルをもう一杯。何でもいいので」
「畏まりました」
青年は透き通る声で言うと、作業を始める。
後ろの酒瓶の棚から躊躇なく選ぶと、風の前で混ぜていく。
「今度は何を使うんですか?」
「そうですね。ドライ・ジンとアプリコット・ブランデーなどでしょうか」
「へえ…。名前は何と言うの?」
「ーエンジェル・フェイス。天使の顔です」
「天使の顔…」
風はそう呟くと、青年を凝視する。
涼しい顔をして作っているが、女にもてそうなタイプだなと確信する。
動きにも無駄はなく、黙々とカクテルを作っていく。
「バーテンダーになって、何年になるのかな?」
「秘密です。毎回、開いているわけではないので」
「そうなのかい? それは残念だな。また来ようと思ったのに」
「それはありがとうございます。また開いた時にお会いしましょう」
「連絡先は? それくらい教えてくれてもいいだろう?」
「申し訳ありませんが、内緒です。隠れ家のようなものなので」
青年は口が硬いらしく、風は心の中で舌打ちする。
せっかく良い店だと思っていたので、友達を連れて来ようと思ったのだが、がっかりだった。
「…じゃあ、味わって飲まないと」
「そうですね。私の味を舌で覚えていってくださいませ」
青年は薄く微笑むと、シェイクしていく。
店内のBGMはジャズらしく、ほろ酔い加減になっている風には、心地よいように聞こえる。
「ーできました。どうぞ」
カクテルグラスに注がれたのは、黄金色の酒だった。
風はグラスを手に取ると、最初は一口ずつ飲んでいく。
「ん? 甘い…。さっきはテキーラのもつ強い味が際立っていたけれど、今度は何だろう? 甘いんだよ、とにかく」
「リンゴのブランデーを使っているからでしょうか。あと杏から造るブランデーを組み合わせてあるので、エンジェル・フェイスの名前の通り、香りと味とともに優しくなっております」
「なるほど…。リンゴと杏か。これ、美味しいな」
「あ、でもお客様、アルコール度数が高いので、お気をつけて。今は良くても、後からきくパターンもありますから」
「そうなのかい? …度数が強いのか。子どもでも飲めそうな感じがするけれどな」
風は一口飲むと、ぷはっと息を吐く。
酔いが回ったらしく、身体がかあと熱くなっていく。
ー良い店を見つけたな。
そう思いつつ、少しずつ味わっていく。
青年は何も聞かず、ゆったりとした時が流れていく。
「…ご馳走様。美味しかったよ」
「はい。ありがとうございます」
「最後に、もう一杯、もらおうかな」
「大丈夫ですか? 水を飲みましょうか」
静かに動いてくれ、グラスに水が注がれる。
風は一気にそれを煽ると、少しだけ心を開く。
「人生って上手くいかないものだよな。毎日、毎日、同じ時間に出勤して、退社して、自分なりに一生懸命、やっているつもりなんだけど…。怒られたり、馬鹿にされたりする。人間の集団は怖いし、恐ろしい。一度、標的になると、ずっと標的になってしまう。何でだろうな?」
「1人のほうが強いですよ」
青年はグラスを用意しつつ、答えてくれる。
「集団に無理に入ろうとするから、おかしくなるんですよ。1人なら1人でいい。ただし責任は全て自分にあります。見れば分かると思いますが、私も1人でしょう? お客様に何のカクテルを出そうか、気に入ってもらえるか、気になるものです」
「へえ…。動きがスムーズだから、何か言われるようには見えないんだけれどな」
「そんなことはないですよ。慣れです、慣れ。かっこよく動いているように見えるだけです」
「慣れかい。…電話対応も、来客との会話も、全て慣れというのか。社内の悪口も…?」
「それは聞き流しましょう。妬みや嫉妬の場合もありますし。私もこう見えて、色々と言われているものです」
「そうなんだ…。その容姿で、何か言われているんだ?」
「当たり前です。神が口を与えた時点で、もう自分の声や言いたいこと、色んなことが決まっているのです」
「神が口を与えたからか…。あー何か、もう全部発散したくなってきた。強い酒をくれ!!」
「畏まりました。お作りいたしますね」
青年は軽やかなリズムで動いており、見ていて飽きなかった。
ーこの青年が何か言われているのなら、俺だって頑張らないと。
悪口を言われそうな顔と、言われにくい顔があるのだが、学校と違って社会はそういったものは、関係ないらしい。
「何を作ってくれているんだい?」
「ウオッカ・アイスバーグ。全く甘味のない度数が高めのカクテルです。駄目でしょうか?」
「いや、それでいい。俺にください」
「畏まりました。ちなみにアイスバーグは氷山のことです」
「氷山? タイタニックか?」
風はははと笑ったが、青年は真面目に答える。
「氷を氷山に見立てるために、大きめな氷を使うんです。ウオッカをストレートで飲むようなものなので、お気をつけを」
「ウオッカをストレート…。…よし、飲んでやる!!」
青年はグラスに大きめの氷を入れ、酒を注いでいく。
風はごくりと喉を鳴らすと、じっと青年の手元を見つめる。
青年は嫌な感じはなく、話しやすい友達のような感じだった。
ー歳も離れているように見えないし。
風は20代だが、青年も同じくらいのように感じる。
若い者同士、同じ時間を共有できて、心地よく思う。
「ーできました。辛口なので、お気をつけを」
「はい。どうも」
風はグラスを持つと、恐る恐る口にする。
するとピリっとしたものを感じ、グラスから口を放す。
「う。さすがに度数が高いだけあるな。もう舌がしびれている」
「だからお気をつけをと言ったでしょう? 飲めなければ、残していいですよ」
「いや、飲む。負けてたまるか!!」
負けず嫌いの性格を思い出し、そうかと風は気づく。
社会人となり、余裕がなくなった自分、どんどんと無表情になっていく自分を、今になって哀れに思うのだった。
ー学校と社会は違う。
賃金を貰う側になると、責任が覆いかぶさってくる。
風は学生時代の自由な楽しい時を思い出し、涙をにじませる。
ー俺は俺だ!! 変わってたまるか!!
上司にも同僚にも、負けてたまるかと、酒を一気に煽る。
火が吹きそうなくらい熱さと苦味と、色んなものを感じたが、グラスを空にすると、音を立ててカウンターに置く。
「ご馳走様。最後は強烈だったよ」
「そうですか。水を飲まれますか?」
「いや、いい。何かを思い出したから、外へ出ようと思って。走って帰ろうかな、久しぶりに」
「走るのですか? それもまたいいかもしれませんね」
2人は微笑み合うと、風は青年に身を乗り出して聞く。
「あの、名前は? 何ていうの?」
「ーコルリ。人はそう言います」
「コルリ…。君にぴったりな名前だ」
風はひっくと、口からもらすと、大きく息を吸い込み、青年ーコルリに言う。
「また来るから。その時はよろしく」
「はい。お待ちしております」
コルリが頭を下げると、風は会計を済まし、暑い戦場へと飛び出していくのだった。




