8話 兄とは、妹の食器を洗いたいものである。
「美味しいか?」
「うん、夏休み入ったらあたしも何か作ろうかな。お兄ちゃんの好きなクリームコロッケとか」
「え!?」
俺の手からスプーンがことりと皿に落ちた。瑠李の手料理!?
「い、いいんですか」
「なっ、なんで身を乗り出してくるの?怖いんだけど」
「瑠李の手料理を食べられる日がくるなんて俺、俺え……」
「ひっ……なに、なんで涙声なの」
「生きていてよかった」
俺は恍惚とした表情で白い天国のような天井を見つめた。
「全くお兄ちゃんは相変わらず大げさなんだから」
照れ笑いを浮かべながらカレーを小さな口に運ぶ瑠李は可愛いを凝縮した妖精のようだった。俺の食卓に妖精が、いや、天使が、いや女神がいる幸せ。小さい頃から大事に大事に見守ってきたが、手料理を作ってくれるというまでに立派になって……。お兄ちゃんを何度感動させるんだこの妹は。
「……今日は一人で登校したの?」
「いや、姉華に話しかけられて」
一呼吸おいた瑠李は、探るような目で俺を下から上目遣いで見つめている。
「一緒に?」
「うん、まあ。途中まで」
なんで瑠李と一緒にいるのに、姉華の話をしたがるんだろうか?
「姉華さんって、変わったよね。小学6年生のときに凜恋の家で見た人とは別人みたい」
「そうだろう、姉華は高校デビューしたんだよ。彼氏を作ろうとしたんじゃないか?」
「彼氏……ねえ」
瑠李は、尚も俺を下から見つめながら小首をかしげて探るような目を向けてくる。なんだ、俺は変なことを言ったか?心なしかさっき手料理を作ってくれるといった時よりテンションが低い気さえしてくるぞ。
「お兄ちゃんは、姉華さんのことどう思っているの?」
「え?なんでそんなこと聞くんだ、ただの幼馴染だよ」
そう、ただの幼馴染。それ以下でもそれ以上でもない。普通に話してと言われたが、姉華に恋人ができれば俺はまた遠慮して話すことはなくなるし、姉華から話しかけられることもなくなるだろう。
「そう、なんだ」
安心したような、不服そうな複雑な表情を見せる瑠李は、もうすぐカレーを食べ終わりそうだった。
「でも、一緒に登校したら勘違いされるんじゃない」
「ああ、男子たちには冷たい目で見られたけど、俺と姉華はそういうんじゃないから。それに今日姉華に“鈍感”って睨まれたんだよ、姉華は俺のことなんてなんとも思ってな」
「なにそれ」
瑠李は、がしゃんとスプーンを置いた。
「え?」
瑠李は、大きく目を見開いて俺を見つめている。ああ、あれ、この顔。どこかで見たことがある。ああ、そうだ。今日姉華に瑠李のことを話した時も、こんな表情をしていたっけ。
「ごちそうさま」
瑠李は、食器をさっと片付けてキッチンの方に行ってしまった。あれ、俺また何か変なことを言ったか?
「瑠李?」
じゃーっと水を流す音がする。もしかして自分の食べた食器を洗っているのか?
「瑠李?お兄ちゃんがやっておくぞ」
瑠李は、俺の予想通り自分のカレー皿をスポンジで洗っていた。
「いい」
「手伝ってくれてありがとな、瑠李」
「姉華さんのいうとおり」
「え?」
「お兄ちゃんって、“超鈍感”だよね」
「ええ!?」
さっさと自分の食器を洗い終えた瑠李は、そのまま2階へと上がってしまった。なんだ、今日だけで二回も鈍感と言われたんだが。ビンゴだったら鈍感リーチだよ。
二度あることは三度あるということわざがある。しかし俺は理人に鈍感とは言われていない。なんて、考えても馬鹿らしい。俺は鈍感、なんだろうか。いや、いつも一番近くにいた幼馴染と、いつも一番近くにいる妹に言われれば、流石にそうなんじゃないかと思うところではあるのだが。
しかし、俺のどこが鈍感だというのだろうか。
首をかしげた俺は、考えてもわからんことを考えてもしょうがないとカレーを一口、口に運んだ。星野家のカレーは瑠李のためにいつも甘口のカレーにりんごをすりおろしている。お父さんも余ったカレーを喜んで食べているし、俺もこのカレーで舌が慣れているので全く気にしていないのだが、なんだかいつも美味しいと感じるそのカレーが、今日はやけに甘く感じた。