第五訓 初対面の人相手にマウントを取ろうとするのはやめましょう
「……っていうかさ」
と、まるで背中の毛を逆立てた野良猫のように、その大きな目を吊り上げて俺の事を睨んでいた少女――立花瑠璃が、口を尖らせる。
「アンタも幼馴染なの? あのミクとかいう女の」
「あ……ああ、まあ」
少女の問いに、俺はおずおずと頷いた。
「俺とミクとは、もうかれこれ十五年くらいの付き合いだよ。……あ、つ、付き合いって言っても、そ、そういう……いわゆる男女のアレ的なアレじゃなくてだな……」
「んな事、いちいち言われなくても分かるよ。あくまでも“ご近所さん”だって事でしょ?」
「う……ま、まあ……。で、でも、さすがにタダの“ご近所さん”よりは、もうちょっと親しげな関係だぜ……多分」
立花さんの言った“ご近所さん”という言葉に、どことなくドライなものを微かに感じて引っかかった俺は、思わず反論の声を上げた。
そして、「……でも」とぼそりと付け加える。
「……何にも無けりゃ、ゆくゆくはそういう関係にもなれたはずだったんだよ。それなのに、あんな奴が――」
「え? 何か言った?」
「あ、いや……な、ナンデモナイデス」
怪訝な表情を浮かべた立花さんに聞き返され、俺は慌てて首を横に振った。
そして、誤魔化しついでに彼女へ訊き返してみる。
「そ……そういう君の方はどうなのさ?」
「……あたし?」
俺に訊き返された事が意外だったのか、立花さんは驚いたように目を見開いた。だが、すぐにニヤリと口元を綻ばせると、俺と斜め向かいの席に座っているミクの事を交互に指さしながら訊いてくる。
「確か……アンタは十五年だっけ? 幼馴染歴……」
「いや、“幼馴染歴”って何だよ。……まあ、そうだけど」
「じゃ、あたしの勝ちだね!」
俺の答えを聞いた立花さんは、小さく叫ぶと、エヘンとばかりに胸を張り、勝ち誇った表情を浮かべた。
「何せ、ホダカとは、あたしが生まれた時からお隣さん同士だったからね! って事で、あたしとホダカの方の“幼馴染歴”は十七年だから、アンタたちよりも長い~!」
「な、長いって言っても、たった二年じゃん! そんなの、誤差の範囲内だ誤差の!」
勝ち誇る立花さんの態度が無性に癇に障った俺は、ムキになって言い返す。
「ていうか、大切なのは時間の長さじゃない! 濃度だ!」
「はぁ? 濃度?」
俺の言葉に、狐につままれたような表情を浮かべる立花さん。俺は、そんな彼女の事はお構いなしに言葉を継ぐ。
「その点、俺とミクは凄いぞ! 何せ、幼稚園から小中高校まで、ずーっと一緒だったからな!」
「え? こ、高校まで?」
その時初めて、立花さんが動揺を見せた。それを見て、(イケる!)と確信した俺は、更なる追撃をお見舞いする。
「まあ……俺とミクは学年が一つ違ったから、同じクラスにはなれなかったけどさ。――それでも、毎日一緒に登校してたし、高校の時にはミクが俺の分まで弁当を作ってくれたりしてたんだぜ」
「お……お弁当うううぅっ?」
やはり、“幼馴染の手作り弁当”が持つ攻撃力はダンチのようだ。
驚愕であんぐりと口を開ける立花さんの顔を一瞥し、俺は勝利を確信する。
――だが、
「そ……それを言うなら、あたしだって!」
一旦は決定的な精神的ダウンを喫したかに見えた彼女は、まるでロープを掴みながら立ち上がるボクサーのように、ブルブルと頭を振りながら声を張り上げた。
そして、闘争心に溢れた表情で、俺の顔を真っ直ぐに睨みつけ、衝撃的な一言を口にした。
「あたしとホダカは、しょ……小学一年生の頃まで、いっしょにお風呂に入る仲だったんだからねッ!」
「お、お風呂ろろろろだとととととおおぉぉぉぉぉッ?」
その一言は、ワンパ〇マンの右拳もかくやというくらい、テキメンに効いた。
「い……いっしょにお風呂……さすがに……お風呂には勝てん……ぐはっ!」
小学一年生までとはいえ、文字通りの“裸の付き合い”の威力の前には、全てが蟷螂の斧に等しい……。
俺は、心を蝕む大きな敗北感とほんの少しの興奮によって、机に突っ伏した。
はい。一撃ノックアウトです。本当にありがとうございました。
「ぐ……ぐうう……」
少ししてから、俺はヨロヨロと身を起こす。
そして、
「……ど、どうしたの?」
思わず当惑の声を上げた。
俺の隣で、立花さんが俺と同じように机に突っ伏していたからだ。
「う……うぅ……」
立花さんが呻き声を上げながら、ゆっくりと顔を上げる。
その顔は、帽子の庇で隠していてもハッキリ分かるほどに赤く染まっていた。
「だ、大丈夫? 熱でもあるの……?」
俺は心配のあまり、思わず彼女に尋ねる。
すると彼女は、身体を小さく縮こまらせながら、さっきまでの強気が嘘のような、今にも消え入りそうな声でぼそりと言った。
「さ……さすがに、『いっしょにお風呂』を初対面の男相手にカミングアウトするのは……かなり恥ずかしかった……」
「いや……だったら、言わなきゃ良かったじゃんかよ」
立花さんの言葉に、俺は思わず呆れ声を上げた。
すると、彼女はキッと俺の事を睨み、熟れたリンゴのように真っ赤になった頬をぷうと膨らませながら小声で叫ぶ。
「だ、だって! 負けたくなかったんだもん!」
「……いや、どんだけ負けず嫌いやねん、キミはっ!」
うっすらと涙まで浮かべている立花さんに、俺は思わずニワカ関西弁でツッコんだ。