第7章 課題二:誰かを許す(00)
午後一時。再び旧校舎の放送室から、坂下の録音音声が流れた。
《さて、課題の二つ目だ。“誰かを許す”こと。》
《それは、過去に受けた傷をなかったことにするのではない。憎しみや怒りを押し殺すことでもない。“誰かの存在”を、傷を含めて受け入れるということだ》
《君たちの中には、いまでも忘れられない言葉、態度、沈黙があるかもしれない。だが、それが“心の中にある”と認めることから、許しは始まる》
《方法は自由だ。誰かに手紙を書くのもいい。本人に伝えてもいい。黙って紙に残すだけでも構わない。……だが、必ず“本音”を書いてくれ》
《心の奥底にある、わだかまりを言葉にすること。それが、この課題の目的だ》
音声が止まり、旧校舎内にしんとした静寂が戻る。
「……やっぱり、来たな」
将がつぶやいた。
彼は両手を頭の後ろに組み、椅子を後ろに倒すようにもたれかかった。
「“許す”なんて、人生の終盤でやることだと思ってたのにさ。俺たち、まだそんな歳じゃないのに、やるのかこれ」
「“歳”は関係ないでしょ」
恵梨が即座に返す。
「でも、簡単じゃないよ。“誰を許すか”なんて、そう簡単に出てくるもんじゃないし。むしろ、“誰も許したくない”って思ってる自分がいる」
「そう言えるのが、第一歩だと思うけどな」
春樹の声には、昨日から続く穏やかな温度が宿っていた。
「“許せない”って気持ちに、ちゃんと気づけるかどうかが最初なんだと思う。でないと、何も始まらない」
皆は紙とペンを手に取り、それぞれがバラバラに校舎内の場所を選んで散っていった。
この課題にだけは、静かで、ひとりきりの時間が必要だった。
図書室の隅。恵梨は椅子に腰かけたまま、白紙の便箋を前に、長いことペンを握ったまま動かなかった。
机の上に視線を落としながら、誰にも聞こえない声で呟く。
「……父さん、あんたの話なんて、ここでするつもりなかったよ」
彼女の筆が、音もなく紙の上を滑り始めた。
春樹は校庭のベンチに腰かけ、膝の上にスケッチブックを置いていた。
そこには、かつての実家の風景が簡単な線で描かれていた。その隣に、「母へ」とだけ書かれていた。
「ありがとう」と「ごめんね」の言葉が、重なり合うように並んでいた。
将は音楽室の片隅で、自分のジャケットをクッションにしながら床に座っていた。
彼はスマートフォンを前に置き、画面に向かってゆっくりと話しかけていた。
「……母さん、そっちで元気にしてる? こっちはさ、相変わらずグダグダやってるよ。……でも、今日はちゃんと“あのときのこと”を話すよ」
静かな空間の中で、ひとりひとりが自分の“誰か”と向き合っていた。
言葉にしなければ超えられないものがある。
そして、“許し”とは、たぶんその先にしかない。




