9話 兄とは、夏休みといえば妹である。
とうとう明日は夏休みになった。学校が終わり、理人と一緒に下校しながら俺は開放感を噛みしめるように大きくのびをした。
「夏だ!瑠李だ!夏休みだ!」
「ああ、糞みたいな一ヶ月が始まるな!」
理人は姉がいるから家にいたくないらしく、夏休みというイベントが大嫌いらしい。一方俺はその逆で、可愛い妹と過ごせる夏休みを非常に楽しみにしていた。
「夏休み、さ」
「ん?」
「姉ちゃん嫌になったらいつでも俺の家に来ていいからな。逃げ道がどこかにあるんだって思うと、少しは救われた気持ちになるもんじゃないかなって思うし、マジで来ていいから」
「妹ちゃんとお前の生活の邪魔になるんじゃないか」
「大丈夫大丈夫」
俺は確かに瑠李のことが大好きだが、友人のことをそれで邪魔だと思うようなことはしないし、絶対にない。瑠李だってそんなことは思わないはずだ。
「ありがとうな、ユッキー。愛しているぜ」
笑顔で手を振る理人に俺は大きく手をふった。
「ああ、また連絡するから!理人も連絡くれよ!」
「おう!」
俺は夏休み突入前に友人への別れを告げ、夏休みが始まろうとしていた。
あれから、姉華は俺に遠慮なく話しかけるようになった。瑠李のことを聞いてくることもなく、鈍感について俺から聞くこともせず、仲のいい幼馴染として話すようになっていった。
教室を出る時も――。
「あ」
教室を出る時、姉華に言われたのだ。
「夏休み、よかったらまた2人で遊びにいかない?」
急に耳打ちされて俺は戸惑った。教室の隅の扉から出るところだったし、近くに理人しかいなかったから、クラスのやつらには聞かれていないとは思うけれど、
「え?」
「それじゃ」
俺にまた連絡するとでもいわんばかりにひっそりスマホを口元にあてて友人たちと颯爽と教室を出ていってしまった姉華に俺は返事も返すことができなかった。
2人でってことは、2人きりでってことだろうか。まあ、姉華の友人たちと俺で一緒に出かけるのは嫌だしな。意味わからんし。でも俺、姉華と高校に入ってから全然話してないしな、久々に出かけるというのは悪くないんだけど……目立ちそうだな。姉華、可愛くなったし。
「まあ、いっか」
誘われた時に考えたら。
夏休みになったら瑠李ともっと長くいられるぞ。俺は大手を振って夕日を眺めた。日が落ちるのが本当に遅くなった。白と橙のグラデーションは、薄い水彩絵の具で描いたみたいに美しかった。
俺はこの時は知らなかったんだ。
今年の夏休みが、俺の忘れられない波乱と混乱に満ち溢れた夏休みになろうとは。
「ただいまー!」
「おかえり」
「今日は瑠李が早帰りだったんだな」
「うん」
そして、鈍感リーチは夏休みでビンゴになる。景品は、戸惑いと――唖然。
「明日から凜恋がうちにくるから」
「ん?」
「一緒に勉強するの、姉華さんが毎日部活で、お父さんとお母さんは仕事で家に一人なのが寂しいんだって」
「ほー」
凜恋ちゃんが家に来るなら、俺の部屋に理人をよんでもいいかもしれないな。
「お兄ちゃんは自分の部屋でゆっくりしてくれればいいから。どうせ夏休みすることないんでしょ」
「うん」
俺は元気に頷いた。夏休みといっても部活をしていない俺は、家で妹と過ごすくらいしかやることがない。もしくは宿題。理人とどこかにいってもいいかもしれない。うちの高校がバイト禁止でなければバイトをするんだけどな。
「泊まるの?凜恋ちゃん」
「泊まらないよ、何、泊まってほしいの?お兄ちゃんのエッチ」
ぎょっとして俺は瑠李の方を見る。お兄ちゃんのエッチという言葉を俺は、世界一可愛い自分の妹の口から聞くことになるとは思わなかった。瑠李は、ぷくっと顔を膨らませて不服そうに腕を組んで俺を見上げている。
可愛いの三点倒立をしてしまいそうだ。胸が苦しい。可愛い。
「そんなことは思っていないけど、でも瑠李は今日も可愛いなって」
「な、なにいってんの急に。そんなこといったって許してあげないんだからね」
かーっ……なにを許されるんだ俺は。可愛い。おらあ、しあわせだあ。
「ふへへ、ふへへ」
「き、気持ち悪いよお兄ちゃん」
幸せスマイルを妹に向けたが、妹は呆れたような顔で脱力している。
ああっ、夏休み。ありがとう、夏休み。こんなに可愛い妹と一緒に毎日を過ごすことができるなんて俺は幸せだ。そして瑠李、ありがとう生まれてきてくれて。
そういえば、夏休みは瑠李が手料理を作ってくれるんだった。
明日からの楽しい毎日の始まりに、俺は心が踊った。