第4章 課題一:過去を語る(01)
旧校舎の時計が午後一時を告げる頃、恵梨が戻ってきた。
「ちょっとだけ、気持ちの整理がついたかも」
彼女は照れくさそうにそう言い、手にしていた小枝を、誰にも気づかれないようポケットに滑り込ませた。
それは、あの頃の“自分”に向けた、小さな手紙のようなものだったのかもしれない。
「……じゃあ、午後は自由時間?」
将が尋ねると、亜沙美がうなずいた。
「うん。先生からのメッセージにも、今日は“話したあとは自分のペースでいい”って書いてあった。これから三日間、課題はあるけど、毎日が“詰め込み”じゃないみたい」
「合宿っていうより、療養所みたいだな」
春樹の言葉に、数人が笑う。
「……でも、療養って言葉、ちょっと合ってるかもね」
柚羽が言った。
「それぞれが“病んでる”って意味じゃなくて……“癒す時間が必要なまま大人になった”って意味でさ」
その言葉に、誰も否定はしなかった。
午後は、それぞれが好きな場所で過ごした。
体育館へ向かう者、図書室の奥で静かに本を開く者、校庭に出て空を見上げる者。
――まるで、もう一度“高校生”をやり直しているようだった。
図書室には、美紗の姿があった。彼女は教室では見せなかった穏やかな表情で、静かにページをめくっていた。春樹がその背中を見つけ、そっと声をかける。
「なに読んでるの?」
「心理学の入門書。昔、ここで借りて読んだの。なんとなく、懐かしくて」
「“人の心”って、扱いづらいよな」
「だから私は、なるべく関わらないようにしてた。でも、今は少しだけ、違う」
「何が?」
美紗はページを閉じ、表紙を撫でながら言った。
「“触れなきゃ分からないこと”って、ちゃんとあるんだって思えるようになった」
春樹は何も言わず、ただ隣の椅子に腰かけた。
「……“触れたら壊れる”と思ってた。でも、それって“触れなきゃ育たない”ものでもあるんだよな」
彼の言葉に、美紗はふと笑った。
その笑顔は、どこか不器用で、それでもやわらかかった。
一方、教室の隅では、祥太が窓の外を見つめていた。
そこに、真吾が近づく。
「さっきは……ありがとう。黙って聞いてくれて」
「俺も、ありがとう。正面から言ってくれて」
「……あの時さ、お前が黙ってたの、ほんとは分かってた。お前が“なにも言えなかった”んじゃなくて、“何も言わないことを選んだ”って。ずっと、わかってた。でも、認めたくなかった」
祥太は、小さく頷いた。
「じゃあ、今は?」
「今は……やっと、ちゃんと認められる。俺の正しさは、間違ってた。……でも、だからって、それで全部がダメだったとは思わない。そう思えるようになったのは、多分、お前が“黙ったままそこにいた”からだと思う」
互いに目を見て、短くうなずく。そこにもう“敵意”はなかった。
静かな午後。
誰かの心の中で、“何か”がほどけていた。
この三泊四日の意味が、少しずつ輪郭を持ち始めていた。