荻宮茉莉子と少し変わった人
荻宮茉莉子は、この学校に長く居座るつもりはなかった。
制服も、教室も、クラスメイトの名前も、すべては仮の居場所だ。
必要なものを手に入れたら、静かに消える。それだけ。
昼休みの教室で、茉莉子は窓際の席に座りながら周囲を観察していた。
金の匂いがする人間。
孤独を抱えている人間。
誰かに必要とされたいと願っている人間。
(候補はいる。でも、決め手がない)
完璧な計画を立てるには、刺激が足りなかった。
「……つまらない」
小さく呟いて席を立った、その直後。
「あっ——」
廊下の角を曲がった瞬間、誰かと肩がぶつかる。
「ごめんなさいっ!」
弾かれたように下がった相手は、同じ制服を着た女子生徒だった。
慌てて頭を下げる仕草は控えめで、声も柔らかい。
名札に視線を落とす。
乃苺雪葉。
「大丈夫ですか?」
「ええ」
それ以上の会話は必要ない。
そう判断して、茉莉子は歩き出そうとした。
「荻宮さん、ですよね」
足が止まる。
名前を呼ばれること自体は珍しくない。
けれど、学校で、ほとんど話したことのない相手に呼ばれるのは、少しだけ違和感があった。
「同じクラスなので。席、後ろの方でしたよね」
雪葉は申し訳なさそうに笑う。
確認するような視線で、茉莉子の反応を待っていた。
記憶を辿る。
確かに、いた気がする。
目立たないけれど、完全に埋もれるわけでもない、不思議な存在感。
「……そう」
短く返すと、雪葉はほっと息をついた。
「よかった。間違ってたらどうしようかと」
(距離が近い)
それが最初に浮かんだ感想だった。
警戒心が薄いのか、それとも人懐っこい性格なのか。
詐欺の対象としては、扱いやすそうだ。
「荻宮さんって、いつも一人ですね」
「別に、困ってない」
即答すると、雪葉は否定しなかった。
「うん。そうですよね」
その反応が、わずかに引っかかる。
普通なら、気まずそうに笑うか、慌てて話題を変えるところだ。
「そういえば」
雪葉は、茉莉子の視線の先を見た。
「あの人、最近ちょっと無理してません?」
指さしたのは、クラスメイトの一人。
家庭が裕福で、周囲から一目置かれているが、どこか不安定な人物。
茉莉子が、次のターゲット候補としてリストに入れていた相手だった。
一瞬、思考が止まる。
「……どうしてそう思うの」
「なんとなく、です」
曖昧な答え。
理由を説明しようともしない。
(勘がいいだけ?)
そう結論づけるには、少しだけ正確すぎた。
だが、疑うほどではない。
「よく見てるのね」
「人を見るの、嫌いじゃないので」
それ以上、踏み込んでこない。
忠告もしない。
ただ事実を置いただけ、という顔。
(使える)
茉莉子は、そう判断する。
この少女は、無自覚に人の感情に近づくタイプだ。
計画の補助役として、十分に価値がある。
「ねえ、荻宮さん」
雪葉が、少し声を落とした。
「放課後、時間あります?」
「……何?」
「よかったら、一緒に帰りませんか」
理由は言わない。
見返りも、条件もない。
茉莉子は数秒だけ考え、頷いた。
「別に、いいけど」
その返事に、雪葉は嬉しそうに目を細めた。
「ありがとうございます」
その笑顔を見ながら、茉莉子は心の中で整理する。
___乃苺雪葉。
少し変わっているが、危険ではない。
感情に敏感で、人がいい一般人。
利用するには、ちょうどいい。
その判断が、どれほど致命的な勘違いだったのかを、荻宮茉莉子はまだ知らない。
放課後のチャイムが鳴る。
二人は並んで校舎を出た。




