第3章 壊れかけた友情の温度(00)
夜の帳が静かに旧校舎を包み始めていた。木製の窓枠の隙間から漏れる外気は、すこし肌寒さを伴っており、そこに春の雨の匂いが混じっている。
教室の蛍光灯は一部がチカチカと瞬き、何度目かの寿命の兆候を見せていたが、誰も気にする様子はなかった。
「夕飯……なんとかなるもんだねぇ」
柚羽が紙皿を眺めながら満足げに言った。
食事は亜沙美が中心となり、近くのコンビニと町の個人スーパーで調達したものを、簡易的に温めて提供した。から揚げ、おにぎり、野菜スティック、インスタントのスープ。どれも手軽なものばかりだったが、懐かしさも含めてか、不思議と味気なさはなかった。
「“食べる”って、やっぱり一番簡単な“共有”なんだな」
春樹が箸を口に運びながら呟いた。
彼の言葉は、特に誰にというわけではなかったが、何人かがうなずいていた。
「それにしてもさ、ここ、夜になるとマジで音が響くね。雨の音、ちょっと怖い……」
柚羽が窓の方に目をやった。雨粒がガラスにぶつかる音が、夜の静けさを強調するように続いていた。
「……ねえ、覚えてる? 高2のときの“あれ”」
ぽつりと美紗が言った。
その声は、まるで一枚だけ古いアルバムから剥がされた写真のように、唐突に、しかし確信を持って差し込まれた。
「“あれ”って……?」
「理科室で、夜、停電になって……」
「ああ、あった!」
将が笑った。
「懐中電灯持ってたのが遼平だけで、パニック起きかけたやつな。でも遼平、まさかの乾電池切らしててさ。あのとき、全員で声だけで居場所確認したよな。“右にいます!”とか、“ここにいるよー!”って」
「……今考えたら、あれって、“信頼してなきゃできない”ことだよね」
亜沙美の一言に、誰かが「確かに」と呟いた。
「でも今の俺たち、名前呼ばれても、“そこにいる”って言えないかもしれないな」
祥太の声は、どこまでも静かだった。
「……なんで、そうやって水差すかな」
少し遠くから聞こえてきたその声は、恵梨のものだった。
彼女は、教室の後方、黒板近くの椅子に腰掛けたまま、足を組んでいた。片手には缶コーヒー。まだ封を開けていないそれを、指先でくるくると回している。
「なに? せっかく“思い出話”してんのに、“今の俺たちは壊れてます”って言いたいわけ?」
「そういうつもりじゃ――」
「じゃあ黙ってれば?」
言葉が、空気を凍らせる。
教室に静寂が落ちた。
祥太は、ほんの少しだけ視線を落とした。その瞬間、柚羽が笑いながら割って入る。
「はいはーい! ここで“空気を壊さないジョークタイム”入りまーす!」
「お前……」
「先生のモノマネするよ? “岸本、ここで黙ってるのは、ちょっともったいないぞー”とか言ってたじゃん。あの言い方、クセ強くてさ」
その場に、小さな笑いが生まれた。
それはほんのわずか、ほんの一瞬だったかもしれないが、緊張を和らげるには十分だった。
恵梨は視線を逸らしたまま、缶のプルタブを開ける音だけを響かせた。
「……正直、許してないよ」
その一言が、また空気を張り詰めさせる。
「私は、今でも思ってる。あのとき、私が“あんな言い方”したのが悪いって言われた。でも、黙ってたあんたたちだって、十分ズルかったよ」
誰も何も言えなかった。
それは、確かに“過去”のことだった。でも、それが“終わった”と思えるほどには、誰も成熟していなかった。
「……でも、まあいいよ」
恵梨は缶を傾ける。
「三泊四日なんでしょ? “卒業”するんでしょ? だったら、どこかで一回くらい、“本音”言ってみてもいいかなって思って」
彼女の視線は、どこにも向いていなかった。けれどその言葉は、しっかりと全員に届いていた。