第八訓 計画はきちんと立てましょう
――その後。
併設された売店で何やら小物を買ってから美術展会場を出たミクと藤岡は、デパートの各フロアをブラブラと歩き、楽しげに陳列された商品や服などを見て回っていた。
その後ろを、つかず離れずの距離を保って追う、俺と立花さん。……多分、傍目から見れば、完全に不審者のムーブをかましているようにみえたであろう。
実際、周囲からの訝しげな視線を時折感じていた俺は、いつ通報されるかと内心ビクビクしていたが、隣を歩く立花さんは、そんな俺の焦燥や恐懼など知る由も無く、深く被った野球帽の庇の奥から、ギラギラとした視線をミクと藤岡さんの方に向けていた。
そして、手をつなぐなどといった過度な接触をする事も一切無いまま、ミクたちはデパートを出た。
幸いな事に、店員や警備員や万引きGメンに肩を叩かれずに済んだ俺たちも、往来の人混みに紛れながらふたりの後を尾ける。
正直、人気のない裏通りに並ぶオトナの宿泊施設に向かったらどうしようとハラハラしていたが、そんな事も無いまま駅のコンコースまで来ると、ふたりは二言三言言葉を交わし、それから名残惜しげに手を振り合いながら別の方向へ歩き出す。
俺は、ミクが歩いていった先がアイツの家に向かう路線の改札の方だと確認し、安堵の息を吐いた。
「……どうやら、これでデートはお開きみたいだな」
「……うん」
俺の言葉に小さく頷く立花さんの顔も、心なしかホッとしているように見える。
もう変装の必要は無いと思って、俺は被っていた中折れ帽とサングラスを取ると、背負っていたリュックの中に仕舞った。
その時、
「……ねえ」
と、藤岡が去っていった連絡通路をじっと見つめていた立花さんが、俺に声をかけてきた。
俺は、中折れ帽のせいで崩れた髪の毛を手櫛で整えながら返事をする。
「ん? なに?」
「……これから、どうする?」
「え……?」
立花さんの問いかけに、俺は一瞬虚を衝かれ、戸惑い交じりの声を上げた。
そして、少し考えてから、答えを口にする。
「いや……普通に家に帰るけど」
「――そうじゃなくって!」
俺の返事に、立花さんは苛立たしげに声を荒げた。
そして、帽子の庇を上げて俺の事を睨みながら、鋭い声で言葉を継ぐ。
「アンタが家に帰ろうが何しようがどうでもいいわっ! あたしが言ってるのは、あのふたりに対して、どう対処していこうかって事だよ!」
「あ……そっちか……」
立花さんの言葉に、俺はハッとした。確かに、今日のデートを監視……見守りをする事ばかり考えていて、その後、自分たちがどう行動するかについては全然考えてなかった。
俺は、顎に手を当てて考え込む。
「そ、そうだなぁ……。とりあえず、次のデートの日をミクから聞き出して、今日みたいに尾行して――」
「それ、いつまで続けるつもりなの?」
「え……?」
立花さんの鋭い問いかけに、俺は目をパチクリさせた。
そんな俺の反応に呆れ混じりの息を吐いた立花さんは、眉間に深い皺を刻みながら言葉を継ぐ。
「今日は特に、ふたりの間には何も無かったけど、次はどうなるか分からないよ。手を恋人繋ぎしちゃうかもしれないし、は……初キッスしちゃうかもしれないし、そ、それどころか……ひょっとしたらその先まで……!」
「そ! そそそそそこまでは、まださすがに――」
「分からないよ! イマドキの若者は、そういうの結構早いって良く言うじゃんッ!」
「“イマドキの若者”って……君も充分若いじゃないか――」
「だから分かるのっ! 実際、あたしの周りでも、もうそういう事を済ませちゃった子が何人か居るんだからっ!」
「な……何だと……っ?」
立花さんが頬を赤らめながら口走った言葉に、驚愕を隠せない俺。
「お……俺の高校時代には、知り合いでそんな奴はひとりもいなかったぞ……」
「どうせ、アンタの知り合いなんて、昼休みに机を並べて大富豪とか遊〇王とかポケモ〇カードとかしてるような陰キャばっかりでしょ?」
「な……ッ! 何で……俺の高校時代の事を知っているんだ、君は――!」
「いや、見るからに陰キャっぽいもん、アンタ自身が」
「……」
立花さんの言葉に、沈黙を強いられる俺。実際、彼女の言葉の通りなので、まったく言い返せない……。
だが、それでも俺は、ブンブンと首を横に振り、話を元に戻す。
「だ……だからって、ミクに限って、そんな軽率な事は――」
「……意外と、外見は地味だったりしっかりしてそうな子の方が、そういう事は早かったりするんだよね」
「――ッ!」
本当は心の奥でそれが起こる事を危惧していたクセに、反射的に必死で否定しようとする俺の言葉を遮った立花さんの呟きに、俺の心臓は凍りつく。
現役の高校二年生女子である彼女の言葉には、何とも言えない重みと説得力があった。
「あ……ま、まあ、絶対にそうだっていう訳でもないっちゃないんだけど……」
黙りこくる俺に、立花さんが慌てた様子でフォローするように言う。
……ていうか、今の俺、出会った瞬間から無礼で強引で気の強いこの彼女すら、思わず罪悪感を感じて気を使ってしまうほどにしょげ返ってたらしい。
自分よりも年下の女の子に気遣われた事に対する不甲斐なさと情けなさを感じた俺は、彼女に向けて少しぎこちなく笑うと、小さく頷いてみせた。
「そうだな。君の言う通りかもしれない。今日は何も無かったけど、次はどうなるか分からないよな……」
「……」
「早いうちに何とかしないと。でも、何をどうすれば――」
「……ねえ」
口元に手を当てて考え込もうとした俺に、立花さんが意を決したような顔をして、声をかけてきた。
その決意に満ちた表情を訝しみながら、俺は訊き返す。
「ん……? どうしたの、立花さ――」
「あたしねっ! 今、ひとつ思いついたんだけど……!」
彼女は、自分と俺の事を交互に指さしながら上ずった声で言った。
「あたしたち、協力し合わない?」
「へ……? 協力?」
彼女の言葉の意味が良く解らず、当惑する俺。
そんな俺に、立花さんは目を輝かせながら言葉を継ぐ。
「アンタはさ……あのミクとかいう幼馴染と恋人同士になりたいんでしょ?」
「あ……え、えっと……ま、まあ……一応……うん」
彼女の口から出た、茂野〇郎のジャイロボール並みの剛速球な問いかけにたじろぎながら、俺は壊れかけのロボットのようにぎこちなく頷いた。
それを聞いた立花さんは大きく頷くと、自分の事を指さしながら言った。
「あたしも! ホダカと付き合いたい!」
「お、おう……」
あまりにも堂々と言い切った立花さんの姿に、一種の感銘を受けながらコクコクと頷く俺。
……だが、それと“協力”という単語がどう繋がるのかは、未だに解らない。
だが、そんな感じで頭の上に無数の「?」を浮かばせている俺の事などお構いなしといった様子で、彼女は興奮した様子で更に捲し立てる。
「だから、協力するの! お互いに!」
「い、いや……ちょっと待って! は、話が見えない! そ、その“協力”って――」
「あれ、分からない?」
思わず声を荒げて問いかけた俺に、立花さんは呆れ果てたと言いたげな表情を浮かべ、まるでアメリカ人のように大げさに肩を竦めてみせた。
そして、溜息を吐きながら「……だからね」と続ける。
「あたしは、アンタがあのミクって女と付き合えるようにサポートするから、アンタは、あたしがホダカと恋人同士になれるようにアシストして」
「……はいぃ?」
「――要するに、お互いの幼馴染を自分の元に奪い返す為に、お互いに協力し合おうって事。どう、名案でしょ?」
立花さんはそう言うと、呆気に取られている俺に、この上ないドヤ顔を見せつけるのだった――。