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帰還

作者: yoshida
掲載日:2025/11/23

一年ぶりに、ここへ戻ってきた。


春の暖かな空気を胸いっぱいに吸い込みながら、王立学園へと足を向ける。


王立学園の華やかな校舎が見えてくると、ここに通っていた日々が、ひどく遠い昔のことのように思えた。


白い制服を着た学生たちが、思い思いに談笑しながら校門へ向かって歩いていく。

その間を抜けていくと、時折、視線を感じた。


──黒い制服のせいだろう。

あるいは、左目の傷と眼帯のせいかもしれない。


こちらもすれ違う学生たちを眺めながら歩くと、やはり貴族というのは、それなりの雰囲気をまとっているものだと感心させられる。


教室に入り、自分の席に腰を下ろすと、見知った顔の男子学生が声をかけてきた。


「久しいな、レオ。その様子だと、それなりに苦労したようだな」


「ああ、久しぶりだな、グレン。まあ、それなりにな」


そう返すと、グレンはどこか興奮したように身を乗り出してきた。


「父上から聞いたぞ。戦場では、ずいぶんと活躍したそうじゃないか」


「グレンの父上にそう言ってもらえるなら、光栄だよ。あっちでは本当にお世話になった」


「私も早く戦場に出て、武勲を立てたいものだ。レオが羨ましい」


「はは、急ぐことはないさ。……いずれ、嫌でもそうなる」


口調はできるだけ気さくに保ちながらも、内心は決して穏やかではなかった。


羨ましい、か。

一年前の自分なら、きっと同じことを思っていたのだろう。

だが今は、あの光景を知ってしまった自分がいる。


周囲と違う制服を着ているせいもあってか、いっそう強く、周りとのあいだに疎外感を覚えた。

この黒い制服は、王立学園に籍を置きながらも、すでに戦地へ派遣された者であることを示すためのものだ。


本来、王立学園に通う貴族の子息が戦場に立つことはない。

だが、家の当主が戦場で命を落とし、その当主が生前に「当主の座を息子に引き継ぐ」とした正式な文書を残していた場合、その子息は学園を休学し、家督を継ぐ者として戦場に向かわされる。


戦争が在学期間中に終わった場合、その者は王立学園に復学することになっている。

だから、今こうして教室に戻ってきた黒制服の生徒は皆、「学生」であると同時に、すでに一族の当主でもあるわけだ。


黒い制服が定められた理由は簡単だ。

彼らは家の当主としての立場をすでに持っており、もし他の生徒と揉め事を起こせば、それはただの学生同士の喧嘩では済まず、貴族同士の争いに発展しかねない。


だからこそ、白い制服の生徒たちは本能的に悟っている。


──黒い制服の学生と接するときは、余計なトラブルを避けるよう、距離を測りながら接するのが得策だと。


今日、最初の授業が始まり、ぼんやりと黒板を眺めていると、ふと気づいた。


――一年前よりも、内容が頭にすんなり入ってくる。


科目は数学だ。

戦地に行って、嫌というほど思い知らされた分野でもある。


なるほど、これは──

火球を敵に命中させるための角度を算出するとき、軍の術師に叩き込まれた計算そのものだ。


いくつかの授業が終わり、昼休みになると、教室の扉のほうから声が飛んできた。


「レオ。一緒に食べない?」


少し声が上ずってはいるが、どこか気さくで、柔らかな響きだ。

振り向くと、そこには女生徒が立っていた。


「カレン。ありがとう。一緒に食べようか」


そう答えて、二人で食堂へ向かう。

大きな半円形の窓のそばにある丸いテーブルに腰を下ろすと、ちょうど陽光が差し込んできて、心地よい明るさに包まれた。


席につくと、給仕の者が手際よく二人分の食事を運んでくる。

食事を食べ始めると、カレンのほうから口を開いた。


「雰囲気は普通のようね。安心したわ。昨日、久しぶりに会ったときは、全身から殺気が立ってるみたいだったから」


私は、思わず少し笑いながら答える。


「そう? それなら良かった。でも、昨日そんなにひどかったかな」


「それはもう。いろいろと……感じたわよ」


「そうか。ただ、今の私を見て、カレンが“おかしくはない”って思えるなら、それで十分だよ」


カレンは昨日の私の様子から、何か強く感じるものがあったのだろう。

確かに、久しぶりに会ったとき、彼女の顔には、憐れみとも、恐れともつかない色が浮かんでいた。


少し間をおいて、私は言葉を続ける。


「見た目も、他の生徒とはだいぶ違うからな。……カレンは大丈夫かい? こんなに目立つ婚約者で」


そう言って、左目の眼帯を指先でトン、と軽く叩きながら冗談めかして笑う。


「何というか、今からでも婚約破棄も遅くはないぞ」


殺し合いのただ中にいた身として、私はカレンの父上に、何度か手紙を送っている。

「娘を戦場帰りの男に縛りつける必要はない」、

「婚約を解消してほしい」と。


だが、返ってくるのは、最近の近況を綴ったカレンからの手紙だけだった。


彼女は微笑みながら、はっきりと言った。


「無事に帰ってきたし、その制服は、ある意味では名誉な証よ。これからも、私があなたの婚約者であることは変わらないわ」


その言葉には、揺るぎない意志が込められていた。

そして、その強さに触れて、私のほうこそ少し救われた気がした。


「……そうか。ありがとう」


自然と、そんな言葉が口をついて出た。


「……そうか。ありがとう」


口にした途端、胸の奥に張りついていた何かが、ほんの少しだけ緩んだ気がした。

カレンは「ふふ」と小さく笑って、カップを指先でくるりと回す。


「むしろ心配なのは、別のところよ」


「別のところ?」


首を傾げると、カレンは少しだけ声を落として続けた。


「最近ね、学園では“別の”婚約者問題が、いろいろと噂になっているの。……王太子殿下の」


「ああ……殿下の、か」


王族の話題となれば、自然と背筋が伸びる。

カレンは周囲を一瞥してから、言葉を選ぶようにゆっくり話し始めた。


「殿下ご本人も、殿下の婚約者であるリリアナ様も、そこは誤解しちゃいけないわ。本当にまっとうで、落ち着いてらっしゃるの。

 でもね――最近、男爵家の令嬢が一人、殿下の周りをずいぶん自由に飛び回っていて」


「……ああ、なんとなく聞いたことがある。とびきりの美人で、物怖じしない娘だとか」


「そう、その子。エミリア嬢っていうの。容姿だけなら、上級貴族の令嬢にも引けを取らないくらい綺麗よ。

 でも、言動がちょっと奔放で……殿下に気安く腕を絡めたり、リリアナ様の前でも遠慮がないの。本人に悪気はあまりないんでしょうけど」


カレンは、困ったような、でも少しあきれたような表情を浮かべる。


「殿下としては、あくまで“困った子”くらいの認識みたいで、恋愛感情なんて全然なさそうよ。

 でも、王太子が下位貴族の令嬢をあまり邪険にもできないでしょ? 家格の差がありすぎるから、むしろこちらが大人気ないって話にもなりかねないし……」


「それで、周りだけが勝手に騒いでいる、というわけか」


「ええ。『リリアナ様が可哀想』とか、『殿下が心変わりなさったのでは』とか。

 当のお二人は、あまり気にしていないように見えるのにね。リリアナ様なんて、『殿下があの程度でふらつく方ではないわ』って、余裕の笑みよ」


「……強いな」


素直な感想が口をついて出た。

戦場で刃を前にしても微笑んでいた兵士を何人か知っているが、その類いの強さとはまた別のものだろう。


学園は平和なはずなのに、ここにも別種の火種がある。

そんなことを考えていると、ふとカレンの視線が私の背後へと向いた。


「――あら、本当に噂をすれば、ね」


カレンの声につられて振り返ると、食堂の入り口付近が、さざ波のようにざわめいていた。


王家の紋章を刺繍した深い青の制服――王太子殿下が、ゆったりとした歩調でこちらへ向かってくる。

その隣には、柔らかな金髪をきちんと結い上げたリリアナ嬢。

背筋の通った立ち姿だけで、彼女が育ってきた環境と気品がうかがえた。


そして、その少し後ろを、軽やかな足取りでついてくる少女。

濃い栗色の髪をふわりと巻き、白いリボンを揺らすその姿は、なるほど一目で視線をさらっていく。


――あれが、エミリア嬢か。


「さっき話した三人よ」と、カレンが小さく囁く。


食堂の空気が、自然と道を開けるように変わっていく。

王族とその婚約者、それに噂の令嬢。

その三人は、数ある空席の中から、なぜかまっすぐこちらのテーブルへと進んできた。


「……こっちに、来るな」


思わずそんな独り言が漏れる。

カレンはくすりと笑った。


「視線をそらしたら、かえって失礼よ、レオ」


やがて、目の前で足音が止まった。


「久しいな」


静かながらもよく通る声が、真上から降ってくる。

顔を上げると、王太子殿下と、正面から視線がぶつかった。


「黒の制服……よくぞ戻った」


殿下は私の左目の眼帯に一瞬だけ視線をやり、それから真っ直ぐにこちらを見据える。


「戦場での働き、父上から何度も聞いている。

 よくぞ我が国の盾となり、そして、こうして帰還してくれた。――労をねぎらう」


食堂のざわめきが、さらに一段階、静まる。

黒制服の生徒に、王太子自らがねぎらいの言葉をかける。

それがどういう意味を持つのか、周囲の貴族たちは痛いほどよく理解しているのだろう。


私は慌てて席を立ち、軍で教え込まれた礼を自然に取っていた。


「過分なお言葉、恐れ入ります。

 王家と、この国のために働けたこと、身に余る光栄に存じます」


口は勝手に動く。

けれど、ここが戦場ではないことを思い出して、ほんのわずかに動きを抑えた。


――もっと深く頭を垂れそうになるのを、ぎりぎりで堪える。


ここで膝をつくのは、最前線の砦ではなく、王立学園の食堂だ。


殿下は満足そうにうなずき、その隣でリリアナ嬢も穏やかな微笑みを向けてくる。


「カレン嬢も、ご無事で何よりです。殿方を、無事に返していただいて」


「恐れ入ります、リリアナ様」


カレンが優雅に会釈を返した、そのときだ。


「まあ!」


一歩、軽い足取りで前に出たのは、エミリア嬢だった。

ぱっとこちらに花が向くみたいに、食堂の視線が集まる。


「あなたが、噂の“黒狼様”なのね? 戦場帰りの当主様なんて、素敵だわ」


……黒狼。


その二文字が、耳に焼きつく。

手にこびりついた血の色と、夜明け前の遠吠えのような怒号が、一瞬にして蘇る。


仲間が半ば面白がって呼び始めた渾名。

敵兵たちが、恐怖と憎しみを込めて吐き捨てた名。


それが今、陽の光が差し込む学園の食堂で、

ひどく軽やかな声音と共に口にされている。


指先が、無意識に腰のあたりを探った。

そこに剣はない。代わりに、皿とフォークがある。

当たり前のことなのに、それがやけに噛み合わない感覚だった。


エミリア嬢は、興味津々といった様子で、ぐっと距離を詰めてくる。


「その眼帯も、戦場での名誉の傷なのでしょう?

 ああ、どんな戦いだったのか、ぜひ聞かせてほしいわ。きっと殿下の武勇譚にも負けないくらい――」


「エミリア」


殿下の声が、わずかに低くなる。

叱責というほど鋭くはないが、たしなめる色が滲んでいた。


「当主殿は、まだ学園に戻ったばかりだ。

 昔馴染みと食事をしている最中に、武勇談を強請るのは礼を欠く」


「……あら、ごめんなさい。つい」


エミリア嬢は、悪びれた様子もなく小首をかしげる。

その仕草に、遠巻きに見ている生徒たちの間から、また小さなどよめきが漏れた。


――戦場の血の匂いも、焼け焦げた肉の色も知らないまま。

彼女にとっては、武勇も傷も、ただの“華やかな物語”なのだろう。


殿下は、私のほうへと視線を戻す。


「とはいえ、いずれ時間を取らせてもらうかもしれぬ。

 戦場の現実を知る者の目は、学園の中からはなかなか得難い」


「そのときは……僭越ながら、私でお役に立てるのであれば」


そう答えると、殿下は満足そうに微笑んだ。

その微笑みは、私個人に向けられたものというより、

黒制服全体――ひいては、戦場に立った貴族たちに向けられた印章のように思えた。


やがて、王太子一行は別のテーブルへと移動していく。

彼らが通り過ぎた後には、目に見えない境界線だけが、静かに残った。


さっきまでと同じ食堂。

同じ陽光、同じざわめき。

なのに、自分だけが、別の場所に立っているような感覚が拭えない。


「……疲れた顔してるわよ」


向かいから、カレンの声が落ちてくる。

気づけば、握りしめていたフォークがわずかに震えていた。

私は慌てて力を抜き、息を吐く。


「そう見えるか?」


「ええ。さっきまで“普通の学生”の顔をしてたのに、今はちょっと」


カレンは、いたずらっぽく微笑んでから、ふっと表情を和らげた。


「でも――ここは戦場じゃないわ。

 あなたが、もう一度“レオ”としていていい場所よ」


戦場では、私は家名で呼ばれることが多かった。

当主としての名で。

だからこそ、学園で当たり前のように「レオ」と呼ばれることが、妙にこそばゆく、同時に救いでもある。


「……そうだな」


短く答えて、ようやく冷めかけたスープを口に運ぶ。

味はちゃんとする。けれど、遠い。


王太子のねぎらいも、エミリア嬢の無邪気な瞳も――

どちらも、この学園が“平和”である証なのだろう。


だが、私の中にはまだ、泥と血と炎の匂いが残っている。

黒い制服は、その証を、誰の目にも分かる形で貼りつけている。


それでも。


「カレン。……とりあえず、午後の授業には遅れないようにしないとな」


「そうね。当主様が居眠りしてたら、いろいろ言われちゃうもの」


くすりと笑うカレンにつられて、私も少しだけ口元が緩んだ。


戦場と学園。

二つの世界のあいだに立たされている感覚は、きっとすぐには消えない。


それでも、今ここにいる限り――

私は、学生であり、当主であり、そしてカレンの婚約者なのだ。


その全部を抱えたまま、この学園に、もう一度馴染んでいくしかない。

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