第5章 美紗の嘘、春樹の本音(01)
二人が旧校舎へ戻ったのは、夕暮れが近づいた頃だった。
日が傾くにつれて、校舎の廊下には長く伸びた影が落ちていた。窓から差し込む光は暖かく、しかし確実に一日の終わりを告げる色を帯びていた。
「……どうだった?」
最初に声をかけたのは将だった。美紗と春樹が並んで廊下を歩いているのを見て、わざとらしく口笛を吹いた。
「まさかのカップル誕生か? いやー、十年越しの青春、胸が熱くなるわ」
「くだらないこと言ってると、蹴るよ」
美紗はいつも通りの口調で返したが、どこかに“やわらかさ”が混じっていた。それを見て、将は「おぉ」と目を細めた。
「まじで、何かあったっぽいな」
「何もないよ。ただ話しただけ」
春樹がそう返すと、将は肩をすくめて「そういうのを“何か”って言うんだよ」とぼやいた。
そんなやり取りを遠くから見ていた柚羽と恵梨が、廊下のベンチに座っていた。
「なんかさ、すごいよね」
柚羽がぽつりと呟いた。
「この校舎って、ただの古びた建物なのにさ。こうして集まって、何かを話して、ちょっと泣いて、ちょっと笑って……それだけで、時間が巻き戻ってくような気がする」
「巻き戻ってるんじゃない。やり直してるの」
恵梨は静かに言った。
「時間は戻らない。でも、“選び直す”ことはできるんだと思う。言えなかったこと、言わなかったこと、知らなかった自分の気持ち――そういうのを、ちゃんと目の前に置き直して、“今の自分”で触れる」
「……え、ちょっと今、名言じゃない?」
「バカ。そういう軽さで褒めるな」
「でもさ、本当にそうだと思うよ。人って、“過去をやり直したい”んじゃなくて、“今からでも間に合うことがある”って思いたいんだよね」
柚羽は、ほんの少しだけ遠くを見た。
そこには、夕陽に照らされた校庭が広がっていて、誰もいないはずなのに、どこかで笑い声が聞こえてきそうな、そんな気配があった。
旧校舎の中で、みんなが少しずつ変わっていく。
それは決して劇的ではない。
一人ひとりが、自分の“静かな物語”に向き合っているだけ。
でも、その変化は確かに“再生”の光を帯びていた。
日が沈むまで、彼らは静かに過ごした。
誰もが、心のどこかで次の課題の気配を感じながら。
そしてそれを、前よりも少しだけ“ちゃんと受け止められそうだ”と思っていた。
(第5章 完)