2話 兄とは、妹の恋路を全力で邪魔する生き物である。
「……」
「な、なんだその目。その悲しそうな目は。救いようのない変態を目の当たりにしたときに見せるような表情は。何か悩みでもあるのか、相談してくれ。そうだ、最近おかしいと思っていたんだ、瑠李」
「……は?おかしくないし、ってか兄さんっていつも変な的を射てない表現するよね」
「なんか、悩みでもあるのか」
俺は飛び起きて瑠李に詰め寄った。お風呂に入ってちゃんと髪の毛を乾かしたらしい。えらい!そうそう、ちゃんといい子なんだよ俺の妹は!反抗期ではないかもしれない……。ちゃんと寝る前に一人で髪の毛を乾かすことができるこんなにいい子の妹が……。
「ちょっ」
「瑠李、なんでも話してくれ。俺が全部聞いてやるから」
俺は自分を指さして瑠李の肩を掴んだ。瑠李は困ったような顔をしてうろたえている。
「話すのが恥ずかしいことなのか?もしかして好きな人でもできたのか?」
俺はさっきネットで見たことをそのまま疑問にして問いかけてしまった。
そんなことあるはずがないのに。あっていいはずもないし、絶対ないし、ありえないしおかしいし……。
「……」
は?
なんだその恋をしてしまったのが好きな人にバレた乙女みたいな可愛らしい表情は。顔をぽっと赤らめて困ったようにうつむいた瑠李に、俺は思わず肩から手を離して尻もちをついた。
腰が抜けたのだ。
腰が、抜けた。
愛する妹に好きな人ができた?俺以外の?ありえなくね?
俺は抜けた腰をそのままに、冷たい床に尻を置きながらなんとか回る口で問いかけた。
「すっ……す、え、すき、す、え、あば、すき、」
ははっはー冗談冗談マイケル・ジョーダン、そんなことあるはずないよな。適当に俺もいっただけなんだよ。そんな演技しなくていいぞ。そんなわけないもんな。お前に好きな人なんてできるわけがないもんな。そういったつもりだったが、全く口がまわらなかった。
だって小さいとき、おにいにいと結婚するっていってくれたもんなっ……!涙が出そうだ。妹に好きな人ができた。結婚してしまう、家から出ていってしまう。
まだ中学一年生だぞ!
まだ中学一年生の俺のかわいい妹をたぶらかしたのはどこの誰だ。どこかの森に誘い出して森ごと焼いてやる……。
「何いってんの?ってか、なんで急に何もないところで尻もちをつきだしたの」
「俺の尻もちをついたのは瑠李だよ!説明して!俺は2番めだったのか!?」
「いや、2番めとか……まじで何いってんの」
そういって手を差し伸べた瑠李の白い手に俺は自分の手を重ねようとした。手を繋ぐのは、久々だな。兄妹で手を繋ぐのなんて、何ヶ月ぶりだろうか。中学に上がるくらいでこういうこと、なくなったもんな。
感動して手を伸ばした手を、瑠李は掴んで、
「あっ……」
「え?」
その後パッと離して自分の胸の前で組んでしまった。
まるで俺に触ってしまった、というような反応だった。嫌そうに俺から顔を背けている。
いや、これ違うわ。イヤイヤ期だわ。本格的に来てるわ、イヤイヤ期。だって俺の手を一回掴んでパッと離したもの……。
勘違いしてマジ、すみませんでした。
「うっ……っ」
泣いてない……泣いてない。
「ご、ごめんって!仕方ないじゃん。手を繋ぐの、久々なんだもん」
「え?」
何その薔薇の花のお姫様みたいな顔。ぽっと顔を朱に染めた瑠李はまだ未発達な胸の前で両手を組んでもじもじしている。かわいい。かわい殺される。
なんだ、照れていただけかよ。俺は全然いいんだよ。かわいい妹よ。いつだって求められればおにいにいと手と繋ぐのに照れないための練習にだって付き合うさ。
「へっ」
「急に一人で立ち上がるじゃん。腰抜かしたフリなわけ?」
「瑠李のおかげで元気になった!」
俺はにっこりと笑顔で瑠李を見つめた。そうさ、可愛い妹を摂取すれば腰痛、肩こり、それから多分腹痛とかにも効くと思う。
「……変なの」
瑠李はふふっと呆れたように笑った。当然可愛い。
「ところで、何の用?お兄ちゃんと話にきてくれたのか?」
瑠李は、ハッとした表情で俺のことを見た。
「?」
「……」
言うかいうまいか、どうしようか迷っているような表情に俺は自分の薄い胸板をどんと叩いた。
「瑠李の悩みならなんでも聞くぞ。任せろ、お兄ちゃんはこう見えて瑠李より4年も長く生きているんだ」
「こう見えてって、そのまんま生きてるだけでしょ」
「……まあ、でも、相談できる人……いないし」
「なんだ?」
ぼそぼそ何か言っている瑠李の言葉をなんとか聞き取ろうと耳をすました俺に、瑠李は覚悟を決めた表情で口を開いた。
「あの、恋愛、相談……なの」
腰が、砕け散った音がした。
「お、お兄ちゃん!?」
バラバラにされた人形というのは、きっとこういう気分なのだろう。体の機能が急に一瞬で石川五右衛門にすぱすぱと切られた後のように、体がバラバラになって、ついでに魂まで抜けた気もした。
俺はぺたんと冷たい床にお尻をつけて天井を見上げた。蛍光灯は、今日も白く輝いている。
なんだ、蛍光灯って、白いんだ。白、白かあ、いいよな、白って。今瑠李が着ているパジャマも白地にピンクの熊がついている可愛いパジャマなんだ。
可愛いパジャマを着る可愛い瑠李。俺の妹の悩みだ。わざわざこんな時間に相談にくるなんて、よほどのことだろう。
絶対に答えてあげたい。絶対に相談に乗ってあげたいんだ。そう、その気持はある。この世界で、瑠李の悩みを誰が一番聞きたいかって地球に問いかけたら地球の裏側からも俺って答えが帰ってくるだろう。
「今日ほんとおかしいよ?」
「……最近瑠李がおかしかったのも、そいつが関係してんのか?」
「……」
瑠李はうつむいて黙った後、本当に恥ずかしそうに顔を両手で隠してこくりと頷いた。
「ああ……」
その顔を見るのは俺だけだと思っていたのに、
「ダレダ……」
「え?」
「ダレダ……瑠李に愛される世界一幸福なあんちきしょうは……ダレダ……」
俺は死んでゾンビになった。ずっと大事に育ててきたたった一人の妹に好きな人ができた。そいつを殺して俺は死のうと思う。
っていうか、ずるいんだけど。は?世界一可愛い妹に愛されるとか、ずるいんだけど。死ねよ、どんだけ前世で徳を積んだんだよソイツ。絶対に許さねえ、妹を幸せにしなかったらぶっ殺すからな。いや何考えているんだ俺は。殺すのはだめだろ、でも結婚するとか許せねえ、妹は渡すわけにはいかない。どうしたらいいんだ俺は。とりあえず鼻からガソリンを飲んで見ようか、そしたらこの辛い現実から鼻れられるかもしれない。
「うう……っ……ダレダ……」
オレは誰だ。オレは、なんのために生まれ、なんのために死ぬのだ。地球は何故まわっている。オレの頭もまわっている。
混乱している……。俺は、混乱している。
「それは、言えない……けど、あの、その、真剣にあたし、悩んでいるの。誰にも、相談できなくて、お兄ちゃんにも、こんな相談本当は言いたくないんだけど」