第8章 真吾の理想と現実(00)
焚き火の翌朝は、驚くほど空気が澄んでいた。
雨も風もない静かな朝。旧校舎の窓から差し込む光は、まるで“今日という一日”が穏やかに進むことを約束してくれているかのようだった。
食堂では、数人がパンとスープを並べながら朝食の準備をしていた。
「……今日で三日目か」
春樹がカップを片手に言うと、恵梨が無言でうなずいた。
「あと一日で帰るなんて、なんか……信じられない」
柚羽は寝ぼけ眼のままパンにバターを塗っていた。
「まだ全然、話し足りない気がするのに。てか、笑い足りないし、泣きすぎたし」
「それだけの時間が流れてたってことだよ」
祥太が静かに言った。
その時だった。食堂の隅で真吾がひとり立ち上がり、手にしていた一枚の紙を掲げた。
「ちょっと……みんなに話したいことがある」
空気がぴんと張る。
いつも冷静で、言葉を選ぶ彼が、“自ら”話し始めるというのは、珍しいことだった。
「……俺さ、今回の“合宿”、参加するかすごく迷った」
真吾は紙を胸に戻して言った。
「理由は簡単。“今さら何が変わる?”って思ってたから。みんなと話したところで、過去は変わらないし、後悔は消えないし、失った信頼は戻らない――そう思ってた」
彼の声は落ち着いていた。だが、その静けさの奥に、“揺れていた何か”が宿っていた。
「でも、昨日、“誰かを許す”って課題を経て、気づいたんだ。……許せてなかったのは、俺だった。“あの時の自分”を、ずっと裁いてた。誰かのためじゃなく、自分が安心するために、“正しさ”を振りかざしてた」
言葉を切ると、誰もが真吾を見つめていた。
「……だから、今から“当時の自分”に謝罪しようと思う。いや、みんなに、でもある。あの時、俺は“理想のクラス”を作りたいって思ってた。秩序があって、誰も置いていかれなくて、みんながまとまってる、そんな教室。でも、それって結局、“自分が安心できる場所”を求めてただけだったんだ」
真吾は、ゆっくりと紙を読み上げ始めた。
《理想って、なんだろう》
《正しさって、誰のもの?》
《誰もが間違えず、誰もが傷つかない世界は、きっと存在しない》
《でも、間違えたときに“許される場所”を作れるのは、たぶん“正しさ”じゃなく、“人”だ》
《俺は、“間違えた人を受け入れられる人間”になりたい》
読み終えたあと、誰も言葉を発しなかった。
ただ、ゆっくりと拍手が起こった。
それは誰かが始めたものではなかった。自然と、全員の胸からあふれた感情だった。
「真吾……ありがとう」
柚羽が、小さな声で言った。
「あなたが言ってくれたことで、あの頃の“正しさの鎧”が、少しだけ軽くなった気がする」
「“理想”ってさ、遠すぎると誰もついてこないんだよな」
将がつぶやいた。
「でも、“間違いを認めて進む姿”は、不思議と人の背中を押す。……今日のあんたは、そんなふうに見えたよ」
真吾は、ほんの少しだけ微笑んだ。
「ありがとう。ようやく、俺も“卒業”できる気がしてる」
その一言に、誰もが黙って頷いた。
まだあと一日ある。
けれど、この日の“朝の告白”は、確かに彼らの関係性を一歩深めた。




