第2話:エルザの一日
「お嬢様、朝ですよ」
私の専属侍女のハルナに起こされます。
ちょっと高めの、可愛らしい声。
アニメの声優さんのような声ですが、純朴な雰囲気の彼女にはとてもマッチしてます。
これで眼鏡スーツの秘書系お姉さんだったら、変な気持ちになるのでしょうが。
赤っぽい茶色の長い髪を高めの位置で一つに括ったポニーテールで、真っ白な頭巾をかぶってメイドエプロンを身に着けた美少女なのでオッケーです。
その髪を括っている黄色いリボンは、私がプレゼントしたものです。
大事に使ってくださって、嬉しいですわ。
我が家では基本的に使用人の多くが、私よりも早く起きております。
当然と言えば当然ですね。
夜番を除く全員が私より早く起きて仕事をするのは、使用人なのですから普通のことです。
私より先に寝ても良い人たちは、必ず私より先に起きます。
私より後に寝る人たちは、私より後に起きます。
我が家は亭主関白ならぬ、領主関白ではないのです。
しかし、不思議なものです。
目覚しの無い状態で、いつもほぼ決まった時間に起きられるのはなぜでしょうか?
時計はありますが、使用人が持てるようなものでもありませんし。
目覚まし時計ではありません。
答えは寝ずの警備が朝勤務の責任者を起こしたあとで、その責任者の方が全員を起こすようです。
ハウス・スチュワードのセバスチャンの仕事のようです。
目覚し時計……時計があるので簡単に作れると思うのですが。
この世界の目覚まし時計は、蝋燭を使ったものでした。
蝋燭が燃えつきると、蝋の中の玉が転がり落ちて金属の板に当たるものとか。
町の方は、朝の鐘は兵士の方が鳴らしてましたね。
目覚し時計……作れば売れるでしょうが、時計自体が高価なものです。
いや、公爵家の使用人ともなれば、それなりのお給金は頂いているでしょう。
それに、お家柄も悪くないはずです。
私の実家との繋がりが得られるということも考えれば、家族の方も多少の援助は惜しまないでしょうし。
ですから多少値が張っても、手が出ないということはないと思います。
とりあえずベッドの足元に目を向けて、正面の壁に掛かっている大きな時計を見ます。
いつも通り、7時でした。
ふふっ……うちは金持ちなので、当然時計くらいはあります。
時計のぜんまいも毎日使用人の方が巻いてくれるので、止まることはありません。
魔法があるのに、こういったところはアナログなようです。
いや、魔法があるのに、きちんと文明もある程度発展しているのは有難いことです。
「いつも、ありがとうハルナ」
大きく伸びをして……少し、肌寒いですわね。
まだ秋になったばかりだというのに。
とりあえず、起こしにきてくれたハルナに挨拶を。
「お嬢様は寝起きが良いので、私も助かっております。さあ、顔を洗いましょう」
桶にお湯を張って持って来てもらったので、それで顔をバシャバシャと。
魔法で洗った方が早いのですが、せっかくの気遣いです。
無駄にはいたしません。
「私のために、毎朝お湯を用意するのは大変じゃないかしら?」
「お嬢様のためと思えば、なんの苦労も感じません。お嬢様は、我がレオハート家の至宝ですからね」
嬉しいことを言ってくれます。
仕事ですからと言わず、好きでやってくれているような言い回しに思わずニンマリとしてしまいます。
ハルナが私の侍女で、本当に良かったです。
まだ19歳という若さで、公爵家の令嬢の専属を任されているだけのことはあります。
これも、彼女の親御さんの教育の賜物でしょうか?
いや、彼女自身の資質かもしれません。
まあ、彼女の母であるマリアもうちに仕えているので、教育と資質の両方でしょうね。
スタイルもよく顔だちも綺麗なのに。
隙あらば私の世話をしようと頑張る彼女に、残念ながら浮いた話はありません。
宝の持ち腐れですね。
「どうかなされましたか?」
「いえ、もう少し自分の時間を楽しませてあげられたらなと思って」
この世界の使用人に、決まった休日というものはありません。
気紛れに、おじいさまが与える以外には国を挙げての祝い事くらいでしょうか?
それすらも、それを楽しむ私たちのお世話をするのに、働かないといけない方もいます。
ブラックですね。
「私の時間ですか? もし頂けるなら、お嬢様の側でご一緒に過ごしたいですね」
それは、仕事では?
ここまで、ワーカホリックなのはどうかと思いますが。
「お嬢様のために何かすることが、私の楽しみですから」
可愛い子ですね。
現状、私の方が一回り以上年下ですが。
精神的には、私の方がお姉さんです。
「ありがとうハルナ。これからもそう言ってもらえるよう、良き主としてありたいですね」
私の言葉に、ハルナが胸を押さえて少しよろけてます。
どこか悪いのでしょうか?
「大丈夫ですか?」
「はっ! はい! お嬢様のお姿が、あまりにも尊かったので」
前世のオタクみたいなことを言い出しましたが、通常運行なので微笑んでスルーします。
「あっ、鼻血が……」
少し不安になりますが、仕事は完璧なので目を瞑ることにします。
それから朝食の前に庭に向かいます。
服を動きやすいものに着替えて、それからです。
***
「おはよう、エルザ」
「はい、おじいさま! おはようございます」
庭では、祖父がストレッチを行っておりました。
いつもの早朝訓練です。
今日は、長物ですね。
先に布が厚く巻かれた長い棒が2本、用意されてます。
「今日は一週間ぶりに槍を教える」
「はい!」
私の武術の先生は祖父です。
武器全般を扱える、優秀な方なのです。
ギース・フォン・レオハートといえば、知る人ぞ知る武人。
いや、現役時代は第一騎士団の団長を務めていたのですが。
先代陛下ではなく、おじいさまが。
この国では第一騎士団の団長は、国王陛下が務めることが多いそうです。
といっても、肩書だけのようですが。
総大将なので、戦場では全体におおまかな指揮を出す立場です。
なので第一騎士団の細かい指示系統は、副団長の仕事です。
実質的に副団長が、他の騎士団の団長と同じ役割を果たすことになるのですが。
おじいさまは自身の率いる第一騎士団でも、直接指揮する団長として就任していたようです。
戦場での全体指揮も、前線での戦闘も、第一騎士団の指揮も全てを同時にこなせていたとのこと。
それほどの知勇兼備の名将であられたらしいのですよ。
本人と、身内の話でしかありませんが。
信憑性は低いですが、全力で褒めそやします。
いつも私が何をしても褒めてくださるので、そのお返しです。
鼻がみるみる伸びて、大きく体を反らして胸を張っておりました。
その際に、決して最前線の最前列で力によるごり押しで、戦況を支配していたわけではないとしつこく説明されました。
開始早々、単騎で突っ込んで相手の前線を蹴散らし混乱させて、それから自身の率いた騎士団を突っ込ませたり。
殿を務めて敵を有利な位置に引き付ける途中、牽制で何度か軽い反撃をした結果、作戦が不要になるほどの損害を相手に与えたり。
そういった逸話がありましたが、全て作戦だったと得意そうに言っておられましたね……
必死になればなるほど、説得力が落ちるという不思議な状況でした。
「きゃっ!」
「エルザー!」
思い出に浸っていたらレベル700を超えたおじいさまの突きを、思いっきり受けてしまいました。
まあ、400超えの私の装甲をもってすれば、木の棒の方が砕けるのですが。
それでも、吹き飛ばされてしまいました。
おじいさま、恐るべし。
訓練中に気を反らしてはいけません。
訓練に集中していなかった私が悪いのです。
ですから、落ち着いてくださいおじいさま。
びっくりしただけで、怪我はしておりませんので。
早朝訓練を終えると、汗を流してから朝食を取っておじいさまと町へ向かう支度を。
今日は、冒険者ギルドへと向かいます。
6歳の私ですが、いまの見た目は16歳程度。
おじいさまも60手前でしたが、見た目は20代中ごろ程度。
共に、魔法で姿を変えております。
その状態で、偽造した身分証で冒険者登録も済ませてあります。
身分証の偽造は重罪ですが、その身分証を管理しているのはこの領地では我がレオハート家。
そもそもが、上位貴族の中には平民の身分証を持つものが少なからずいます。
お忍びで町を視察する際に、使うものですね。
なので偽造は偽造ですが、特権ともいえます。
「本日のご依頼はどうなさいますか?」
「適当に迷宮で魔物でも狩ってくる」
ちなみに、ギルドの職員は私たちの正体を知っております。
ですが、表向きは4人組の獅子の心というパーティとなっております。
あとの2人は、わがレオハート家のハウス・スチュワードのセバスチャン。
そして、ハウスキーパーのマリアです。
ハウス・スチュワードというのは執事を取り仕切る方らしいです。
家令と呼ばれる、使用人のトップですね。
その下にバトラーとよばれる、上位の使用人がおります。
そしてハウスキーパーは、家政婦です。
といっても、日本のイメージにあるような家政婦とは少し違います。
メイド長といった方がしっくりくるでしょうか?
実質には、メイドとは違いますが。
事務方というか、雇用サイドの人間に近いですね。
そういった役職の方が専属で存在するあたり、公爵家がいかに凄いかが分かってしまいました。
ハウス・スチュワードがバトラーを兼任していたり。
ハウスキーパーが、現場でバリバリ働いていたり。
そういった貴族家は、ごまんとあるようです。
彼、彼女たちも家のことをしてくださいますが。
自発的に、やらなくてもいいのにやっているだけですので少し違いますね。
その代わり、やりたいことしかやりませんが。
セバスは、常におじいさまの側で手伝いをしております。
マリアは、私やお母様の世話や相手が多いですね。
ハウスキーパーのマリアは侍女であるハルナの上司ですが、彼女の母でもあります。
そして、彼女の御実家は子爵家のようです。
そのマリア自身も、クルマール伯爵の第二夫人です。
子爵家令嬢で、第二夫人とはいえ伯爵家夫人。
育ちも肩書もしっかりとしたもので、それに見合った能力ももっております。
現在は夫の元を離れて、娘であるハルナとうちに来ておりますが。
側室ですので、御褥辞退のようなものも済んでいるのでしょうか?
まだ、マリアも若いとは思うのですが。
綺麗な女性です。
そしてセバスチャンの実家は侯爵家のようですが、彼は祖父にほれ込み自分から我が家に来た変わり者です。
まあ、三男らしいので、家を継ぐこともなかったようですが。
三男らしく自由奔放というか、貴族にしてはちょっとあれな技能も多く持っています。
しかしベースには、しっかりとした教育が行われていたであろう痕跡もみられます。
そもそも貴族学園に通っていた時は、ありとあらゆる分野でトップ5には入っていたようです。
周囲からはそこまで努力をしていたようには、見られていなかったみたいですが。
所謂、天才肌というものでしょう。
羨ましい限りですね。
そのマリアとセバスを供だって、4人で迷宮探索に。
ちなみに2人も私たちと一緒に仕事をするようになって、レベルがあれなことになってます。
実質4人とも、英雄以上の実力者になっておりますとしか……
私とおじいさまが前衛で、残りの2人が後衛でセバスが魔法による補助とナイフや弓による遊撃、マリアが回復と魔法による援護射撃を行います。
セバスは暗器使いでもあるようです。
様々な武器を、要所要所で使い分けていました。
しかし、主人とその孫娘が前衛で、使用人が後衛……
これでいいのでしょうか?
いいのでしょう。
いくら2人が強くなったとはいえ、私たちの方が遥かに強いので仕方のない事です。
ちなみに、冒険者ギルドに登録して3ヶ月で、パーティとしてSランク、個人としてもA~Sランクになっております。
誰が、どのランクかは言いませんが。
公爵家に対する忖度があったわけじゃありません。
私たちが出入りし始めてからギルド内が綺麗になったり、建物が大きくなったりしてますが。
賄賂とかではないですよ?
私たちが、頑張った結果です。
竜討伐依頼を事後承認で受けて、素材をいくつか納品した結果です。
初期のランクでは受けられないので、依頼内容を達成してから依頼書を持っていっただけです。
勿論、問題になりそうでしたが……そこは、ほら。
公爵家ですから。