第6章 柚羽と祥太、笑えない夜(02)
翌朝、二人は特に言葉を交わすことなく、それぞれの部屋へ戻っていった。
だが、その間に流れていた沈黙は、かつてのような“すれ違い”のそれではなかった。
互いの存在を認め合い、ようやく一歩踏み出せたことを、静かに共有する時間だった。
教室では、すでに他のメンバーが朝食の準備に取りかかっていた。
「昨日、早く寝たわりに眠いんだけど……これって歳かな?」
柚羽のひと言に、将がすかさず返す。
「いや、あれだろ。“心が運動した”後は体がだるくなるんだよ」
「なにその理屈。精神と時の部屋かよ」
「ほら、笑ってる。やっぱ元気じゃん」
春樹がトーストをかじりながらにやにやと笑う。
一方、祥太は食堂の隅で亜沙美と話していた。
「……柚羽と話せた?」
「話した。ようやく、ちゃんと」
「そっか」
亜沙美は柔らかく微笑んだ。
「坂下先生、きっと喜んでるよ。……あの人、二人がずっと“遠回り”してるの、誰よりももどかしそうに見てたから」
「先生って、ほんとに……なんで全部見透かしてたんだろうな」
「“見る”っていうより、“待ってた”んだと思う。“信じてるから口出さない”って、そういうタイプだったでしょ?」
祥太は静かに頷いた。
「“正しさ”じゃなくて、“信じる”ことで教えてくれる人だったな」
その言葉に、亜沙美はふと表情を曇らせた。
「……ほんとはね、先生、病気のこと、最後まで誰にも言わなかった。私も、ほんとに終わりかけてからしか知らされなかった」
祥太は驚いたように目を見開く。
「でも、先生はそれでも“自分の死”よりも、“生きてる子どもたちの再会”のほうを考えてた。“死ぬ人のためじゃなくて、生きる人のために”って」
「それで……この三泊四日?」
「うん。先生が、最後に用意してた“卒業式”。」
教室の空気が、少しだけ揺れる。
そのとき、スピーカーから坂下の声がまた流れた。
《みんな、おはよう。今日は、二日目。最初の“課題”は、きっと大変だっただろう。でも、よく頑張った》
《次の課題は、“誰かを許す”こと。手紙を書いてもいい。言葉にしてもいい。形はなんでもいい。……ただ、心から“向き合う”ことだけが条件だ》
《この課題は、今日の午後に行う。だから、それまでの時間、自分と静かに過ごしてみてくれ》
声が途切れると同時に、誰もが小さく息を吐いた。
「……やっぱり、くるんだな、“許し”ってやつが」
真吾が、深くうなずいた。
「でも、“昨日のこと”を経た今なら、きっと……」
柚羽がそう言いかけて、祥太と目が合った。
二人は、ほんの一瞬だけ笑った。
それは、“今だから言える”という微かな誇りと、“あの日言えなかった”ことへのささやかな供養だった。
次の課題に向かう前に、彼らの胸には確かな変化が宿っていた。
それは、坂下が望んでいた“真の卒業”に向けた、小さな通過点だったのかもしれない。
(第6章 完)




