6話 兄とは、妹のことを死ぬほど愛しているものである。
「……」
姉華は、うきうきしているような、少し恥ずかしいといったようなハニーレモンソーダのような表情から、急に炭酸の抜けたような顔になった。
「うん、わかってた。わかってたよ。大事な話っていったらそうよね、輝くんにとって大事なことって、妹の瑠李ちゃんのことしかないもんね、そうだよね」
姉華は、ものすごく怖い顔をしてずんずんと俺に近づいてきた。
「いや、あの、なんか怒ってる?」
「はーーーー?怒ってる?怒っているわけないでしょ?このシスコン!」
「俺はシスコンではなく、妹のことが大好きなわけで」
「それをシスコンっていうのよ、シスコン、シスコン、シスコン!」
いつもの俺なら反論するだろう。しかし今の姉華の圧が凄まじすぎて何かを言い返せる雰囲気ではなかった。屋上のフェンスに背中をくっつけた俺は、俺の顔の横で獲物を捉えた女豹のようにフェンスを捉えている姉華がいつもより大きく見えるくらい、姉華は怒っていたのだ。 何か言い返そうものなら、高反発枕のように倍にして跳ね返してきそうだ。
ゴゴゴ……そんな背景が似合う禍々しいオーラを放っていた。
「でも、姉華にしか相談できなかったんだ」
「……なんでよ」
姉華は、怒りのオーラを少しひっこめてまんざらでもないような顔をしている。姉華は優しいから怒りきれないんだろう。
「同じ妹がいる同士として、妹のこと相談に乗ってくれていただろ?」
「……そもそもそれがおかしいのよ。自分の妹のことくらい自分で……」
「ん?」
ハッとした表情になった姉華は、少し考える素振りを見せてフェンスから手を離した。
やっと開放された俺は、何か考えている姉華を見つめることしかできなかった。
「……いいよ。輝くん。瑠李ちゃんの相談に乗ってあげる」
「本当か」
「ただし」
姉華は、俺に見せるように人差し指をたててきた。
「なんだよ」
「前みたいに、私と普通に話すこと!」
「おお……」
なんでそんなこというんだ姉華は。しかし、今考えたら避ける必要はなかったな。姉華は、もう友達も沢山いるし、俺がいなくてもリア充として学校生活を謳歌しているのだ。たまに俺と話すくらいは俺が男子たちから冷たい視線を浴びる些細なことに目をつぶっていれば解決する。
しかしもっといい条件は思いつかなかったんだろうか。まあ、俺にできることなんてないか。勉強を教えていたのも中学まで。今は自分の力で成績上位を維持しているみたいだしな。姉華がそれでいいなら。それで妹のこと相談に乗ってもらええるなら。
俺は、考える間もなく頷いた。
「わかった、うん、そんなことでいいなら」
「いいの?」
姉華は、俺にずいっと見を乗り出してきた。今度は体をひいていない為に無遠慮に姉華の豊満な胸が俺の胸板に押し付けられた。
「ああ」
「ほんと?前みたいに話してくれるのね?やった、やった」
「わかったから、離れて」
俺とこんなところをクラスメイトに見られたら姉華に迷惑がかかる。
「へへっ、嬉しくて」
「大げさだよ。全く」
「それで、悩みってなんなの」
そう、やっと本題にいけた。姉華は、横の髪を耳にかけながら小首をかしげた。その評定は、見た目が華やかになっても変わらず可愛かった。
「実は――」
俺は、姉華に妹に好きな人が親友とかぶり、更にその相手は好きになってはいけない相手であり、その理由は俺には言えないということを相談されたとまず説明した。そして、俺はそれに対してやめておくようにアドバイスしたことも伝えた。そして、それは破滅しか待っていないこともちゃんと説明して、だ。
「……」
話し終わって姉華を見た。
姉華は、口をぽかんと開けて呆けた顔で俺を見つめていた。いつもにこにこしてるクラスのマドンナがこんな顔をしているところを見ることができるのは俺だけかもしれない。直立不動で動かない姉華は、相変わらず口を開けている。
その口の中に何本指が入るかチャレンジできるくらいに、ぽかんときょとん、ぽょとんとしている。
「姉華さーん」
俺は姉華の目の前でひらひらと手を降ってみた。魂が抜けてしまっているのかもしれない。俺は腰が抜けたというのに、姉華は俺の妹の話を聞いて魂が抜けてしまったのかもしれないのだ。やはり姉華は優しい。俺の悩みにここまで真剣に向き合い、瑠李のこと想像し、魂まで抜かして驚いている。
「ごめん、俺も最初瑠李に聞いたときは衝撃を受けたよ。でも、相談に乗ったら妹がなんだか吹っ切れた顔で、登校についてこなくていいって言ったんだ。なんか心配で、俺のアドバイスは間違っていたんだろうか。でも、好きになってはいけない相手との恋愛の背中を、兄である俺が押していいわけないもんな」
「……」
しかしここで俺は、はたと気付かされる。帰りもだめかもしれない。瑠李は朝、一緒に帰る子がいるから、ついてこなくていいといっていた。瑠李には幼馴染がいて、それは俺の今目の前にいる白糸姉華の妹。白糸凜恋ちゃんというのだが、その子と行き帰り一緒に帰るのだ。凜恋ちゃんは生まれつき体が弱く、家が近くて年も同じの瑠李がいつも一緒に付き添ってあげていたらいつの間にか仲良くなっていた。
いつも俺が瑠李の行き帰りを変装までしてついていっていたのは、勿論瑠李が心配だったというのも大前提としてあるのだが、凜恋ちゃんが心配だったというのもある。
「でもおかしいんだ。前から俺が瑠李の行き帰り心配でついていっていたのを気づいていたのならおかしいんだよ。いつも凜恋ちゃんと一緒に登下校しているのに、急に一緒に帰る人がいるからついてこないで、なんて言ったんだよ。わからないだろ?」
「わからないの?」
え?
耳元までスッと距離を詰めてきた姉華に、俺は驚いて飛び退いたが、姉華は俺の手をつかんでぐいっと自分の方に引き寄せた。絶えず俺の耳元で語り続ける。背中がぞくりと震えて俺は姉華の手から逃れるように足を引いたが、姉華は尚も歩を寄せてくる。
「輝くんは、瑠李ちゃんのこと好きなんでしょ」
「好きだよ、大好きだよ。死ぬほど愛しているよ!」
「じゃあもし、瑠李ちゃんが輝くんのこと好きだっていったら?」
「嬉しいよ、嬉しいに決まってるじゃないか。天にも登るつもりだ。ああ、瑠李は天使だから俺、その瞬間に昇天してるよ、瑠李は俺の超絶可愛い妹だ、久々におにいにい大好きだって言われたいよ!」
姉華は、ぱっと俺の手を離した。俺は冷たいアスファルトの上に尻もちをついた。
「瑠李ちゃんのほうが大人かもね」
「なっ、どういう意味だよ」
「あれはどういう意味だったのか、もう考えないこと、瑠李ちゃんに聞かないことが私から言える答え。後、もう瑠李ちゃんにつきまとっちゃだめ。“普通の兄妹”になるの。それが一番、瑠李ちゃんにとっても、輝くんにとっても、いいことなんだから」
「いいことってなんだよ、俺が瑠李のことで知らなくていいことなんて」
「あるの、瑠李ちゃんに嫌われたくないならそうした方がいい、後その鈍感頭をなんとかしなさいよ」
「……」
姉華は、最後に俺を睨んだように見えた。俺は鈍感なのか、俺は姉華に睨まれたということは、瑠李のことも、傷つけてしまっていたのかもしれない。