第1章 坂下先生からの手紙(01)
新幹線の窓から見える景色が、徐々に緑を帯びていく。都市部の喧騒が遠ざかるごとに、車内の音すらも穏やかに感じられる。
祥太と柚羽は、並んで座っていた。
柚羽は何度もスマートフォンを開いては閉じ、落ち着かない様子を見せていたが、ついにはため息をつき、スマホを膝の上に置いた。
「……全然、誰も既読つかないんだよね。あのグループLINE、もうほとんど“死んでる”よ」
「そういう関係だったんだろうな、結局」
「でもさ、あのクラスって、なんか不思議だったと思わない? バラバラに見えて、一回でもまとまると、すごい結束力あった気がする」
「坂下がいたから、だろうな」
「……うん。あの人、変だったけど、ちゃんと“先生”だったよね」
柚羽がぽつりと言った言葉に、祥太は何も返さなかった。代わりに、封筒から取り出したもう一枚の紙を見つめていた。
それは、手紙と一緒に入っていた校舎の見取り図だった。
印刷された紙には、赤ペンで囲まれた部屋の名前――「音楽準備室」――が記されていた。あの旧校舎の中でも、とくに使われることの少なかった部屋だ。
「なんで、そこが……」
柚羽もその図を覗き込み、眉をひそめる。
「なんかの暗号かな。謎解き系? え、私そういうの得意じゃないよ? ルールブックとか、ちゃんとないと困るんだけど」
「ルールを守るのが好きなやつが、いきなり冒険モノは無理か」
「やかましい」
柚羽は笑いながら小突く。祥太の口元も、少しだけほぐれた。
列車がトンネルに入る。車内が暗くなり、一瞬だけ自分の顔が窓に映った。
祥太はその中に、かつての“自分”の面影を探した。
――どうして、行くと決めたんだろう。
彼は、誰にも言っていなかった。高校時代、最後の数週間。あのクラスに起きた“ある出来事”。そのとき、自分が何をして、何をしなかったのか。
坂下先生は、最後まで何も言わなかった。ただ、目で問いかけてきた。
「それで、お前はいいのか?」
その問いが、ずっと胸の奥に残っていた。
だから、行かねばならない。自分自身に、ようやく向き合うために。
旧校舎で待つ何かを、確かめるために。
電車はやがて目的地に到着し、改札を抜けた先で――
「おお、ほんとに来たんだ、お前ら」
その声は、以前と変わらず、どこか軽やかで――
「将……!」
柚羽が目を見開いて声をあげる。迎えに来ていたのは、白シャツの裾を雑にズボンから出した、長身の男。相変わらずの無造作な髪と、半笑いの目。
将が、腕を広げて出迎える。
「まさか、お前らが先に来るとはな。俺、絶対一番乗りだと思ってたのに」
「駅で待ってたの? 優しいとこあるじゃん」
「たまたま今日、仕事で近く通る予定あってさ。で、手紙見て、行くしかねぇなって思って」
「将が来るって言ったら、たぶん恵梨も来るな」
「いや、あいつ俺に会いたいとは思ってないだろ、むしろその逆……」
「昔、美紗に冷たくされた時みたいに?」
「お前それ言うなって」
三人のやり取りに、風が通り抜ける。
――変わっていない。
だがそれは、変わることを恐れていた証でもあるのかもしれない。
駅前には、懐かしいバス停があった。そこから旧校舎までは、くねくねと曲がった山道を抜けた先にある。
バスに揺られながら、車窓に映る景色が、過去の時間を巻き戻すようだった。