第4章 課題一:過去を語る(02)
午後三時、校庭では将が草の上に寝転んでいた。春の陽光が、雨に濡れた芝を乾かし始めている。目を閉じているのか、ただ眩しいのか――遠目には判断がつかない。
「……サボってるみたいね」
声をかけたのは恵梨だった。いつものように腕を組み、斜に構えた態度で立っていたが、足元はどこかそわそわと落ち着かなかった。
「おう、恵梨。俺に会いに来たのか? ……なんだよ、そっけない顔しちゃって」
「そっけない顔しか持ってないの」
恵梨はそう言って、隣に座った。将が驚いたように目を見開いたが、すぐに小さく笑った。
「……こんなふうに、並んで座るの、何年ぶりだっけ?」
「たぶん、高校の文化祭以来」
「“好きな人の名前、紙に書くとカップル成立”っていうアホ企画で、お前が“全員嫌い”って書いたの、俺は覚えてるぞ」
「よく覚えてるね」
「そりゃ覚えてるさ。俺、お前にそれなりに“好きだ”って気持ちあったからな、あのとき」
恵梨は黙っていた。
風が吹いた。木の枝がゆっくりと揺れ、光が恵梨の頬に陰を落とした。
「……あんたが私のこと“好き”だったとか、信じられないって思ってた。でも、それはきっと、私が自分のことを“好き”になれてなかったからだよ」
「お前って、昔からそういうとこ素直だったら、今頃とっくに結婚してたんじゃない?」
「うるさい」
でも恵梨は、笑っていた。
「じゃあ、今はどうなのよ? 誰かいるの?」
「いないけど、別に焦ってない。……誰かとちゃんと“関係”を築くって、時間がかかることなんだなって思ってるだけ」
将は、しばらく空を見ていた。
「俺、お前に振られたこと、実は結構引きずってたんだぜ」
「……なにそれ、ダサい」
「でもな、今日こうして隣に座ってくれたお前見て、ちょっとだけ、救われたかもしれない」
恵梨は返事をしなかった。ただそのまま、芝に背中を預けて空を見上げた。
それは、言葉以上の返事だった。
一方その頃、亜沙美は旧校舎の屋上に出ていた。
普段は立ち入り禁止のはずだったが、鍵はなぜか開いていた。まるで坂下が「ここも見せておこう」と仕込んだかのように。
眼下には、再会した十二人が散り散りになって、それぞれの時間を過ごしている姿が見えた。
「……みんな、変わってないね」
隣でぼそっとつぶやいたのは、雄也だった。
「いや、変わったのか。どっちかわかんないけど」
「変わったところと、変わらないところ。どっちもあって、どっちも間違ってないと思う」
「お前、ほんとバランス感覚いいよな。昔から」
「ありがとう。でも、ちゃんとぶつかってきた人たちがいたから、私も真ん中に立ててるのかもしれない」
「……俺さ」
雄也はしばらく黙っていたが、ぽつりと言った。
「昔、坂下先生に怒られたことがあった。“正論を言って満足するな”って。でも、意味わからなかった。“正しいことを言って、なにが悪いんだ”って思ってた」
「でも?」
「でも今ならわかる。“正しさ”って、ときに人の気持ちを踏みにじる。自分が正しいと思ってる間は、相手の気持ちを理解しようとしないんだ」
「うん……私も、そうだったかも」
「でも、今日こうして話して、少しだけ変われた気がした。……たぶん、今が“正しい”ってわけじゃなくて、ただ“わかろうとしてる”ってことが、大事なんだろうな」
屋上の風が、二人の髪をなでていった。
日差しのなかに、春の終わりと初夏の気配が少しだけ混じり始めていた。