第16章 答えのない卒業式(00)
10月9日。文化祭復刻企画の当日。
空は秋晴れ。湿度の少ない柔らかな空気が、旧校舎を包み込んでいた。
駅からの道は落ち葉に覆われ、カサリカサリと踏みしめる音が耳に心地よい。
坂道を登る足音が、ぽつりぽつりと増えていく。
旧第三高校の正門には、今では珍しい木製の案内板が設置されていた。
「坂下ゼミ再訪歓迎」
その文字は、かつての卒業生が自ら筆をとって書いたものだという。
午前十時、校舎の講堂には、少しずつ人が集まり始めていた。
世代も年齢もばらばらな顔ぶれ。
だがその中に、あの日の“12人”の姿も混じっていた。
まず現れたのは、美紗。黒のロングコートに白のマフラーというシンプルな服装で、誰にも気づかれないように静かに席についた。
続いて遼平。ノートパソコンを小脇に抱え、顔を少しこわばらせながら入口の案内板を眺めていた。
恵梨は受付で名前を書くとき、スタッフに「旧ゼミ生です」とやや気まずそうに笑った。
麻実は、文化祭のパンフレットを受け取った瞬間、「構成がいいね」とつぶやいてから、小さく頷いていた。
真吾はスーツ姿で現れ、資料の読み込みを始めたかと思えば、「ここが正面か」と独りごちて席を選んでいた。
春樹は開場一番乗り。喫茶ブースの場所を確認し、全員分のコーヒーチケットをさりげなく確保していた。
柚羽は少し遅れて到着し、「わ、みんなちゃんと来てるし」と笑いながら駆け寄ってくる。
将はどこからともなく登場し、なぜか司会進行のスタッフと談笑していた。
菜穂は入口の花の飾りを眺めて「こういうの、案外泣けるんだよね」と呟いたが、目はまだ乾いていた。
雄也は会場の隅にひとり腰かけていたが、誰かが来るたびにきちんと立ち上がり、頭を下げていた。
亜沙美はパンフレットに目を通しながら、何かを丁寧にノートへメモしていた。
そして、最後に祥太が現れた。
彼の手には、小さな段ボール箱。中には例の12枚の栞と、新しく用意した空白のカードが入っていた。
開式の時刻が近づくにつれ、講堂の静けさが増していった。
前方のスクリーンには、坂下の顔写真。
その下に一行だけ、こう書かれていた。
「卒業、おめでとう。そして、これからが始まりです」
誰かが泣いた。誰かが微笑んだ。誰かは目を閉じた。
けれどそのどれもが、“一人きりの感情”ではなかった。
式が始まった。
しかし、それは“式”と呼ぶにはあまりに自由な空間だった。
誰かが話すわけでも、順番があるわけでもなかった。
ただ、マイクがひとつだけ舞台の中央に置かれていた。
誰も立ち上がらないまま、最初の沈黙が続いた。
だがやがて、一人の声が、空間に柔らかく響いた。
「……こんにちは。春樹です」
その声に、講堂全体の空気が一変する。
「“卒業式”って、過去に区切りをつけるものだと思ってたけど……今日ここに来て、そうじゃないかもしれないって思いました」
「なんていうか、“これからの話をする場”でも、いいんだなって」
春樹はそう言って、マイクを置いた。
それをきっかけに、一人、また一人と立ち上がる。




